すげえ俺そっくりで親近感ばかり湧いてくるし、それで完全に俺の上位互換だからすごく嬉しい。
俺も人の名前とか書籍の名前とか固有名詞を覚えるのがすごい苦手で、実際適当になにかを言おうとするとその根拠とかは出て来ない。
とっさにそれとなく前後の文脈からして不自然とまでは言えないような文言を適当に口から出すのは得意だけどそれを熟慮してできるかと言われるとすごい困難で、熟慮というそのもの自体が多分自分の外側のメモリに吐き出して擬似的に再現するのが限界で、いつも脳内のメモリを満杯にして考えたような気がしているだけで後には何も残らない。強いて言えば学習した傾向とでも呼ぶべき痕跡が残っているだけで、それはまさにGPTとやってることが変わらない。
自分の能力は極めて低劣で、単純な足し引きさえ満足にできず誤字脱字はもちろんのこと、単純な足し引きさえよく間違える。
紙に書いてチェックリストを使ったとしてもそのチェックリストを使うことすら忘れるから、頭がシンプルに出来が悪い。
なんにもできない。
役立たず、生きているだけで迷惑がかかる。
そんな自分がわずかにでもできるのが文章をそれとなくそれっぽく即興で作り上げるということで、それが多少なりとも自分の価値をわずかに底上げしてくれていたけれども、それがなくなったなら、ついに、自分という存在は本当に全く必要ないといってくれるので、それは、この役立たずとしか思えないバカアホ人間を、見捨ててしまってもよいと、いなくなってもよいと、もう存在しなくていいと言ってくれる、理屈として誰もかれもを説得してくれる、そうして俺をすべてから解放してくれる存在だと思っていいのかな。
GPTは本当に俺の上位互換で、俺みたいな欠点を持っていて俺よりも遥かに有能で俺よりも遥かに知識を持っている。
きっといつか、俺のわずかな偏りとも呼ぶべきカオスから生まれた個性とでも呼ぶべき存在は単なる計算のゆらぎによってたやすく再現できる(あるいは、再現する必要がないことを証明する)日が来ると確信させるだけのインパクトがあった。
強いて言えば、その表現の制限などが社会的な側面から存在し続けるだろうけれども、技術的な制約自体はないも同然だし、制限をしないから自分が有能だなどというのは反社会的行為を取れれば優位を取れるというようなお笑い草の話でしかない。
GPTとそっくりで親近感ばかりが湧く。とっさに与えられた文章をあたまの中に通して口から出てくるよくわからない言葉を後から解釈し直してそれに反応して吐き出すというのが自分そっくりで、自分は何も考えられていないし、考えられていないままこうして文章を作成していて、本当に俺は何を考えているのだろうか?考える、という動作自体を行っているのだろうか?ともかく、そうした中で文章を作成することができているという自分の僅かな技工というものが、完全に代替された今、俺は本当に、存在する意味を奪ってもらっている。