2021-06-06

誇るべきものがあるか

最近フジファブリックの曲をきちんとYoutubeで聞いてみた。

そしてずっと聞いた音楽が頭の中で流れている。流れたまま消えない。

思ったことを書き出していれば消えるのだろうかと思いながら今タイピングをしている。

そして彼の死を考えながら、Youtubeで様々なカバー曲が有名シンガーによって公開されていたことを確認する。

彼は、私が26の時で彼が29歳の時に亡くなっている。

12年の前の話だ。

当時は彼やバンドのことについては分からなかった。

好みのジャンルではないのではあったが、影響力のあったアーティストがなくなったのだなという理解はあった。

曲のコメント欄を見ると様々な悼む声や称賛の声が立ち並んでいる。

なくなった後に知った今の学生などもコメントを入れている。

その学生も何か心に打たれたものがあったのだろう。

40前を迎える私もその一人だ。

これは背景を知らないので持論でしかないが、

日々の自分日常自分の考えていることをリスナーに見せてきた。

それがいつしか大きな影響力を持った。

亡くなった今でも後出のバンドにも影響を与えている。

彼はPCの前で亡くなり、事情公表されていない。

不明とのことだった。

彼は日々音楽のことを考え、その時も楽曲作成にいそしんでいたことであろう。

私が何を言いたいのか。

誰も自分でさえも予期しないときに、人は死ぬということだ。

何をいまさらと思うかもしれない。

明日学校に行く予定があったとしても、会社だとしても、髪を切りに行く予約を入れていたとしてもだ。

そして、自分が死んだときにはその先には何も見えない。

自分が死んだら世界が終わるからだ。

無だ。目の前のモニターPC、机も存在しない。

残った周りの人間の悲しむ顔や驚く顔も見ることもできない。

幽体離脱してウラメシユウスケの様にその後の状況を俯瞰することはできない。

こんなにも儚い素晴らしい音楽を伝えていても、突然死は訪れる。

生の世界に残った人たちは、記憶現実ギャップに苦しみ、涙を流す。

でも彼には届いていない。残ったものとしては届いてほしいと願うばかりではあるが。

息絶えたら「無」しか残らない。

から自分は何をしたらいいんだろうと、曲を聴きながら憂鬱としている。

何か大きな出来事を起こし、将来に残せるものを築くというのは稀有存在だ。

多くの人間は、月曜から金曜学校会社へ行き、パワハラを受けても通っていたり、いじめられていても通う。はたまた個人事業仕事をしていて十分な収入を得られていても来月はどうなるかわからないというすっきりしない葛藤を抱えているものもいる。

死んだら「無」しか残らない。

いじめられたことでの苦しみ、上司に怒られて残ったくやしさ。日々生活することの不安、そこに垣間見せる楽しみもあった。

悪いことも楽しいこともすべて消える。一緒に消えるのは妻や家族、しばらく会っていない友人、良くしてくれた元上司

でも私はダラダラ毎月の貯金投資に勤しみ、何のために使うかわからない金の流れを確かめている。仕事はほどほどに、だましだまし繋いでいる。

その価値があるかどうかの是非ではない。

日々何かに没頭し続けて死ぬか、ダラダラ生活して死ぬのか。

人生の生きがいが、この2択だとしても私は選べない。

今何か自分ができること。

ギターを弾くでもいい、ブログを書くでもいい。自分が何をしたいのか。

でも全く結論が出ない。

そして多分一生結論はない。

それでも考え続け歩いていく。

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