2018-09-12

分かり合えない二つの間にある溝

昨日のツイッタースーツアクターを巡るツイートがよくRTで流れて来た。

(参考:https://togetter.com/li/1265833)

この話の流れは

日テレ朝のワイド番組ジャニーズタレントスーツアクター弟子入りして修行

後に子供達の前で修行の成果を発揮してヒーローショーを披露

上手い事演じられたのか、感極まってヘルメットを脱いでしまった模様を放送したところに特撮ヒーローに造詣がある視聴者スーツアクターに対するリスペクトが皆無だと批判

そこにタレントファンが噛み付いて炎上

と言う流れ。関連ツイートから

特撮ファン

スーツアクター台本にないにも関わらず自らヘルメットを脱ぐのは、見ている子供の夢を壊す行為であり言語道断

タレントファン

感極まってしまった上での行為で、かつスーツアクターとしての心得をタレントが把握していなかったのではないか。もしくはその模様を放送した日テレ責任である

ざっくりではあるが上記意見が中心となった対立構造に。

個人的はいわゆる特撮ヒーローゆるキャラに「中の人などいないルール」はある程度理解は示せるものの、結局は「中の人はいものだ」と言う意識で見ている。

また、タレントとしても多忙な中で長期に渡って修行した結果の達成感での行為なら分からなくもないが、スーツアクターが何者かと言うところへの想像力が欠如していた故の行為とも取れる。

さて。この二つの対立構造をややこしくしているのが「罵声」だと思っている。

特撮側は「スーツアクターに微塵の理解の無いジャニタレ」と「世の中ジャニーズ無罪がまかり通ると思っているファン」と言い放ち

タレント側は、よく分からないけど気味の悪いオタクがわめき散らし、タレント批判していて気分が悪い、としている。

もちろん互いに理解のある意見散見されるものの、特に画像や短いツイートで罵る類のものには相手理解しようとする意思は皆無だ。とにかく相手側を罵声で殴り倒し続け、相手が黙れば「論破」でこちら側の勝ち、と言う無益な戦いが繰り広げられている。

もはやSNSでの「炎上」は劣情や差別意識の塊にまみれ見るに堪えないものばかりで、日本学校教育において議論を学ぶ機会が希薄だった結果がこれらから滲み出ているのでは、とさえ思える。

結局はツイッターやめたらこんな事考えなくても良くなるのかな、と後悔をし始めたところだ。もうしんどい。いろいろと。

  • まぁアイツ顔出ししたら「ワーキンプリだー」って反応してもらえるに違いない!って感じでドヤ顔してたもんなそこらへん敏感な子供からキモいかっこ悪い言われるのはしゃーない

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