はてなキーワード: 三十路とは
……うーん。昨日発売だったはずなんだけど(地方なので基本1日遅れる)。平積みも棚からも見つからない……
店員:「ToLoveる」ですか? 初回版はその日でもう売り切れてしまって次に入るのも通常版になってしまいますが……
店員:「とらドラ!」ですか? 10巻はまだあると思いますけど……見てきますね。
自分:いやだから6日発売の「となグラ!」の9巻なんですが……
店員:あ「となグラ!」ですか。えーと(カチカチ)今日は日曜日なので月曜日になりますね。
自分:あーそうですか。じゃあこの「恋は三十路をすぎてから」ください。
これでも話が通じるだけマシなんだけどさ……
http://anond.hatelabo.jp/20090607153604
アーケードの時からアイマスにはまって、はや4,5年、部屋には
あふれているけど、未だにライブに行ったことがないし
行こうとも思わない。
ライブに行ったところで、キャラクターに似ても似つかぬ三十路前後の
人妻やら、どこにでもいそうな大して可愛くもない普通のネェちゃんたち
のキレのないダンスと中途半端なお歌のアイドルごっこを見せられるばかり。
(彼女たちはあくまで声優なんだから、そんなパフォーマンスこなせなくても
当然の話なので罪はないけど)
まったく理解できない。
正直なことを言えば、大好きなキャラのイメージを、なんだか許容しがたい
方向にねじ曲げられてるような感じで、見ていて気持ちいいモノでは
無いという印象さえ持っている。
重要なのはバーチャルアイドルであって、中の人なんて、どうでもいい
ノイズでしかない自分にとっては、どうせならアイマスはバーチャルアイドルに
徹して、かつてホリプロが売ってた伊達杏子みたいに、中の人を一切表に出さず
商売してほしいくらい。
だいたいアイマスなんてスタート時のコンセプトでは、あまり色のついてない
若手の声優をキャスティングする方針だったんだから、バーチャルに徹して
顔出し無しでも別に問題無かったんじゃないかしら?
私は世間的にはそこそこの学校を出て、周りの友人はいいとこの企業でバリバリ働いていたり、自分のやりたいこと見つけて独立したりという人が多い。
生き方とかキャリアに拘り強い子も多いし、「オーガニック」「国際情勢」「差別」とかそういう言葉に敏感そうな子も多いと思う。
なんだろう、このそこはかとなく漂う悪意。
あ、あれに似てる。30女子の元上司に対する悪意(追記:これだ→http://anond.hatelabo.jp/20090603041850同一人物って言ってるわけじゃないけども。)
出生率1.37だそうな。
実際に子供がいる人は兄弟/姉妹で2人は欲しいって人も多いし、「お金あれば3人4人欲しい」っていう人も多い。
そう言う自分も二人欲しい。
それでも1.37なのか。不思議。
私は世間的にはそこそこの学校を出て、周りの友人はいいとこの企業でバリバリ働いていたり、自分のやりたいこと見つけて独立したりという人が多い。
生き方とかキャリアに拘り強い子も多いし、「オーガニック」「国際情勢」「差別」とかそういう言葉に敏感そうな子も多いと思う。
三十路突入前にしても既婚率は低く、子供がいる人もほんの数人、片手で余裕で収まるくらいだ。
結婚してても「仕事の事もあるし子供についてはまだ考え中」って子もいる。
3つ離れている妹は勉強が嫌いで、美容学校行って、卒業して何故か事務員になって出来ちゃった婚した。
彼女の友達はヤンママ多め。DQNとまではいかないがそんな感じの奔放な友達も多い(実際話してみるといい子たちだけど)
当然既婚率高いし、高校の同級生で「ヤンママの会(←名称は適当)」みたいなの開いているし、もう子供二人目いるよーみたいな雰囲気。
足して2で割れば1.37くらいになるのかしら。
妊娠してよくmixiの子育て系のコミュニティーを見るようになった。
驚くほどにみんな若い。
私の年齢の人だともう二人目、三人目な感じでちょっと萎縮してしまう。
産婦人科行っても結構みんな若いんだ、これが。
同じような年齢の人は小さい子連れてたりするし。
三十路前後の初産妊婦の皆さんは一体どこにいるんですか。寂しいです。
週末のアカチャンホンポなんて「不況か!?」ってくらい混んでるし、おじいちゃんおばあちゃんが孫にガンガン高いもの買ってるし、産婦人科はどこも激混みで妊娠したらソッコーで分娩予約しないとそこで出産できないし、世間の「出生率低下」という言葉に不思議な違和感を覚える今日この頃です。
6/7日、末尾に追記しました。
なんかちょっと思い出したし書いとく。
つれづれなるままに。
私今年負け犬になった30女子。
20のときはプータローだった。
20ときに、あるお店で女店長さんにお世話になった。
衝動的に思う。それくらい色々やった。
やらかしながら、学んだことに、
「女が働くって凄く難しい」ということがある。
とにかく、年をとったらあかんらしい、と。
ちょっと覚書的に書いてみる。
地元でもそこそこがんばってる特産品のお店で
そこで一年くらいお世話になった。
私がお世話になった店舗は
売り上げは●億だった。
当時働いていた人は20-30人弱いたような記憶がある。
平均年齢はバイトを抜いても多分25行かないと思う。
バイトを入れたら22くらい。
今は、多分殆ど全員をアルバイトにしてるだろうと思うが
当時は半分くらいは正社員だった。
今思えば、ちょうど入れ替え期に私はいたかなって思う。
27歳の店長を中心に中堅の23-25が数名。
私はこの人たちが結構好きだった。
特に店長さんにはお世話になった。
凄くたくさん叱られたけど、
その後の私を作った基礎となる部分は
この人にあると思う。
たくさん泣いたけど、励ましてもらったことも多い。
怖い人だけど、同時に億を稼ぐお店の店長さんだ。
私の目からみて、彼女はちょっとかっこよかった。
やとわれとはいえ、億を切り盛りしてやっていってるというのは
ちょっと凄いなーと。
誕生日があって、お店でお祝いをすることになった。
誕生日祝いの準備をしているときに
社員さんたちが話していたことをよくおぼえている。
「でもさー、28で結婚してないとかありえないよね」
「まじありえないよねー」
「彼氏と別れたらしいよー」
「えー、まじ?あ、だから休みに店に来たんだー。空しいねw
ああはなりたくないね」
そうか、女子は億を切り盛りしてもそんな評価なのか。
せーしゃいん、と言っても
接客業で、特に昇進があるわけでなく、
お給料が上がるわけではない。
先輩達はみんな結婚するしかなかった。
他に道は無い。
適当な時期が着たら辞めてもらう。
それしか「上がり」はない世界だった。
彼女は若くして、立派なセンスを持っていた。
彼女に、ということになったらしい。
詳しいいきさつは知らないけど、本社の受けがよかったのは確か。
店は不況の風の中、順調だった。(と思う。)
一人きりで、店長は戦っていた。
細い体で。
それでも認めてもらえないんだ。
とても切なくなった。
みんなとっくに知ってた。
そしたら「28」は賞味期限切れかけてる。
そりゃ、ありえないだろう。
「不況で他に職が無くて」仕方なかったり、とりあえず来た人ばっかりだった。
今みたいに不況がずっと続くとは思ってなかったから
準備なんか誰もしていなかった。
多分高校生のときは普通の事務職につけると思って人が多いと思う。
ちょうどロストジェネレーションのトップにあたる人たち。
実際のところ。
とりあえず体がしんどいからやめる、
でも素直に言うと色々ややこしいから結婚ていうことに
しておくという人が半分くらいいた。
私はDVっぽい人は本当にダメなんだけど、
「いないよりいい」って人もいた。
とにかく、働き続けることはできなかった。
働き続けても、人から尊敬されることはなかった。
どっちにも出口はなかった。
結婚にしか、無い。
そういう場所だった。
女子は、なんか生きにくいと思った。
私はその後店舗を移った
このあいだしゃべった。
空しいと思って、店長さんを憐れんでいた」
といわれた。
出口は結婚しかなかった。
出口からでた友達はとりあえず今幸せそうだ。
私は相変わらず億を稼ぐ仕事とは縁が無いけど、
その後大学を出て、どうにかやっていってる。
M店長さん。今どうしてるんだろう。
まだ店長をしてるんだろうか。
この間店舗をのぞいたら、知っている人は誰も居なかった。
今も、出口は結婚のままなんだろうか。
旦那の稼ぎも怪しい時代だけど。
私は、まだもう少し働くことに対してあがいてみようと思います。
4時になってしまった。寝よう。。。
元増田です。
どうしても気になった2点だけ追記します。
その1
このエントリーの話は約10年前の
地方でよくある話だというのを読んで私が驚きました。
その2
私が店長を憐れんだりしたことはありません。
誤解です。
その人がそんな風に評価されるということが衝撃だった、
という話です。
私にはこの話の後に、ろくでもない店長や
考えようによってはより厳しい世界ですが
10年前に感じた閉塞からは自由に生きています。
ろくでなし店長さんや、このエントリーではあまり書くことのできなかった
そのうち機会があったら書こうかなと考えています。
女子の同調圧力というよりは
同居しているご家族の圧力が強かったように感じます。
おまけ。
トラックバックの「女子論争」について。
タイトルが「女子」なのはわざとです。
今は30ですが、私にも20の女子だった頃がありました。
元エントリーは、私が20の頃に感じたり、考えたりしたことを
一度文章にしておこうと思って書いた文章なので
あえて「女子」にしました。
でも本文で「女子」はうっかりミスですw
ご指摘はとても興味深く拝見させていただきました。
気をつけます。
またフォローのトラックバック下さったかた、
ありがとうございました。
付き合い始めて2ヶ月。
どっちも三十路だし、 大人の恋愛をしているのかと思っていた。
淡々と週末に週一ペースで付き合ってきた。
互いの家は100kmほど離れているので仕方ないのか。
どこかガードも硬かった。
こちらもちょこちょこ粉をかけるのだけど、反応は控えめ。
攻めどころが分からず、これは難物だなあ...と感じた。
「今日は帰りたくないなあ」
男の礼儀として、これは引き留めないと。
食事後、近くの公園に連れ出すと、
近くに座っていた学生ぐらいのカップルが唖然としてこちらを凝視していた
某高級ホテルに転戦。
部屋に入った後、シャワーも浴びず、そのままベッドの上に。
疲労困憊していたオレ。肝心のモノはきちんと機能しなかった。
ひたすら愛撫を求める彼女。
30代女の性に対する貪欲さをいやというほど思い知らされた。
でも、快感を求めて体をぶつけてくる彼女の恍惚とした顔を見ながら、
食事でも買い物でもセックスでも何でも、
女の嬉しそうな表情を見るのが、男の最大の喜びなんだよなあ、
と改めて認識した。
今朝5時半に解散。
昼休みに骨身にしみているところです
そもそも脱ヲタファッションというものがまだ必要とされているかは別として。
オタクっぽいとステレオタイプに言われるファッションって、三十路以上のおっさんが着ている分には特に問題がないように思えてならない。
脱オタクファッションというもの自体が、おそらく若いオタクに対して考えられたからなのだろうが、
下手に若々しい服を着てしまうことで、逆に2009年現在のオタク臭さをかもし出してしまっているのではないか。
そこで、若々しくはないが普通の服を着ることを提案したい。
ズボンと書けばいいのかパンツと書けばいいのか分からないくらいの素人の意見だが、最悪オッサン臭くなるだけで済むのではないだろうか。
ただ、いつも白シャツであるといわれる可能性はある。
まあ別に服装で勝負する必要なんてないのだ。
話題になってるけど…。
ホントに周りに居る人達は気付いてくれて無いのかな?
男友達に相談したら、ボーとしてるように見えるからでは?とか言われたけど、よく分からない。
満員電車で真後ろに攻めてこられて、思いきり腰振られたことあったけど、周りの人達は知らん顏してたな。
あんなにハァハァして、腰動かしてる人が居たら、周りの人達気付くと思うけど…。
あと立ってる時も、座ってる時も満員電車に関わらず、
腕組みしてる風味に見せかけて、
腕組みの下から手を出して胸を触って来る人とか居ます。
これは確信犯なんだろうな。
後ろの人がピタってくっついて来るから、混んで来たのかなって思ってたら、
ガラガラで、技と空いてる電車で真後ろにピタリとくっついて来た人もおりました。
みんな痴漢をしてないって人が表面上は多いみたいで、
両手上げて乗ってますって言ってる人が多いけれど、
実際、私の乗車する東海道線では、吊革の数の問題なのか、
混雑しすぎで手の置場も好きに動かせないということもあると思いますが…。
あとは、
乗り込みの態勢で、前の人の背中に胸が当たってしまった時とか、
技となのか後ろに背中を反らせて、胸がガッツリ当たるような姿勢にしてくる人とかも居たりしますね。
乗り込んだ位置によって、窓側向くとか、あると思うんですが、
それに反して逆側向いて乗る人とかいて、向かい合わせになったりして気まずいです。
メッサ痛いんです。
チンコ鷲掴みとか仕返ししたい位です。
もっと痴女とか増えたら、男性にもわかってもらえるんですかね。
彼は普通の人でなくて、ただ泥酔して正体をなくしてただけでしょ。逆に言うと、泥酔して深夜に暴れるくらい、普通の人でもおきる。
そういう人に対する社会の受け止め方が変化していて、警察がそこに敏感に反応しているという受け止め方も出来るけどな。飲酒運転もこの数年で厳罰化されてるし。
近隣住民が通報する位だからよっぽどの事態だったんだろう。あの界隈は治安に敏感な人達も多そうだし、それに警察が応えただけなんじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20090424101234
そりゃまあそうだ(笑)。三十路過ぎた大人のやることじゃないわな。
http://anond.hatelabo.jp/20090424122529
そうとは限らないよ。昔は「警察沙汰」というとよっぽど大事だったけれど、最近は下手に自分で注意しに行ったら何されるかわからないから、うるさいなあと思ったらとりあえず警察に連絡しちゃう、ってのもあるよ。
今は「何されるかわからない」という社会情勢なんだよねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20090415074829
これの続きようなモノ。
大学を「学校に行けない病気」で退学した私は学校で学んだことを生かせる仕事を探していた。ただ、学んだ分野が環境化学というあまりメジャーじゃなく仕事も少なそうな分野だったので探すのにかなり苦労した。
それでも農薬を作っている会社の研究所に潜り込む事に成功した。
仕事は元々興味ある分野だったし、残業も殆ど無いような負荷も少ないもので学校で学んだ知識と新しく学んだ事でのびのびと仕事することができた。幸いなことに評価も良く順風満帆な日々を過ごすことができた。
しかし、半年ほどして異変が訪れる。
「学校に行けない病気」が再発したのだ。いや、増悪したとも言うべきだろうか。
当時、通勤は電車とバスを利用していたのだが、バスから降りられなくなったのだ。
降りるべき停留所が近づくと段々呼吸は速くなる。動悸もして息苦しく頭が真っ白になる。それは停留所に近づけば近づくほど強くなり、停留所を超えると段々収まり今度は自責の念が私を責め立てる。
「死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ…(以下延々繰り返される)」
と云う言葉で頭の中が支配される。
始めのうちは先の停留所から引き返して遅刻、ということで処理はできていたのだけど、それも数が増えると話は少しややこしくなった。程なく上長から注意を受けた。怖いタイプの人ではなかったので大したことは言われなかったとは思うけど、それが自責の念を増長させた。
注意後は引き返すことすらできなくなり、途中の停留所で降りて、音のしない場所を必死になって探して勤務開始ぎりぎりくらいに休む旨の電話を携帯からした。なぜか解らないけど「音のしない場所」というのを必死になって探していたのを覚えている。
そんなのが一週間くらい続いて、また上長から注意を受けた。今度は上長の上長もやってきて注意を受けた。
いわゆる厳重注意に当たるものだと思う。同時に何か精神的に何か問題は無いか、とも聞かれ初めて精神科を受けることになる。
薬を飲むようになってからは少し落ち着き二ヶ月くらいは普通に出社できた。
このまま何事もなければ今頃私はその研究所で正社員として活躍していたかもしれない。
だけど現実はそんな風にはさせてくれなかった。
年が明けてすぐ再び「病気」は再発した。また一週間くらい行けなくなった。
二度目はなかった。
程なく無理矢理呼び出され、所長と上長の上長と上長の3人と面談となりその場で「今日付で自己都合で辞めてくれ」と言われた。
当たり前と言えば当たり前。でも当時の私には裏切られた思いでいっぱいだった。あんなに評価してくれて良くしてくれたのにあっさり辞めさせられるんだ…って。
「病気」とは別の形で頭が真っ白になりつつその場で辞表を書かされた。
その後、ふと思い立って辞めた大学に復学したけれどこんな状態じゃ学業もできるわけもなく、元々辞めた理由の「学校に行けない病」も再発し半年で再び辞めた。
入学金諸々200万をドブに捨てた。
大学復帰の道も閉ざされた私は仕事を探しては何とかどこかの会社に潜り込み
朝起きる→朝食食べる→着替えて外出る→電車乗る→漠然とした恐怖・不安→目的地駅で降りられない→どこかで降りて休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ
と言うプロセスを面白いように繰り返していた。
そこに休養という文字はなかった。なぜなら家族が「病気」に対しての理解がなかったから。
父曰く「サボってるだけじゃないのか?」
とナチュラルに言うのだから休養なんてできるわけがなかった。
この辺で「社会は、会社は誰も私を救ってくれない。絶望した!」みたいなことを思うようになっていた。
派遣で潜り込んだ会社で宇都宮の世界の誰もが知っているメーカーの研究所に派遣された。
派遣先に上長が私をえらく気に入ってくれたらしく「5年以上の長いスパンで働いて欲しい」とまで言われ、場合によっては正社員雇用も…みたいなことまで言われた。
仕事は化学とはあまり関係のない分析評価の仕事だったけど、仮に在籍していた5流大学を新卒してでも入れなさそうなメーカーで正社員も夢じゃない…みたいな話だったので殆ど二つ返事でその仕事を受けた。
宇都宮はさすがに通勤できないので転居して一人暮らしをすることになった。
初めての一人暮らしは不安だったけど、恐怖の対象であった父や口うるさい母もいないのでむしろ好都合だったし、住環境も周辺環境も恵まれていたし、仕事場まで車で10分。車がないと不便な場所ではあったけど日用雑貨からPCパーツまで車で20分も走らない場所で揃えられたので今思っても最高の環境だった。
そんな中で最近(2009年現在)世に出た製品のさらに次の製品に向けての技術の研究という最先端中の最先端の仕事ができた。職場環境も居室が機械だらけで動作音がうるさい以外はまさに最高。言うことがなかった。
そんな最高の環境の中で多少の休みはあったけれど半年くらい仕事をすることができた。
しかし、そんな最高の環境の中でも異変は起きた。
トリガーはなんてことのない物だった。簡単に言うと部署間での私の取り合い。
私がいた居室は3つの部署が共有していた。
一つは私がいたところ、もう一つは私たちの一つ前、最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署。もう一つは良くわかんないけど別の事していた。
その最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署の係長が「ちょっと最近忙しいから一月くらい手伝ってくれないか?」と言ってきたのだ。今所属している部署の係長もOKしているみたいなことを言われたが、正直行きたくなかった。
と言うのもその係長が生理的に受け付けられないタイプでその部署もあまりいい空気ではなかったからだ。それでも「一ヶ月くらいなら」と、言うことで異動することに了承した。
そこで話が終わればもうちょっとそこでの仕事が長続きしたかもしれない。
いざ異動してみるとその係長から「ここに来たからにはもうずっとここにいてもらうからね♪」みたいなことをナチュラルに言われた。
話が違う!
抗議した、猛烈に抗議した。その抗議は部長を引っ張り出す騒ぎになったが、その決定を覆すにはさらに上の役員を引っ張り出さないといけないらしく、覆すのは事実上不可能だった。
元いた部署で一番お世話になった主任は「あの人はそういう人なんだよ。」と自嘲的に言っていた。結局決定は覆らず、「なんか語弊があったけどこういう事だから頑張ってね♪」みたいな係長二人のサイン入り書面を差し出された私はその日早退した。
そして一週間休んだ。
「ちょっと精神科行こうか」
当時、すでに近所のメンタルクリニックで投薬治療を受けていたけど、それは会社には隠していたので通っている病院とは別の精神科になんとか行くことになった。
そこで「鬱状態」と診断された。
翌日、派遣元の支店長から「支店にちょっと来いやと」いう連絡を受け、宇都宮駅前の支店事務所に向かった。そこで支店長から言われたのは「派遣先から撤退する。お前会社辞めろ」と言う事実上の解雇通知だった。
は?
なんで?
確かに「病気」の事は隠していたけど、事情が事情だし…というかなんで休養とかそういうのもすっ飛ばして辞めろとかになる訳?
抗議した。そんなのおかしい、何で辞めなきゃいけないんだ?
猛烈な言い合いは4時間を超えた。
で、痺れを切らしたのか支店長はこう言った。
「精神障害者は使えないんだよ!!!」
あぁ…。
何かが崩れ落ちた気がした。
支店長がどういう意味でそういったのかは知らない。でも、その言葉はあまりにも無情で残酷で…世間の正論過ぎた。
程なく辞める旨を伝え、それから数日で宇都宮から実家へと帰還となった。
それから仕事を探しては数日でいけなくなってクビになると言うのを何年も繰り返した。
一番行くところまで逝ったところだと、静岡の某宇都宮で居たメーカーの同業他社で、そこはお世辞にもいい職場環境ではなく仕事をした時は2週間くらいで会社に行けなくなった。
で、また数日会社に行けなくなって派遣元から「これ以上休んだらクビにします」と言う最後通告の電話を受けた直後殆ど自動的にアルコールで抗うつ剤その他100錠近くを一気に飲み込んだ。
結果は…今ここに私が居るわけで未遂に終わった。
友人と家族は…多分許してくれたと思う。そう思いたい。
46万円。
退職金という名目だったけど、書面を見ると事実上の手切れ金だった。
「46万円やるからさっさとここから消え失せろ」
コンプライアンス事業部のえらい人が放った言葉は穏やかだったけど実質そんなものだった。
労基とかそんなの以前に服薬の影響で記憶も曖昧な状態でろくな判断能力もあるわけが無く46万円押しつけられて派遣元会社をクビになり、再び実家へと戻ってきた。
その後も会社は行ってはクビになるを何回も何回も繰り返していた。
「休養しろ」とか言われると思うけど、当時金銭的な問題で月に10万以上金を稼がなくてはならない状況で何が何でも仕事をしなければならなく、その上家族も多少の理解は得られたとはいえ病気に関してはまだ「怠けだ、甘えだ」と思っている節があるらしく家にいても正直休まらなかった。
そんな感じでこじれにこじれて今に至り、前述の「会社に行けない 」のエントリーに繋がるわけです。
ちなみにこの会社もクビになりました。
熱意はWebエントリーで落とされても社長に直訴の手紙を出すほどにあった。
技術も気がつけば新入りではずば抜けてあったらしく、赴任先事務所でも即戦力になるほどだった。
でも、会社に行けない、と言う社会人として当たり前のことができなくてクビになった。
結局何やっても、どんな事しても「会社に行けない病」をどうにかしない限り私は社会生活を送ることができないらしい。そもそも社会が私を受け入れてくれないようなのだ。
最近になって金銭的な面が法的にどうになるようになり、少し休養する時間ができるようになった。精神科に通院投薬治療は続いているし、障害者手帳も取得することができた(ただしあまり役に立ってない)
ただ、家庭経済面で休養、はできないらしく、父母からは「最低アルバイトはしろ」と言われてしまった。そんなわけで今アルバイトを探している。なるべく負荷の少ないコンビニとかそんな仕事をいくつか面接入れている。
三十路過ぎて大学中退、しかも職歴むちゃくちゃな私をどこが雇ってくれるだろうか?
しかもフリーターという身分。結婚以前に恋愛もできやしない。そして何より、この先這い上がるチャンスという物が事実上ゼロだという現実に直視しなければならない。
この状況で社会という物に希望を見いだすことができるだろうか?
正直今の私には無理だ…。
大学に馴染めず休学してから10年以上ひきこもっていた。 大学は再休学を繰り返した後に退学。 「(親が死んだら自分も死ぬのかな、、死んでもいいや・・)」みたいに自分を騙し、将来のことを 出来るだけ見ない・考えないことに習熟することで心を落ち着かせ、穏やかに過そうとする、そんな生活。 脱ヒキへの様々なサポート・支援事業、web上のヒキ情報サイト等は全て上記"将来"を想起させられるので回避。 ひきこもり同士が悩みや愚痴を言い合うネット上の場でさえも、必ず将来不安が話題になるため、回避。 ひきこもりSNSはおろか2chのヒッキー板すら見ない。見れない。 なによりも意識に上がらないように避けていたのは、こんな自分を支えている、親の想いについて。 あまりにも向き合えなすぎて、それが脳裏に浮かぶなりほとんど自動的に右から左へと意識の外へ追いやってしまう。 でもロボットやコンピュータでない以上は完全に自分を騙せなどしないし、心の底には黒い澱のようなものが 蓄積していっていたのかもしれない。 また、定年を迎えた父が心のバランスを崩したこと、それにより結果として私と父との関係性が変わったこと、 更にそのような父に根気強く付き合う母の姿を見たことにも影響を受けたのかもしれない。 厳密な原因は分からないが、この春になってから急に、将来に関する不安感が今までのようには 散らせなくなってその結果顕在化し、同時に「自立したい」「自立しなくては」との思いに追い立てられるように 精神状態が変化したのだ。 本当に突然に。 そうなった日以降、床屋に行き、服を買い足し、生活用品を買い足し、身元証明用にパスポートを申請し、 携帯を契約し、etc.と毎日用事を作っては外出してる。 ひきこもりの電話相談に初めてtelし、支援団体を紹介してもらい、ハロワのカウンセリングを受け、 職業適正検査を受け、ハロワの就活系セミナーの予約を入れ、求職サイト等で求人を確認し。 家族とは普通に会話出来るものの自分の対人能力がどれだけ劣化してるのか分からず不安があったが、 とりあえず電車や人ごみ等で過剰に緊張するようになってたりとかはないみたいで良かった。 明日は紹介してもらった支援団体に行き家族以外との会話能力がどれくらい劣化してるのか確認したい。 一ヶ月前の自分に言っても信じられないだろうが、今はこれらの(錯覚かもしれないが)前に進んでる感の 得られる行動をしないで一日を過ごすほうが辛いと感じる。 腹の中での不安感の占める比率が膨らむ感がある。 冷静に見るなら(良くも悪くも)半ば安定していたヒキ状態からあまりにも急な変化なので、ひょっとして 何らかの精神疾患とかなのかな?と思わなくもない。 一方で客観的に見て不安や焦りを感じて当然の状態なので、それ自体はあって当然だとも思う。 母からは、あまり焦りすぎて狭い視野で職を決めずに、やりたいことやれることをきっちり考えて調べた上で 決めた方が良いのではと助言されている。 自分としては年齢(30代前半)のこともあり焦りの感が強い。 三十路、大学中退、職歴無し、資格は10年前に休学前の大学1年前期で取った初級シスアドのみ。 現実的には出来る事は非常に限られているかもしれない。 でも今は出来ることを探してやっていく以外の選択枝はないし、また、そうしたいとも思っている。