2018-09-20

何の悪気もない人

ブルカを被ることがみんなの幸せに繋がるっぽいなとなればそうなるだろうけど、そこまでするとむしろ不利益の方が大きくなると思われたら途中で止まるでしょう。

性的消費の定義はこれくらい広い意味にしたうえで、どこまでの範囲性的消費を許しどこからを禁じればみんなが最も幸せになれるか、議論して考え続けていけばいい。

これ書いた増田はたぶん自分のことを穏当な人間だと思ってるし、おそらく何の悪気もない。

んだけど、その主張していることは「嫌がってる人がいるんだから現に問題でしょ」「法や論理やその整合性はなんら気にかけることなく、問題が起きたら周辺でガヤガヤ話してる人の多数決で決めればいい」なんだよね。たぶん、この指摘をしてもそれが実際どういう邪悪なのかわからないし「別に問題ないでしょ」って思ってる。

べつだん増田だけを小馬鹿にして悪者にするつもりはこの記事ではなくて、実はこの増田みたいな人は国民の中で結構割合でいると思うんだよ。目の前の問題解決するのが重要で、手続きやら手段やら整合性二の次でいいじゃんって思っている人。

オレ個人は、ラノベセクシャルな表紙の問題が、最終的に今より厳しい自主規制になったりゾーニングになったりあるいは全面禁止になってもそれはそれでいいと思う立場だけど、でもその結果に至る過程において「一部の少数の声のでかい人が、なんら証明もされてない根拠事実のように語ったり、子供出汁にした、あるいはただの感情論で論を煽って、その勢いで規制を実現する」なんて経過があるのは絶対に嫌だ。結果を受け入れるのと、そういう過程を受け入れるのは全く別のことだ。

もしそういう過程を受け入れるのならば、今回の件(つまりラノベの表紙の件)以外でもその過程使用される。その論理が使いまわされて、より受け入れがたい規制がどんどん推進される社会になってしまう。今この話題の中で、「表現規制反対派=ラノベエロ表紙にこだわるキモオタ」みたいなレッテル貼りが一方で行われているけれど、そういう問題ではないんだよね。

何の悪気もない人は、過程と結果の区別がつかないから「君の語句定義の仕方、論の進め方、根拠の有り様には不備があるよ」っていう批判理解できないし、そういう批判を「言葉尻にいちゃもんつけられた」としか受け取れない。そしてそういうひとが大半だってのは、すごく恐ろしいことだよ。

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