はてなキーワード: ニセ科学とは
気持ち悪いことに罪はないが、気持ち悪いとだけ言わせてくれ。
はてなブックマーク - 科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? - よそ行きの妄想
このコメント欄、発言数がすごいし。
……そんなに絡まれる内容の話かねぇ。自分で放言、って言ってるんだから流してやれよ。↓の人達の怒りの源泉の方がよほど気になる。
というコメントもあるが、俺もそう思う。なぜこれほどまでに必死に百文字を書いているんだ。こんなエントリ一つでニセ科学が容認されるはずもないのに、一体ネガコメつけている人は何と戦っているんだ。何が「怒りの源泉」になっているんだ。とても不気味だ。
ニセ科学の問題は"概ね間違っている事が証明されている"事ではないかな。
現状で間違っている事や筋が通っていないという事が分かっているものが、あたかも正しいかの様に扱われるのが問題の根本な訳ですよ。
ニュートン力学や初期の分子化学みたいに後から"厳密には"間違ってると分かる物はあるかもしれないけど、概ね正しかったから有用だったし今でも便利。
でも多くのニセ科学は概ね間違っているので有用じゃないんですね。
確かに極端に低いレイヤで物事を分析したら、似た様な物だと結論づける事も出来るんだけど
実際には全然違う。靴を投げる天気当てと天気予報の違いは「正しい確率」にある訳です。
主観的には、1%と99%の事象を「どっちも起こったり起こらなかったりするから本質的に違わない」と言ってしまう様な乱暴さを感じました。
文脈上(アブスト云々が出てきて以降で、僕がどれを書いたかは以前示した)、元増田が書評をしたかは争点でないから、その自分なりの読み方は外れる。
次に、君は書評を書いた人の属性を挙げて「どれが信用に足りるか」とかいってるけど、それは的をはずしてる。私が言ったのはそんなことじゃなくて「知識」の問題。
信用足りえるには、その人の「知識」レベルがあるかの判断が先行するのだから、その程度のことは内包されている。
そのレベルで素人目にも明らかな間違いを多くしでかしてるらしい。そんな本が学術的な意味で信用できると思う?んなわけないでしょ。
ということはブログで書いて批判すればいいんではなかろうか。「らしい」ではなくて元増田の解釈で。「らしい」から抜け出して自ら判断するには同等の判断能力がないといけないだろう。
もうひとつひっかかるのは、「学術的な意味で信用できると思う?」の部分。信用するものじゃないし、それは鑑定人によるのかな。そういう監視の目が行き届いていればいいけど。
今のところ元増田が言っているのは、「学術レベルの能力があると見なされる人がある間違いを指摘している」ことに根拠なく同意しているだけである。現段階では。
ちなみに、
「トンデモ」と呼ばれたくないのなら「エッセイ」なり「フィクション」なりと名乗って満足すべきってのはわかるよね。そういうこと。
僕も読んでいないので言うのもなんだが、もう少し前に書いたけどローマ人と同じくエッセイレベルだと、なんとなく、思っているので、ガチの学術レベルでの論争なぞ望んでいないのではないかとは思うし、そうすることは無粋なのかもしれない。無味乾燥な世界史の教科書とローマ人を比べても。
「らしい」と言っているだけでは、例の学術レベルの人に追随する「ビリーバー」との区別がつかない。そこを聞いているんだけど。何度もね。
僕は元増田に「学術レベルの人のことを、学術レベルで理解できて、批判できるか」かどうかについて聞いているのであって、今のところ「学術レベルの人の言うことを、学術レベルでは、完全かどうかは不明だが、理解はできないにもかかわらず、何故か正しいと信じている」の段階で留まっている。ただ真の学術レベルの能力を持たなくてもなんとなくわかる、ということに関しては少しは同意はするのだが、それに見合った「知識」を元増田が持っているようには見えないもので。あるならあるで自分のブログで書いてくださいな。
http://anond.hatelabo.jp/20080930212025
いくつかの指摘が出ていたので整理したい。なお、捏造か否かの論点は当該Blog記事で扱っていること((http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2008/10/101-c816.html))なので、ここでは社会学的な「炎上」のみを取り扱うこととする。
まず、炎上ではないという指摘については、炎上の定義の問題なのでここでは議論の材料にはしない。私の書いた炎上は、「ブログを主とするweb上の日記のコメント欄に、ブログ主に対してコメントが殺到すること。」((Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%8E%E4%B8%8A_(%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E7%94%A8%E8%AA%9E)))と広義の定義を行った。ここではコメント数が50を超えているので炎上として考える。((狭義の炎上とは何かについては、別のところで考えたい。))
次に、今回指摘されて具体的に反論している人は誰かを確認する。
これは難しいが、「2ch, ニコ動, アル速等を見た人のうち、捏造であることを疑わない人々」と考えられる。一方で、ニコ動閲覧者には「ネタをネタとして楽しむ」、つまり真贋は問わない人々もいる。
一つ目の課題として、松浦さんがこれらの人々のどこまでが「バカ共」と捉えているかどうか検討が必要だろう。これは、「バカ共」と指弾した対象を文章から検討するか、松浦さんに直接質問すれば応えてくれるだろう。
これまでと違って今回ユニークであるとした論点は、この今回指摘されて具体的に反論している人こそが炎上主体者であるという点だ。
ニセ科学方面で「ありふれた風景」としている風景は、私の認識では、基本的に専門家がトンデモ屋(情報リテラシーがない人を食い物にする輩)を指摘したことに対し、指弾された関係者とそのとりまきが反論に打って出はするものの、あっさりと返り討ちにあい終了というケースが大半であると考えている。また、炎上主体者は基本的に指摘側に立っており、専門家の裏付けを得て指弾に走る場合がほとんどと認識している。
一方、今回のケースでは、専門家(ここでは松浦さん)が炎上主体者を指摘している点で大きく違う。この場合、専門家の支援を得られない炎上主体者は、論理的にはただ敗北せざるを得ない。
こうなると、先にb:id:mitsuki_engawaさんが指摘したような「議論にならない」及び「何度でもぶり返す」が引き続き発生するかどうかについては、一定の新たな展開があるのではないかと考えている。少なくともブログ主は(最初の言葉はともかく)議論を収束させようと考えているのに対し、炎上主体者言動は発散しがちで、尻すぼみや議論のすりかえ等、詭弁方向への流れが見え始めているので、もう少し状況の推移を見守っていたいと思う。
最終的な結論は収束してからとなるが、ここで見えてきた方向性としては、炎上主体者は松浦さんに対し、議論のすりかえを行い人格攻撃のみに走るという方向だ。これすなわち詭弁そのものであるため、詭弁などはkikulogの菊池さんが如くあっさりと切り捨てられるだろう。
今後の予測についてもう少し補足すると、一般的な炎上の収束形態が、炎上主体者の主張が半ば強引に受け入れられ、炎上主体者がカタルシスを覚えた結果として飽きられ収束するのに対して、今回のケースでは、炎上主体者の主張は最後まで否定されつづけ、議論のすりかえ等詭弁が発生した上に尻すぼみのまま収束していくのではないかと考えている。
そこで水伝とか出されると反応しちゃうな。
先ず、水伝だのスピリチュアルだのは、非科学というより似非科学、ニセ科学というべきです。あれらが悪いのは非科学である事ではなく、科学を装って人を騙すことです。そのあたりを忘れてはなりません。非科学が悪ではないのですから。
次に、「女が男に勝てないのは母性が原因」が非科学か、ですが、確かに科学的ではないかもしれません。勝つとはどういうことなのか、母性とは何なのか、原因と断じて良いのか、等〃あります。しかし、別に科学的な話をしているわけではないのでかまわないでしょう。さらに、この一節は、数多の文を増田が単純化に過ぎず、そもそも正しいのかが疑問ですから。
最後に、「性染色体が精神に影響を及ぼす」というのは間違いではないと思います。しかし、精神は後天的影響が大きいという部分もあります。そしてその両者を明確に区分することは困難ですし、区別をなくすことも困難です。したがって、性別も文化と同じく、相手と結果を見比べながらお互い尊重しあうしかないと思います。
クリスチャンはサタニズムやグノーシスが正しい神の教えだと言えば怒りを感じるだろう。ましてや神父がそんなことを言い出せば破門という罰則が与えられることもある。
私がニセ科学を批判するのもそれと同様に、私の信仰が否定されたからだ。
そもそも科学とは「同一条件で行った実験は同一の結果を示す」という信仰に基づくものだ。
ニセ科学は科学教徒にとって内容の修正された聖典の流布されるような侮蔑なのである。
指導者を持たない科学教徒は破門という手段をとることはできないため、批判という手段をとるしかない。
なお一部の隠秘学者は同一条件の実験でも観測者の違いによりそのの結果は異なるとの見解をしているが、それらは科学には当てはまらないものとして流通する為科学教徒への侮蔑にはあたらない。
科学的にも立証されてるようだ
http://anond.hatelabo.jp/20080219072446
「ニセ科学, 政治アーリア民族至上主義。ドイツに行けドイツに。」
「科学的"とした根拠がわからん。」
「「科学的に」www」
■インドのカースト制を白人がつくり、上層階級には白人の血が入ってると言う説はニセ科学
http://anond.hatelabo.jp/20080221071310
みたまんま違うから信じられやすいんじゃないかな。
まあ同じ日本人でも相当肌の色は違うからななんともいえないけどさ。」
「正直増田自身がニセ科学。 支配者階級と被支配者階級が例え同じ人種だとしても、歴史的に考えてその間に相当な遺伝子的断絶があるのは確かだろう。
どっちも批判されてるが・・・
どっちなんでしょうか
どっちも間違ってるとしたら、どう考えるのが良いんですかね
教えてください
カースト(caste)、あるいはカースト制、カースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度である。紀元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴い、バラモン教の一部として作られた。カースト制度によって定められる個々の身分もカーストという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
紀元前13世紀頃、西から移動して来たコーカソイドのアーリア人が原住民族のドラヴィダ人を支配するためにカーストを作り出した。そして自らを最高位の司祭・僧侶階級に置き、ブラーフマナ=バラモンと称したのが始まり――というのが現在主流の学説。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3
支配者階級と被支配者階級が例え同じ人種だとしても、歴史的に考えてその間に相当な遺伝子的断絶があるのは確かだろう。
支配者と被支配者に分かれた理由としてもっとも穏当と思われるのは、前者が後者を「征服」した、ということだろう。
では前者はどこからやってきたのか、あるいはどうして前者が後者を「征服」したのか、という点から話を始めなければいけないのに、いきなり嘘と決めつけるところから入っている。これでは全然駄目。引用ばかりなのも信頼性にかける。これは新宗教や霊感商法の同類のやり口。
まあこういうの真に受ける人っていなくならないと思うんだが
多くの人が、騙されているのには驚く
カースト(caste)、あるいはカースト制、カースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度である。紀元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴い、バラモン教の一部として作られた。カースト制度によって定められる個々の身分もカーストという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
紀元前13世紀頃、西から移動して来たコーカソイドのアーリア人が原住民族のドラヴィダ人を支配するためにカーストを作り出した。そして自らを最高位の司祭・僧侶階級に置き、ブラーフマナ=バラモンと称したのが始まり――というのが現在主流の学説。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3
こういうのを放置しておくのはさすがに問題だろう
ウィキペディアというのがどういうものかよく知らないのだが
何故誰も訂正しないのだろうか
運転手はアメリカ黒人に近い褐色の肌をした、ドラヴィダ人だった。ドラヴィダ人は、紀元前2300年ごろ、モヘンジョ・ダロやハラッパなどの古代都市に代表されるインダス文明を築いたといわれる民族である。その後紀元前1500年ごろに中央アジアから侵入したアーリア人に押され、混血を繰り返しながらも主力は南インドへと移動した。インドに侵入したアーリア人の『リグ・ヴェーダ』には、「皮膚が黒く鼻が低い先住民を打ち負かした」とあるから、アーリア人は色白でドラヴィダ人は黒かったのだろう。今でも北インドの人々に比べ、南インドのほうが浅黒く鼻が低く背も低い。あごも小さくどこか親しみを憶える顔である。
親しみを感じるのは個人の勝手だが、偽の歴史を疑いもせずに書くのは問題だろう。何故疑うということをしないのか。
ナーマギリ神殿の本堂は、石で建造された二十メートル四方ほどの小さなものであった。
神殿入口の鉄扉の前に並ぶ信者を上半身裸の眼鏡をかけた祭官がとりしきっていた。このバラモンが、色白の上、胸も背も欧米人のごとく毛むくじゃらなので驚いた。東ヨーロッパ人と同族のアーリア人が、二千年以上も前にバラモンとなった事が証明されているようだった。同一カースト内での婚姻をはじめとする、カーストの掟の厳しさを思い知らされたような気がした。
証明もされていないニセ科学を、軽々しく「証明されたようだった」、とか言うべきではない
「そこで登場したのが、最近のDNA、遺伝子工学を駆使した研究です。詳しい事は省きますが、この研究は、アメリカのソルトレイク市のユタ大学とインドのアンドラ大学文化人類学部とヴィザカパトナム遺伝子研究所の合同チームによって進められました。1996年に南インドのカースト別人口分布調査として始められ、2001年までに全インドから集められた遺伝子分布を最新技術を用いて分析し、その結果が徐々に明らかになってきました。(中略)その結果、これまでの人家分類学、言語学、考古学などでは掴めなかった事実がわかってきたのです。たとえば、ブラーミン上位カーストとヨーロッパ人のミトコンドリアDNA、Y染色体の差は、低カーストインド人とヨーロッパ人の差より小さい。また、ブラーミン上位カーストとヨーロッパ人の差は低カースト民とヨーロッパ人、また上位カーストとアジア人との差より小さいということが判明しました。
結論を言えば、インド人カーストは原アジアタイプと西ユーラシア混合タイプだということであり、カースト序列はヨーロッパ人種への近縁性に依るということが分かってきました。上位、特にブラーミン階層はアジア人よりヨーロッパ人種により近く、クシャトリヤ、ヴァイシャ・カーストとの近似は前二者より低いのです。つまり、ブラーミンは西ユーラシア人種により近いということなのです。
このDNA調査によってもアーリア種族が外からやってきた人種であり、彼らが作ったカースト制度の最上位を占め、一貫して文化、社会的優位性を保持し続けてきた事は明白です。彼らが来るまでカースト制度なんかインドには存在しなかったのです」
「これらの研究結果は1998年の世界的に有名な権威ある科学雑誌ネイチャーに発表され高く評価されました。また2001年には、これも有名な雑誌ゲノム研究に、インド人原住民の遺伝子学的証拠と題して掲載され、これも高い評価を受けています。ですが、こういう現象を面白く思わない人々もいます。たとえば、高級英語雑誌インディヤ・トゥデイなどは遺伝子でカーストの上下を決めて良いのかなどと題して批判し、あるものは、そんな研究は無視しろと言い、高名な学者の一人は『遺伝子情報でヴェーダ時代にアーリア人がインドに入ってきたなどどこで判るのか?』などと反論したりしています。
大企業経営者のほとんどが上位カーストグループであるインドの雑誌、新聞、テレビといったマスメディアはこの遺伝子研究の成果に冷淡かつ敵意を抱いています。しかし、アーリア種族が外来人であることはそれ以前から、歴史学、考古学、言語学上の研究によって広く知られている事実です。その正しさを別の方法で論証して見せたわけで、アーリア種族をどうのこうのというために研究したわけではありません。
ある雑誌は『遺伝子まで動員してカースト戦争を引き起こそうというのか?』などとまるでピント外れの非難をしましたが、とんでもない言いがかりです。」
「不可触民と現代インド」p106
正しくは次のような捉え方
アーリア人という鼻の高く色白の人々が外からやってきて、色の黒くて鼻の低い原住民を征服し、隷属させたのだ、そういうことが、お前達の聖典には書いてある。だから、我々お前達の上流階級と同じ白人が優れた文明を広めるのと同じだ、という文化工作をおこなったのである。さらに、南の人々は、北の人々によって駆逐された民族の子孫で、上流階級はヨーロッパ人に似ていて、下層階級は原住民に似ているという主張を行い、南北間、階級間の分裂を図った。
このアーリアン学説は、学説誕生時から、非常に疑わしい虚構・捏造だ、という反論があった。ミュラーは、一度もインドに行ったこともなく、本当にヴェーダの言葉が何をさしていたのか、理解してなかった(あるいは故意に誤解した)らしい。
現代人は、言語というのは、モノと言葉が一つ一つ対応していると考えるが、古代の人々はそうではなかった。ある事象全体をあらわす全体的な概念があって、個別的な言葉は後に分化したからである。
恐ろしいことに、この捏造の疑いが極めて高い学説が西欧を席巻し、さらに西欧の歴史を下敷きとしている日本の教科書・歴史書は、古代史の始めから、科学とは言えない学説を主張している。
(リグ=ヴェーダも、西欧人による誤訳をそのまま和訳している。)
資料「アーリアンとは何か」津田元一郎
こういう冷静な視点を持つべきだ
ウィキペディアや、様々な本に特に問題視もされず捏造された歴史観が載っているという事は、非常に恐ろしい事だ
白人がやってきて、白人の血が入っていて鼻が高い上層階級と肌が黒く鼻が低い下層階級に分かれたという偽の歴史が何故ここまで信じられてるのか。恐ろしい。西欧人の誤解、捏造をそのまま信じる日本って何なんだろう。
論旨はさておき、自分とは異なる意見を持った人々を「厨」よばわりしたうえで記録と称して恣意的に編集した記事を公開する行為はいかがなものか(せめて引用元くらい明らかにしてくれ……これかな→ぼやきくっくり | 新「南京大虐殺記念館」まだ30万人て言うとんのか!)。「相手に学がないから」といって相手を嘲笑したがるのは社会性と包容力に欠けた人間に顕著な傾向だ。せめて元日は避ければ良いのに。
とはいえ、自分の過去を振り返ってみると、知らずこうした未熟な態度を取ってしまっていたこともあるように思うので自戒したい。さいわい政治的イデオロギーには無関心なため歴史認識関連で恥を晒したことはないが、たとえば似非科学関連ではニセ科学に群がる人種をどうしても下に見てしまう自分を止められなかった。いくら科学知識を持っていてもこれでは人間として三流以下である。本年もどうぞよろしく。
http://anond.hatelabo.jp/20071206103504
日本製のPCを除いて、デスクトップPCの電源ユニットは、110V用に設計されている事が多い。
というのも、海外では100Vではなく110Vの方が主流だから。日本の100Vは世界的にも珍しい。
でも、10Vくらいは低くても一応動くだけのゆとりを持って設計されてはいるから、100Vでも一応は動く。
ところが、コンセントの電源も、ぴったり100.0Vが来ているというわけではない。プラスマイナス、少々の誤差はある。
それに加えて、同じコンセントに他の機器をつなぐと、若干電圧が下がってしまうことがある。98Vとか、95Vとか。ひどいと90V近くにまで下がるかもしれない。
ここで、PCの電源ユニットは、多くが110V用に設計されている事を思い出して欲しい。
110V用を100V電源で使っているというだけで、すでに10V低い電圧でどうにか動かしている。
それなのに、90Vしか来ていない電源につなぐとなると、想定していた電圧より20Vも低い事になる。
さすがに、電源ユニットの設計者も、ここまでは想定していないかもしれない。
すると、電源ユニットはうまく働かず、供給できる電力が少なくなる。
なぜかというと、HDDやCD-ROMドライブ等、モータの電力を多く使う機器が一斉に動いて瞬間的に必要とされる電力が増えると、その需要をまかないきれなくなってしまうからだ。
ところで、世の中には「節電器」といって、コンセントの電圧を下げることで電気代を節約できる、との触れ込みの機械が売られているが、コンピュータを使っている人は特に注意して欲しい。
あれはほとんどニセ科学の世界。これで節電効果があるのは白熱電球くらいのもので、その他には全く無意味どころか、モータを使う機器が故障したり、先に挙げたようにPCの動作が不安定になったりと、良くないことだらけである。
えと、「数学は科学ではない」と言っても数学者は怒りませんよ。
むしろ数学者が自然科学を下に見ることすらあるくらい。「確かにあんなものとは違う」なんて。
ここで「科学」と言ってるのはまあ「自然科学」のことでいいんだよね?
本当に定義論争をしはじめたら意見は色々あるけど、仮に数学が科学でないとしても、数学の価値が貶められることはまったくない。いずれにせよ科学と数学には密接な関係があるわけだし。
あと、統計学は数学の一分野で、「科学的手法のひとつ」と考えるのが適切かもしれん。
「科学とは何か?」っていう定義づけは、まあニセ科学とかを批判するのには必要だけど、人類の学問領域すべてが科学ってわけじゃないからね。人文科学や社会科学は科学じゃないっていう人もいるけど、科学じゃないとしても、これらだって学問として意味のあるものではある。
科学ではないとして、それが何か?
学問的なトレーニングを受けていない人にはちゃんとした教科書は too philosophical/statistical/mathematical であって読めない、という問題がある。
新書はそこらへんをうまくごまかしているものが多いけど、根本的には、ちゃんと科学をやる必要に迫られた人でないと philosophical/statistical/mathematical になる理由が実感できない。そもそも新書を読む人のどれくらいの割合が、本当にちゃんと科学をやる必要に迫られているか?
質の低い新書の蔓延は知的頽廃の原因というより結果だし(書く人は、的外れかもしれないが、たいてい知的頽廃を少しでも食い止めようと思っているが、残念、本人もけっこう頽廃しているので、バカがバカを導く図になっている)、社会が安定して(技術進歩が停滞して)科学的思考を必要とされる人が減ってるという全体的な傾向には抜本的な対策がない。
ニセ科学のリストに人が集まる動機が一種の権威主義で、科学的思考とは何の関係もないのは事実だけれど、たとえば高校の教科書に書いてあることのどのへんが本質的に重要で、どのへんがカリキュラムの関係で筆を抑えているか、というのを面白く(つまり聞き手の利益に関連づけて)語るのは、ペーパーを書いて refereed journal に載る能力とは違う想像力が要る。いちばんまずいのは、その想像力の持ち主が yet another 新書を書いてごみを増やしてしまうことで、むしろ塾でも開いて授業をしたほうがいいんだが。
たかぎFさんのブックマークはこちらの方が良いのでは?→http://del.icio.us/cactus_f/pseudoscience
このリストの発端というべき所も必要でしょう。
そして田崎さんと共にニセ科学御三家のきくちさん、apjさんの所。
11月25日 「水からの伝言」よくある誤解 【kikulog】
11月13日 水伝:科学だけの問題ではない :: 事象の地平線::---Event Horizon--- 【 事象の地平線::---Event Horizon--- 】
ニセ科学でこのお二人を追うならそれ用のカテゴリが良いでしょう。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?catno=3
もう一つ、例のきくちさんのやつも外せないような気がする。
12月20日はてなブックマーク - YouTube - 視点・論点「まん延するニセ科学」 いまはこっちはてなブックマーク - YouTube - まん延するニセ科学
あと、これ関連は3つのカテゴリにわかれる、という事をまずは知っておいた方が良い気がする。
細かい所をいえば、信じている人も、立場上信じている人と、心から信じている(たい)人にわかれる。
これからニセ科学批判に言及しようとする人のために、先人の足あとを集めてみました。
◎マークは続き記事あり。いつもの彼がコメントしている記事も多いので一応注意を。
8月24日 「水からの伝言」への批判が増えてます 【誘いの果実】
8月17日 分析化学会は「ニセ科学」と向き合うか◎ 【技術系サラリーマンの交差点】
7月27日 水伝は現代科学に風穴を開ける突破口になるか◎ 【hasenkaのメモ】
6月20日 ありがとうの方がうれしいじゃない 【整体師のでこぼこ日記】
6月19日 水、結晶、ニセ科学、そして否定 【「断想」 _since 2004】
6月3日 いまいちど認識をあらためる時だ◎ 【アルバトロス海溝 D島改】
6月2日 ボクは血液型マニア◎? 【なんちゃってサラリーマンの独り言】
3月24日 ニセ科学、疑似科学論議よりも具体的な批判を◎ 【― ブログ・発見の「発見」/科学と言葉 ― 科学上の発見から「意味」を発見】
3月20日 なぜエセ科学をネタとして採り上げる方々は「タバコ有害論」を採り上げないの?◎ 【uumin3の日記】
3月2日 書評 - 水はなんにも知らないよ 【404 Blog Not Found】
2月15日 血液型性格診断について小考察ver.2-daily◎ 【うろぶろぐ】
2月14日 ニセ科学を糾弾する人は科学で解明されないもののうち、何を信じているのだろう 【DELICIOUS LIFE】
1月30日 科学とニセ科学◎ 【Intersecting Voice Cafe】
1月12日 科学的根拠が無いものを信じてはならないのか◎? 【煩悩是道場】
12月28日 ニセ科学 【管理ポスト(VIDI AUDIVI LEGI)】
12月28日 年またぎ企画:コミュ論05-11「マスメディア+ブログの時代」(その1) 【アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)】
12月24日 道徳やしつけの根拠は自然科学にある◎ 【404 Blog Not Found】
12月18日 科学って一体なんだろうな◎ 【上を向いて歩いていくブログ】
12月11日 水の件 【Walk in the Spirit - 楽天ブログ】
11月13日 水からの伝言を信じないでくださいに含まれる科学的に見えて非科学的な部分。◎ 【レビログ】
11月11日 『「水からの伝言」を信じないでください』と言うのならやるべき事は一つだろう?◎ 【音極道茶室】
11月9日 「「水からの伝言」を信じないでください」を信じないでください」◎ 【ゲームの為なら女房も泣かす】
収集元はpoohさんのところとTAKESANさんのところ。
もっと気になる人はたかぎFさんのブックマークをどうぞ。
他にもあったら教えてください。間違いとかも。
ニセ科学対抗勢力としてはかなりの面子だと思われ。
ぱっと見た感想。かなり年齢層高め。ニセ科学に対するウェブの盛り上がりとは裏腹に、おじいさん率が高かった。男女比は6:4くらいか。会場はかなり混雑していて、立ち見もちらほらと。座ってみてる人もいましたね。
筆者は寝坊して菊池先生のしか聞けなかったのでちょっとだけ要旨をまとめてみます。
まだもうちょっと喋ってらしたのですが、あんまりうまくレポートできてないですね…ニューエイジや、船井幸雄、水伝とか百匹目の猿の話もしてらっしゃいました。二分法的思考というのは別にニセ科学だけの問題ではなく、単にニセ科学という分野に現れてきているだけではないかと菊池先生はおっしゃっていました。
最後に菊池先生にホメオパシーが云々の話をしてたおばさんが居て、全否定されてちょっと凹んでらっしゃいました。でも…でも…となんとか納得しようとしてるのがもうなんとも…先生曰く、治った、という事実は確かにある。因果関係は科学では認められていない。それだけの事。個人的な体験を一般化しない事。一般化するには適切なプロセスを経る必要がある、などなど。
このような価値ある講演会ですが、おじいさん方が本当に科学リテラシを身に付けて帰るのかは正直謎です。最後に質問する機会が与えられたのですが、還元水と純水は違うのかーとか薬飲むときに飲む水は水道水か純水か?とか。そんな事は問題の本質じゃないだろうと思ったのですが、身近な例から入っていくのが正しいのかもしれませんからなんともかんとも。やらないよりは絶対にやった方がいい講演活動ですが、一人ひとり問いただすと凄い人が居そうな気がしました。
説得力より納得力、だそうです。信じたいものを信じちゃう。
あと個人的に聞いたんですが "ネットの盛り上がりに反して意外とご高齢の方が多いですね" と言ったら
やっぱりまだ既存メディアの影響力というのは果てしなく大きい。ある年齢層以上ではウェブを情報源にすることはほとんどない。ネットを使えてもヤフーくらいのもの。僕はYouTubeで自分の動画をみたけど。こういった講演会、新聞やテレビなどといったものの方がいわゆる一般市民に影響を与えることになるだろう。やっぱりテレビが一番いいんだけど、さすがにゴールデンは厳しいだろう。出れても「世界一受けたい授業」くらいか。(スポンサーとかもあるのでしょうね、と相槌) ただあの時間帯で民放だと編集されるのが一番怖い。どこを切り取られるのかわからない。その点、「視点論点」というのはノーカットなので良かった。たまに怪しい人も出ますけどね。
ということでした。
ウェブでの活動に際して嫌がらせ等はあんまりないのだが、既存メディアに出演するようになると嫌がらせが増えると。左巻先生は京都新聞で連載している時に、研究室に浄水器の販売会社の社長と会長が現れて、恫喝まがいの事をされたそうだ。どこから金もらっとんじゃワレ…的な。
訴状 - http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/claim/case01/index.html
ずっと噛み付いている反論サイト - ttp://www.minusionwater.com/
どうもこういう人らは嫌がらせには長けていて、研究室に抗議しにいくのではなくて、大学へ抗議するのだそうだ、内容証明郵便など用いて。すると大学の方からご注進みたいなのが行くと。あんまり事を荒立てないでね、と言われるそうな。
7/7に学習院でも同じような講演があるらしい。申し込み制なのでいけないかもしれませんが。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/32167/2621176#2621176
ざっと目に付くのをあげてみた。まだいっぱいあるので皆さん参考に。