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はてなキーワード: ぼくらのウォーゲームとは

2015-09-07

サマーウォーズ」は「ぼくらのウォーゲーム!」だけど

じゃあ他の細田守映画の原型は何である自分なりに考えると、

時をかける少女」は「明日のナージャ」の26話「フランシスの向こう側」

気になる異性の秘密を知って動揺する女の子。どちらも夏の坂のある街が舞台

真琴と千昭以外の人が止まっている博物館のシーンは、日中なのに誰もがシエスタしていて誰もいないスペインの街とかぶる

男が文化財を絡めて自分の話を始めるのも共通点

余談だけどラストナージャの表情はどう見てもヤッた後の貌だった。

作品に一下ねたの源流かも。

おおかみこどもの雨と雪」は「おジャ魔女どれみドッカ~ン!」の40話「どれみと魔女をやめた魔女

どちらも「2つの生き方提示されている。どちらを選ぶか?」というテーマ

細田監督の好む「Y字路」がなにより活きるテーマ

また、人と人でないものギャップや疎外感が作品の下敷きになっているのも共通している。

少々強引だがガラス作りを通して未来生き方を知るどれみと、田舎暮らしを経て雨の生き方を受け入れる花の姿も似ているかも。

余談だが、この話では最後にどれみは未来さんに着いてく決断をしたと個人的には思っていて、

そういう「卒業すべきとされる世界から卒業しない生き方もあるんじゃないかというのは細田氏のテーマの1つに感じられる。

バケモノの子」は「十二戦支 爆烈エトレンジャー」(27話、33話、37話)

ぶっちゃけこじつけ

ただ主要人物がケモノオンリーであったり、ファンタジー+バトル物であったり絵面的には共通性がある。

37話では同ポや、広角レンズを使った演出キャラを画面の端に置く……などの細田守作風が既に確立されているのでファンは要チェック。

27話はバケモノの子後半で重要アイテムとなった白鯨モチーフの話で、氏のコンテデビュー作。これは監督も間違いなく意識しているハズ。

その白鯨自分の姿を見いだして倒す訳だから、やっぱりバケモノの子は細田氏にとっての自分殺しでもあるんだなあ。







ついでに

オマツリ男爵ウテナ

これは常識だね。

2012-07-20

細田守の帰還

また夏がくる。

から話しても良いだろう。

サマーウォーズの話、細田守の話をしても。

サマーウォーズは表層的には、「デジモン」や「攻殻機動隊」に良く似て見える。

もっと有り体に言えば「デジモン2 ぼくらのウォーゲーム」の焼き直しに見えるだろう。

しかし違う。

最初主人公である彼のせりふをうろ覚えながら引用しよう。

アカウントを盗まれてパニックに陥りながらなんとかたどり着いた自分の偽物(どうみてもネズミ魔法使いの弟子だが)に対して彼はこう言う。

ネットの中だからって、何でもやって良いと思ったら、大間違いだ!』

既に携帯電話と結びついたアカウントを盗まれているために、彼は携帯電話を使えなくなり、

実害が起きているにも関わらず、彼の言葉はひどく軽く聞こえる。

劇場では失笑すら起きていた。

それほど彼の言葉は軽い。

確かに軽いのだ。

実感を伴わないからだ。

なぜならそこには「ネット」と「現実」が違うという暗黙の前提があるからだ。

たかネット必死になる主人公が滑稽に見えるのだ。

ここから細田守は丁寧に丁寧に劇場内に『実感』をしみこませていく。

ネット管理されている社会愉快犯がイタズラして回る様子を、大家族の親父たちが「仕事が忙しくて帰れない」という形でもって見せることで。

交通水道消防救急

イタズラだとわかっていても「いかなければならない」職場の人たち。

劇場にはまだ笑いがある。

しかし、ネットワーク現実世界と地続きであると誰もが理解し始める。

単なるイタズラ。

しか社会は混乱し、人の生き死にに関わりかねない。

ここで大家族の長が、知り合いに電話をかけはじめる。

黒電話、古いアルバム、黄ばんだ手紙社会とつながりのある古い老人。

社会の人と人のつながりを暖かく感じる。

そして、ひとまずの小休止を経て、大きな喪失が胸を打つ。

ここにきてやっと劇場内にも、『仮想空間』と『現実空間』とは表裏一体であり、地続きであり、

そのどちらもが紛れもない『現実なのだという『実感』が浸透する。

大家族の誰もがそれぞれの立場で行動し、そして仮想世界の住人が助けになる。

ここで逆転が起こる。仮想世界現実世界と地続きだ。

それはつまり現実世界仮想世界と地続きなのだ

仮想世界アバターは、そこに人の人生が透けて見える。

細田守は、子供しか見えない世界や、魔女世界を通過して、青春を描ききり、最後デジタルリアルをきれいに繋いで見せた。

現実とはそこにあり、誕生があり喪失がありそしてまた誕生がある。

成長があり老いがあり、後悔も希望もある。

仮想世界とは人と人がつながるための単なるツールであって、またそれは黒電話となんら変わることは無い。

その先には生きた人がいて、生きた人間社会を築き上げている。

「ここではないどこか遠い世界から、「いままさにここにある世界」へと細田守は帰ってきた。

宮崎駿がついに彼岸へと続くトンネルから帰ってこない物語を描いたのと対照的に。

未来を描き、夢を描きながら、しっかりと地に足を着けた物語を描ききった。

おかえりなさい。そしてありがとう

2009-02-07

東方しか頭にない東方厨が死ぬほど嫌い


私は二次創作にあまり興味がない。


10年以上もオリジナル作品を構想し続けてきたからか、
他人のデザインしたキャラクターにそこまで愛着が持てないのだ。


思えば、初めて絵を描き始めた9才の時からずっとだ。
普通は好きな漫画キャラを模写するところから始めるもんなのかな?


作品構想を練るにあたり、色々な作品を観て勉強しているわけだけど、
二次創作の盛んな作品は出来の悪い作品が目立つ。


攻殻機動隊」「カウボーイビバップ」「エスコン5」
デジモン ぼくらのウォーゲーム」「マクロスプラス」「AKIRA
ファイブスター物語」「パトレイバー
名作・神作と言われる作品からは学べることが本当に多かった。


しかし、「リリカルなのは」「東方Project」「マクロスF」「グレンラガン
どれもファンの多い作品だが、その内容はあまりにも酷かった。


二次創作に関心のない私だからそう思うのだろうが、
こんな内容の伴わない作品のどこが良いんだ?
誰もがキャラ萌えばかりで物語の内容など気にしないのか?


特に「リリカルなのは」と「東方Project」はセンスが悪い。
ファンの人には悪いが、この二つに関しては完全否定させていただく。


意味もなく登場人物の8割以上を女性キャラが占めてる時点で論外。
半端な演出、浅い世界観無駄キャラの多さ。
原作者厨房ぶりが窺い知れる内容だった。


特になのはの原作者都築真紀は昔から死ぬほど嫌いだったのだが、
実際になのはを視聴してみて、都築真紀の無能さがよく理解できた。


wikipediaに書いてある内容とおりのダメ人間のようだ。


都築真紀を支持する人間の気が知れないよ。作家として最低の人間じゃないか。
10年以上も業界に通じているくせに、私よりも見聞が狭いのは間違いない。
一体、今まで何を見て学んできたのか、向上心もセンスの欠片も感じられない。


その割りに一流ぶって幅を利かせているのが何よりも腹が立つ。


東方も同じく、女性キャラかいないってだけで意味不明
なんだそれ。あまりの厨房設定に吐き気がする。


所詮は同人サークル
ZUN氏の絵が微妙なのは言うまでもないが、
多くの東方ファンに支持される音楽もひどく凡庸なものだった。


良い音楽、あえてゲーム音楽に絞ってもいいが、
もっと素晴らしいゲーム音楽は世の中に腐るほどある。
東方音楽クロノトリガーFF6、エスコン5より音楽性で勝るとでも?


そんな東方しか頭にない東方厨が死ぬほど嫌い。
周りの男共が一緒になって、エーリンエーリン叫んでるのを見てるとイラッとする。
プライド品性もない男なんて最低だ。


「わたしコーラ~」とおどけたり、ネタで歌ったりするのは和んでいいんだが、
東方厨は真剣になってキモい歌を歌うからドン引き


私はニコ動ゲームプレイ動画をよく観たりするのですが、
何を検索するにも「XXXは大変なものを~」とか東方系のMADがジャマ。


東方と無関係動画に「ゆっくりしていってね」とバカの一つ覚えのようにタグが貼られる。
うけるとでも思っているのか?いい加減しつこすぎて東方厨しか喜ばないぞ。
あらゆる点で迷惑だ。


誰が何を好きになるかなんて、その人の勝手
二次創作だけで十分だというなら好きなものを見てればいい。


ただ、作品の完成度と二次創作の盛んさの間に因果関係は全くない。


オリジナル作品を至高の物に仕上げるならば、
流行の物ではなく、より完成度の高い作品に触れることが一番なのだと考えている。


しかし、周囲の関心は作品の完成度にはなく、キャラ萌えばかり。
それが残念なだけだ。

2008-03-30

ぼくらのウォーゲーム映画館で見てない細田守ファンは全員にわか

あとからすごいすごい言っていて本当に気持ち悪い。

どうせお前ら全員誰一人例外なくウォーゲームを見過ごしてて

あとから慌てて見たんでしょう?

審美眼なさすぎ。恥ずかしい。同じファンと思われたくない。

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