「最近の若者は~」で始まる若者批判は、いつの時代もなくならないものである。50代くらいのサラリーマンが、居酒屋でビールを飲みながらくだをまく様子がありありと思い浮かぶ。きっと彼らも30年位前に同じようなことを言われていたのだろう。
しかし、批判の対象となっている「若者」の中には、こう思っている人も多いだろう。「この『若者』とは果たして誰のことを言っているのだろうか?」と。
例えば、「最近の若者は根性がない」などという話を、仕事や勉強に頑張っている若者の前で言っても、白い目で見られるだけだろう。または、「最近の若者は向上心がない」と、若い起業家が集まるセミナーで言えるだろうか?
そもそもそういった「若者批判」をする人たちは、どれほど若者と接しているのだろうか。おそらくは自分の身の回りにいる数名だけではないだろうか。その数名がたまたま出来が悪かったり素行が悪かったりした時に「最近の若者は…」という思いが湧くのだろう。非常にくだらない話である。
そういった批判をする人たちが、「最近のおじさんは電車で痴漢ばかりしている。おじさんは皆性犯罪者だ」と言われたり、「最近のおばさんは気に入らないことがあるとすぐクレームを入れる。おばさんはクレーマーだから気をつけた方が良い」と言われたら、どう思うだろうか。「ふざけるな!自分はそんなことしない!一緒にするな!」と憤るのではないだろうか。
当然である。一部の事例を挙げて全体を評価することほど愚かなことはない。少数の非常識な「おじさん」「おばさん」がいるからと言って、全ての中年が悪いはずがないのである。そして、それは若者も同じなのである。
もちろん、批判に当てはまる人もいるだろう。根性のない若者や、向上心のない若者もいる。痴漢をしているおじさんや理不尽なクレームをつけるおばさんもいる。だが、それは必ずしも多数派ではない。多数派であったとしても、全員ではない。
誰かが「最近の若者は~」と批判した時、批判の対象となる人は、「若者」という漠然とした集団ではない。それは批判した人と同じように、個別の名前を持ち、血の通った一人の人間なのである。
そんな基本的なことも忘れて、「最近の若者は~」「これだからおじさんは~」と安易に批判する人は、「想像力が欠如している人」ではないだろうか。
そして、想像力の欠如は容易に差別を生み出す。「最近の若者は~」という批判は、人種差別や性差別と、本質的な違いはないのではなかろうか。
集団を批判することに意味はない。個別の事例については、その当人を論じるべきだ。イスラム教徒がテロを起こしたからと言って、全てのイスラム教徒が悪い訳ではないし、痴漢を犯した男性がいるからと言って、全ての男性が痴漢を犯す訳でもない。同様に、あなたの身の回りにいる若者が出来が悪いからと言って、全ての若者が出来損ないという訳もないのである。
ちなみに、冒頭に例として挙げた「50代くらいのサラリーマンが、居酒屋でビールを飲みながらくだをまく」というのも同じだ。「若者批判をするのはそういう下らないおっさんたちだ!」というただの偏見であり、合理的な意見ではない。もちろん冗談ではあるが、正直そういうイメージが湧かなかったかと言えばウソになる。自分も偏見が捨てきれていないことを反省しなければならないと感じた今日この頃であった。