2019-04-12

負け犬の遠吠え

付き合っていた彼女と別れた。

同性同士で付き合うのは久しぶりで、私は自由恋愛のできる状況でもなかったから、浮かれていたのは事実

だけど結局、上手くいかない。

会話が成り立たなかった。

思い返してみれば、まともな交際をしたのは片手で数えられる程度だった。

学生の頃、三年間交際した相手は(多分)私の所為で死んだ。

社会人になりたての頃、一年ほど交際した相手は、私のことを「重い」と言って別れを切り出された。

その相手の前に付き合っていた相手は、優柔不断なところが鼻についてこちから交際を切り上げた。

元旦那含め、あとの相手はと言えば、単純に病んでいた私が依存先を探していただけにすぎない。

交際をしていたというよりは、私が何かを提供し、代わりに相手も私に何かを提供する。そんな関係だった。

分かりやす恋人っぽいポーズを取っていたけれど、結局のところ、あれは全て単純な利害の一致。

から私は、余計に病んでいった。本当に欲しかったものが、手に入らなかったから。

冒頭の彼女と私は、多分、寂しがり屋という点でおいてのみ、共通していた。

そしてお互いにそれを口には出さないという点も。

求められたがっている二人だったと思う。

そうやって求めてもらって、ようやく自分価値を見出せるような、そんな関係

私は自分共依存だという自覚があった。

から彼女問題を目の前にして、救いたいと思った。

そして同時に、お互いの為に、私は彼女に「自立」してもらえるよう支援すべきだとも思った。

だけど結局、最初の、彼女自身問題について解決する前に、交際は終わった。

半年ほどだっただろうか。

本当に短い。

交際している間、友人達には「それはモラハラから抵抗するなりなんなりしないといけない」と何度か言われた。

かに、そうだな。と、思うこともあった。

長年続けてきた趣味をやめ、交友関係を狭めた。

それでも降ってくる言葉は厳しいものばかりだった。

それでも離れられなかったのは「共依存」だと言われた。そう思う。

そうやって、親しい相手については支配する、支配される、という関係しか知らない彼女可哀想だと思っていた。

もっと横に並んで笑い合える関係があるのだと、知ってほしかった。

彼女について、嫌なことが正直沢山あったけれど、それでも私は彼女に生きやすくなってほしいと思う。

安心できる相手に素直に甘えて、困ったときには助けを求め、悲しいときには泣く事のできる。そんな「当たり前」を渡したかった。

愛情確認なんてしなくても、自分には愛される価値があるのだと認められる人になってほしかった。

腹が立つことがあっても、互いの立場理解して、建設的に話し合える、そんな関係になりたかった。

彼女家族から自立したときに、その横に居させてもらえたらどれだけ幸せだっただろう。

それでも結局

売り言葉に買い言葉

話の論点を整理しようとした私に彼女は激昂して、終わった。

いつも喧嘩する度にそうだった。

相手は私を支配したいだけであって、話などきいてくれない。

恋人である私よりも、長く一緒にいた友人の意見のほうが優先される。

確定なのか不確定なのか。その濃淡の確認をしながら決めなくちゃいけない未来についても、相手立場しか物を見てもらえなかった。

説明したところで「はいはい優等生」と一蹴されてしまった。

それでも私は、曲げてはいけないところは、曲げられない。

私だけの人生じゃないから。

から、この破局は、仕方ないのだろうと思ってる。

だけどそれでも、やっぱり彼女にはもう少し、生きやすくなってほしい。

私のことなんてあっという間に忘れて、きっとすぐ次の彼女を作ってしまうのだろうけれど。

その相手が、彼女の傷を認め、塞ぎ、癒してくれることを、願って止まない。

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