2018-07-29

人格人権尊重されるのは当たり前か、という話

なんだかいつの間にかかなり鎮火したLGBT案件だが、個人的には大した意見は無くて、「社会的コストが許せる範囲配慮すればいいのでは」程度のものだ。

 

ただ、ふと思うのは、LGBTの人々の人権問題を扱うのはいいとしても、マジョリティの人々の人権がどれくらい保証されているのか、という点だ。

 

マジョリティの人々の人権がそれなりに保証されているのならば、LGBTの人々への配慮もそこまで大げさな話にもならないと思うのだが。

 

そもそも個人的体験を言わせて頂くならば、二時間越えの満員電車通勤などは自分自身に対する明らかな人権侵害である、と感じた時があって、

自分生き方方針にも少し影響を与えたこともあった。

実は、マジョリティの人々もそれほど人権尊重されていないのではないかと。

 

もちろん、特急電車ビールを飲みながら通勤している人もいるし、給与身分保障社会保障などの方が大事だ、という人もいるだろうから

一概には言えないとは思うが。

 

労働問題というか、実社会を生きるということは、実際的な話として、その人なりの武器のようなもの肩書きや実務能力政治能力コネクションのような)

尊重されるのであり、人格人権尊重はその次というのが現実だと思う(好景気の今でもそれは変わらないと思う)。

大抵の場合ペーペーが何を言ったところで、会社組織において大した意味は持たない。

 

とすると、「人格人権尊重されるべきである」というよりも、「最低限度の人格人権保証されるべきである」というのが現実的な落としどころに見えるが。

 

学生学者も含めた「自分人格人権尊重されるのが当たり前」だと思っている人生を送ってきた人が、「人格人権尊重されるべきである」と言っているだけで、

実は、地に足に付いていない言説だった、というのが本当のところであるようにも見える。

 

例えば、Amazon低賃金労働者ハードワークは英国ドイツも含めた各国で問題になっているし、だから日本はとか、中世ジャップとか、言うつもりも無いが。

  • 人権は宗教の題目のようなもので 唱えたからといってすぐに何か起こるというようなものではないが 唱え続けると何だかあるような気になってくる だが唱えるのをやめると完全に忘れ...

  • 結婚すら許されないLGBTからしたら満員電車で…とか言われても困るのでは

    • 結婚できなくなる代わりに死ぬまで毎日専用の車両で通勤していいですって言われたら普通にそっち選ぶわ

記事への反応(ブックマークコメント)

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