結局何者にもなれず、何かを成し遂げることもできそうにない。
なにもかも中途半端で、昔は時間を忘れて熱中した趣味すら今は半ば義務感のように接してしまっている。毎日死にたい楽になりたいと言いながら高校生と肩を並べてしょうもないバイトをしてだらだらと生きてる。
やりたいことやなりたい職業もない。このぼんやりとした感覚をネットで調べると新型鬱や希死念慮といった言葉が出てきて、一丁前に病人面して心療内科にも通った。心の何処かで精神病という免罪符を求めつつも、貴方は自閉症の傾向はあるが問題はないと書かれた検査表を貰ったので嫌になって通うのをやめた。客観的に見て自分はただの自堕落な怠け者なだけだったらしい。
これは持論だが、世の中には一定数生きるのに向いていない人間が存在すると思う。
もちろんそれは本物の自閉症やADHDのような人間ではなく、追い詰められないとなにもできないくせに、いつの間にか追い詰められたら逃げることしか出来なくなった自分のような人間である。勉強だけちょっとできる程度で誤魔化せていたので努力の仕方を身につけないまま大人と呼ばれる年齢になってしまった。中身は今も社会を知らない高校3年生のままだが。
こうなったら就職が自分のゴールだと言い聞かせながらそれでも全力でそれに取り組むこともせず、毎日眠りにつくときに何もかもめんどくさいしこのまま死ねればいいのになと思いながら寝る。いっそ日本で安楽死が認められればなんて考えたこともあるけど、本当に認められたところで自分は安楽死に臨む勇気すら持てそうにないのが本当に笑える。
結局自分は早かれ遅かれ社会不適合者になるタイプの性格だから仕方なかった。そういう生き方しかできなかった。そう言い聞かせるしか自己を擁護できない。
この文章を読んだ精神科の人が自分を病気だと診断してくれたら言い訳の一つにもなるのになぁ。
あー宝くじで一生暮らせるお金当たらないかな。まあこんな性格だから宝くじを買うという行為すらしてないしできるわけないんだけど。
追い詰められないと何もできないなら、追い詰められるところに身を置くといいよ