正直、結婚して同じ異性とずっと一緒にいて飽きないか?飽きるっていうと言葉が悪いから慣れるって言うけど、そしたらあーたまには違う異性と話したりデートしたりしたいなって思うのが当たり前でこの人や家族の為に一生を尽くして自分の時間を犠牲にしてまで生きて行く事を結婚したから当たり前って言われて納得できるか?お金も自分の時間も恋愛も全て縛られる。結婚して良かったと感じる事だってそりゃある。 けど辛いとき、心が痛いときに「もうしんどい」「もう無理だって」、「痛い痛い痛い」「何もかも嫌だ」「投げ出したい」って言えない状況な訳で大人なんだからとか自分の人生に責任を持てなんて他人に言われたくないわけで、だってお前は実家暮らしの独身で何にも抱えてないじゃないか。とか言えないわけで
ダウン症の子を持つ親になった気持ちが結婚もしていなければ社会にも出てない勿論子供がいない赤の他人の正論に耳を傾けられるわけないじゃんとか思ったり、お前と俺とじゃ生きてきた環境も今いる人間関係や立場もその中で形成された性格も何もかもが違うのに知ったような口を聞くな。
どんな時も自分の思ってる事を素直に伝えられる人が羨ましい、痛いなら痛い。嫌なら嫌。泣きたいから泣く、そんな感情をストレートにぶつけられる人が羨ましい。
言えないから、大人になるにつれて言えないから「大丈夫」とか悪くないのにとりあえず謝ったり見たくない物に蓋をした感情が積もり積もってどうにも限界がきて蓋をしたつもりが気づけば溢れ出てしまっていたりが不倫をしたり開き直って俺は本当はこういう人間で愚かで醜い人間だって逆ギレして本当の気持ちを吐露して許しを得ようとか、こんなになるなまで我慢した自分が寧ろ偉いみたいな、誠実さを訴えようとしても、結局だから何?それは事実としても現実と向き合わなくてもいいってことにはならなくていつでもどこにいても自分の人生は自分でどうしても生きるしかなくて、そこと向き合った時にはじめて人は前へ進める気がする。
結婚したから幸せとか離婚したから幸せとかそんな単純な方程式に当てはまらない。
耐えがたい絶望も、たまに感じる幸せも不規則に繰り返し訪れる。だけど後者の方が忘れがちになってふと少し死にたくなったり、まだ少し生きてたかったり幸せか不幸か生か死なんて実は物凄く曖昧でその境界線は自分でも分からない。勿論他人に分かってたまるか。