「買い物をする際店員に『環境に配慮した商品ですか』と尋ねることで意識が変わっていく」発言をして大喜利までされてしまった彼女。
環境畑のお仲間が、「環境系の話題だと典型的な反発」と擁護してるけれど、当たり前だろう。だって発言者が典型的な反発を食らう物言いをしているのだから。環境の話題云々関係なくそりゃー叩かれますわ。
「意識が変わっていく」←この発言が何重にも駄目だと思う。環境とか関係なく。
自我の形成されてない子供でもなければ、他人のたった一言で何か根幹の意識が変わるなんてまずない。
だから自分の質問1つで相手の意識が変わっていくと思ってるならそれは相当な思い上がり。どんだけ自分の発言が立派なものだと思ってるんだ。なんか勘違いしてるよ。
こういう活動家を見るたびに常々疑問なんだけど、彼女らには自分達以外が未開の地の蛮族にでも見えているのだろうか。
自分の住んでる環境。そんなの誰だって、悪いよりも良い方がいいと思ってるに違いないじゃないか。世の中に100%のことって存在しないから中には環境が悪ければ悪いほど良いと考える人もいるかもしれないけど、きっと極小数だと思う。
「環境を良くしたい」とは皆考えてるんだから、意識を変える必要なんてどこにもない。
1と2で書いた通り、環境系の話題だからというよりも、「意識が変わっていく」という発想の根底に「高尚な自分と未開の地の蛮族」という、平然と相手を見下した構造があるから反発を食らう。昔「啓蒙」という言葉を使ってめちゃくちゃ叩かれた国会議員か何かがいたはずだけど、その人と何も変わらない。
環境系に限らず、活動家やお国の偉い人は、庶民が地道な草の根運動をしてそれが一大ムーブメントとして成功するというストーリーが大好きだ。蛮族共を教養のある自分達が躾けたと優越感に浸れるからだろうか。理由は知らないけれどとにかくそういうのが好き。
今回みたいな、一人一人の発言で少しずつ社会が良い方に変わるというストーリーはそれはそれは好まれるだろう。
しかし、それをさせられる側の現実と負担感をちょっとは考えて欲しい。
そういうのも考えないまま、一般人に自分好みの耳触りのいい美談を作り上げる。そりゃ反発されても仕方がない。綺麗な部分だけ掠め取って負担とか都合の悪い現実は全部末端庶民に押し付けだもの。
環境ビジネスの自体の問題に突っ込まなくてもこれだけの構造上の問題がある発言なんだから反発も必至だろう。
環境系の話題は蛮族共から叩かれやすいから仕方ない、と思ってる高度に教養化された立派な人たちには、もうちょっと基本的なところを見つめ直してほしい。
私たちのステージまで上がってくるのは幸せなこと みたいな言い方が、たしかに鼻につくわな