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2009-06-08

とある地方書店での風景

……うーん。昨日発売だったはずなんだけど(地方なので基本1日遅れる)。平積みも棚からも見つからない……

自分:あのー。「となグラ!」の9巻ってありますか?

店員:「ToLoveる」ですか? 初回版はその日でもう売り切れてしまって次に入るのも通常版になってしまいますが……

自分:いや「となグラ!」の9巻なんですが……

店員:「とらドラ!」ですか? 10巻はまだあると思いますけど……見てきますね。

自分:いやだから6日発売の「となグラ!」の9巻なんですが……

店員:あ「となグラ!」ですか。えーと(カチカチ)今日日曜日なので月曜日になりますね。

自分:あーそうですか。じゃあこの「恋は三十路をすぎてから」ください。

これでも話が通じるだけマシなんだけどさ……

アイマスライブに行く人の気持ちがわからない

http://anond.hatelabo.jp/20090607153604

アーケードの時からアイマスにはまって、はや4,5年、部屋には

キャラソンCDやらソフトやらグッズやらモロモロが

あふれているけど、未だにライブに行ったことがないし

行こうとも思わない。

ライブに行ったところで、キャラクターに似ても似つかぬ三十路前後

人妻やら、どこにでもいそうな大して可愛くもない普通のネェちゃんたち

のキレのないダンス中途半端なお歌のアイドルごっこを見せられるばかり。

彼女たちはあくまで声優なんだから、そんなパフォーマンスこなせなくても

 当然の話なので罪はないけど)

そんな人たちのステージで、ワーキャー言える連中の気持ちが

まったく理解できない。

正直なことを言えば、大好きなキャライメージを、なんだか許容しがたい

方向にねじ曲げられてるような感じで、見ていて気持ちいいモノでは

無いという印象さえ持っている。

重要なのはバーチャルアイドルであって、中の人なんて、どうでもいい

ノイズでしかない自分にとっては、どうせならアイマスバーチャルアイドル

徹して、かつてホリプロが売ってた伊達杏子みたいに、中の人を一切表に出さず

商売してほしいくらい。

だいたいアイマスなんてスタート時のコンセプトでは、あまり色のついてない

若手の声優キャスティングする方針だったんだから、バーチャルに徹して

顔出し無しでも別に問題無かったんじゃないかしら?

2009-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20090603222909

世間の「出生率低下」という言葉不思議違和感を覚える今日この頃です。

え?

三十路突入前にしても既婚率は低く、子供がいる人もほんの数人、片手で余裕で収まるくらいだ。

って言ってるのに?

http://anond.hatelabo.jp/20090603222909

私は世間的にはそこそこの学校を出て、周りの友人はいいとこの企業バリバリ働いていたり、自分のやりたいこと見つけて独立したりという人が多い。

生き方とかキャリアに拘り強い子も多いし、「オーガニック」「国際情勢」「差別」とかそういう言葉に敏感そうな子も多いと思う。

三十路突入前にしても既婚率は低く、子供がいる人もほんの数人、片手で余裕で収まるくらいだ。

結婚してても「仕事の事もあるし子供についてはまだ考え中」って子もいる。

なんだろう、このそこはかとなく漂う悪意。

あ、あれに似てる。30女子の元上司に対する悪意(追記:これだ→http://anond.hatelabo.jp/20090603041850同一人物って言ってるわけじゃないけども。)

今年で三十路突入妊婦です。

出生率1.37だそうな。

実際に子供がいる人は兄弟/姉妹で2人は欲しいって人も多いし、「お金あれば3人4人欲しい」っていう人も多い。

そう言う自分も二人欲しい。

それでも1.37なのか。不思議

私は世間的にはそこそこの学校を出て、周りの友人はいいとこの企業バリバリ働いていたり、自分のやりたいこと見つけて独立したりという人が多い。

生き方とかキャリアに拘り強い子も多いし、「オーガニック」「国際情勢」「差別」とかそういう言葉に敏感そうな子も多いと思う。

三十路突入前にしても既婚率は低く、子供がいる人もほんの数人、片手で余裕で収まるくらいだ。

結婚してても「仕事の事もあるし子供についてはまだ考え中」って子もいる。

3つ離れている妹は勉強が嫌いで、美容学校行って、卒業して何故か事務員になって出来ちゃった婚した。

彼女の友達はヤンママ多め。DQNとまではいかないがそんな感じの奔放な友達も多い(実際話してみるといい子たちだけど)

当然既婚率高いし、高校の同級生で「ヤンママの会(←名称は適当)」みたいなの開いているし、もう子供二人目いるよーみたいな雰囲気。

足して2で割れば1.37くらいになるのかしら。

妊娠してよくmixi子育て系のコミュニティーを見るようになった。

驚くほどにみんな若い。

私の年齢の人だともう二人目、三人目な感じでちょっと萎縮してしまう。

産婦人科行っても結構みんな若いんだ、これが。

同じような年齢の人は小さい子連れてたりするし。

三十路前後の初産妊婦の皆さんは一体どこにいるんですか。寂しいです。

週末のアカチャンホンポなんて「不況か!?」ってくらい混んでるし、おじいちゃんおばあちゃんが孫にガンガン高いもの買ってるし、産婦人科はどこも激混みで妊娠したらソッコーで分娩予約しないとそこで出産できないし、世間の「出生率低下」という言葉不思議違和感を覚える今日この頃です。

女子が働くことを考えた話。-6/7追記あり-


6/7日、末尾に追記しました。

なんかちょっと思い出したし書いとく。

つれづれなるままに。

私今年負け犬になった30女子。

20のときはプータローだった。

20ときに、あるお店で女店長さんにお世話になった。

今でもときどき思い出すくらい相当酷いアレコレをやらかした。

時かけた迷惑のすべてについて土下座で謝りたいと時々

衝動的に思う。それくらい色々やった。

やらかしながら、学んだことに、

「女が働くって凄く難しい」ということがある。

とにかく、年をとったらあかんらしい、と。

今、店長さんをはるかに越えて独身三十路になったので

ちょっと覚書的に書いてみる。

自分の住んでるところは観光都市で、

地元でもそこそこがんばってる特産品のお店で

そこで一年くらいお世話になった。

私がお世話になった店舗

会社の中でも売り上げが1,2という大きい店舗

売り上げは●億だった。

当時働いていた人は20-30人弱いたような記憶がある。

で、従業員女の子ばかり。

平均年齢はバイトを抜いても多分25行かないと思う。

バイトを入れたら22くらい。

店長は当時27歳の独身女性だった。

高卒短大卒を中心にアルバイトで店を廻していた。

今は、多分殆ど全員をアルバイトにしてるだろうと思うが

当時は半分くらいは正社員だった。

今思えば、ちょうど入れ替え期に私はいたかなって思う。

27歳の店長を中心に中堅の23-25が数名。

私はこの人たちが結構好きだった。

特に店長さんにはお世話になった。

店長さんだけは今でもちゃんと名前を覚えてる。

凄くたくさん叱られたけど、

その後の私を作った基礎となる部分は

この人にあると思う。

たくさん泣いたけど、励ましてもらったことも多い。

怖い人だけど、同時に億を稼ぐお店の店長さんだ。

私の目からみて、彼女はちょっとかっこよかった。

やとわれとはいえ、億を切り盛りしてやっていってるというのは

ちょっと凄いなーと。

私がバイトしている間に、ちょうどこの店長さんの

誕生日があって、お店でお祝いをすることになった。

誕生日祝いの準備をしているときに

社員さんたちが話していたことをよくおぼえている。

「でもさー、28で結婚してないとかありえないよね」

「まじありえないよねー」

彼氏と別れたらしいよー」

「えー、まじ?あ、だから休みに店に来たんだー。空しいねw

ああはなりたくないね」

そうか、女子は億を切り盛りしてもそんな評価なのか。

せーしゃいん、と言っても

接客業で、特に昇進があるわけでなく、

給料が上がるわけではない。

先輩達はみんな結婚するしかなかった。

他に道は無い。

結婚しない人も、会社はもともと雇い続けるつもりが無いので

肩たたき普通に行われていた。

「若い女の子がいい」ので、新卒をやとって、

適当な時期が着たら辞めてもらう。

会社はそういう人件費の廻し方をしていた。

従業員目標は売り上げではなく、結婚だった。

それしか「上がり」はない世界だった。

ただ、店長クラスだけは別だ。

店長だけはとりあえず10年単位で残ることができる。

彼女は若くして、立派なセンスを持っていた。

その店舗の新規開店に当たって

ベテラン店長さんを、という声もあったらしいけど

彼女に、ということになったらしい。

詳しいいきさつは知らないけど、本社の受けがよかったのは確か。

店は不況の風の中、順調だった。(と思う。)

一人きりで、店長は戦っていた。

細い体で。

それでも認めてもらえないんだ。

とても切なくなった。

でも、確かに自分に「店長クラス」の見込みがあるかどうかは

みんなとっくに知ってた。

そしたら「28」は賞味期限切れかけてる。

そりゃ、ありえないだろう。

社員さん達は学校からの推薦で

不況で他に職が無くて」仕方なかったり、とりあえず来た人ばっかりだった。

今みたいに不況がずっと続くとは思ってなかったから

準備なんか誰もしていなかった。

多分高校生のときは普通の事務職につけると思って人が多いと思う。

ちょうどロストジェネレーションのトップにあたる人たち。

でも結婚退職できてた人がどれくらいいたかというと

実際のところ。

「●●は結婚って言ってやめたけど、本当は結婚してない」と。

とりあえず体がしんどいからやめる、

でも素直に言うと色々ややこしいから結婚ていうことに

しておくという人が半分くらいいた。

あと「彼氏が殴る」系とか「ギャンブラー」系。

私はDVっぽい人は本当にダメなんだけど、

「いないよりいい」って人もいた。

とにかく、働き続けることはできなかった。

働き続けても、人から尊敬されることはなかった。

どっちにも出口はなかった。

結婚にしか、無い。

そういう場所だった。

女子は、なんか生きにくいと思った。

私はその後店舗を移った

一人だけ、今でも時々しゃべるバイト仲間の女の子がいる。

高め安定の旦那と勝ち組婚をして子供がいる同い年の彼女と、

このあいだしゃべった。

「女子が結婚しないとか、28で仕事バリバリやってるとか

空しいと思って、店長さんを憐れんでいた」

といわれた。

出口は結婚しかなかった。

出口からでた友達はとりあえず今幸せそうだ。

私は相変わらず億を稼ぐ仕事とは縁が無いけど、

その後大学を出て、どうにかやっていってる。

店長さん。今どうしてるんだろう。

店長さんの幸せってどこにあったんだろう。

女子が、働き続けることに価値が無かった会社

まだ店長をしてるんだろうか。

それとも結婚退職したんだろうか。

この間店舗をのぞいたら、知っている人は誰も居なかった。

店長も変わっていた。店舗は何も変わらず営業していた。

店舗のなかは、あいかわらず若い女の子ばかりだった。

今も、出口は結婚のままなんだろうか。

旦那の稼ぎも怪しい時代だけど。

私は、まだもう少し働くことに対してあがいてみようと思います。

4時になってしまった。寝よう。。。

~6/7日追記~

元増田です。

沢山のコメントブックマークありがとうございました。

どうしても気になった2点だけ追記します。

その1

このエントリーの話は約10年前の

人口100万人以上の都市の話です。

地方でよくある話だというのを読んで私が驚きました。

その2

私が店長を憐れんだりしたことはありません。

誤解です。

私は今でも店長さんを尊敬しているし、とてもとても

言葉では言い表せないほどの感謝を抱いています。

その人がそんな風に評価されるということが衝撃だった、

という話です。

私にはこの話の後に、ろくでもない店長

ありがたい師匠との出会いがありました。

10年たった今、「結婚が上がり」のこの世界にはいません。

結婚によって上がれない世界は、

考えようによってはより厳しい世界ですが

10年前に感じた閉塞からは自由に生きています。

ろくでなし店長さんや、このエントリーではあまり書くことのできなかった

社員さんたちの結婚価値観とそれを取り巻く世界エントリー

そのうち機会があったら書こうかなと考えています。

社員さんたちの結婚に対する価値観は、

女子の同調圧力というよりは

同居しているご家族の圧力が強かったように感じます。

おまけ。

トラックバックの「女子論争」について。

タイトルが「女子」なのはわざとです。

今は30ですが、私にも20の女子だった頃がありました。

エントリーは、私が20の頃に感じたり、考えたりしたことを

一度文章にしておこうと思って書いた文章なので

あえて「女子」にしました。

でも本文で「女子」はうっかりミスですw

ご指摘はとても興味深く拝見させていただきました。

気をつけます。

またフォローのトラックバック下さったかた、

ありがとうございました。

2009-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20090601002423

相手は女だよ。

こちらは三十路男子プログラマ

あちらは、毎週予定がてんこもりで、一ヶ月後にね、ということになった。

2009-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20090525194058

いずれ結婚するつもりって、そのいずれが50歳のときならどうするの?その彼氏ならありうるよ。

自分がどうしたいか、とかそういうのないの?

もうすぐ三十路で金銭的にも生活力的にも親から自立しているのなら、親の言うなりにならなくてもいいわけだし。

親とか関係なく、自分が30歳までに結婚したいなら彼氏に「結婚するか別れるかどっち?」って迫ればいいし、自分自身は結婚したいわけでもないならこのままでいいんじゃない?

2009-05-25

30代彼女と初めてセックスした夜。

付き合い始めて2ヶ月。

昨晩、33歳の彼女と初めてセックスした。

どっちも三十路だし、 大人の恋愛をしているのかと思っていた。

凄く燃えるような恋愛関係ではなく、

淡々と週末に週一ペースで付き合ってきた。

互いの家は100kmほど離れているので仕方ないのか。

しっかり者のできる女としてパブリックイメージを持つ彼女

どこかガードも硬かった。

こちらもちょこちょこ粉をかけるのだけど、反応は控えめ。

攻めどころが分からず、これは難物だなあ...と感じた。

昨晩、和洋折衷懐石料理店で食事。

ワイングラスを重ねた彼女はポツリと一言。

今日は帰りたくないなあ」

男の礼儀として、これは引き留めないと。

食事後、近くの公園に連れ出すと、

いきなり彼女からディープキス連続

近くに座っていた学生ぐらいのカップルが唖然としてこちらを凝視していた

某高級ホテルに転戦。

部屋に入った後、シャワーも浴びず、そのままベッドの上に。

疲労困憊していたオレ。肝心のモノはきちんと機能しなかった。

なんで、求める彼女にひたすら奉仕を続けることにして、

時間半ほどガチンコの勝負が続いた。

ひたすら愛撫を求める彼女

30代女の性に対する貪欲さをいやというほど思い知らされた。

でも、快感を求めて体をぶつけてくる彼女恍惚とした顔を見ながら、

食事でも買い物でもセックスでも何でも、

女の嬉しそうな表情を見るのが、男の最大の喜びなんだよなあ、

と改めて認識した。

今朝5時半に解散。

朝帰り仕事はさすがに疲れる

休みに骨身にしみているところです

2009-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20090522222207

入籍しちゃうと、もういつでも出来ていいやって子作りしちゃって、本当にすぐ出来ちゃうもんなんだよねー。出来る人は。

ともあれ、結婚したからって幸せな訳でもないし、今年三十路なら結婚の暗部だっていろいろ聞いてるでしょ?

一人だから出来る事も、結婚してるから出来る事もあるよ。

2009-05-21

脱ヲタで失敗するくらいならオッサン臭くなれ

そもそも脱ヲタファッションというものがまだ必要とされているかは別として。

オタクっぽいとステレオタイプに言われるファッションって、三十路以上のおっさんが着ている分には特に問題がないように思えてならない。

脱オタファッションというもの自体が、おそらく若いオタクに対して考えられたからなのだろうが、

下手に若々しい服を着てしまうことで、逆に2009年現在オタク臭さをかもし出してしまっているのではないか。

そこで、若々しくはないが普通の服を着ることを提案したい。

何を着るか

ズボンと書けばいいのかパンツと書けばいいのか分からないくらいの素人意見だが、最悪オッサン臭くなるだけで済むのではないだろうか。

ただ、いつも白シャツであるといわれる可能性はある。

まあ別に服装で勝負する必要なんてないのだ。

2009-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20090517234508

結果で言えば、楽しい飲み会になった。

カップル成立の気配はないけどな。

俺自体は、女幹事と仲良くなる事に専念することにした。

三十路になると、同い年で可愛いと思える女って少ないのな。

見た目の良いやつは、みんな結婚しちゃったのか?

2009-05-15

三十路間近でアルバイトさえ首になった

派遣すぐ決まったけど何でかすごく嫌な予感しかしない

てか、一ヶ月位したら死んでるんじゃね?

って気がしてならない

一過性抑鬱状態だと信じたい

今日は寝てもいいかな

http://anond.hatelabo.jp/20090515013917

他に購入だけしていない物が、アフタヌーン電撃大王サンデーGX

と色々買って積読になっている。

今の状態では、恋愛をするのに時間的余裕などは無いようだ。

三十路だが、恋に恋するだけに留めておく。

最近は忙しくてサンデーを読む時間すらない

世の中は不景気のはずだし、ウチの会社派遣事業をやっているので直撃もいいところ

のはずなんだが、なぜか社内システム開発で春のはじめ頃から残業続き。

この不景気なのだから、残業代が全て出るしで悪い事はないのかもしれない。

けれども、彼女も居ないまま三十路突入した俺にとっては

少しでも恋愛っぽい事がしたい訳だ。

残業代が貰えなければ、年収も400万いくかいかないかの低賃金労働者なのだから

素直に残業代成金になっていること喜んでいれば良いのかもしれぬ。

2009-04-28

わかったこと

三十路近くなって、自分仕事に全く責任を持ってないやつが非常にイラっとくる。

隣の席の女なんだけどな。

言い訳がまたひどい。

「ちゃんとやったつもりでした。」

まったく自分が悪いと思っていない。

同じようなケアレスミス連発するしホント終わってると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20090426030052

私、三十路後半だし、

三十路っていうのは三十代という意味ではなくて30歳って意味だって知ってる?

二十歳(はたち)とかと一緒。

常識だから知ってるか。

30歳7ヶ月から30歳11ヶ月ですよってことを言ってるのか。

http://anond.hatelabo.jp/20090428014607

学歴くんとか三十路くんとかの系列に連なるものとして、

ここに新たな伝説が。

リア充くんの誕生・・・でいいのかな?

2009-04-26

痴漢とか変態とか

話題になってるけど…。

ホントに周りに居る人達は気付いてくれて無いのかな?

私、三十路後半だし、可愛くも無いけど痴漢たまに遭遇する。

男友達に相談したら、ボーとしてるように見えるからでは?とか言われたけど、よく分からない。

満員電車で真後ろに攻めてこられて、思いきり腰振られたことあったけど、周りの人達は知らん顏してたな。

あんなにハァハァして、腰動かしてる人が居たら、周りの人達気付くと思うけど…。

あと立ってる時も、座ってる時も満員電車に関わらず、

腕組みしてる風味に見せかけて、

腕組みの下から手を出して胸を触って来る人とか居ます。

これは確信犯なんだろうな。

後ろの人がピタってくっついて来るから、混んで来たのかなって思ってたら、

ガラガラで、技と空いてる電車で真後ろにピタリとくっついて来た人もおりました。

みんな痴漢をしてないって人が表面上は多いみたいで、

両手上げて乗ってますって言ってる人が多いけれど、

実際、私の乗車する東海道線では、吊革の数の問題なのか、

微妙に鞄を普通に持ってる人が多いですよ。

混雑しすぎで手の置場も好きに動かせないということもあると思いますが…。

あとは、

乗り込みの態勢で、前の人の背中に胸が当たってしまった時とか、

技となのか後ろに背中を反らせて、胸がガッツリ当たるような姿勢にしてくる人とかも居たりしますね。

だいたい、満員電車って乗り込みの法則みたいなのがあって、

乗り込んだ位置によって、窓側向くとか、あると思うんですが、

それに反して逆側向いて乗る人とかいて、向かい合わせになったりして気まずいです。

電車降りる時に胸をガッツリわし掴みするとかも辞めて欲しい。

メッサ痛いんです。

チンコ鷲掴みとか仕返ししたい位です。

もっと痴女とか増えたら、男性にもわかってもらえるんですかね。

痴漢に対する考え方で男性女性の温度差が結構大きい事にちょっとショックを感じてたりしています。

2009-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20090424090621

彼は普通の人でなくて、ただ泥酔して正体をなくしてただけでしょ。逆に言うと、泥酔して深夜に暴れるくらい、普通の人でもおきる。

そういう人に対する社会の受け止め方が変化していて、警察がそこに敏感に反応しているという受け止め方も出来るけどな。飲酒運転もこの数年で厳罰化されてるし。

近隣住民が通報する位だからよっぽどの事態だったんだろう。あの界隈は治安に敏感な人達も多そうだし、それに警察が応えただけなんじゃないの?

追記

http://anond.hatelabo.jp/20090424101234

泥酔して深夜に暴れるのは、普通の人じゃないよ。

そりゃまあそうだ(笑)。三十路過ぎた大人のやることじゃないわな。

http://anond.hatelabo.jp/20090424122529

そうとは限らないよ。昔は「警察沙汰」というとよっぽど大事だったけれど、最近は下手に自分で注意しに行ったら何されるかわからないから、うるさいなあと思ったらとりあえず警察に連絡しちゃう、ってのもあるよ。

今は「何されるかわからない」という社会情勢なんだよねえ。

2009-04-23

社会絶望しているとかの話

http://anond.hatelabo.jp/20090415074829

これの続きようなモノ。

私は「会社」というモノに絶望をしていた。

絶望の始まりは多分初めて社会人になって入った会社だろうか。

初めて入った会社ハローワークで見つけた契約社員だった。

大学を「学校に行けない病気」で退学した私は学校で学んだことを生かせる仕事を探していた。ただ、学んだ分野が環境化学というあまりメジャーじゃなく仕事も少なそうな分野だったので探すのにかなり苦労した。

それでも農薬を作っている会社研究所に潜り込む事に成功した。

仕事は元々興味ある分野だったし、残業も殆ど無いような負荷も少ないもので学校で学んだ知識と新しく学んだ事でのびのびと仕事することができた。幸いなことに評価も良く順風満帆な日々を過ごすことができた。


しかし、半年ほどして異変が訪れる。

学校に行けない病気」が再発したのだ。いや、増悪したとも言うべきだろうか。

当時、通勤電車バスを利用していたのだが、バスから降りられなくなったのだ。

降りるべき停留所が近づくと段々呼吸は速くなる。動悸もして息苦しく頭が真っ白になる。それは停留所に近づけば近づくほど強くなり、停留所を超えると段々収まり今度は自責の念が私を責め立てる。

死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ…(以下延々繰り返される)」

と云う言葉で頭の中が支配される。

始めのうちは先の停留所から引き返して遅刻、ということで処理はできていたのだけど、それも数が増えると話は少しややこしくなった。程なく上長から注意を受けた。怖いタイプの人ではなかったので大したことは言われなかったとは思うけど、それが自責の念を増長させた。

注意後は引き返すことすらできなくなり、途中の停留所で降りて、音のしない場所を必死になって探して勤務開始ぎりぎりくらいに休む旨の電話携帯からした。なぜか解らないけど「音のしない場所」というのを必死になって探していたのを覚えている。

そんなのが一週間くらい続いて、また上長から注意を受けた。今度は上長上長もやってきて注意を受けた。

いわゆる厳重注意に当たるものだと思う。同時に何か精神的に何か問題は無いか、とも聞かれ初めて精神科を受けることになる。

診断は「鬱病」で抗不安薬を処方された。

薬を飲むようになってからは少し落ち着き二ヶ月くらいは普通に出社できた。

このまま何事もなければ今頃私はその研究所正社員として活躍していたかもしれない。

だけど現実はそんな風にはさせてくれなかった。

年が明けてすぐ再び「病気」は再発した。また一週間くらい行けなくなった。

二度目はなかった。

程なく無理矢理呼び出され、所長と上長上長上長の3人と面談となりその場で「今日付で自己都合で辞めてくれ」と言われた。

当たり前と言えば当たり前。でも当時の私には裏切られた思いでいっぱいだった。あんなに評価してくれて良くしてくれたのにあっさり辞めさせられるんだ…って。

病気」とは別の形で頭が真っ白になりつつその場で辞表を書かされた。

その後、ふと思い立って辞めた大学に復学したけれどこんな状態じゃ学業もできるわけもなく、元々辞めた理由の「学校に行けない病」も再発し半年で再び辞めた。

入学金諸々200万をドブに捨てた。

大学復帰の道も閉ざされた私は仕事を探しては何とかどこかの会社に潜り込み

朝起きる→朝食食べる→着替えて外出る→電車乗る→漠然とした恐怖・不安目的地駅で降りられない→どこかで降りて休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ

と言うプロセスを面白いように繰り返していた。

そこに休養という文字はなかった。なぜなら家族が「病気」に対しての理解がなかったから。

父曰く「サボってるだけじゃないのか?」

ナチュラルに言うのだから休養なんてできるわけがなかった。

この辺で「社会は、会社は誰も私を救ってくれない。絶望した!」みたいなことを思うようになっていた。

で、その絶望が決定的になったのが次の仕事先だった。

派遣で潜り込んだ会社宇都宮世界の誰もが知っているメーカー研究所派遣された。

派遣先上長が私をえらく気に入ってくれたらしく「5年以上の長いスパンで働いて欲しい」とまで言われ、場合によっては正社員雇用も…みたいなことまで言われた。

仕事化学とはあまり関係のない分析評価の仕事だったけど、仮に在籍していた5流大学新卒してでも入れなさそうなメーカー正社員も夢じゃない…みたいな話だったので殆ど二つ返事でその仕事を受けた。

宇都宮はさすがに通勤できないので転居して一人暮らしをすることになった。

初めての一人暮らし不安だったけど、恐怖の対象であった父や口うるさい母もいないのでむしろ好都合だったし、住環境も周辺環境も恵まれていたし、仕事場まで車で10分。車がないと不便な場所ではあったけど日用雑貨からPCパーツまで車で20分も走らない場所で揃えられたので今思っても最高の環境だった。

そんな中で最近(2009年現在)世に出た製品のさらに次の製品に向けての技術研究という最先端中の最先端仕事ができた。職場環境も居室が機械だらけで動作音がうるさい以外はまさに最高。言うことがなかった。

そんな最高の環境の中で多少の休みはあったけれど半年くらい仕事をすることができた。

しかし、そんな最高の環境の中でも異変は起きた。

トリガーはなんてことのない物だった。簡単に言うと部署間での私の取り合い。

私がいた居室は3つの部署が共有していた。

一つは私がいたところ、もう一つは私たちの一つ前、最近世に出た製品技術関係を手がけていた部署。もう一つは良くわかんないけど別の事していた。

その最近世に出た製品技術関係を手がけていた部署の係長が「ちょっと最近忙しいから一月くらい手伝ってくれないか?」と言ってきたのだ。今所属している部署の係長もOKしているみたいなことを言われたが、正直行きたくなかった。

と言うのもその係長生理的に受け付けられないタイプでその部署もあまりいい空気ではなかったからだ。それでも「一ヶ月くらいなら」と、言うことで異動することに了承した。

そこで話が終わればもうちょっとそこでの仕事が長続きしたかもしれない。

いざ異動してみるとその係長から「ここに来たからにはもうずっとここにいてもらうからね♪」みたいなことをナチュラルに言われた。

話が違う!

抗議した、猛烈に抗議した。その抗議は部長を引っ張り出す騒ぎになったが、その決定を覆すにはさらに上の役員を引っ張り出さないといけないらしく、覆すのは事実上不可能だった。

元いた部署で一番お世話になった主任は「あの人はそういう人なんだよ。」と自嘲的に言っていた。結局決定は覆らず、「なんか語弊があったけどこういう事だから頑張ってね♪」みたいな係長二人のサイン入り書面を差し出された私はその日早退した。

そして一週間休んだ。

一週間して今度は派遣元支店長がやってきた。

「ちょっと精神科行こうか」

みたいなノリで支店長同行で精神科に行かされることになった。

当時、すでに近所のメンタルクリニックで投薬治療を受けていたけど、それは会社には隠していたので通っている病院とは別の精神科になんとか行くことになった。

そこで「鬱状態」と診断された。

翌日、派遣元支店長から「支店にちょっと来いやと」いう連絡を受け、宇都宮駅前の支店事務所に向かった。そこで支店長から言われたのは「派遣先から撤退する。お前会社辞めろ」と言う事実上解雇通知だった。

は?

なんで?

確かに「病気」の事は隠していたけど、事情事情だし…というかなんで休養とかそういうのもすっ飛ばして辞めろとかになる訳?

抗議した。そんなのおかしい、何で辞めなきゃいけないんだ?

猛烈な言い合いは4時間を超えた。

で、痺れを切らしたのか支店長はこう言った。

精神障害者は使えないんだよ!!!」

あぁ…。

何かが崩れ落ちた気がした。

支店長がどういう意味でそういったのかは知らない。でも、その言葉はあまりにも無情で残酷で…世間の正論過ぎた。

会社とか社会絶望をした瞬間だった。

程なく辞める旨を伝え、それから数日で宇都宮から実家へと帰還となった。

あの言葉絶望は私の病を大いに増悪させた。

それから仕事を探しては数日でいけなくなってクビになると言うのを何年も繰り返した。

一番行くところまで逝ったところだと、静岡の某宇都宮で居たメーカー同業他社で、そこはお世辞にもいい職場環境ではなく仕事をした時は2週間くらいで会社に行けなくなった。

で、また数日会社に行けなくなって派遣元から「これ以上休んだらクビにします」と言う最後通告の電話を受けた直後殆ど自動的にアルコール抗うつ剤その他100錠近くを一気に飲み込んだ。

服薬自殺人生の幕を閉じようとしてしまった。

結果は…今ここに私が居るわけで未遂に終わった。

友人や家族派遣元会社に多大なる迷惑をかけた。

友人と家族は…多分許してくれたと思う。そう思いたい。

でも、派遣元会社は違った。

46万円。

退職金という名目だったけど、書面を見ると事実上の手切れ金だった。

「46万円やるからさっさとここから消え失せろ」

コンプライアンス事業部のえらい人が放った言葉は穏やかだったけど実質そんなものだった。

労基とかそんなの以前に服薬の影響で記憶曖昧な状態でろくな判断能力もあるわけが無く46万円押しつけられて派遣元会社をクビになり、再び実家へと戻ってきた。

心底会社という物に絶望した瞬間だった。

その後も会社は行ってはクビになるを何回も何回も繰り返していた。

「休養しろ」とか言われると思うけど、当時金銭的な問題で月に10万以上金を稼がなくてはならない状況で何が何でも仕事をしなければならなく、その上家族も多少の理解は得られたとはいえ病気に関してはまだ「怠けだ、甘えだ」と思っている節があるらしく家にいても正直休まらなかった。

そんな感じでこじれにこじれて今に至り、前述の「会社に行けない 」のエントリーに繋がるわけです。

ちなみにこの会社もクビになりました。

仕事内容は化学とは関係ないけど、趣味を実益にできる物だった

熱意はWebエントリーで落とされても社長に直訴の手紙を出すほどにあった。

技術も気がつけば新入りではずば抜けてあったらしく、赴任先事務所でも即戦力になるほどだった。

でも、会社に行けない、と言う社会人として当たり前のことができなくてクビになった。

結局何やっても、どんな事しても「会社に行けない病」をどうにかしない限り私は社会生活を送ることができないらしい。そもそも社会が私を受け入れてくれないようなのだ。

最近になって金銭的な面が法的にどうになるようになり、少し休養する時間ができるようになった。精神科に通院投薬治療は続いているし、障害者手帳も取得することができた(ただしあまり役に立ってない)

ただ、家庭経済面で休養、はできないらしく、父母からは「最低アルバイトはしろ」と言われてしまった。そんなわけで今アルバイトを探している。なるべく負荷の少ないコンビニとかそんな仕事をいくつか面接入れている。

三十路過ぎて大学中退、しかも職歴むちゃくちゃな私をどこが雇ってくれるだろうか?

しかもフリーターという身分。結婚以前に恋愛もできやしない。そして何より、この先這い上がるチャンスという物が事実上ゼロだという現実直視しなければならない。

この状況で社会という物に希望を見いだすことができるだろうか?

正直今の私には無理だ…。

2009-04-22

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パン・ヴィエノワを初めて作った三十路ルーキー男子による反省会

  • 酒種酵母を起こして約20日放置栄養を与えたり、酸素を送ったりはしてた)してしまっていたことで発酵力が弱まっていたのか、二次発酵の見切りに失敗したっぽい
  • うちのガスオーブンの温度が表示よりも20度くらい高いんじゃないか? 最初の焼成はかなり香ばしい色合いになってしまった
  • 霧吹きが壊れてた


ただ、味は悪くなかった(クラム発酵が足りてなくてちょっとみっちり過ぎ)ので、次回は発酵オーブン温度管理に気をつけて大成功といきたい

2009-04-06

10年以上ひきこもっていた

大学に馴染めず休学してから10年以上ひきこもっていた。
大学は再休学を繰り返した後に退学。

「(親が死んだら自分も死ぬのかな、、死んでもいいや・・)」みたいに自分を騙し、将来のことを
出来るだけ見ない・考えないことに習熟することで心を落ち着かせ、穏やかに過そうとする、そんな生活。

脱ヒキへの様々なサポート・支援事業、web上のヒキ情報サイト等は全て上記"将来"を想起させられるので回避。
ひきこもり同士が悩みや愚痴を言い合うネット上の場でさえも、必ず将来不安が話題になるため、回避。
ひきこもりSNSはおろか2chのヒッキー板すら見ない。見れない。

なによりも意識に上がらないように避けていたのは、こんな自分を支えている、親の想いについて。
あまりにも向き合えなすぎて、それが脳裏に浮かぶなりほとんど自動的に右から左へと意識の外へ追いやってしまう。

でもロボットコンピュータでない以上は完全に自分を騙せなどしないし、心の底には黒い澱のようなものが
蓄積していっていたのかもしれない。
また、定年を迎えた父が心のバランスを崩したこと、それにより結果として私と父との関係性が変わったこと、
更にそのような父に根気強く付き合う母の姿を見たことにも影響を受けたのかもしれない。

厳密な原因は分からないが、この春になってから急に、将来に関する不安感が今までのようには
散らせなくなってその結果顕在化し、同時に「自立したい」「自立しなくては」との思いに追い立てられるように
精神状態が変化したのだ。
本当に突然に。

そうなった日以降、床屋に行き、服を買い足し、生活用品を買い足し、身元証明用にパスポートを申請し、
携帯契約し、etc.と毎日用事を作っては外出してる。
ひきこもり電話相談に初めてtelし、支援団体を紹介してもらい、ハロワカウンセリングを受け、
職業適正検査を受け、ハロワ就活セミナーの予約を入れ、求職サイト等で求人を確認し。

家族とは普通に会話出来るものの自分の対人能力がどれだけ劣化してるのか分からず不安があったが、
とりあえず電車や人ごみ等で過剰に緊張するようになってたりとかはないみたいで良かった。
明日は紹介してもらった支援団体に行き家族以外との会話能力がどれくらい劣化してるのか確認したい。

一ヶ月前の自分に言っても信じられないだろうが、今はこれらの(錯覚かもしれないが)前に進んでる感の
得られる行動をしないで一日を過ごすほうが辛いと感じる。
腹の中での不安感の占める比率が膨らむ感がある。

冷静に見るなら(良くも悪くも)半ば安定していたヒキ状態からあまりにも急な変化なので、ひょっとして
何らかの精神疾患とかなのかな?と思わなくもない。
一方で客観的に見て不安や焦りを感じて当然の状態なので、それ自体はあって当然だとも思う。

母からは、あまり焦りすぎて狭い視野で職を決めずに、やりたいことやれることをきっちり考えて調べた上で
決めた方が良いのではと助言されている。
自分としては年齢(30代前半)のこともあり焦りの感が強い。

三十路大学中退、職歴無し、資格は10年前に休学前の大学1年前期で取った初級シスアドのみ。
現実的には出来る事は非常に限られているかもしれない。
でも今は出来ることを探してやっていく以外の選択枝はないし、また、そうしたいとも思っている。

2009-04-05

三十路くんに教えてあげようと思ったけどいなくなったな。ざんねん。

http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-645.html

誕生日を迎えるにあたって

年々小さなころ好きだった漫画キャラクターとかの年齢を越えていくんだよね。

で、超すと「なんだ○○歳ってそんな大人でもなかったんだな」みたいに一抹の寂しさとかを覚えたりするわけですが。

長子体質で「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」に憧れが有ったけど最近年下キャラでも萌えられるようになった。

いやむしろ年上キャラが少なくなってきたという背景が有るからなのだろうが何だか凄い切ない気分に。

年食うとハードル上がってくるのは解ってるんだが、ああ年取ったなぁ…そして相変わらず自分子供だなぁ…。

いやしかし二次元連中高校生でも大人すぎるだろうと今だと思うよ。

なんだよ、高校生って全然ガキじゃないか。三十路前も然り。

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