私は男性だが女性から選ばれてばかりで、自分で選ぶということをしていなかった。
だからまあ性別関係なしに“選ばれる側”の話にしてしまってもかまわないのだけど、
ただ一般的なジェンダーロールとして女性が選ばれる側であるという考えが強いと思うし
選ばれる側の男性というのは一般的に“男らしくない”といわれるだろう。
だからここではそれらを合わせて“女の子”とする。選ばれるのを前提として活動する人間のことである。
女の子がよく言う「言い寄ってくる男は理想の人じゃない」というあれである。
選別をするなとは言わない。
「ちょろっと付き合ったけどダメだったわ」じゃだめで、
というのをしっかり考えつつ“受け取る”というのが肝心なのだ。
だけれど女の子はそれをしない。
なぜなら選ばれる側だ、と自認しているから、次があると思っている。
何故なら、女の子は選ばれる側だと思っているので、
何かしらの基準を満たせなければ他の誰かに切り替えようと考えている。
それが男らしいという、男性差別感丸出しの語句として表現される。
女の子は選ばれる側だと思っているから、自分は価値ある人間なのだと思っている。
惚れたが弱みにならないように、絶対に自分が選ばれるだろうというところまでアピールをしだす。
それがセクハラとなろうと知ったことではない。
若しくは自分が選んだ相手を、「不細工相手に告白した」だとか「童貞/処女と付き合ってあげてる」だとかいって貶す。
いやそれこそ愛情表現なのだ、ディスコミュニケーションなのだというが、それは2者間でのみ完結しうるもので、
第3者にそれを話すということは、やっかいな考えを含んでいる。
つまり「普段選ばれる側の私が、『本来選ぶ側だけどカタログスペックの低い人間』を、選んでやった」ということだ。
その考えの高慢さったらないわけで。
といろいろ書いたわけだけれど、先に書いた通り私も“女の子”だった時期があったので
今考えると、いろいろな人を傷つけたわけで反省している。
なぜ私が“女の子”から脱却しアンチ“女の子”になったかというと、
いろいろな人から見放されて、自分を省みたからである。死にたい。
それでも愛を渇望した惨めな私を愛してくれた人たちに、私は感謝すらしなかった。
しかし、まだ“女の子”の自分は隅っこに住んでいて女性は羨ましいと思っている。
女性はジェンダーロールのゆがみで、“女の子”でいることが許されているし、むしろ当然という勢いだ。
だから、彼女たちが“女の子”を脱却するのも、なんというか、悟った私は偉いという調子である。
暗闇に埋もれる様子は一切ない。
それで羨ましいのだ。
「三十路と付き合ったけど同居同居と必死すぎて気持ち悪いから連絡を絶った」だとか