2019-07-25

亡き父は晩年なぜブクマカになってしまったのか

 元号が令和から変わって間もなく、父がこの世を去った。映画小説の中の「息子」のように父の死を哀しめない自分がいる。そんな自分に対して人として何か欠けたものモヤモヤ感じつつ2度目の月命日を迎えたころ、わだかまり輪郭がくっきりと浮き彫りになってきた。

 晩節の父は、どうしてはてなに染まってしまったのだろうか? 

 遺品整理として父のノートパソコンの中を覗くのは、大きな心理的苦痛を伴う。ブラウザトップに出てくるはてなブックマーク。偏向を通り越してまず「トンデモレベルはてブの数々。生前の父は立ち歩けなくなる直前まで地域福祉住民ネットワーク作りに奔走していたが、デスクトップにはそうした業務ファイルに交じって、ファイル名そのものが「睡運瞑菜」とされたエクセルデータがあり、中身は有名ブクマカブコメリストだった。

 はじめは、あれ?という違和感程度だったように思う。

 久々に帰った実家で、几帳面に整理された父の書斎デスクや枕元に何げなく置かれた「増田」のプリントアウトの数々。その頃は、相変わらず知的好奇心の幅が広い男だなと思った程度だったのだ。父はとにかく多方面好奇心を示す人物だったし、退職しても即座に語学留学するような向学心の塊だったからだ。

 病院にいると、「パンティー」とつぶやく。「ゴミを貼るな」と、誰に向かうでもなく言う。JKに向けての露骨性癖を口にする父に、言葉を失った。元増田なんて言葉を使う時点でどんなコンテンツに触れているかがわかるし、あたかもそれが誰にでも通じる共通言語かのように語る時点で、閉鎖的なコミュニティの中で父が常識を失っていることを感じた。

 そうした父の言葉のすべてを、僕は黙ってスルーした。

 貪欲な向学心を持ち、時代の波にそれなりに揉まれ10年ぐらい同じスレッド書き込み続けて吉野家牛丼を選んだ、どこにでもいるオヤジだった父を想う。

 こんな形で彼を失ったことを、息子はいま、初めて哀しく悔しく感じている。

それほど遠くない未来、こんなことを書かれるんだろうなあ。

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