はてなキーワード: パスポートとは
あっちは徴兵制あるからな。大学に行くとかしないと2年だか2年半だかの兵役を課せられる。こないだのWBCでも、優勝すれば兵役免除とかいうボーナスが韓国チームにはあったらしい。
留学するくらいだからその人はおそらく兵役に就いていないのかも知れないが、しかし徴兵のプレッシャーという価値観を共有していない人を同胞とは認めたくないんだろう。この国は俺たちが守っているんだ、という意識は、日本人(君のような実質的な日本人も含めて)にはなかなか理解出来ないんじゃないかな。
かといって、初めて会う人に「韓国人ですが日本生まれで日本育ちで日本語しか」って長いじゃん。それトゥーマッチインフォメーションじゃん。
それに対して貴方が出来る事はいくつかあるが、最も手っ取り早いのは日本に帰化してしまう事だろうな。
イギリスの例を持ち出しているけど、日本にイギリスのような国になって欲しいというのであれば、それでもやっぱり帰化して選挙権を行使して、そういう風にこの国を変えていくしかない。その国の国籍を持っていない人間が、その国を自分たちにとって住みよい国に作り替えようというのはぶっちゃけ無理。
北朝鮮はそういう方針だからな。「いずれ祖国に戻るのに国籍を変える必要がどこにある?」という理屈。なので日本の参政権については「日帝の同化政策には徹底的に抵抗せよ!」みたいな事になる。貴方の母上の感情の根っこを辿っていくと、そういう国家レベルの方針の是非に行き着く。
出国する時のパスポートはどっちの国のを取得してる?
日本のパスポートには「日本国民である本パスポートの所持人を通路故障なく旅行させ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。」と書いてある。韓国のも多分似たような事が書いてあるはず。「どの国があなたの保護を要請しているのか?」で決まるんじゃないかな。
そんな軽いノリで問題を先送りにしていいのかって思わなくもない。
貴方よりも古い世代が先送りにした結果が、母上の帰化に対する感情やそれに対する貴方の葛藤なんだよね。どうする?このまま次の世代に持ち越す?
大学に馴染めず休学してから10年以上ひきこもっていた。 大学は再休学を繰り返した後に退学。 「(親が死んだら自分も死ぬのかな、、死んでもいいや・・)」みたいに自分を騙し、将来のことを 出来るだけ見ない・考えないことに習熟することで心を落ち着かせ、穏やかに過そうとする、そんな生活。 脱ヒキへの様々なサポート・支援事業、web上のヒキ情報サイト等は全て上記"将来"を想起させられるので回避。 ひきこもり同士が悩みや愚痴を言い合うネット上の場でさえも、必ず将来不安が話題になるため、回避。 ひきこもりSNSはおろか2chのヒッキー板すら見ない。見れない。 なによりも意識に上がらないように避けていたのは、こんな自分を支えている、親の想いについて。 あまりにも向き合えなすぎて、それが脳裏に浮かぶなりほとんど自動的に右から左へと意識の外へ追いやってしまう。 でもロボットやコンピュータでない以上は完全に自分を騙せなどしないし、心の底には黒い澱のようなものが 蓄積していっていたのかもしれない。 また、定年を迎えた父が心のバランスを崩したこと、それにより結果として私と父との関係性が変わったこと、 更にそのような父に根気強く付き合う母の姿を見たことにも影響を受けたのかもしれない。 厳密な原因は分からないが、この春になってから急に、将来に関する不安感が今までのようには 散らせなくなってその結果顕在化し、同時に「自立したい」「自立しなくては」との思いに追い立てられるように 精神状態が変化したのだ。 本当に突然に。 そうなった日以降、床屋に行き、服を買い足し、生活用品を買い足し、身元証明用にパスポートを申請し、 携帯を契約し、etc.と毎日用事を作っては外出してる。 ひきこもりの電話相談に初めてtelし、支援団体を紹介してもらい、ハロワのカウンセリングを受け、 職業適正検査を受け、ハロワの就活系セミナーの予約を入れ、求職サイト等で求人を確認し。 家族とは普通に会話出来るものの自分の対人能力がどれだけ劣化してるのか分からず不安があったが、 とりあえず電車や人ごみ等で過剰に緊張するようになってたりとかはないみたいで良かった。 明日は紹介してもらった支援団体に行き家族以外との会話能力がどれくらい劣化してるのか確認したい。 一ヶ月前の自分に言っても信じられないだろうが、今はこれらの(錯覚かもしれないが)前に進んでる感の 得られる行動をしないで一日を過ごすほうが辛いと感じる。 腹の中での不安感の占める比率が膨らむ感がある。 冷静に見るなら(良くも悪くも)半ば安定していたヒキ状態からあまりにも急な変化なので、ひょっとして 何らかの精神疾患とかなのかな?と思わなくもない。 一方で客観的に見て不安や焦りを感じて当然の状態なので、それ自体はあって当然だとも思う。 母からは、あまり焦りすぎて狭い視野で職を決めずに、やりたいことやれることをきっちり考えて調べた上で 決めた方が良いのではと助言されている。 自分としては年齢(30代前半)のこともあり焦りの感が強い。 三十路、大学中退、職歴無し、資格は10年前に休学前の大学1年前期で取った初級シスアドのみ。 現実的には出来る事は非常に限られているかもしれない。 でも今は出来ることを探してやっていく以外の選択枝はないし、また、そうしたいとも思っている。
今月13日の産経新聞「産経抄」では白洲次郎の言う「プリンシプル」の例として、60年代末の安保闘争について白洲が提起した「自分のふところ勘定だけで防備すればいくらかかるか」という視点を挙げている。
また暗に、フィリピン人不法滞在一家問題で、他人のパスポートで入国した両親を強制送還すること、ならびに公立高校における授業料滞納者に卒業証書を渡さなかったこと、もプリンシプルの例としている。
産経抄でのプリンシプルの訳は「原則」。ちなみに旧白洲邸の公式サイトでは「信条」という訳語を当てている。
さて。
2009年の今を生きる私が白洲次郎の口を借りて話すならば、と考えてみる。その場合、日米安保のプリンシプルとしたいのは自国の防衛費の額ではなく、東アジアの平和だ。今日本から米軍が去れば、或いは逆に今後十年の滞留を決定すれば、それが東アジアの平和にどう貢献できるのか、といった軸だ。平和以外どうでもいいと言い切ってもいい。
また不法滞在の話に関しても同様に白洲を気取って言うならば、どうすれば皆が幸せかという話でしかない。不法滞在が横行しそれによる犯罪の増加があり、という状況は幸せではないし、2万人の同情的な署名を集める人を法にそむいたという理由で強制送還する社会も幸せに暮らせる社会だとは思わない。
授業料滞納問題も同様。なぜ授業料滞納が問題かといえば、それを認めて滞納がはびこれば公立学校のシステムが崩壊し、教育の機会が減ることで私たちが不幸になるからだ。なぜ卒業証書を渡さないことが問題かといえば、やむを得ぬ事情で授業料を滞納した人が、それが理由で卒業できない社会はやはり不幸な社会だからだ。
つまり、私にとって白洲次郎のプリンシプルとは、原則ということばを使うならば「大原則」とでも言うべきものだ。翻って、産経抄の言う「プリンシプル(原則)」は「小原則」だ。規則であって、プリンシプルではない。皆が幸せになれないから悪なのではなく、法を守らないから悪なのだ、という主張は視野が狭く、内向きだ。
13日の産経抄は白洲を引いたりすべきではなかった。白洲は愛国者であろうが、産経によく見る内向きの愛国者ではない。内向きの論理だけでケンケンガクガクやっている新聞屋たちを外国人的な視点で見て、もう少しプリンシプルに注目したらどうだ、と言ったのがまさに白洲であった。
http://news.livedoor.com/article/detail/4075392/
NHKのニュースを見ていると、三日にあげず、この一家のニュースが流れる。両親に国外退去処分が出た埼玉県蕨市のフィリピン人のカルデロンさん家族のことだ。中学の制服姿で「家族一緒に日本に残りたい」と訴えるのり子さん(13)を見ていると、だれもが可哀想と思ってしまうが、そもそもこの家族はなぜ、こんな事態になったのか。あまり報道されていないが、キッカケは、のり子さんの父親のアラン(36)と母親のサラ(38)が不法入国していたことだ。
「両親は92年と93年に、別々に偽造パスポートで日本に仕事を求めて入国した。アランは当時21歳、サラは22歳という年齢です。その後、2人は知り合い、日本で結婚。アランは解体工事現場で、サラはクリーニング店で働き、95年にのり子さんが生まれたのです」(司法記者)
ところが、06年7月、サラさんが買い物中に警官から職務質問を受け、不法入国とわかり、入管難民法違反で現行犯逮捕されたのだ。
「これが発端となり、アランの不法入国・滞在もバレたのです。のり子さんはこの時、小学5年生。『日本人と思っていた自分が、母親からフィリピン人と聞かされてショックだった』と言います。間もなく、強制退去処分となった一家は処分取り消しを求めて訴訟を起こしたのですが、昨年9月に敗訴が確定。のり子さんは日本で生まれ、日本での勉強を望んでいることから、サラの妹家族が面倒を見ることを前提に1人だけ在留特別許可(在特)が下りましたが、両親は4月までに国外退去しないといけません」(司法記者=前出)
不法入国・不法滞在が分かった以上、法務省としては強制退去させるしかない。例外を許すと際限なくなるからだ。
しかし、これだけニュースで取り上げられ、「一家離れ離れは可哀想」の世論が高まると、人気取りに必死の麻生内閣のこと、「例外中の例外」をつくってしまうかもしれない。
珍しくゲンダイが正論を吐いてるかと思いきや、最後の段落で「ああ、やっぱりゲンダイだな(笑)」と思わせるあたりが様式美だな。
ま、おおかたフィリピンパブで気にくわない事でもあったんだろう。
両親の仕事の都合で言葉の通じない外国について行くなんて事は普通に起こりうる状況でしょ?
しかも今回の件の行き先は両親の祖国だぜ?両親は現地語ペラペラなわけ。おまけに娘本人も現地の国籍持ち。入国した瞬間に現地の国民として扱って貰えるわけよ。
それよりも両親と離れて日本にとどまる方が良いとはとても思えんのよね。ま、それも俺個人の価値観なのかも知れんけどさ。
あの夫婦も我が子が可愛いなら「向こうで一緒に暮らそう」とは思わなかったんかねえ。そこが俺には不思議。ま、日本に戻ってくるために娘を残してるんだろうね。また偽パスポート使って来たら笑えるけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090313000844
http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/237.html
の上の方に書いてあるように、
入管実務では「在留特別許可」を認めるための細かい内部基準がありますが、一家全員在留資格のない外国人家族のケースだと、以下のような基準を満たしている必要があります。
(4)素行が善良である
であるわけ。住民として、その地域で行儀良く暮らしているかどうかが、この場合の「素行が善良である」ということ。
元増田が言うように、「日常生活においては彼らが「善良かつ模範的な市民」としてふるまい、職場や地域住民の信頼を得た」わけだから、少なくとも(4)は満たしていたのである。
「パスポート偽造して入国した時点で善良であるとはいえない」という批判はお門違い。
的を得ている。
バッシングがひどいのはどうかと思うが、もう十分情状酌量しただろ、これ以上ゴネてどうすんだよと思う。あと結局本名はなんで、どこの誰か、どうやって偽造パスポートを手に入れたかとかも・・・
正規の方法で入国しての不法滞在なら酌量と言うか特別在留許可が下りる。
と言うか、下りた人がつい先日いたよね。
だけど、パスポートの偽造は国際法に照らし合わせると重罪(しかもパスポートを身分証明書として使っていれば公文書偽造。トラックを運転していた等の会話から無免許運転もしている可能性が高い)だから、両親に恩赦はない。
いや、「3年間待ってやる!」ってだけでも十分恩赦だと思う。
それに、子供には罪はないから、在留許可を与えて日本に残ってもいいよって言ってる。日本人と結婚して日本国籍を得た親類もいる。
なのに、それを無視して「何でみんな仲良く暮らせないんだ!」って言うのは、気持ちは分かるけどおかしいんじゃないかって話。
・・・だったのが、基金みたいなの募り始めたから「ああ、やっぱり金か。死ぬ死ぬ詐欺の類か。」ってなって、そう言うのにアレルギーを持つ人(痛ニュー管理人含む)が暴れ始めたって話だ。
言ってる事は正しいんだけど、アレルギーで動いてるから行動が過剰気味なんだよな。
あと、これだけ温情を与えているのにまだゴネるか・・・と。
余り盛り上がらんねって話だよ。あとスレの総意とやらがどこにあるか知らんが、
俺個人は不法滞在者は祖国にお帰りいただくべきだと思う。
偽造パスポートを行使して不法入国する奴に至っては論外。
ネットワークエンジニアで、いきなり正社員となると難しいんじゃないかな。
いや、運とかコネあればいいかもしれないけど。
個人的経験だけど、プロバイダ等のユーザサポートを踏み台にしていくのがいいんじゃないかな。
少なくとも、接続やメールの設定、ホームページアップロード等についての窓口をやるテクニカル系を希望すれば良いかと。
請求とか、住所変更とかを行う管理窓口に行かなければ、自然と最低限の知識は身につく。
プロバイダはサービス過剰で、ITやネットワークを使ったサービスのごった煮みたいなところ。
そこから好きな分野見つけてステップアップしていけばいいんじゃないかなぁ。
あと、資格もいきなりネットワークスペシャリストを目指すのではなく、ITパスポートや初級シスアド、.comMaster★ なんかの資格から順々に取っていき、勉強する意思と能力があることをアピールすることも必要だと思うよ。
あ、ひとつ不便なのを思った。
まぁ銀行口座があればいい話しなんだが。
現金振込みで10万だか超えると窓口になって本人確認させられるんで
そんときはやっぱ免許が一番はなしは早い。
無くても困らん話ではあるんだがな。
あー
こういうと叩かれるかも知れないけど、10年パスポートは女性は取っておくべきかも。
知り合いの女性は「ちゃんとした写真をパスポートに使いたかった」と仕事で取りに行かされたときに言ってたな。
そういや、含めなかったモノには「実印購入&印鑑登録」とかもある。
最近は必要ないし、逆にそんなものを適切に保管する方が難しい。
引越関連は、膨大になるからまた別エントリかな。
電気、ガス、水道、電話、段ボール、敷金返却、ゴミ捨て、不要品放流、身分証書き換え、銀行への住所変更、etc.etc...
パスポートは現住所書いてないから使えないケースがけっこうあるよ
大体半年か、3ヶ月前の区切りで使えることが多いので
住民票と戸籍抄本・謄本は2月くらいには何枚かずつ取っておいてもいいと思う。
郵送で問題ないけどパタパタすると面倒なもんです
暇とお金があり、かつ持ってないならパスポートもこの際取ってしまっておく。
仕事しだすと取りに行くだけで難儀するので。更新だけなら楽だし、更新なら休みも取りやすい。
抵抗感が無ければ住基カードも取っておくのはいいと思う。
一人暮らし想定ならあとこの際に入らないものの処分処分?
普免は職種によって微妙だから含めなかった。同様の理由でパスポートも。
会社の中でも持ってない人って意外に居るもんだぜ。そして意外になんとかなってて驚く。
(営業なら必須、とかならわかるんだけども)
http://anond.hatelabo.jp/20081208211208
の、元増田です。思いのほか反響あったなぁ。8ブクマ&5トラバで?って言われそうだけどさ
5人目の増田
http://anond.hatelabo.jp/20081210184744
が、ちょうど鬱になった時に色んな人から受けたアドバイスや、ネットとか鬱関連の書籍とかで得た知識なんかとかぶる部分が多くあったので、追記じゃなくて新たにざざっと書いてみる次第です。
あなた自身、自分と違うユニークな人に触れて新しい刺激を得ることを好んでいるから、ユニークさそれ自体に価値があると感じているんじゃないかな。
YESYES!!
ところが世の中には自分と違う経験や考え方に触れることを好まない人が結構いて、そういう人と接する時にぎくしゃくしちゃう、ってことかなと思ったんだ。
ハハハこやつめ、見てきたような事を言いやがる。その通りです。
コレがねー。本当に不思議だったのよ最初。今まで、人との出会いとは新たな世界へのパスポートだと思ってた。
登山が趣味な友人ができて、山が綺麗な日に登山に連れてってもらった。
釣りが趣味の友人と、釣り道具一式貸してもらって楽しく夜釣りをした。
新しい友達ができたら、一見さんお断りな場所と言うか、何の知識もなくぶっつけで楽しもうと思ったら失敗しやすい遊びを低リスクで最大限に楽しめるワケですよ。登山だったら登る時期やコース間違えたら、実際行くまで楽しめるかわからんし。演劇もテキトーに選んだら風俗で指命しない並にリスキーだろうし、釣りなんか遊びで釣り竿買うワケにもいかんし夜釣りにどんな道具いるかとか想像もつかんし餌の付け方教わらないと始められやしねぇ。
だから、積極的に色んな特技を持った人と交流する事が大好きだったし、誰もがそうやって自分の世界を広げてるんだろうなって思ってた
そこに欠けている資質を補えるDさんがきたとき、問題が解決できる。このように、その場に足りない何かを提供することがユニークさの価値なんだ。
ここで増田が言おうとしている事とは別解釈と言うかズレた視点でこの文を抜き出したんだけど、自分は問題解決能力やアイディア力に優れているって自負があった。
何かの議論や話し合いの時、脳内で様々な可能性をだーーーっと考慮して、いきなり結論を出しちゃう自分に自信を持ってた。
でも、最初に出した結論が結局採択されるのに、いきなり自分の解答が認められずに2時間ぐらい会議があるって事があったり、最終的に最初に出した自分のアイディアが採用されるんなら無駄な会議の時間をこれといった問題点がない自分のアイディアをみんなでさらによくしたらいいのに・・・って思ったりしてた。
それも間違いなんだな。まず、同じレベルから徐々にスタートしなきゃいけないと言うか、自分の中で問題解決の為のプランを作って、それに自分で色んな場合を想定したパッチをあてまくって満足がいくものにしてから出してた。
そうじゃなくて、パッチを当てる前のプランをまず提示すべきだったんだろう。そして、みんなでパッチを当てる作業をする事で、考えてる事の共有をすべきだったんだろうなぁって。
大学では自分の意見にすぐパッチをあててくれるような人が多くて、中高の頃よくあった上記のような事はいつの間にか忘れてたけど、社会に出たらまた中高の頃みたいな空気が戻ってきた感じ
足りないものを提供すると言うか、○○がしたいなって話題にジャストな知識や人材をチョイスする事はできるけど
『普通の人達』は悩みや理想に対する解答が欲しいんじゃなくて、ただ話を聞いてほしくて、「そうだね、わかるよ」「そうだね、俺もだよ」って言ってほしい人が多いんだなって思った
いくらでも提供できるんだ。楽しい事がしたいとか、自分の趣味の発表の場が欲しいとか、クラブに行ってみたいとか美味い飯屋に行きたいとか面白いゲームやってみたいとか。俺自身でムリでも、それができる人の輪がある
でも、本当に欲しいのは普通の範囲から出ないもの、自分が知らない何かじゃなくて、自分が知ってる範疇でお互いが知ってるものを「あの飯屋は美味しかった」「あの有名ゲームは面白いよね」と言いあいたいたいんだろう。
結局
自家製酒の話題を出して引かれたなら、その理由はあなたの出した知識がユニークだったからではなく、その話題がその場に「必要とされていなかった」だけかもしれない。
コレなんだな。その場に必要な情報を取り違えてたワケだ
ただ、そうとわかれば俺も何をすればいいかわかる
相手を中心に考えて、話題の中心に立って気分がよくなっている相手の気を悪くしないよう、うんうんすごいねーノリで聞いてりゃいいんだ
傾聴ってやつだな。あいづちはうって、相手の気を悪くしないように話を引き出して、アドバイスや話題の発展とか切り出さず、相手に話させるテクニック。心理学専攻してる友人に教えてもらった
でも俺傾聴されるの嫌いなんだ。話題振ったら相手からも同じぐらい話題や、今まで知らなかった知識が欲しい
それでも傾聴を試みてみると、意外なほど相手はこちらに悪印象を持たない。この事でまた一つ一般人に対する理解が深まったと思う
共感してほしいんだ
話飛ぶけどさ
俺は自分で自分をKYって思ってるんだけど、どうやら『普通の人達』ってのはテレパシーを使って会話をしてるようで、言葉を使わずに満足いく会話をしているらしい
大学の頃は、お互いがお互いに今日まで知らなかった知識を会話で与えあってたから、知らない事のぶつけあい、魔球のキャッチボールでは空気の読み方なんて学びようがなかったんだな。空気とやらのテレパシーから伝わる情報ってのに片方が知らない情報ってのは含まれてないんだもの
空気とやらの正体が何なのか、何故、ちゃんと定義づけをせずに空気なんていう文字通り曖昧な言葉で濁すのかってのが、AnonymousDiaryを読み込む中でかなりわかってきた。自分の仲間であると、多数派であるという確認行為でもあるんだな
まーた話それるんだけど、『普通の人達』を観察してて疑問に思ったのがもう1コ
彼らは自分を物語の主役だとは絶対に思わないんだな。それがビックリ
って言うかドラマとか小説とか漫画とかあんま読まないんじゃないんだろうか。もし読んでたら、同じ職場の人の陰口で笑いあったり、誰かの失敗を見て楽しそうにしてたり、
いいこちゃんぶりたいとかそういうのじゃなくてさ、人の悪い面ばっか見てんだなって
俺や仲間はどっちかと言えば、仲間の悪口より良い所を伝え合って、それで関係を広げていったと思う。だって、誰かの悪口言う奴がいたらその悪口を言ってたって事実が言いふらされてのけものにされるかもしんないじゃん
でも、普通の人達にそれは無い。誰かが誰かの悪口を言ってたって事だけは何故かタブーみたいなんだ
結果的にフロア内の誰もが陰口叩かれてた事に戦慄したね。同時に、誰もが俺の陰口を影でたたいてるんだって思って陰鬱になったりした
って言うか、俺が嫌われ者なら嫌われ者に聞こえる所で本人に知れたらヤバいような事言うかね?本人の耳に入るかもしれないとか、そういう事怖がっちゃう俺は親友レベルの人か匿名相手にしか悪口とか言えませんよ
自分が少数派である以上、多数派である彼らが正しいんだろう。でも、何かがおかしいと思うの
(もちろん、「相手のために何が出来るだろうか」を考え抜いた末に「自分はこの人に対して何も出来ないなあ」とか「何もしたくないなあ」という結論に達したなら、その場から抜け出すことをおすすめする。その状態でそこにいるのは自分にとっても相手にとっても不幸だから。)
こんなデタラメな文章を相手の事を考えずに書いておきながらアレだけど
今までの自分ってのは常に相手の為にできる最善手は何だろうか!!!って勢いだった
それが相手が嫌がる事とか、想像もしてなかったって意味じゃ全然ダメなんだけど、それでも自分が持ちうるすべてを駆使して、相手の望みを叶えようとしてた
召還獣とか、ランプの魔神でありたいと思ってたんだ。自分を使ってほしい、自分の人脈もなんもかんも、友の為ならさらけ出そうと思ってたしそうしてた
他には『借り』とか『貸し』とかに異様に執着してたと思う。借りは返すものだと思ってたから、借りを作ったと思ったら相手の為に全力になった
でも、相手の為にできる事はそんなおおげさな事じゃなくて、『相手が望む事』ってのを空気とやらを読んで全部聞いてやればいい。生きた壁になるのが一番賢く、雄弁は銀・沈黙は金。きっとこの言葉は雄弁な人が生み出した言葉なんだと思う
ぶっちゃけ、相手の為に何もしたくないって気分だけど、簡単に退職はしない。だって、ここで全ての失敗をしてケーススタディをしたら、次に就職する先で失敗する事はないだろう
普通の人達から学ぶ事はまだまだたくさんある。それに、仕事では無表情で淡々と仕事をこなして、素の自分とは真逆な自分を演じてると、反動で私生活に色々とヤンチャがしたくなる
二面性こそ自分の本文だなとつくづく思うから、しばらくはこの生活も悪くないって考えてはいる
自分がいる事で、自分を嫌っている人を不幸にさせている事はわかっている。一昔前はそんな事を思っただけでストレスで、他人に嫌な思いをさせてるって考えただけで何度も自己突っ込みしたモンだけど、今じゃなんだか平気だ
一昔前は怒鳴られたり、陰口を聴覚過敏で耳に入れたりしたらすごい落ち込んでたけど、今は全然大丈夫だ
面の皮の厚さまで鬱から手に入れる事ができた
・・・なんか本当に散文だなぁ
http://anond.hatelabo.jp/20081207162752
自分がした失敗を次の世代にさせたくないからこそなんだろうなって思ってます。
だから、自分の事を少しでもアスペルガーだの発達障害かな?とか思った人は
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
でも読んで、試しにアスペ関連の知識でも収集してみたらいいと思うの
それは発達障害者向けの文章かもしれないけれど、そこから学べる事は少なくないハズだと思うんです。
リア充から非コミュになってみて初めてわかる事ってのがいっぱいあった
『普通の人達』ってのを知る事で、本当に多くの事を学べた。小説や漫画で普通の人が一切出てこない作品がたまにあるけど、そういう作者は普通の人達に背中を向けて生きてきた人なのかもしれない
むしろ、そういう創作をする人の大半がナードで、ナードだからこそ『普通の人達』が、サイレントマジョリティってのが場を支配する世界が好きじゃなくて、自分の理想の世界観を作ってきたのかもしれないとか思えるようになった
普通でいる事の何が楽しいかって、多数派でいる事が楽しいんだろうな
自分も自分のコミュニティで多数派であった時期はとても楽しかった
ネットではふたば☆ちゃんねるなんかで完璧に住人の1人として楽しく色んな事をして遊べてる
多数派である事が、人生を楽しく過ごすコツで、自分が多数派でいれる場所さえ見つけたら、人生は楽しいんだなってわかった
最後に最大の言い訳だけどさー
大学時代に色々成功させて、チームのリーダーとかやって、新聞とか地方紙とかの取材受けたり、自分が立ち上げた企画が後輩達に受け継がれて立派に予算出て大学のメインの企画として祭り上げられたり色々したら勘違いすんなって方がムリだって!お調子者の俺には!
最後に好きなメロディで〆
こりゃまたマッタクどういうワケだ
世の中なんか間違いだらけだ
あの頃だったらなんとかなった
あーこーりゃ、シャクだった??♪
最近よく、文化、歴史、政治的側面から日本を賞賛するような記事を目にする。
こうした記事に目を通すと、事実と些か異なっていたり誇張されていたりするが、それは別段大きな問題ではない。
というのは、日本がよい国であった、あるいは日本がよい国であるという主張に共感する人が大勢いるという点がこの問題の本質であるのだ。
アメリカや中国といった超大国は多くの国民が国家の象徴である国旗や国歌に敬意を表している。
イギリスにいたっては、移民に対して女王陛下に忠誠を誓うことを義務づけている。
果たして、日本人の我々は国家に対して、象徴たる君主に対して敬意や感謝の念を抱いたことがあっただろうか?
否、我々は教育の中で徹底的に自虐的歴史観、自虐的正義感を植えつけられてしまっている。
そのために、「日本という国は悪である」という固定概念と都合のいい根拠だけを基に、国家の存在意義や価値を判断するようになった。
さらに言えば、国家や君主に敬意を表することは服従を容認することでなければ、その歴史を美化することでもないことに気付いていない人が多すぎる。
我々が脈々と受け継いできた文化や歴史を受け入れるということは、それらの中にあった過ち、例えば諸外国への侵略を正当化することでは決して無い。
にもかかわらず、そうした見当違いの思い込みや政治的な思惑で多くの日本人は日本に対する誇りや国民たる尊厳を失ってしまった。
この元凶は、戦後の荒廃した日本を目の当たりにした今の教育者層が我々を教育してきたことに由来する。
そうした人達にとって、彼らの戦争絶対悪、国家絶対悪というのは理解できないことも無い。
しかし、歴史を少しでも学べばそうした自虐的な価値観を持つ必要性などどこにも無いのだ。
ただし、我々が少なからず犯した戦争などによる過ちを美化することはしてはならない。
それが客観的な歴史観であり、子供たちに国家への真の敬意を示すことになる。
そういった前提で、「日本はすごい国だ」「こういった事をしてきたんだ」という記事を読むことで、内なる自尊心に気付かされるのは至極自然である。
私たちには誇るべき文化や歴史があり、現在では政治的経済的に世界に貢献している。
こういう主張をするとすぐに思考停止に陥り、虚無な反論を試みる人がいるが、「我々にとって」日本が素晴らしい国であることには変わりないのだ。
それが嘘だというのであれば、日本SUGEE!コピペを読めばいいだろう。中には誇張もあるが、概ね正しい。
それを読んでも日本が凄い国であると本当に感心できないのであれば、それも個性であろう。
パスポートを持っている人であれば、こうした文言を見たことがあるだろう。
「日本国民である本旅券の所持者を通行支障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」
我々の中には国を憎み、嫌い、怨むような人がいるが、彼らは大きな勘違いをしている。
あなたたちが憎んでいるのは「政府」であり、「国家」ではない。
政府があなたを小中学校に進学させ、政府が年金を管理し、政府があなたの生活や安全を保護している。
逆に、政府があなたの生活を圧迫させるような政策を行い、政府があなたの意にそぐわないような政策をとっている。
国家と政府の関係は政治学などで論ぜられるところであるが、重要なのは政府と国家を混同している人がいる点なのだ。
もっと言えば、平安時代には政府はなかったがそれと同等の機関が存在したし、鎌倉時代には幕府がその役割を担った。
そうであるなら、自分と国家を混同しその栄華に浸るのは愚かしく、我々の成長によって社会をよりよくしようとするのが真の愛国であり、国家への敬意の表し方である。
我々が政府に搾取され、騙される存在であり続けるのは、何も言わず何もしないからであって、社会の構造を変えるのは意志と行動のみである。
そこから脱却することで、我々は初めて、国家に対して誇りを取り戻すことができるのである。