2018-09-24

自殺したとある高校生日記

最近死ぬことばかり考えている。

ひとはいったい、どんな風に自殺に向かうのかが気になって、その昔、高2の春に自殺したとある高校生日記を、この三連休を使って読んでいた。

自殺の2年前くらいからの日記だったので、次第次第に追い込まれていって、人間関係が辛くなって、どんどんおかしくなっていく…

…という内容を心のどこかで期待していた。

死ぬくらいなんだから、そうあって欲しい、そうじゃなきゃいけない、と、思うところもあった。

でも、実際はそうじゃなかった。

普通に友達と買い物に行ったり、普通に恋に悩んだり、悩む友達を慰めたり、友達に悩みを打ち明けたり。

親友といっしょに高校生活を送りたい、って思って受けた高校ちゃん合格したし、その子と仲良くしながら高校親友も増えていたし…私なんかよりずっと幸せそうに見える高校生活を送っていた。

替われるものなら、替わってよ…ってくらいの、羨ましい高校生活を。

ただ、彼女は「理想自分」と「現実自分」の隔たりに中学時代から(本当はもっと小さい頃から?)苦しんでいた。

誰でもある悩みだけど、ちょっと過剰すぎるくらいに苦しんでいる様に私には見えた。

朝7時に起きられないだけで、昼寝をしただけで、ちょっとドジをしただけで、過剰に落ち込む。

から見たら羨ましいくら美人なのに「いじわるで、ブスでバカで狂っていて」と自分を過剰に貶す。

理想自分」と「現実自分」の隔たりが、たとえどんなに幸せに見える高校生活を送っていても、高校生活の1年間で(彼女の中では)決定的なものになっていったんじゃないかな。

中学生活は1日1日「始まり」に近づくけど、高校生活は1日1日「終わり」に近づくから

中学生の頃は自分に対するあらゆる可能性が認められるけど、高校生になると職業適性とかで判決が下され始める。

(くだらないテスト他人の適性をとやかくいうなんて、とんでもなく失礼な話!!)

逆に言えば、彼女高校生活にとって唯一の安住の場所友達との日常だったんだ。

それ以外はすべて、「あなた理想あなたではない」という判決が下されるのを待つ日々でしかなかった。

理想自分に近づこうとしてももう全てが手遅れで、ピアノも、バレエも、ダンスも、ギターも何も続けられなかった劣等感けが残っている。

「小さい時から、なりたいと思っていたもの3つ……作家画家美容師。そーとー無理みたいね。」

そんな中で母親先生の行動は、つまらぬことで彼女を追い込んでしまった。

彼女ガラス細工の様に繊細な安住の地を壊しかねない行動だった。

大人たちがこの安住の地に土足で踏み込んだことで、彼女をあっさりと追い込んでしまい、あっさりと殺してしまった。

翻って、私には、そんな小さな安住の地すらない。

いつも追い込まれていて、それでいて、いつまでたっても死なない。

彼女は「親友いるか死ねない」と言ってたけど、私には何もないのに、いつまでも死なない…

  • 何人か見送ってきた。いつも弱者から死んでいった。 本人が死にたがっていようとそうでなかろうと、死ぬのは弱いものが先だった。 かくいうおれも死にたいと思っているが、まだ生き...

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