私は非常に察しが悪い人間なので、基本的に「マイナス方向の感情や境遇を察しろ」という考え方がすごい苦手です。自分自身が察しが悪いから、他の人が自分の内面を察してくれるということを信じられないからでもあり、また、自分が弱ってる時に、察してもらえないと助からないようなリスクコントロールをするのは怖すぎるからです。「察してください」「行間を読め」って人は本当になんでそんなに周りを信じられるのかが私には全く理解できない。付き合いがある相手とはコミュニケーションコストが省略できる、というのはわかりますが、それでも所詮他人なんだから、そういうことを相手に期待しすぎるのは怖くないのでしょうか。
次いで言うと、「わたしってこんなに可愛そうだからだれか助けるべき、助けないやつはひどい」みたいなことだけを言う人を助けたい人がいるかというとほとんどいないのではないかと私は考えてしまいます。正直言うとかわいそうだとも思いません。自分で自分をそれだけ可哀想がることができるなら、他人がそれをする必要もないのではないかすら思う。
だから、そういうことをいって助けてもらおうとしている人がいたら私は全力で遠ざかります。「社会」はあるていど理性で動きますからそういう訴えかけもありといえばありなんでしょう。社会政策の話なら私も支援すべきというたちばになると思います。
しかし、社会としてはともかく個人レベルで言うならそういう人は、すくいようがないほどの馬鹿なのか、人の善意につけこむクズではないか、とまず疑います。その人に救いの手を差し伸べたとして要求の限度がみえないですしね。一度助けたら際限なく助けなくてはいけないとなったら蟻地獄です。そういうリスクがある以上、その意図があろうがなかろうが、単に自分はいかにつらいか、いかに可哀想かを語ってる人には手を差し伸べにくいです。
逆に、自分がそういう立場だったとして、愚痴ばかり言ってるのに、ネットで共感を述べる程度ならともかく具体的に手を差し伸べてくれる人がいるなら、その人については「良い人なのかもしれないが無能である」という可能性と「自分を利用しようとしている」という可能性の2つを疑います。
今ネットのごくごくごくごく一部で流行しているらしい「キモくて金のないオッサン」って言葉は非常に気持ちが悪いです。最初どういう文脈で言われたんですかね。それが特定のクラスタに対する蔑称からスタートしてるならもう救いようがないよね。
こういうタイトルみたいなことを言われて、その人可哀想だ、という人はあんまり私とは話があわないと思います。
もっといえば、別に助けを求めてないのに助けを求めてることにされるのも気に入らないですが話し出すとキリがないのでだまります。
長い。もう少し尺短くして
いやお前これまでの人生で誰かを助けたことなんて無いサイコパスじゃん なに言い訳してんの