2019-10-23

ひとりごと

私は放置されていた。

幼稚園の時、親がエステジムに行っていてなかなかバスのお迎えに来ないため、遅刻してくる親を待っていた。

小学生の時、休みの日は迷惑をかけるから友達と遊ぶなと言われた。もちろん家に親はいないので一日中ひとりでゲームをしていた。

中学生の時、親に料理を作ってもらえなかった。お金も渡されていなかったので、家にある割引の菓子パンアイスをひとりで食べた。

家に帰ると邪魔だと蹴られ、遅く帰ると、調子に乗るなと怒鳴られた。子ども心にも矛盾を感じ、自分の居場所が分からなかった。

なにか粗相をした時は、頭を叩かれて甲高い声で叫ばれた。今でも人の手や、物が頭の近くに来ると身構える。

成功した時は、たまたまだとか、お前は騙されていると言われた。

逆の場合では、だからお前は何をやっても無駄だとか、生きている意味が無いだのなんだのと侮辱された。

とにかく親は私の性格や顔、趣味や態度、機嫌、全てを完璧否定してきた。

からかは分からないが、私はとても悲観的で、少し人から注意を受けたくらいでも、もう私は生きているだけで迷惑をかけるダメ人間なんだと酷く落ち込み、自分を責める。





ネットを見ていると、放置親に育てられた人間に対する意見として、それくらい子供ではないのだから自分のことは自分でやりなさいというのが見受けられる。

しかし、自分でやろうと思っても、行動に移せる環境がないのだ。

たとえば、ご飯くらい自分で作りなさいと言われようとも、材料を買うお金もない。お金交渉は何度も何度も試みた。

キッチンは汚れるから使うな、そもそもお前みたいなのは料理なんてできるはずもないとなぜか怒鳴られた。

そもそも、まだまだ未成年の子供に対して、親に頼るなというのはおかしいのではないか子供は、親に愛情を注がれて、栄養のある食事を三食きちんと出されて、世話をされるべきはずだ。

それが出来ないのなら、子供を産む権利は無いと思う。世話を出来ないのなら犬を飼うなというのと同じ理屈ではないのか。


虐待は、目に見える傷を残されるものけが分類されるのではないと思う。


いじめはされたほうがいじめだと思ったらいじめだ。という言葉をどこかで耳にしたことがある。

これは虐待にも当てはまるのではないだろうか。

しかに、しつけと虐待の線引きには難しいものがある。

しかし、その行為が、言葉が、その人間にとって、一生消えないものになってしまったなら。

一生引きずっていく、呪いのような言葉になってしまったら。

ここまで書いても、甘えるなという意見もあると思う。し、あってもいい。

だけど、このような状況のこどもがこの世にはきっとたくさんいるということを知っていて欲しい。

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