二次同人を追ってきた歴史は長いけれど今のジャンルが断トツで一番熱い。こんなに自分で描こうと思ったのは初めて。
そんな自ジャンルのTwitterのTLを今捨てようと整理している。
よくある話だけれど、今のジャンルでとある方にブロックを受けて、その方がとても交流が広く私がフォローしている方とだいたい繋がりがあり、ブロックされて本人の呟きが見えなくてもUPした絵や作った本に対する他の方の感想がTLに流れる状態であった。ジャンルはとても小規模で今このジャンルメインにしている人は1クラス分の半数いるかいないか。こんな狭いコミュニティでもうまくやっていけないのか自分。
その方が初めからの先行ブロだったならこんなに気にならなかったと思うけど、元を辿れば相互フォローだったところ私が今年の春に数名ブロ解をしていて、その後にブロックを受けたという順番であった。こちらからのブロ解が駄目だったのか他に私の呟きの中に原因があったのか知る術もない。が私の今のジャンルでの辛さは彼女ではなく紛れもなく私の中にあることが問題だ。
なぜそもそもブロ解をしたかというと、ジャンルに対して解釈の幅が狭すぎて傲慢になっていた。こんなことは今まで他のジャンルでは無くてどう処理したらよいか。
ハマりたてのころが一番幸せだった。どんな解釈でも脳は褒美と認識した。でも段々と自分の解釈がはっきり見えてくるにつれ、自分の解釈と正反対に見える推しを見るとダメージが入るようになり、好きな筆者さんの作品だけを選んで読むようになった。
原作を読んだ人の持った感想や持ったキャラクターイメージに私が文句つけるなどおかしいと分かり切っているのに怒りが湧いてくる、なんでもっと読みとれないんだ本当に同じ原作読んだのかと思ってしまう、もうそういうレベルで盲目的で幼稚になっていて、もう少しジャンル熱がおさまったら一歩離れて距離をもって自分のジャンルに接することができると思うがなかなかその時は来ない。
ブロックの数日後にその方の主催でアンソロ企画が立ち上がり、その方を含め私が読まないようしている筆者達と、大好きな筆者達を一つの本にまとめた。
神とあがめている方の新しい文章を読めることは本当に嬉しくて、この舞台を作ってくださって本当に有難うございますと思いつつなんでこの方とこの方を一緒の本に綴じるんだと、幼稚な憎しみを抱え、それでもやっぱり神が神なのでその本はエアハグしてる勢いであった。…が。
…が、大好きな筆者さん達の、本を絶賛する感想ツイートを読むと今度は怒りではなく寂しさが出てきた。仲間外れにされた寂しさではなく、ああ私の大好きなこの方は私が苦手な解釈の人の頁を読んでも大丈夫だったんだ…という、勝手に信頼していた「私が好きな方は私と同じものを見て同じ感じ方をするはず」という思い込みに負けた喪失感だった。どこまでも幼稚な。
ジャンル熱の問題じゃなくて私の性格の問題であった。人との距離を間違えすぎている。パーソナリティ障害のフシがあるのは知っていたが、現実の人間関係が面倒臭くて同人界隈に逃げてきているのにここでも発揮していたとは。
Twitterは私の生活の一部になっていて、TLを開くと必ず自ジャンルのことを考える。小規模ジャンルで人口が少ないのでTLで誰かがジャンルについて話している率は低いが、私はだいたい自ジャンルのことを考える。