はてなキーワード: 屋台とは
同業者なんだけど、思ったことが二つ。
「問題視されるのは、旧UFJのシステムが旧三菱東京より優秀であることを知りながら採用しなかった経営責任です。行内にくすぶっていた不満が噴き出す恐れがある。さらに、旧三菱東京のシステムを任せていた『ニイウス コー』がこの4月末に巨額の粉飾決算で経営破綻し、主力銀行としてその粉飾を見過ごしてきた姿勢を批判する声も多いのです」
その矛先は、一連のシステム業務を主導してきた畔柳信雄三菱東京UFJ銀会長、この3月まで副頭取としてやはりシステムを担当した永易克典頭取へも向けられているから穏やかではない。システム統合の第1弾でミソをつけた三菱UFJ。システム統合の行方次第では、銀行の屋台骨を揺るがす事態を招きかねない。
大学4年生になって、いまさらながら初めての海外旅行に行ってきた。
いや
まじでね
おもろい国でしたよ
すべてが。
なんか独特の匂いがする。これが中国なのか、と。
中国語なんてニーハオ、シェーシェーしか知らないし
英語はほぼ通じない。(俺もぜんぜん喋れないけれど。)
ジェスチャーと筆談でなんとか意思の疎通をする。
北京に行く前から一つ決めていたことがあって、
それはあんまり贅沢しないで、地元の人間にできるだけ近い水準で旅行を楽しむってことだった。
それにおまえ現地の水準がどんだけか知ってんのか、かっこつけるなバカ
って言われればそれまでなんだけど、
高いホテルに泊まったり高級なレストラン入ったりして過ごすよりは、少しは現地の人たちの生活文化に触れられるんじゃないかなと思った。
だから、一泊千円もしない宿に泊まったり、安くて小汚い食堂でご飯食べたり、屋台で買い食いしたり、店の商品は可能な限り極限まで値切った。
また、移動でタクシーばっか使うなんてことはしたくなかった。
それが結果的にものすごくいい経験になった。
平気で匂いのキツイ肉まんみたいなの食べてたり、
カップルがキスしてハグしてたりする。
それに列車に乗るときは並ばないし横入りなんて当然だった。
肩がぶつかってもなにも言われないし、言わない。
終いには物乞いが地下鉄に乗ってきた。
路上では老若男女みんな痰やツバを平気でペッペ、ペッペと吐いてる。
若いお姉ちゃんが歩きながら路上でツバやゲロを吐く姿は本当に衝撃的だった。
半日街を歩けば鼻水は真っ黒になるし、地面なんてものすごく汚い。
うんこも落ちてた。人間のものじゃないかなと思った。だってすごく大きかったから。
一国の首都がこんな感じなんだから、きっと地方はもっとすごいに違いないと思えた。
日本では考えられないことがホントいっぱいあった。
すごい所に来ちゃったな
って思った。
でも2,3日すると痰やツバ吐き、
股の部分が意図的に裂いてあるズボンを履いたちびっ子が路上でオシッコしてたり、
警察がパトカーの中で寝てたり飯食ったり電気カミソリでヒゲ剃ってたりする様子が平気になってきた。
なんか大らかというか適当というか野蛮というか、そんななんとも言えない中国の感じがとても刺激的でエキサイティングだったし、好きだった。
日本に帰ってきて思った。
トイレには鍵が付いてるし、紙も流せる。ちゃんと個室には仕切りも付いてるし。
家電なんかも断然性能いいし、安い。
それに、日本には無い変に飾らずリラックスした感じがすごい魅力的だった。
そんな北京での8日間だった。
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http://anond.hatelabo.jp/20080225181422 6
http://anond.hatelabo.jp/20080226204431 7 の続きです。
きっかけは「ホットペッパー」でした。しかし、今までの対抗媒体とは比較にならないスピードで広告クライアントを奪われ、慌てて『聖域』を放棄し、広告収益から屋台骨を立て直そうとしたのは、タウン誌自身に他なりません。「ホットペッパー」や「フリーペーパー」と差別化が可能だった唯一の武器を捨て、同じ土俵に立ってしまった。それが現在、地方の雑誌メディア「タウン誌」が置かれている現状です。「なかなか記事で扱ってもらえない雑誌」から「お金さえ出せば記事が載る雑誌」に。街のタウン誌に対する印象は、以前とは180度変わってしまいました。
ホットペッパーショックで、『プライドか、金か』の選択を迫られ、『金』を選択したタウン誌の多くが、苦境に立たされました。一方、『プライド』を堅持したタウン誌も決して順調と言える状況ではありません。
この先、タウン誌がどうなっていくのか。それは誰にも分かりません。全国のタウン誌は、自分たちでは無理な突破口を、誰かが開いてくれることを待ち続けていました。敗色濃厚な戦場で、来るあてのない援軍を待ち続ける孤立した部隊のように。しかし、疲弊しきった兵士達の瞳は、まだ力を失ってはいませんでした。混乱する司令官が発する無茶な攻撃命令を受け流し、現場レベルで「どこで戦略を間違ったのか」「どうすれば生き残っていけるのか」を、努めて冷静に振り返りはじめたのです。タウン誌が読者の"信頼"を取り戻すのは、並大抵のことではありません。しかし、『金』を選んだタウン誌も、『プライド』を守ったタウン誌も、それぞれがそれぞれの方法で"信頼"回復を模索しまじめました。
その過程で、現場スタッフ同士でのネットワークが構築され、情報交換を始めたタウン誌もあると聞きます。編集長が交代し、部数減をくい止めながら若年層の取り込みに成功したタウン誌も出てきています。また、記事広告のあり方を見直すことによって、従来のように広告と記事の区別をつけながら、どう"広告"を魅力的に見せるかということに取り組みはじめたタウン誌もあります。積極的に県庁や役場などに働きかけ、それまで印刷会社や広告代理店が牛耳っていた観光や行政などの自治体広報に、雑誌媒体で培ったノウハウと人脈を生かして取り組む会社も増えてきています。ウェブ制作、イベント運営、小売りFC加盟、テナント経営、不動産賃貸。地方でタウン誌を発行している各社は、積極的に多角化の道を探っています。
取り巻く環境は変わっても、地方のエンドユーザーに一番近い媒体だからこそ、「読者から信頼される確かな情報」を疎かにしてはならない。"信頼されるメディアであること"を、もう一度柱に据え、タウン誌は再生の道を探っています。
しかし、ここまでに挙げた外的要因だけでなく、タウン誌を発行する出版社そのものにも問題点は多々あります。
つづく
中国の食は日本と比べて遥かに過酷であることは誰もが知っていることだと思う。
食用油は工業排水から取るし、爪楊枝は使用済みを再利用してエイズウィルスやC型肝炎ウィルスが検出。
屋台のインスタントラーメンを食べると泡を吹いて即死する。
金持ちは日本のものを好んで食べるというが、都市部の労働者はそんなお金なんて無いので得体の知れないものを食べざるを得ない。
で、だ。
連日のように食物汚染による被害を被っている一般の中国の労働者は進化をはじめているんじゃないかと思っている。
ゴキブリや結核菌だって耐性を持つものが生き残り結果以前のものは効かなくなる。
彼らも同じように淘汰されたとして、数十年経ったらどんな毒物を用いても死なない人間に進化するんじゃないかと俺は考えている。
http://anond.hatelabo.jp/20080130215617
「今大学生の人」ですが。
話の本意からは逸れるし別に高学歴でもなんでもない、けど
>「わかりました。…どうすればうまくできるんですか?」とやる前から言い出す。
その気持ちはちょっと、わかってしまう気がする。
自分も過剰に失敗を怖がる。
ただ最近、戎神社で、笹飾り作って売るバイトしたときが凄かった。
マニュアルもなしに巫女服着させられて屋台に放り込まれて、仕事の手順(笹飾りの付け方とか)も半分は見よう見真似、あとの半分は客が来る合間を縫って、屋台に3人ほど常駐してるばあちゃんに教えてもらう。でそれがまた、教えてくれるばあちゃんによって流儀が違ってたりするわけで。右側に座ってるばあちゃんに教えてもらったとおりにやってたら、左側のばあちゃんに怒られたりする。
その間にもお客が来るから、どうやったら上手く出来るとかマニュアルや要領を考えてる暇はない。とにかく動いて、何が最善かを手探りで覚えていかなならん。ミスがあったらその場で謝罪して、次からそれがないようにする。自己嫌悪するような時間もない。
なんというか、こういう動き方もアリなんだな、と思った。それまでは、ミスがないように失敗がないように、事前に自分できっちり段取りを決めて検討をして正しく正しく動く、それが出来なければ何もやらない(できない)、っていう二者択一の思考をしてたので。
とりあえずぶつかってみるってのもアリなんだなあ、と。
実際、使う側からしたら、そういう動きが出来る奴のが使いやすいのな、とか、元増田見て思ったよ。
何が問題なのかわからない、一人暮らし歴16年の俺が来ましたよ。
《フード系》
○ 1人マクドナルド:マクド持ち帰りが面倒なときはその場で食うぜ。あとLANが欲しいとき。
○ 1人吉野家:つーか、吉野家は一人で行くところだろ?女子供はすっこんでろ。
○ 1人鍋:基本、自炊だから冬はよくやるよ。外食で鍋は食わないけど。
○ 1人回転寿司:普通じゃね?俺以外でも一人で食ってる人はよく見かけるよ。
× 1人焼肉:これは・・・一人で食うといろんな肉が食えないからやったことがない。今度、ランチの時に出もやってみるか。
《エンターテイメント系》
俺、あんまり外で遊ばないから弱いかも。
○ 1人旅行:普通じゃね?地方の友人宅に泊まりに行く時なんて、一人じゃないと迷惑だし。
○ 1人コンビニ:はぁ?何言ってるかわからん。
・ 1人コンサート:そもそもコンサートになんて行かない。一人でもデートでも。
○ 1人博物館・美術館:一人の方が楽しめるんだぜ?故宮博物館を一日がかりでじっくり見たのは楽しかった。またやりたい。
○ 1人映画館:普通じゃね?映画の趣味が合わないときなんか、一人で見に行った方が楽しめるだろ。
・ 1人カラオケ:そもそもカラオケ行かないし。デートで行くなんてもってのほか。
× 1人動物園:あー、これは行ったことないなぁ。今度一人で行ってみるか。楽しそう。
・ 1人遊園地:これもない。誰かに連れられてじゃないと行く気がしない場所だ。
○ 1人夏祭り(花火も?):え?お祭りの屋台の冷やかしなんて一人で行かない?屋台の粉物を買って、家で一人で飲むのが好き。
やってみて思ったんだが、そもそも1人で行けないってどういう理由で行けないんだ?
行く気力がないというのが理解できないんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20071122150652
http://www.otafuku.co.jp/column/history/h_01a.htm
>ところでこの「お好み焼き」の名称であるが、だれが、いつ、どこで命名したものか、今となっては調べようがない。
> ちなみに戦前、戦中、終戦直後のどの料理書にも、お好み焼きの名称は見当たらないのである。
という事と、
http://www.chugoku-np.co.jp/okonomi/mystery/O403010601.html
>戦後、父親(故井三男さん)とともに、中国東北部から引き揚げました。
>平和大通りの道路工事で働いた後、中央通りで上記の中村さんの近くに、父親と屋台の店を出しました。
>時期は中村さんとほとんど同時とのこと。名称については、「初めのころはちゃんとした呼び名はなかった、と思う。
>何でも好みの物を入れるが、『好み焼き』ではいけないので『お』を付けたではないでしょうか」と当時を振り返りました。
この辺から。
古くなったご飯の味をごまかすために酢を振り掛けました。こうして酢飯ができました。
江戸では屋台が人気でした。寿司,煮物,そばなんかが主流。特に寿司はちょいとつまんでおやつがわり。気軽な庶民の食べ物。
まぁそんな屋台で出すわけなので腐ると困るので酢飯を使いましたとさ。粋でやせ我慢の大好きな江戸っ子は古いことはわかっていても,これがうめぇんだといって食ったとか食わないとか。まぁほんとかどうかはしらないけどな。
ということを考えると,むしろ暖かいご飯が出てきたら喜ぶんじゃないのか,新鮮なわけだぜ。俺は何でもいいね,俺はあったかい寿司でも何でもほいほい食っちまう男なんだぜ。あぁ酒を燗にして寿司をつまみたいねぇ。増田でも肴にして,ね。
この石碑には神様が宿っている。いや、いた。
今はいない。
今現在、その神様にとり憑かれている俺が言うんだから間違いない。
ああ、体が勝手に動く。祭りの屋台に向かって体が勝手に突撃する。目標、綿菓子屋。
神様は俺の財布から俺の金を取り出して綿菓子を買う。俺の手に所謂アニメキャラの袋に入った綿菓子が渡される。
綿菓子なんって俺の歳でこんなの食うの恥ずかしいのなんの。それになんでアニメキャラの袋の買うんだよ。もっと穏便なの、あるだろ?
でも神様には関係なし。むしゃぶりつく。ああー服につくつく。後どうすんだよこれ。ただでさえ迷ってて怒っているだろう家内が激怒するぞこれ。どうすんだよ。
でも神様には関係なし。次はフランクフルトだ。あー今度はケチャップかよ。
また俺の金で物を食う神様。でも、この体は俺のだから実際食ってるのは俺か? よくわからん。そういえば俺の腹は膨れてこないな。きっと神様の腹に入ってるんだろう。
その後しばらくさんざんと買い食いする神様。腹減ってんのか? 神様の癖に。
ほぅ。金魚すくいか。それなら腕に覚えがある。やってやろうじゃないか。
と思ったが、やはり体は思うように動かない。あくまで主導は神様だ。勝手に動き、勝手に失敗する。違う違うそうじゃないそうじゃない。と思っても体は勝手に。
4回ほどして神様もあきらめた。単に俺の手持ちの金が尽きただけだが。すりに用心して大金とカード類を家においてきた俺の小心に感謝だ。
金魚すくいを終え、次はどこに行くのか、と体の挙動を見守る。
体は、石碑の方へと向かっていった。段になっている所に赤い和服の少女が腰掛けた。
のが、見えた。
あれ? と思って右手を上げてみると何の違和感も無くあがった。体が、意のままに動く。
「ああ、体を勝手に使ってあい済まなかったな」
声が聞こえた。これが神様の声? いや、俺の声だ。まだ声は神様に操られている。でも自分の声も出せるようだ。文句を言ってみる。
「済まなかったと思うならすぐに元に戻してもらいたいもんだ。
礼くらい言わせろ。普通の状態だと俺の声はお前には聞こえん。ああ、礼だったな。色々食わせてもらって助かった。最近ろくなもん喰ってなかったからな」
俺の金でいい気なもんだ、とは思ったが口には出さない。同時に喋っていると変な目で見られるとわかったからだ。だから内心で愚痴った。あー、家内にちょっとしたアクセサリーでも買ってやりたかったのに。
「金か? 祭りの場でそんな事気にするな。すられたわけじゃない。腹に溜まったんだしな」
心で思ったことも聞こえるようだ。流石に神様だ、と感心するがついでに怒りもわく。
俺が食ったわけでもねーよ。と心に思う。
「はっはっは。それもそうだな。ならこうしよう。俺が食った分位の幸福を、お前に授けてやる」
期待してねーよ。こんな場末の、しかも神社にじゃなくて石碑に住む神様のご利益なんてな。見た目も若いし。
「まあまあみていろ。ほれほれほれ」
神様がそう言うと俺の姿に変化が起きた。ケチャップやら綿菓子をぬぐった袖口が綺麗になったのだ。
それだけだ。
「てめー、ふざけんな!」
バイクで寿司を宅配するバイトを二年弱やっていた。時間の経つのが早くて接客も面白く、稼ぎがいいから長く続けたけれど、苦痛に感じることも少なからずあった。一つは、自分の運転するバイクのエンジンが発する騒音がひどく耳障りだったこと。一つは、厨房で店長のiPodから流れる音楽がひどく耳障りだったこと。これらに比べれば寒風に曝された指先がかじかむことや豪雨で雨合羽の中にまで浸水することなんかは些細で、というより、音を掻き消してくれる雨や風をむしろ好んでいた。
年に一度の長い旅行は、いずれも音から遁れることが第一の目的だった。一昨年の夏、東京から自転車で太平洋沿いに西へ向かい、福岡から南下して鹿児島、さらに沖縄本島へ。最南端の喜屋武岬にたどり着いたとき、軽トラックの屋台がラジカセから大音量の音楽を発しているのをみて死にたくなり、そのあと安宿で一週間ほど寝込んだ。夏休みが明けて大学に戻ると、授業中の教室内は喋り声に充ちていて哀しかった。試しに投書などしてみたけれど改善されないので出席するのを止め、語学の単位を落とした。通学で利用するJRの車内放送に耐えられず、大学近くに安い部屋を借り、一人暮らしの静けさの中で心穏やかに過ごした。
昨年の夏、東京から自転車で日本海沿いに北へ向かい、新潟、青森、札幌を経由して、最北端へ向かった。宗谷岬にたどり着いたとき、記念碑に据えられたスピーカーから演歌がエンドレスで流れていたけれど、その事実を予め知っていたためにさほど落込むことはなく、そのかわりに感動も何もなかった。砂浜に張ったテントの周りで夜半過ぎまで打上げ花火をしている若人たちに何かを訴える気力もなく、逃げるように走り続けていたら北海道を一周してしまい、ぐったりして東京に帰った。夏休みが明けて大学に戻ると、講義中の教室内は変わらず喋り声に充ちていて、試しに投書などしてみたけれど教授曰く「君達は子供じゃないのだから子供にするような注意はしない」とのことで、つまり何も変わらなかったので出席を止め、単位を落とした。大学に通うことが阿呆らしくなって通信教育に切り替えた。
今年の夏、生活と自転車に書いた通り、北極圏を走ってきて、完全な無音の空間に初めて出会った。自分の周囲三キロ以内に自動車が近付いてくると、あ、人が来た、と判るくらいの静けさだった。クロクマの親子に会いたくないけれど会ってしまったとき、彼らは物音一つ立てなかった。走っているとき、または自転車を押して歩いているとき、ふと自分の足音さえ耳障りに思い、足を止めた。足音が止むことによって今まで自分が歩いていたことを知り、砂利を一歩一歩踏みしめて歩く音を聴くことで、再び歩き始めたことを知覚した、と思った。日本でiPodで音楽を聴きながら歩いているときには自分の足音を聴くことはない。音楽なんか要らないと思った。
北緯七十一度の小さな空港で久方ぶりに聴いた音楽はスティービー・ワンダー『太陽のあたる場所』だった。ちょうど十年前に初めて触れた洋楽が彼の歌だったことから、ひどく懐かしい思いに浸り、音楽はあってもいいと思い直した。飛行機を三つ乗り継いで日本に帰ると、危惧していたほどの喧騒はなく、今年こそは旅行後の鬱と無縁で過ごせる、と期待していたんだけどな。
帰国後に始めたバイトの店内で流れる有線放送に耐えられなかった。……音から逃げるに触発されて書き始めたのだけど、続きは後日。
Stevie Wonder "A Place in the Sun" http://jp.youtube.com/watch?v=ExGvrl3t3rc&v3
都内の古くからやってる看板店にいってみそー
寿司をハシなんかでつまみやがって・・! てやんでぇ! べらぼうめ!出て行きやがれ!!
っていわれるよ!!
と、言うことはないけど、いいお店でカウンターで食うときにハシで食ってると
教えてくれるおやっさんもいるとおもうよ。何度か見聞きしたことがあるな。
すし屋さんはフレンドリーな爺さんが大将なことがおおいからね。
そんなラーメン屋さんみたい下品な指摘はないとおもうけど。
で、聞いたことないの?
落語のお題目になってるぐらい古くからの慣わしだよ。東京の方の慣わしだからかな。
もしかしたらこっちの方だけの習慣なのかもしれないね。
ちょっと探してみた。
http://www.sushiwalking.com/manner/index.html
寿司をひっくり返すようにしてネタを下にして人差し指と中指で支え、舌の上にネタが来るように口に運ぶのが正しい食べ方といわれています。この掴み方は、醤油に漬けるときシャリを崩さないので見た目にも美しく食べることが出来るのです。
もともと寿司は庶民のくいものだから、手でつまんで、表の荒縄で手をちょちょいと拭いてくのがならわしさ!
もしかしたらたこ焼きが高級食になる日もくるかもね。
えーなにそれー!?
楊枝って歯をシーシーするものでしょ?文明人なんだから箸つかおうよ!
そんな風にやりとりされる日がくるのだ!
昨日、たまたま通りがかった神社で祭があって、俺、祭のメシとか好きで、思わず特に深い考えもなくお好み焼き買ったんだ。
ところが結構人手が多くて、その場じゃ食えないから、ちょっとワキにそれた公園に入ったんだけど、その公園がまた浴衣とか着たカップルのデートでまったり川を眺めながら語り合ったりする場所で、ちょっと気分が盛り上がったカップルがキスとかしちゃってる場所、少し薄暗い感じの。
足を踏み入れた瞬間、ピザメガネリュックで両手にお好み焼きと発泡酒な俺は、「あちゃー、これは場違い」と直感したんだけど、なんかそのまま「回れ右」するタイミング逃して、ずいずい公園の中心部に向かって入って行っちゃったの。「なんで進むんだ、俺、氏ね」とか心の中で叫びながら、暑くて汗が流れてきたんだけど両手がふさがってるから拭くこともできなくてフゥーフゥー言いながらうつむき加減で歩いてると、周りのカップルの笑い声や会話が全部自分への嘲笑に思えて、立ち止まることもできなくて、早く公園抜けようと早足になったら、なんか余計キモクなってたと思う。
道もわからず必死でカップルの間をすり抜けながら歩いてやっと公園の終わりっぽいところが見えてきたら、なんと川で行き止まり。おまけに広場みたいになってて、もう周りが100%カップル。明らかに俺だけおかしい。その時点で多分もう頭の中パニクってたんだと思うんだけど、そこからまたお好み焼き持って今来た道を戻るとかありえなくて、どうしてそういうことになったのかわからないんだけど、広場の端っこに無理矢理スペース見つけてお好み焼き食っちまおうと思っちゃったわけ。
早くその場を去りたいから、もう必死でお好み焼きほうばってたら、横を通りがかった茶髪だけど髪をきれいにまとめた浴衣姿のスゲーかわいい女の子が彼氏に「キャハハ、すごいほうばってた!」って言ってるのがはっきり聞こえて死にたくなった。
てか涙が止まらなかった。
中国の毒物食品に対する逆切れ外交があちこちでpgrされているわけだが
pgrするのは横においてちょっと彼の国の外交姿勢について考えてみよう。
この事例で判るのは、中国という国がいかに面子を大事にしているかということだ。
事の正否はともかく、公の場で糾弾される行為を非常に恥辱だと感じているわけだな。
こういう国と渡り合う時に正面切ってねじ伏せに行くのはよほど力の差が無いと無理だ。
職場のプライドばかり高い頑固爺に似ている。例え自分が間違っていることがわかっても
公の場でそれを認めることは絶対に無い。こういう人に閉口した経験は、少なからぬ増田が持っているだろう。
しかし一方でこの手の頑固爺を巧いこと転がせる人間も居る。
わが国の対中外交はそういう硬軟おりまぜた姿勢で臨むべきではないか。
表立った場で強気なスタンスをとりつつ、水面下で落としどころを見つけようとする現在の対中外交はむしろ逆効果を招いていないか。
今求められているのは相手の体面は立ててやりながら、決して譲らない粘り腰の外交と言える。
アメリカ議会に食い込んで日米の離間工作をしてるのは台湾有事への布石というだけなのか。
北京オリンピックが終わって中国のバブルが崩壊したときに、内圧に耐えうるだけの強度を中国共産党が持っているのか。
今の中国の屋台骨を支えているカネが無くなったら共産党の求心力は一気に低下するだろう。
政府に対する国民の突き上げを逸らすには、戦争が一番効果的だからだ。
さてわが日本としては中国人が何億人死のうと知ったことじゃないが、経済的な泥沼とそれに続く戦争に一緒に足を取られてgdgdになるという
シナリオは一番避けたい。
バブルで儲けた中国人の富裕層はカネ持ってどんどん外国に逃げ出すことは想像に難くない。当然日本にもその一部が入ってくるだろう。
(大方は欧米あたりに逃げると思うけど)そのときに一緒に黒社会勢力が流入することもおおいに考えられる。奴ら凶悪だから大変。
外来種に駆逐されないように日本ヤクザは奴らと頑張って殺しあってください。恐らく日本暴力団勢力図も大きく塗り換わることになると思うけど
一般市民の皆さんも今の比ではない抗争に巻き込まれるので大変しんどい。ひょっとすると街の一部はスラム化するかもしれない。埼玉とか注意。
まあだからあんまり甘っちょろいこと言ってないで、警察の皆さんがガンガン犯罪者を射殺できるように法整備のほうよろしくお願いします。
それまでに百人くらい日本人が死んでそう。
亡命中国人にはカネだけ落として死んでもらうのが一番ありがたいけどそうも行かないだろう。
そういうわけであと五、六年くらいで正直やってらんない時代が来ることになりそうなんで参院選はよろしくお願いします。
1942年当時の出来事だった。
1984年に多摩在住デヴィッド・アンダーソンがそれを発見する。
使用した機材はF-552、そのガラクタ屋台社のポール型直立エンタイトル制御装置は世界的に有名になったらしい。
デヴィッド・アンダーソン(以下、薫子)は今日の江戸に夢がないのは、天麩羅の衣に含まれる温暖化ガスが影響していると発表。世界を震撼させる事となる。
1985年、薫子は新しい論文をエクスワイアー紙上にて発表。題名はアンダーソンとブラックホール。
そのセピアな世界観はブラックホールの概念を覆し、温暖化ガスを生み出しているのは豚型貯金箱という衝撃的事実と共に大ベストセラーになり、フィールズメダルを獲得。
しかしその後、薫子は自殺してしまう。
外出中の小学校4年生玉木輝和が捨てられていたゴミの中から発見したのはエロ本だった。
P72に到達したとき一枚のメモが挟まれていることにやっと気づいた馬鹿の玉木輝和は、奇跡的にしこるのを中断した。
そのメモには何も書かれていなかった。しかしそれはメモであることに直感的に玉木輝和は気づく。彼はディテクティブの才能に溢れるピュリッツァー賞だった。
コロッケを買って食べながら、家路に着いた玉木輝和は、おもむろにフランス製蝋燭立てにマッチで火をともすと、メモをあぶり始めた。
そのメモに仕込んであった字が浮かび上がってきた。
メモにはこう書いてあった。
「幼い子は、決してエロほんの中を覗いてはいけない。」
輝和は後悔した。何故俺はエロ本をゴミの中から発見し、エロ本を開いてしまったのだと。
その時、NHKでやっていたサラリーマン・Theoが突然報道番組に変わった。
輝和は最初あまりの動揺に気づかなかったが、自分の名前をテレビが呼んでいることに気づいた。
「玉木輝和、玉木輝和君。君は今日エロ本を学校の帰りで拾ったね。」
なんてこった。玉木輝和は後悔した。何故俺はエロ本をゴミの中から発見し、エロ本を開いてしまったのだと。
テレビは続ける。
「もしこのことをばらされたくなかったら、2丁目にあるゴールデンボーイズという店に来い。」
ゴールデンボーイズ?聞いた事が無い。そんな店この界隈にあるのだろうか。ここはアリゾナ、それにしてもそんな店聞いた事が無い。
NHKを駆使するぐらいの組織相手だ、手抜かりがあったら羽交い絞めにされてファーストキスを奪われるかもしれない。
用心に用心を重ねようと輝和はミネアポリスにいるゲリー・マクワイアと連絡を取った。
「至急車を回せ、ついでにケチャップだ。」
そう指定を終えた輝和は黒のジャケットに着替えた。メーカーはGucchi。まがい物だ。だがそれが自分に一番似合うことを輝和は知っている。
靴はオーダーメイドのベルルルッティ。まがい物だ。これはあまり似合っていないが、本家以上に金を掛けている。
すね毛を少し出しながら、玉木輝和は自分の方も仕事の準備を始める。
まずピンセット、ほぼ日手帳、木彫りのクマ、タモさんストラップ、稲メンが女子警官を引いた時の地面のレンガ。稲垣メンバーの崩壊の瞬間としてこれは歴史的価値が高い。輝和は収集家でもあった。
輝和がそのまま7日の時を過ごすと、ゲリーがやってきた。
「車は壊れちまった。あるのはこれだけだ。」
ゲリーはヘインツを輝和に投げ渡す。
「その前にその子は誰だ?お前の彼女か?」
「あぁ、こいつの名前は薫子」
「よろしくね」
輝和は恥ずかしげに握手をした。その瞬間に思い出した。
この女、いや、この男、デヴィッド・アンダーソン。あのエロ本に載っていた、俺の人生を変えたエロ本に載っていた、ブラックホール発見者でもあり、フィールズメダル獲得者である超天才児齢12歳性別男。死因自殺。
その男が何故ここに。
輝和の不穏な表情が察せられたその瞬間だった。アンダーソンは輝和にキスをした。
輝和にとってファーストキスだった。
機会に恵まれなかっただけで自身のステータスはそれほど低くない工学部男子がいるように、
そこそこ可愛いもののたまたま運が無かった女子大生もそれなりにいるはずで、
そんな女子大生と出会う場はきっと学園祭で、そこで俺は・・・という、
既に土台からして危ない感じの妄想を夕方の電車内で繰り広げていましたが、
資格試験の時に行ったどっかのキャンパスの門を越え、賑やかそうな広い道に出て、
脇にあったしょぼい造りの屋台でその娘と出会った時点で妄想がストップしました。
そこから先はナンパで、俺の脳内にそんなストックは無かったからです。
さらに言うと俺は何故かその妄想学園祭に一人で来ており、それが何とも現実を痛感させるものであったので、
昔は女子の一挙手一投足からありとあらゆる物語を展開していた俺の妄想力も
ここまで現実に縛り付けられるようになったか、堕ちたもんだな、と、
自分が始めた妄想に自分で落胆するという高度なトリックを決めていると、
妄想のきっかけになった向かい側の座席のカップル、工学部男子をイメージさせる彼氏と、
彼氏ははじめから寝ていたのですが、段々と横にゆらゆら揺れ始めたのです。
それまでは携帯をいじることもせず、ぼーっと景色を眺めていた彼女はそれを見てクスクスと笑い出し、
彼氏はそれを聞いて目を覚まし、そして二人は顔を見合わせ、小さな声で笑いあい、
彼女は打ち合わせたかのように言葉も無く彼の肩に頭を預け、目を瞑り、
そしてそのまま二人は俺が降りるまで安らかに眠っていました。
二人が織り成す人という字は逆光の中でとても映え、