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2021-02-20

anond:20210220095650

しろパブリシティーテスト

2色色覚と4色色覚のテスト商品が通過できるかどうかテストするとき

色覚障害をもっていないと、異常テスターなのだ・・・

めんどくさいことこの上ないんだよ。パブリシティーテスト

2013-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20130705105332

横だが

表現の自由とか、知る権利が、なんか都合のいいように解釈されてないか

表現の自由とは

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1

表現の自由(ひょうげんのじゆう)とは、個々の言論活動を通じて、自己人格を形成していくことと、政治的意思決定に関与していくという民主政に不可欠なこと、がある。

というのが有るように、国家や国政など、国に対して自由な表現を求めるものであって、個人に対して何を言ってもいいという事じゃないぞ。

国に対してこの国は殺人国家である。というのは、良いかいかは別としても、表現の自由であるとすぐに解釈されるが

個人に対して、あいつは人殺しだ!というのは、表現の自由である以前に、個人への名誉毀損のほうが先に適応される。

 

表現の自由とか、知る権利は通常 国家に対して行われた表現や、情報および、国民に対して広くパブリシティーされる表現などに対してかかるものであって、特定個人や集団に対して表現の自由とは(メインでは)言わない。

2010-02-25

芸能人でもないのに」なぜブログTwitterをやるのか

http://www.msng.info/archives/2010/02/who_blogs.php

たぶん今「芸能人」って呼ばれている人たちは気づいていないし、こういう記事を読むこともないと思うけど、「芸能人」っていうのを「自身が公衆から周知されることでメリットを得て収入に繋がっている人」っていうことで定義するなら、10年前と比べたらネット界隈にはそういう人たちがいくらでもいるし、良し悪しは別にして、これからプライバシーパブリシティーの境界線なんて関係なく公開する人は珍しくもなんでもなくなるんだと思う。

テレビだとか雑誌に出ている人=すごい」っていう時代はもう終わりかけてるって言っていいし既存メディア価値が下がっているので、当然それに乗っかっている人たちの商品価値っていうのも相対的に見て下がってる。有能であっても有名になる人っていうのはこれまでほんの一握りだったけど、今まで「有名になる手段」を担っていたメディアの壁が一気に崩れた結果、「芸能人」になるっていうことの敷居も下がり、大した芸も持たずに有名になってしまった「芸能人」の価値も同時に暴落している。ネットを探せば、「テレビに出てる人よりすごい人」はいくらでも見つかってしまうのだ。

そういうわけで、有名になることでメリットを享受できる可能性がある立場にある人は積極的にプライバシーを公開するわけです。もちろん、公開しても何のメリットも得られない人の方が世の中は多いので、そういう人はその行為に価値を見出せないし、不要なリスクを負うだけでしょう。簡単に言うと、「過去にも未来にも自分に自信がある人」は何を晒しても問題ないし、「少しでも自分の中にやましいことを持っている人」は安易に晒さない方が吉ですよ、ということなですが、世間一般は圧倒的に後者が占める気がするので、やっぱりよく考えて公開してる人っていうのは少ない気がします。少なくとも不倫とかしてる人はやめておいた方がいいです。

2009-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20090903222435

著作権法第10条8で「写真著作物」が挙げられてるし、どんな写真でも一応「思想又は感情を創作的に表現したもの」との推定がはたらくだろ。

著作物の一部も著作物だから「その部分だけならOK」とは言えない。

つか、それを許せば他人のイラストから部分ごとにつぎはぎしてイラストを作れることになる。

イラストと違って、写真著作物としてなかなか認められないよ。コラージュでも、著作権で引っかかるパターンはほとんどないんじゃないかな。アイコラなんかがアウトなのは、肖像権パブリシティー権を侵害しちゃうからだし。

一方、イラストはたとえ一部でも著作物として認められやすい。「思想又は感情を創作的に表現」しないと描けないものだからね。ここが、街中や部屋の中で何気なく撮影した一枚と、イラストの違い。

ペンのくだりも「×著作権」「○意匠権」だった。トレースはほぼセーフと見て問題ないけれど、六本木ヒルズだとかは注意しろ、ってことになるね。

猫のトレースは、確かにそうかもしれない。ちょっと追記しておいた。

もっとやれ!って方向に進んできてしまっているなぁ……。

2007-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20070531155858

作家ミュージシャンアーティスト、呼び名はなんでもいいけど、

自分がハマりこんだ人が時を経るにつれて初期衝動を失ったり、作風が変化したりして興味の中心から去っていくのはよくあること。

だから、創造性のピークに到達した人を見て、できればあんまり変わってほしくないなーと思うこともよくある。

変わっていくこと自体は責めることではないけど、実は初期作品がピークだという人も山ほどいる。

個人的には、そういう人のために「殿堂入り」というシステムがあるんだと思う。

パブリシティーや露出が作品そのものよりも目立つようになったら、大抵そういう状態だと思っていい。

TV番組の司会をする小説家とか、対談ばっかりしてるミュージシャンとかね。

このプロセスは多分不可逆的なもので、それまで食うに食えなかった人も多いだろうから別に責められるべきことではないし、

初期作品が自分に与えた感動が薄れるわけではないので、そういう人たちに対しては、

「いままでありがとう。これからもお元気で。さようなら」と思うようにしている。

増田の人は作家「さん」て書いたりしてるから多分出版業界の人なんだと思うけど、

もしそうだとしたら、自分がそういうプロセスの一部だということにもう少し自覚的であってほしい。

そうしたら、もう少し多くの表現者たちがその創造性を延命させることができるかもしれないし、

より多くの消費者を喜ばせることにつながるかもしれない、と思うから。

 
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