はてなキーワード: 三十路とは
母に、いい歳なんだから、結婚して沢山子供を産んで女として幸せになって欲しい、と言うようなことを言われまして。結婚出産=幸せという感覚にかなり違和感があるんだけども、それはとりあえずおいといて。
「自分が生きていて楽しくて幸せ、と思えないのに、今存在していない命をこの世につれてくるような無責任なことをしたくない。ママ、生きることはこんなにつらいのに、どうして僕を産んだの?って子供に言われたら、私には、ごめんねとしか言えない。」と答えたら、「お母さんは三十路ちゃん(私)に幸せになってもらいたいだけなんだけどなあ」と。お母さん、お母さんが私の幸せを願っていることは、多分うそではないんだと思う。でも、だからこそ、私は幸せになるということに抵抗があるのです。
最初の子供だった私は多大な期待を背負っていたのだと思う。未熟児で逆子で生まれた私は、生まれる前から母にとって、「悪い子」で「反逆児」であったらしい。逆子のために帝王切開で私を産んだ母は、「あんたのせいで私の体は傷物になった」とお風呂に入るたびに私に訴えた。幼稚園の頃、「赤ちゃんは、お母さんのおなかを食い破って、マムシみたいに生まれて来るんだよ」といって先生を仰天させたことがある。でも、それが母の私に植え付けた、血まみれの「私」の誕生のイメージだったので、先生は大人なのにそんなことも知らないのかなと不思議に思っていた。母にとって、私は蛇の子だったんだね。
体が小さく、育児書どおりに育たない私は母にとっていつも「できそこない」だった。「私がこんなに頑張っているのに、どうしてこの子はご飯をたべないんだろう。」って。今で言う育児ノイローゼってやつかな。あんたなんか殺して、私も死んでやる!とたびたび言われた。生真面目で完ぺき主義の母には、規格外の私が耐え難い失敗作に見えたんだね。顎関節症の私には、ご飯を食べることは一仕事で、いつも一番最後まで夕食をモグモグやっていると、「グズのあんたのせいで台所が片付かないよ」としかられ、私はますます食事が嫌いになっていった。
もと陸上選手の母に似ず、運動神経の良くない私は更に母の不興を買い、運動会のたびに「母を辱める」自分が情けなくて泣きたかった。小学2年生の運動会で、母に「あんたが一番背が低いのに、足が一番太い。どうして?」と聞かれて、答えられるはずもなく。お小遣いをためて買った、「足やせ」の本を母に発見され、「そんなもの効くわけない、お金を無駄遣いした」と怒られるのが中学生のとき。高校に入ってからは、一向に育たない胸をみて、「パットなしブラで外歩いて恥ずかしくないの?」と言われ返答に窮し、結局パット入りのブラジャーを大量購入。自分が「恥ずかしい外見」なんだということにショックを受けたのをよく憶えてる。
こんなことが積み重なって、私は痩せ気味で背の低いコンプレックスの塊へと成長し今に至るわけです。
私は幸せになりたい。でも、私が幸せになることで母が幸せになるのが許せないのだと思う。いつまでも子供な自分に自己嫌悪。いい歳なんだから、過去のことは過去のことで割り切ってしまえばいい。新しい自分として生きていけばいい、と自分の人生のことを考えているところです。生きることが楽しくはないし、長生きしたいとも思わないけれど、私は不幸ではない。
でもね、おかあさん、わたしはあなたのことがだいすきです。
どうか、わたしのことをきらいにならないで。
追記:こんな泣きながら書いたエントリにブクマやコメありがとうございます。自分が親離れできていない子供である自覚は、上にも書いてあるように、たっぷりあります。そういう自分に困っております。ねじれてるよね。
そして、元増田は、幸せ=結婚出産とは思っていないので、幸せになりたい=ハッピーになりたい、とそのまま捉えていただければ。今後出産する計画は今のところありませんし、婚約者とも「今存在しない命」をつくるよりも、「すでに存在して親を必要としている命」を養子縁組することはどうだろう、と言う話をしています。
人間がちっちぇ話につきましては、確かに元増田は大変小柄ですが、人間の器はそれ以上にびっくりするぐらい小さいです。文章がうまいと言ってくださった方、褒めるのが本意ではなかったかもしれないですが、ありがとうございます。嬉しかったです。ひらがな部分は、母を批判することに対する罪悪感の現れかなと今読みなおして思いました。それから、ブクマにありましたリンク先の方は私ではありません。モノカキではありませんが読書は好きです。
プレシオスの鎖。私の幸せを見つけるために、鎖を解く方法を探したいと思います。
もう受動的な方法では無理なんじゃないの?ここにも書いてあるけど。
http://news.livedoor.com/article/detail/4302683/
あとさ、駄目な男を自分好みの男に育てるって言う発想はないわけ?
例えばファッションに無頓着な男がいるなら自分のファッションセンスで服を選んでやればいいじゃない。
最後にメールを出してから間が3,4日あいた。彼からはメールの返事なし。で、夜、メールではなく、電話があって、週末の予定を決めた。
連絡がない間、私は実はいろいろ考えた。一日中彼のことばっかりで頭から離れない。彼のこと、というか、彼がなぜ連絡をよこさないのかもやもやと考えてしまう。きりがない。
たとえば、「最後に書いたメールの文面が悪かったのかしら」と心配になったり、「誰かいい人がみつかったから、徐々にフェードアウトしていこうとしているのかしら」とか、「また気分が落ち気味になって暗くなっているのかしら」とか、「もうさほど私は好かれていないのかしら」とかあれこれ不安がよぎる。でも、連絡があれば、すぐにそんな不安は吹き飛んで「やっぱり自分は愛されている(気にかけてもらっている)」とうれしくなる。
こういう大揺れの気持ちというのは、まさに、恋現象だろうね。三十路半ばにして・・・。
わたしは、強い自分、動じない自分、がかっこいい、と思っていて、そういうポーズをとりがちだし、実際そうだと思っているけど、今回に関しては、自分の大揺れの感情、女々しい心持ちの処遇に困っている。そんなのかっこよくない自分だから、処理に困る。いっそ、私を振ってくれればいい、彼が元妻と再婚するなりしてくれれば私は前の生活に戻るだけなのに、とか思ったりする。本当は望んでいないけど、かっこよくない自分でいるのが居心地悪すぎて、そういう感情をもつ前の状態に戻りたい、と思ったりする。本当は望んでいないけど。そんなやきもきとした考えのバリエーションがスパイラル状にぐるぐるぐるぐる頭をしめる。
まだ知り合って2,3か月で、お互いの子供を連れて旅行に行ったり、一緒にあちこち毎週末のように遊びに行って、メールも毎日のようにやりとりしていたけど、ここ数週間は連絡頻度もアキがちになり、ちょっとさびしいのだけど、やっぱりメール頻度ってどうしたって減ってしまうものなのかな。
「仕事忙しいのよね?」と聞くと「ううん、そうでもない」と。「またおちたりして気持ちが揺らいでいたのかな?」と聞くと、「安定するまではまだ時間かかるかも」と。
女の自分より先に彼の方が「揺らいでいる自分」をカミングアウト。おかげでわたしのなかの母性本能も働き、私が彼を守ってあげたい、癒してあげたい、という感情がでて、余計に強い自分、しっかりしている自分をアピールしてしまうのだけども。
私もたまには、庇護される側にまわってみたいかもしれない・・・。いや、やっぱいこっぱずかしい。
そんなことを悶々と考えています。しかし、やっぱり、なんで、連絡頻度減ってくるんでしょうかね・・・。はぁー。
トラックバックのやり方がわからない…
私はメイクしない三十路女です。もちろん全くモテないけど、それは今はどうでもいい。
「メイクしない=身だしなみを整えていない=他人に不快感を与える」
この言説は概ね正しい、少なくともメイクした方が無難である、と思います。
それは分かるんですが、理由不明の強い抵抗感があって、未だにスッピンで過ごしています。
同じ職場の他の女性はもっと奇麗にしているし、何度か遠回しに指摘された事もありますが、
どうにも苦手で、結婚式とか公の場にスーツで出る時なんか以外は、メイクする気になれない。
礼儀知らずとかキモいとか実際に思われてる可能性は十分あるけど、
大体の人は私に普通に接してくれている(と思う)ので、嫌なのを我慢してする動機も無い。
だからもうこのままずっと行こうと最近は思ってます。
多少の不快感をバラ撒いてはいるかもしれない。だから嫌われたり避けられたりは仕方が無い。
でも、絶対どうしてもしなきゃダメという程の強制力はないはず。多分。
旦那の友人で、彼女いない暦=年齢の人がいる。
何度か会って、非常にいい人だと感じたし、旦那も親しくしているので、ぜひ紹介してあげたいと思う。が。
服装から髪型まで、何と言うかやる気が感じられない。
大事な友達を紹介する以上、もうちょっと何とかならないか、と旦那に持ちかけてみたが、既に諦めているのだと言う。
友人とは10年近い付き合いがあるそうで、今までに何度も、見た目に気を使うように言ったらしいのだが、その度に、自分は顔が良くないから、うまく話せないから、と断られてしまうとの事。
正直、顔は良くもないが、悪くもない。
ただ、ぼさっとした髪型、ビン底のような厚い眼鏡、サイズの合っていないネルシャル、無駄に太いチノパン、バッシュ、そしてリュックはどうかと。
彼に許可を得て、写真を見せた友達は、皆一様に首を振る。
はっきり言って厚かましい。何と言って諦めてもらおうかと考えている。
昔はみんな尊敬する仲間だった。10年前は、レイとアスカのどちらが萌えるか徹夜で激論を交わしていたような盟友だ。しかし三十路を迎えてから、「既婚、正社員」組と「独身、非正規雇用」組にはっきりと別れた。そして、後者の言動が明らかにヤバくなった。
俺は、他人を結婚歴や職業で差別したいわけではない。自分はたまたま物好きな会社に拾われ、物好きな女の子と知り合って結婚できたけれど、全て運が良かっただけであって、特別何がに優れていたわけではない。むしろ、友人たちのほうがずっと頭も良くて才能もあって羨ましく思っていたぐらいだ。
しかし最近、彼らの言動が、どんどんリアル犯罪者に近づいている。
金持ち、公務員、政治家、医者、弁護士、教育者は全て加害者。自分は被害者。
自分は被害者だから、加害者の奴らに対して多少の嫌がらせをしても許されるはずだ、という思想。
市役所で悪質クレーマーとしか思えない横暴な態度をとり、警戒されてまともに話を聴いてもらえなくなったところで、「だから公務員は俺たち貧乏人なんて搾取の対象としか見てないんだ」憤る。
警察の職務質問を振り払い、怪しまれて拘束され、「権力の犬どもめが俺たちを犯罪者扱いしやがって」と憤る。
そういうのはやめたほうがいいよ、とアドバイスしても、「お前は搾取する側だから俺たちの気持ちなんて分からない」と言われてしまう。
正直、いつ彼らが事件を起こして逮捕されてもおかしくないと思う。
勝ち組とか負け組とかカテゴライズするのはくだらないとずっと思っていたが、さすがに「だから負け組の奴らはダメなんだ」と言いたくなってきてしまった。
やはり、正社員と非正社員は別の文化で、分かり合うことは出来ないのだろうか。
ずっと友人でいたいと思っていた仲間だけに残念だ。
(フィクションです)
大学院を修了後に上京して、大手の暗殺系企業で五年間勤務していた。エキサイティングな職場だった。厳しい先輩と、ハードな仕事を次々こなした。待遇は悪くなかった。三年目には年収が手取りで一千万円を越えた。ただし昼夜もなければ公私もなかった。殺しても殺しても依頼は尽きなかった。この激務は終わりのない日常なのだと気付いたちょうどそのとき、仲の良い同期が死んだ。ブレインストーミング中に流れ弾が頭部を撃ち抜いたのだ。桜散る春のことだった。
ゴールデンウィークも休みなく働き続けた僕は、翌週に四十度の熱を出した。近くの病院が出した診断結果は「ただの風邪」。それだけ体が弱っていたのだ。やりかけのプロジェクトがあったのでなんとか会社へ向かおうとしたが、体は動かなかった。動け、動いてよ、という言葉を自分に呟いた。動かない。結局、東京に来てはじめて自宅で時間を過ごすことになった。一日が長かった。ワンルームにはテレビも冷蔵庫もなく、ゴミ箱さえない。がらんと広い死んだような家で、死にかかっていた。
翌日も体調は戻らなかった。誰かと話をしたかったが、学生時代の友人とはもう長いあいだ連絡をとっていなかった。アドレス帳を開いてはみたものの大半の顔が思い出せない。仕方がないので、一日を布団にくるまって過ごした。誰の訪問もなければ、誰からの電話もなかった。恋人からの電話さえなかった。きっと僕は一日中働いていると思ったのだろう。ふだん彼女から着信があっても返事をしなかったのは僕なのだ。夜中にふと目が覚めて、さめざめと泣いた。ひとしきり泣いて、僕は退職を決意した。
一週間かけてなんとか体調を戻した僕は、どう退職を切り出すか迷いながら出社した。待っていたのは、リストラの宣告だった。「なぜかは君も分かっているだろう」とミシガン大卒の上司は言った。どうやら寝込んでいるあいだ会社からのメールに対応しなかったというのがその理由らしかった。「クライアントはおかんむりだ。責任はとってもらう」上司ははっきりとそう言った。パソコンは会社に置いたままだった、と言い訳する気にはなれなかった。外資系は違うな、と僕は妙に感心した。「暗殺者はともかく、外資系はやめておきなさい」と言った母の言葉を思い出した。
僕はそのとき二十九で、違う業種に足を踏み入れるにはすこし遅かった。そして同業他社へ進むには内情を知りすぎていた。残されていたのはフリーの暗殺者として独立する道だけ。僕はそうした。もちろん最初はうまくいかなかった。貯金を食い潰す毎日だった。サラリーマン時代はなぜ、あんなに高いスーツばかり買っていたのだろう。足にぴったりフィットするようオーダーしたストレートチップの革靴も。
ほどなく恋人にも捨てられた。馘首になったことを打ち明けたら「結婚する気はあるの」と聞かれ、返答に窮したらそれっきりだった。これまでに殺してきた人達の家族に明日殺されるかもしれないのに、それはそれとして「結婚しよう」と答えるのが誠実な態度だったのだろうか。僕にそんな自信はなかった。
その時期、前職の顧客からぽつぽつと頂く仕事が僕の命綱だった。貧乏はつらい。しかしそれ以上につらいのは、暇なことだ。仕事一筋だった自分には余暇の楽しみ方など分からなかった。暇を潰そうにも相変わらず我が家にはなにもないまま。だからと言って、これまでに買ってきた恨みを思うと街をぶらぶら歩く気分にもなれなかった。夜になるたび、実家に戻ろうかと真剣に悩んだ。母にはまだ退職の話さえしていなかった。
好転の契機は価格を見直したことだった。それまで用いていた大企業譲りの価格体系は、プラン、オプション、割引制度が複雑怪奇で、一般顧客には理解が難しい。そんな当たり前のことに気付くのに半年かかった。ゼロに近付いていく預金通帳を眺めて、ふと分かった。実際のところゴールド・プランだろうとプラチナ・プランだろうと、顧客にはどうでも良いのだと。殺して欲しいから暗殺者を頼む。それだけの話。そこで原則、一人につき二十万円と改めた。コンサルティング・フィーはなし。メンタル・サポート・オプションもなし。分割払い不可。にこにこ前金一括払い。失敗したら全額キャッシュバック。失敗などしたことなかったので、なんの問題もなかった。
ネット系の暗殺企業でCFOを勤める後輩の薦めに従い、なけなしのお金で簡単なネット広告も始めた。「これからは暗殺もネットで依頼する時代ですよ」と後輩は言っていた。正直に言って半信半疑だったが、ほどなく新規顧客を獲得できるようになった。暗殺系企業は大手顧客ばかりに目を向けていて、リテール向けのネット進出に出遅れていたのだ。ネット系の暗殺企業はいずれもベンチャーだが、急速に顧客の支持を集めている。僕はその波に乗った。
すこしづつではあったが、充実した忙しい毎日が戻ってきた。殺して、殺して、殺す毎日。正直に言って、サラリーマン時代は企業闘争に関わるプロジェクトばかりだったので、個人から依頼される仕事の大半が痴情のもつれであることには閉口した。それでも、大事なお客さんであることに変わりはない。ある時は依頼者の夫を殺し、ある時は依頼者の夫の浮気相手を殺し、ある時は依頼者の本妻を殺した。
独立して一年が過ぎた。流れは上向きだった。そこに不景気がやってきた。
仕事はもちろん減った。不景気で依頼人が減ったのはもちろんのこと。しかしそれ以上に、不景気で暗殺者になろうとする輩が大勢現れたのが問題だった。仕事が減るという結果は同じかもしれないが、なお受け入れがたかった。なんでもどこかの週刊誌が資格がなくてもできるフリーランス仕事として大々的に紹介したらしい。誰でも簡単、いますぐ暗殺者! というわけ。「一にも二にもコストカット。これからは自分で殺す時代」なんてことを言うコメンテーターまで現れた。
自分の腕は鈍っていなかった。一年を通して失敗は一度もなかった。評判だって悪くなかった。だからこそ仕事が減るのは堪えた。後輩が連絡をとってきたのはそんな時だった。場所は青山の隠れ家風フレンチレストラン。「安くないけど、いい店でしょう?」後輩は最初にそう言った。彼の働くベンチャー企業は今や暗殺系で一番の成長株。週刊誌にそそのかされて始めた素人暗殺者を大量に抱え、コミッションで稼ぐビジネスモデル。飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
「それで、景気はどうですか?」後輩はそう続けた。もちろんこちらの景気を理解しての発言である。「今日はなんだい」と僕は言った。それから後輩は休みなく喋りまくった。要約すると:これからは暗殺にも無料の時代がやってくる。クリス・アンダーソンという人が「フリー」という本を書いているそうだ。「無料の暗殺が世界を変えるんです。嫌な人間のいない世界になりますよ」彼は言った。
「無料でどうやって生活するんだ」僕が言った。後輩は待ってましたとばかりに答える。「広告ですよ。殺害現場を広告にするんです。ちょうど三億円事件でカローラが有名になったみたいに」「面白い話だとは思うが、そんな広告を出稿するクライアントがいるか」「いますよ」後輩は笑った。「有名になれば勝ちなんです。有名になるためなら、どんな広告でも売る企業ばかりですよ。だいたい、クライアント以外はそれが広告であるかどうか分からないんですからね。たまたま殺人事件を通じてなにかの商品が有名になるだけです」
「無料で殺される人間は不憫だな」僕は言った。「殺されればなんだって同じですよ」後輩は答えた。「そうか」僕は頷き、彼の心臓にナイフを突き刺した。いつもどおりの手口。失敗するはずがなかった。入念にナイフをえぐると、後輩は一言も発さずに死んだ。僕は後輩をテーブルクロスに包み、店主に一言言い残して店を出た。景気が良かったときによく使った店だった。後輩はこの世界で生きるには目立ちすぎた。
翌日、コンビニのATMで二十万円を引き出した。趣味のひとつもないので、家賃と食費以外には使うあてもない。とりあえず向こう二ヶ月は暮らして行けそうだ。僕は家に戻り、布団にくるまって寝た。明日はなんの仕事もない。
(ブクマコメントなどありがとうございます。PCが故障中なので自分のサイトではなく増田に投稿しましたが、いつもより反響があって嬉しいやら切ないやらです。http://youkoseki.com/text/ にその他の短編小説をあれこれ掲載していますので、良ければどうぞ。また三十路から小説家デビューする方策や、いまどき短編私小説を募集している媒体情報などご存知でしたらご教授下さい)
はてなブックマークを徘徊していて
「まえはこんな酷い人だったけど、今はちゃんとした人と出会えました」系の話をまわった。幸せそうで羨ましい。
さっぱり「いい人」に会えない自分は、なんなんだろう。
ひとりつぶやく、三十路の夏。
でも、もう恋なんかできないような気がする。28の恋愛がDVだったのは痛かった。別れるために消費したエネルギーも大変だった。男性に対する失望も大きい。
いい人がどういう人かわからない。DVにほれた自分の感性が信用できない。「この人いいひとそう」と思っても突っ込む勢いが、ない。ちょっとの「あれ?」が、行動にブレーキをかける。
恋がしたい。恋がしたい。でも、もう恋なんて怖くてできない。
手を握られただけで高揚する気持ちや、ただひっついているときの幸せ。あの甘い気持ちは、もう自分からは遠い彼岸の出来事のようだ。最初の頃や、違う人と付き合っていた頃には、確かにあったものなのに。
今は、拘束されて肌がボロボロになり、体を壊し、精神的にも不安定になっていく恐ろしい感覚のほうが強い。次第に平常の生活ができなくなっていく私に、彼は「お前ができないから、俺が怒ってやっているのだ」と怒った。怒られる恐怖から、また私がおかしくなる。おかしくなるとさらに、「お前が(以下略)」は繰り返される。このスパイラルから抜けるために、自分の持っているインフラを総動員した。失ったものは多い。友人も失った。
やっと、「平常」といえる精神状態に戻ったときには、別れてから一年以上が経ってた。
これから先、この体験を上書きできるような出会いなんてあるんだろうか。仮に出会いがあったって、私にわかるんだろうか。また違う酷い男にひかかって、同じ目にあったりしないだろうか。信じられない。
今朝、この元彼と付き合う前の彼氏が夢に出てきた。その頃の、幸せだった恋愛を少しだけ思い出した。思い出したら苦しくて苦しくて、泣きそうだった。最悪の寝覚めだった。恋愛の甘さなんて忘れていたかったのに。
http://anond.hatelabo.jp/20090628175009
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0627/248165.htm
なんか凄く共感した。
他人とうまく向き合えないせいで今まで損をしてきたことなんて数知れない。
だから人間を好きになった方がいいんだろうなと思うけれども、相変わらず人間が好きになれない。怖い。
2時間も誰かと一緒に会話をしていると、それまで怖さで緊張していた疲れがどっと出てきて逃げ出したくなる。
この恐怖感にいつか打ち勝つことができるんだろうか。そう思う間にも、三十路へとまた一歩ずつ近づきつつある。
三十路過ぎた風俗大好き毒男です。風俗嬢に「あなだだけ」とか「かわいいから特別ね」とか言われることは多いです。人によっては「他の女の子と同じことしてないよね?してたら焼き餅妬いちゃうからやめてね」と言う場合もあります。一応「わかった」とか「もちろん」とか返事していますが、向こうも顧客確保のためのサービスだということは十分承知しているつもりです。たまに、「デーとしたいね」ってことを言われますが、具体的に話が進んだこともなく、進んだとしてもお金が発生しそうで怖いです。
しかし、先月であった女の子は違いました。「あなたは私のタイプ」とか「本当に外でデートしたい」と言われて、携帯の番号とアドレスを交換。そのときには本名らしきもまで教えてもらいました。で、しばらくメールをやりとりをして、お互いの身の上話なんてことも話したり。で、ある日、電話で話をしていると、「あなたの声を聞くとなんだかドキドキする。会いたい。会って、体のうずきをなんとかして欲しい」やら「あなたを私の彼氏にしてもいい?」とか言われてしまいました。さらに「もう客として会わなくていい」とも。
彼女が実際どこまで本気なのかがわかりません。ですが、もし彼女にしたとしても、風俗を続けるのは怖いです。他の男に体を許すなんてことは私が我慢できません。適当にあしらっておくのが最適なんでしょうか?
だけど、元増田はきっと恋愛市場からも結婚市場からも拒絶された恋愛とも結婚とも無関係の部外者だと思うので、なんだか滑稽。
二十歳の女どころか出がらし三十路女にすら相手にされてないんだから、「若い頃俺と付き合ってなかった三十路女と結婚なんてできるか!」なんて心配することなかろうに。
これはそこそこ稼いでる非モテが20代後半で気付いてしまう。
非モテはどんなに地位と金の力で女が寄ってくるようになっても所詮本質的には非モテだからなぁ。
本当にもてるようになったのなら、増田なんかで三十路をdisってないで若い女と恋愛すればいいのに。
なんでそうしないんだろ。
若くて未熟で人格がまだ出来上がっていない時期(=青春時代)を共に過ごして一緒に人格を形成していった相手っていうのは、何歳になっても特別だよね。そういう人と結婚するのが本人達も幸せだし、周りから見ていても「収まるところに収まったな」(=お似合い)と見える。
だけど、元増田はきっと恋愛市場からも結婚市場からも拒絶された恋愛とも結婚とも無関係の部外者だと思うので、なんだか滑稽。
二十歳の女どころか出がらし三十路女にすら相手にされてないんだから、「若い頃俺と付き合ってなかった三十路女と結婚なんてできるか!」なんて心配することなかろうに。
陵辱ゲーのレビューと絡めて規制問題とかについても色々書きたかったけど書けずにいる。なんだか疲れてしまって。
必死に色々書いても伝わらない気がして。
妊娠中の性交の危険性についても書きたかった。禁忌ではないけど、注意が必要なこととか。ハイリスク妊娠についても書きたかったなあ。
堕胎についても。堕胎したあと不妊症になった母について。その不妊症治療の結果として産まれた自分について。不妊治療が原因なのか、母が2度も乳がんになったことについても。また、堕胎することで産まれてこなかった自分の兄か姉への思いも。さまざまな事情から堕胎を選ばざるをえない事例についても。結果として自分が三十路童貞であることについても。
陵辱ゲーを楽しんでやってるって?すべてのプレイヤーが楽しんでると考えているんだろうか。
一発抜いて賢者モードになってから、色々考える。ゲームが架空の話だとしても、似たようなことはきっと世界のどこかで起きている。なにより、抜いた自分の欲望は現実に存在している。
現実に存在している脅威としての自分の欲望にどうやって立ち向かうか。
自分の目の前で集団レイプが進行中で「お前もどうだ?」とか「据え膳食わぬは男の恥だ!」とか言われて煽られても、冷静に行動できるか。友人知人を警察に突き出せるか。
男性社会からの言われなき差別。童貞だと気持ちわるいとか言われてtwitterでremove&blockを食らったりする。人格を否定されたりする。欠陥があるんじゃないかといわれたりする。そのすさまじいまでの同調圧力について。それに辟易している男性が意外と多いことについても。
ポルノは人の欲望を計算した上で書かれているということについて。欲望・情熱のままに書けばそれは文学と呼ばれる。計算の上で書けばポルノと呼ばれる。
エロゲには陵辱ゲー以外のジャンルも存在する。レイプ神話に基づかないものもある。それはエロマンガにももちろんある。そのことについて。
善を知るには悪も知らなければならない。悪とされるような表現を取り締まると、善をよく知ることもできなくなることについて。闇を知らなければ、光が光であることもわからない。光の価値もわからない。できれば、実例もつけて具体的に説明したかった。
女性は強制的にセックスをさせられたり恐怖を覚えたりすると防御反応として「濡れる」ことがあることについて。男性でも触られたら勃起するでしょう?それがすなわち「望んでいる」ということになるか?ならないでしょう、ということについて。こう説明すれば、多くの男性も理解してくれるんじゃないかと思って。生理的な反応として濡れるということがあるのだ、ということ。濡れたから同意した、屈服した、と理解するのは間違っているということについて。
偏見で傷つく性犯罪被害者について。この点はまだ考察不足。言葉を尽くしても分かり合えないかもしれないと感じ始めている。世に満ちている偏見が凄まじすぎるからかもしれない。偏見をなくすには語り続けなければならないのではないか、ということについて。
perfumeツアーが無事当選し、のっち!かしゆか!あ~ちゃん!と口ずさみながらロッピーで入金をしてきた直後の出来事だった……
よりによって金を払った直後にこれて、2chで踊り乱れる「アミューズと講談社が口裏合わせてこの日までスクープを遅らせたんだ!入金が全て済んだ後に発表されるようにしたんだッ!!」というデマに「ハハ、まさかwwwww」と笑いながらも「ないよな…」とふっと素の顔に戻りつつ、「ていうか、だとしてだから何よ?のっちにカレシがいました、はいはい、で、なんですか?全然取り乱してないけど?ていうか当然でしょwww」と思うように頑張りつつ、それでも自分の気持ちを誤魔化せずやけ酒ならぬやけ緑茶をしまくった結果、カフェインのおかげで眠れなくなった。
ていうかのっちに限らずかしゆかにもあ~ちゃんにもみんなみんなお相手なんているだろうことは我々ファンとしても薄々勘付いていたことであり、プラス、「もしそういうことがあったとしても、perfumeは普通のアイドルとは違うんだ!もはやアーティストと呼んでもいい、脱アイドルした新しいアイドルであり云々……だからそのうちね、ウン、フライデーとか?されるだろうね、だいたいわかってるよ?でもされても全然我々はうろたえないからね、ウン。だってperfumeはそんじょそこらのアイドルとは違うんだYO!そそんなことで崩れないんだYO!」とか、なんかカッコつけてたところがあった……勝手に我々にしてしまったけど、まあ、私だけだったかもしれない、なんにせよ、私はそう思ってたのだった……perfumeはカレシがいた、ショックー!とかそんなところを超越したところにいるからwwwwとか、まだ起きていない事柄に対して余裕ぶっていたのであった……
しかし実際ことが起きてみれば、「え?」という、「え?」としかいい様がなかった、まずスレで一報を聞く、「のっちフライデーされた」、そこまではまだ「へーはいはい、いつものデマっしょwww釣りっしょwww」と余裕で鼻くそをほじっていた、しかしフライデーの写真までうpされるようになり、事態は一変、そのうち目ざとい誰かが見つけてきた「二人のペアリング画像」まで貼られだし、事態は深刻化……フライデーをフラゲした人による書き込みもぼちぼち増え、「ハイハイいつもの釣りwwwあ~ちゃんにもそんなこと言われてましたよねwww慣れてるおww」とかPCの前で踏ん反りかえっていた姿勢は「お……おいおい……嘘だろ?」とまたたくまに猫背になっていき、「いや、まだ確定じゃないっしょwww」と強がりのレスをこれまでにないスピードでタイピングする始末、そして最終的にヤフーのトップにのっちの記事が載った。ペアリング画像もどうやらガチのようだと判定され始めた。一夜にして突然訪れさっていった嵐に私はポカンと立ち尽くすほかなかった、あんなに余裕ぶってたのに「え?アレ?アレ?」と呟くしかできなかった……のっち……のっちが……
ショックなのか?といわれればよく分からないのである、とりあえずこれでファンやめる!かんなぎよろしくCD割る!などということはありえないにしても、これでのっちヒドイ!となることはありえないとしても、しかし平然ではないことは確かなのである、これは一体どういうことなのだろうか……
「薄々分かってた」までは認められてもそれを突きつけられると「あああううううう」となってしまうということなのか
というかその事自体を、自分でも薄々気付いていたからこそ、「薄々分かってるよ」とか言っていたのではないかと今になっては思う。
変な話これが「のっち」であり相手が「三十路バンドマン」というのが、また「あ……アレ?」の一因となっているのも否めない。多分前者が「かしゆか」だったら寧ろ萌えてすらいた気がするのである。これはかしゆかなら別にどうでもいいとかではなくキャラ的な問題でということを強く断っておく……別に私はのっちが特別三人の中で好きというわけではないのだ。
相手がジャニで、あ~ちゃんだったら、それはそれでクリアできていた気がする(実際そういう噂が、たまに流れては消えるよなぁ…)
問題は「のっち」であり、相手がいかにもなバンドマンということである。
のっちはもともとバンギャ気質があるなどと言っているのでバンドマンが好きなのは納得なのだが、なんというか、そういう「好きなタイプ」と、実際付き合うタイプは得てして別であることが多いと個人的には思っており、だからのっちも実際には付き合わないだろう、憧れてるだけなんだろう、となぜか勝手に思っていたのである。
それとやはり三人の中で一番のっちはそれっ気が、男ッ気がない感じで、寧ろあ~ちゃんの方が興味あるんじゃねー?とかちょっとからかっちゃったりしちゃったりちゃったりな所にいたわけで、そして「歌ってるときはあんなにカッコイイのにバラエティとかになると何故か微妙にさえなくなるのっち」にキュンとしていたわけで、そしてそれでも薄々「でも客観的に、のっちが一番美人だよな」「でもありゃテレビ上でのキャラなだけで、リアルに考えてのっちが一番モテるしリア充なんじゃね?」とか思ってはいた……
多分その辺のバランスがとれなくなったのだ。
有名人を好きになるときいっつもこの辺のバランスがとれなくて苦労する。
もともと好きになるといえば二次元ばかりが対象だったせいか「こういうキャラクターだから」と認識してそこを愛す、みたいな所があった、しかし、三次元の人間はそうカンタンにはいかないのだ、キャラをカンタンに認定できない、したとしても変わるし、キャラ先にありきじゃなく存在が先にありきなのだ、人間は実存が本質に先立つのであり、本質が先立ってる二次元のキャラとは違うのだ……
なんでもない普通の一般人ならばまだしも、有名人というのはその辺が曖昧になってるところがある。芸能人は本来は実存が先立っている存在なはずなのに、テレビ上では本質を先立たせている。こういうキャラですよといって売っている。それでも二次元のキャラほどそこを徹底できないから、そこをどんどん深追いしていくといつかは微妙なラインまで突入する。それをどこまで深追いすればいいのか。スポーツ選手でも、物語とキャラ設定がメディアによって作られてしまうけど、キャラなんか本当はないわけで、それでもメディアが見せてくれた物語とキャラ設定、そして何よりそれを裏付ける本人があまりに魅力的に調和してしまうとハマってしまう、深追いしてしまうのである、でも深追いし続ければ、おそらく、いつか「なんだ」「思ってたのと違う」となることうけあいなのだ、きっと。それが分かっているから深追いしたくないし、でもやっぱり好きだから深追いしたい、という、その間でいつも苦しむ。(何があろうが本人ならばそれでよいという境地には至れる自信がない。所詮キャラどまりの好きしかできないのだ)
浅田真央でその件について大変苦しみ「やっぱ演技だけにしよう。演技だけを見つめよう。浅田真央17歳とか買ったり、イベントに参加とかはやめとこう」ということで決着がついたのであるが、perfumeもそうすればよかった……と今後悔気味だ。
すなわちダンスだけ見ていればよかった、完全にパフォーマンスを行うお人形さんということで見つめていればよかった……と、いやもともとそうだったんだけど何をどうまちがったか……
やっぱそういうところのバランス取りが下手な私みたいな人間は、深入りしちゃだめなんだな……純粋にパフォーマンスのみ追っていこう……
のっちは何も悪くないんだ当然だ……自分が悪いんだ、三次元の人間にもすぐ幻想・妄想フィルターで見る、二次元キャラのような目でみてしまう、それがいけないんだ。ていうか三次元を好きになるのはまだ早いのかもしれないな。ツアー楽しみにしてます……
(追記)ブコメいっぱいついてて驚いたんだけど、私を男だと勘違いしている人がちらほらいる気がする。私はヘテロ且つ女なので、のっちを性的な意味では何も思っていません。まあだからこそ自分でも「なんで混乱?」な感じなんだけども。