はてなキーワード: あきらかとは
15巻のP146でも、あきらかにしてるよね。
何言ってんだ?
紐付けだかなんだが知らないが、その5000万件はデータそのものが消失しちゃってるんだから
適合度もクソもないだろ。
端的に事実誤認です。
解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論「払拭できるか 年金不信」でも読んで出直してきなさい。
……いや、もしかしたら「5000万件の記録が宙ぶらりん問題」と「原簿がすでになくなっちゃってるよ問題」が混同されているのかな。
だとしたら、やっぱり解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論「払拭できるか 年金不信」と木走日記 - 原簿を完全にきれいに破棄した自治体数は284〜社保庁自体の民間では考えられない杜撰な体質を読み直すといいと思うよ。
その上で5000万件の照合は1年以内に完了するよ!を読めば、「ああ、なんだ。5000万件の照合は1年以内に完了するよ!は解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論「払拭できるか 年金不信」に書いてある
社会保険庁自ら5000万件が誰の記録かあきらかにする調査を、1年以内に行うということです。その結果、統合されていない記録がみつかった年金受給者には、来年の8月までに、現在保険料を払っている若い世代には、再来年の3月までに通知して、記録を訂正するとしています。あたりのことを言っていて(でも期日がちょっと違うなぁ)、原簿が無いよ問題とは別のことを言っているのかな」って思えるんじゃないかな。
「匂いは思い出を想起させる」と言ったのは誰だっただろうか。
梅雨が終わり、定期試験も終わって、あとは夏休みを迎えるだけという緩慢とした空気感。すでに夏の日差しになっている太陽に照らされて埃っぽく土がまう校庭。運動部の半分やけになった掛け声とそれと競い合うようなセミの声。そして、時折混じる吹奏楽部の練習の音。僕は教室の窓際の席に座って外を眺めるでもなくただそこにいる。
不意に今までとは異なる匂いを感じる。これは雨のにおいだ、と認識する間もなく空は掻き曇り、大粒の雨が落ちてくる。はじめはぽつぽつと落ちてきたそれはすぐに本降りになった。気付けば運動部の掛け声もセミの声も止んでいる。そして、焼けた土と雨のにおいが混じりあった湿っぽいにおいが教室に満ちる。夕立はすぐにやむだろう。
僕が雨を眺めていると、教室の後ろのほうでドアの開く音がする。音の主は上履きをきゅっと鳴らしてこちらに近づいて僕に声をかけた。
「あ、増田くん、まだいたんだ」
聞き覚えのあるよく通る声。僕は平静を装ってそちらを振り向く。全身濡れ鼠の制服姿の彼女がそこに立っていた。僕は思わず目を逸らす。
「ひどいよねー、びしょぬれになっちゃった」
そう言って、袖を振る。教室には彼女の足跡が点々と付いている。
「ごめん、そっち向いててくれる?」
彼女はそう口にすると、ジャージが入っているらしき袋を手に取った。僕はあわてて教室をでる。中にいていいよという彼女の声を振り切って廊下に出てからカバンを持ってこなかったことに気付いた。廊下も雨の匂いに支配されている。
「もういーよ」
かくれんぼのときのようなその声を聞いた僕は、教室のドアを開けた。目の前に彼女が立っている。下ろした髪に野暮ったいジャージ姿。そして、雨とはあきらかに違う匂い。
(続かない)
会社にあと数年で定年だけど関連会社から出向してきた50代のおっさんがいた。
彼より10歳以上年下の部長に怒られちゃうみたいな、わかりやすく駄目なサラリーマンだった。
腹が出ていて、髪の毛は脂でべっとり。いつもよれよれのスーツと垢じみたシャツをだらしなく着ている。
足なんかとっても臭いのに、仕事中靴を脱いで椅子の上で胡坐をかく癖があるから、夏は近寄るのも嫌な感じ。
女性社員や派遣からものすごく嫌われていて、男性社員からは軽蔑と哀れみの目で見られていた。
だけどそんなおっさんを私はあまり嫌いではなくて、喫煙室なんかで挨拶をかわすうちに、
ちょっと打ち解けて、たまたま帰りが重なったときに飲みに誘われた。
そのとき彼が言ってた言葉...
「マメに連絡をとって、いつもほめまくって、タイミングを見て、お願いやらせてって土下座したら、10人中5人はやらせてくれるよ。」
にわかには信じがたかったけど、彼の携帯の中の、
玄人臭のする年上のお姉さんや、日本人ではない若い女の子たちの写真を見ていたら、
なんか案外そんなものなのかもなあと思った。
で、飲んだ帰り道にそのおっさんに
「ほんとは増田さんのことも口説きたいけど、僕は増田さんのことは大事な友達だと思ってるからやめておく」
といわれたときは、何かこみあげるものというか…大きな屈辱を感じたけど、それについては深く考えないようにする…。
テクニックがあってテーマのない人間は哀れだ。彼らにできるのは対象物を微妙に損ねたかたちで表現することだけ。それは実に精密、そして意外な仕掛けが施されていて、見るものすべてがひと目でその力量に惚れこむだろう。これは素晴らしいと感嘆し、陶然としたひとびとは我先にと商品に売約済の札を貼りつけ熱狂の渦に叩き落とされる。
そうして彼らは瞬く間に幾許かの名声と、それなりの現金を得て懐があたたまる。だが、それで終わりだ。何も変えられはしない。聞こえてくるのは賞賛の声と、いくらかの妬み嫉み。彼らが血反吐に塗れてつくりあげた精巧なレプリカを誰もが正しく理解し、受容しているのだ。彼らに実現可能な高みとは完璧な世界の表現でしかない。正確にいえば「わずかに欠けた現状」である。そんなありふれたものを誰もが買い求めた。苦渋や、浮き立つようなしあわせが掬い上げられているかに見えるそれを欲した。そして陳腐な空想に浸るのだ。もしかしたら存在したのかもしれないかわいそうな自分を幻視し、涙した。そうしたひとびとから圧倒的な支持を受けていた彼らは、その事実に慢心することはなく、むしろ常に脅えていた。彼らは自身を他人事のように見つめるのに長けていた。これこそが唯一にして絶対の力点だった。彼らは自分の存在意義と限界をしっかりと弁えていて、立ちまわり方を誤った際の自分の末期を見とおしていた。自分の地位を脅かす存在を想定していた。
それは散漫な人間だった。自分を制御する術を持たず、学のない、道理を知らない愚か者だった。己の境遇を恨んでは憎悪の腐海に沈み、海底から虎視眈々と世界への復讐を果たそうと構想を膨らませていたがしかし、その奇想を実装する能力を持たない人間だった。零れる言葉は誰からも理解されず、あきらかに奇異。おそろしく、不気味な、妄想の片鱗を垂れ流すことしかできない異常者。ようするに逃げ場のない人間だった。殺されるか、殺すか、二つの選択肢しか持たない。だから、そういうものが死なないのであれば、確実に自分たちのもとに到達して、かならずや復讐を果たす。彼らはそう考えていた。いや、仮に志し半ばで野垂れ死んだとしても、結果は変わらないのだ。今世紀中には無理でも数百年をかけて間違いなく殺される。歴史の隙間に葬り去られる。この世に蒔かれた憎悪の種は水を遣らずとも芽をだし、突如としてシステムに痛手を負わせる純粋な悪意の表象となる。それはやがて黒々とした花をすべての人間のこころの中に咲かせるだろう。今、もしもそれを目にすることができたところで、誰ひとりとして正当に評価できないのはわかりきっている。彼らですらあれは花ではないと酷評するのが関の山だ。あの花は決して枯れないのだから。花は枯れてこそ花である。だとしたらあれは花ではなく……。
彼らは行き過ぎた妄想を止めた。完全に未来を予測するのが不可能であると知っていた。失望に足をとられて転ぶのをよしとはしない。すぐさま構想を練り始めた。愚か者には枠を与えるべきだ。今すぐにでも教育を受けさせなければならない。きちんと枷をはめ、思考は決まった円環上で堂々めぐりするように仕向けるのが最善だろう。生活に困って妙なことを考えないように、みな同じだけの富を持てる社会にすればいい。すべての人間を同じ高さに引き上げコントロールする。それができればこともなし、だ。さぁ、選挙に出る準備を。
すっかり夢中になっていた、いや、恐怖で混乱したのかもしれないが、彼らは重大なことを失念していた。彼らにはテクニックはあった。しかしそれだけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070127004939
>>そうすれば、同性愛者だとかの例外はあるものの、男女ともに危険から逃げられるわけだし。<<
そうでもないと思う。
結果的には「例外」の意外に多いことに気付くことになるだろう。
サンプル数があまり多くないので、断言するのははばかられるが、痴漢に遭いやすい男性、というのは確かに実在する。もちろん加害者は男性だ。しかも必ずしも同性愛者というわけではないらしい。
わたしは初めてひとりで電車に乗り始めた小学校1年生あたりから、実に大学を卒業するあたりまで、ほぼコンスタントに月に1回ぐらいの割合で痴漢に遭遇していた。
パターンは実にバラエティーに富んでいて、触られるはもとより、おしつけられる、抱きつかれる、追いかけられる、見せられる、触らされる、囁かれる、誘われる、衣服とかに白いものを着けられる、トイレの個室に引き込まれるなどが代表的なところか。
ちなみに2chの痴漢スレを眺めると、芸能人で言うと少し前の神木隆之介あたりが彼らの好みらしいことがわかる。
なにかされても自ら体を張っての密かな攻防以外に手立てがないのは、女性と違い、勇気を持って「やめてください!」とか「痴漢です!」とか叫んだとしても、明らかにこっちがおかしいやつと思われるのがオチだろうという、ある種の確信的な諦観からだ。緊急避難のために次の駅で降り、駅員に助けを求めるときも、「怖いヤツに追われてる」とウソをつくことになる。
女性が待ち合わせに遅れるといつも「痴漢に遭って途中駅で降りたのでは」とかつい思うのだが、そんなことはめったにないらしい。
男の性欲ってのは、それを抑圧すれば抑圧するほどそのベクトルは歪み、腐敗し、さらには増大していくものなんではないかと思う。
性犯罪者は圧倒的に男性が多いというのはよく知られている事実だが、その一般的にノーマルと思われる性癖の性犯罪者をひとところに集め、監禁してみると、絶対に「共食い」が始まるに違いない、とわたしは思うのだ。というか、刑務所内ではやはりあるらしいじゃないか。「共食い」。それが「男性専用車両」で起こったらと思うと、おぞましさに戦慄を禁じえない。
余談だが、ブラザートムがまだ小柳トムという芸人だった頃、私鉄の電車内で痴漢に遭ったという話を聞いたことがある。当時も今も彼は誰がどう見たって男らしい男にしか見えないと思う。痴漢というのはそんなにも便利に自分の性癖を環境に適応させうるものなのだろうか。
あ、件の映画「それでもボクはやってない」は制作者サイドが痴漢という部分をことさらに強調しないように広報活動を行っていたらしい。あくまでも司法上の問題を提起というのが主眼とかで。あきらかに集客目的で痴漢犯罪をフィーチャーしたくせに、盗人猛々しいぞ。