欲求を満たすために経済はまわるのでおひとり様でもどんどん快適になっていく。それは間違いなく良いこと。
みんなが自分のなりたい自分になる権利があるし、そのための努力ができる社会であるべき。
でもそれに伴って相互互助システムとしての結婚は相対的に価値が下がる。
だからお見合い(婚活パーティー)を盛り上げても少子化問題にとって決定的な対策になるはずがない。
そうすると結婚は恋愛が前提になるわけだけど、おひとり様が超快適だから恋愛すら不要になっている。
結婚や誰かとお付き合いをすることのデメリットは数値(コスト)だから共感しやすい。
自分のためだけに使えるお金が減るとか、家事育児で自分の時間がゼロになる、とか。
もちろん男女ともにね。
その反面メリットは個々の体感なのでわかりづらいこと山のごとし。
ひとによっては倒れてしまうほど過酷な幼児期の子育てになぜ前向きになれるか、って子供が喜ぶ顔をみたら苦労は(ほぼ)全部チャラだからだよ。
でも他人の幸福感に共感はなかなかできない。肉体的精神的に辛い状況は共感しやすいのでそこはよく伝わる。
これじゃ仮に何かの奇跡が起きてお金の問題が解決しても結婚しようとは思わんね。
少子化問題に限らずつきまとうもので、「どうやって問題に立ち向かおうか」という話とはまた別もの。
何かの問題を解決したいなら、金と策の両輪をブン回さないとダメだ。
策に関して思うことは、人と仲良くするとひとりでいるより楽しいぜ、っていう価値観をきちんと伝えようってこと。
でも言葉だけで「結婚はいいものだよ」と言っても伝わらない。他人の幸福感とは基本的に断絶してるから。
そこを伝えるためにどうするか。
日本の社会ではフィクションの力にもっともっと頼るべきだと思う。
その作品にふれたら誰でも結婚したくなっちまうような、でもそれは無理ゲーだから受け取った人の何%かには伝わるような。