久しぶりに某パクリゲーに関して言及するツイートを見て少し泣きそうになってしまった。
私は、炎上した際にパクリのことを知り、その後の運営の対応に失望しやめていったユーザーだ。正直、ただ普通にプレイしていたユーザーではなく、心の底から大好きで「私はずっとこの作品のファンで、ずっとずっと応援していくんだ」と密かに誓った数日後にパクリの話を知った情弱なファンだった。
知った時は「は?なにそれ?」という感じだったし、パクリよりも蔑称の方が目についてしまうような典型的なファンだった。でも、自分で調べてみると、擁護しきれないようなものがどんどん出てくる。多くのカードの構図が被っているのだ。
おかしい、これはあからさまにおかしいぞ、と思った。ひとつひとつを見れば、良くあるポージングやよくあるアングルなんだろう。でも、それが全く同じものがこんなに存在する。よくよく調べてみれば、法に触れるとは言えないらしい。それでも、これはおかしい。
他のパクリ事案も知った上でも、まだ私はファンだった。悪いことや許されないことをしたのならきちんと発表し、権利元の方たちに謝罪してほしいと。大好きだったから許せないファンはもちろんいるだろうけど、私は大好きだったから、これからを信じたいし投資したいと、そう思っていた。そして、出てきたお知らせに絶句した。嘘だろうと思った。悔しくて悔しくて泣いたし、すぐにアプリを消した。
ここまでうざったい自分語りをしておいて何だけど、ここからが本題。
なんでこんなブログを書こうと思い立ったかと言うと、パクリを知っててなおプレイしているユーザーが「コンテンツの最期を見届けたい」とか言うのずるいよなということ。
確かに、パクリ案件を知ってなおプレイするのは自由だと思う。私の心が狭いから、目に入れたくはないが自由だとは思う。だけど、「コンテンツの最期を見届けたい」という一言は「パクリは許せない」という言葉を孕んでいる。これが本当にずるい。
その一言でパクリ自体を容認していない気になっているんだろうけど、それ、ただの誤解だからね。そのコンテンツはあなたが容認していないパクリの上に成り立っている。「最期まで見届けたい」とかあまっちょろい言葉を吐きながらも、コンテンツは十分楽しむ。なにそれ。ふざけてんのか。あなたがそのコンテンツをプレイするなら、楽しむのであれば、あなたはパクリを許さざるを得ないんだよ。
キャラを嫌いになれないことと、プレイすることは同義ではない。パクリが許せないならきちんと行動で示せ。これからのパクリを許さないんじゃなくて、今までのパクリだって許すな。今までのパクリを許してる時点で「コンテンツの最期を見届けたい」なんていう言葉は吐けないんだ。
プレイをやめるのか続けるのか、それを決めるのは自分自身。プレイしている人を否定することはできない。だけど、「パクリは許せない」といいながらプレイしている人間は言動に矛盾が生じている。もう一回言うぞ。パクリが許せないのであれば行動で示せ。
先に明記しておくけど、これはパクリ案件が真っ黒だと判断した人間が書いたブログであり、あれを見て白だと疑わない人間と論争がしたいがために書いたブログではない。白黒論争は他所でやってくれ。
パクリゲームをパクリゲームだと知らない人間は幸せだと思うし、可哀想だと思う。
ファンに「パクリじゃない」とか「法に触れてないんだったら問題ないでしょ」みたいなことを言わせるコンテンツが今後増えないことを祈る。
見極めきれなかった自分に非があれど、オタク人生を誓った作品でこういうことが起きると好きという気持ちに不安が生じてしまい、オタク人生が楽しめなくなってしまったという私怨を抱えて生きているよ。