2016-10-20

恋愛における選ばれる側への羨望

女性が選ばれる側というのは、自分でも少し違うかなと思う。

私は男性だが女性から選ばれてばかりで、自分で選ぶということをしていなかった。

からまあ性別関係なしに“選ばれる側”の話にしてしまってもかまわないのだけど、

ただ一般的ジェンダーロールとして女性が選ばれる側であるという考えが強いと思うし

選ばれる側の男性というのは一般的に“男らしくない”といわれるだろう。

からここではそれらを合わせて“女の子”とする。選ばれるのを前提として活動する人間のことである


さて、女の子は私が選ばれるという論理で動いているから、

それ以外の人間と比べて選ぶ人たちへの評価が厳しい。

女の子がよく言う「言い寄ってくる男は理想の人じゃない」というあれである

選別をするなとは言わない。

しかし、言い寄られるのだから理想の人じゃなくて当然である

「ちょろっと付き合ったけどダメだったわ」じゃだめで、

相手がどういう行動によって愛を伝えようとしているか

というのをしっかり考えつつ“受け取る”というのが肝心なのだ

だけれど女の子はそれをしない。

なぜなら選ばれる側だ、と自認しているから、次があると思っている。


また、女の子男性的な役割相手要求することが多い。

何故なら、女の子は選ばれる側だと思っているので、

何かしらの基準を満たせなければ他の誰かに切り替えようと考えている。

ただ何かしらの基準というのはひどく曖昧なことが多く。

それが男らしいという、男性差別感丸出しの語句として表現される。


面倒なのが、女の子女の子のまま選ぶ側に立った時である

女の子は選ばれる側だと思っているから、自分価値ある人間なのだと思っている。

しかカタログスペックが良いと思い込んでいるから厄介だ。

惚れたが弱みにならないように、絶対自分が選ばれるだろうというところまでアピールをしだす。

それがセクハラとなろうと知ったことではない。

若しくは自分が選んだ相手を、「不細工相手告白した」だとか「童貞/処女と付き合ってあげてる」だとかいって貶す。

いやそれこそ愛情表現なのだディスコミュニケーションなのだというが、それは2者間でのみ完結しうるもので、

第3者にそれを話すということは、やっかいな考えを含んでいる。

まり普段選ばれる側の私が、『本来選ぶ側だけどカタログスペックの低い人間』を、選んでやった」ということだ。

その考えの高慢さったらないわけで。


しかし、問題なのは女の子がそいったことに無自覚なことだ。

基本的に浅慮であるし、それでいて浅慮さにも自覚がない。

何故なら、選ばれているかである


といろいろ書いたわけだけれど、先に書いた通り私も“女の子”だった時期があったので

まり、その高慢さに文句を言えないのは確かだ。

今考えると、いろいろな人を傷つけたわけで反省している。

なぜ私が“女の子から脱却しアンチ女の子”になったかというと、

いろいろな人から見放されて、自分を省みたかである死にたい

「ブスのくせに」という黒い感情とぼけ調子で誤魔化し

それでも愛を渇望した惨めな私を愛してくれた人たちに、私は感謝すらしなかった。

ゴミクズすぎて辛い。


しかし、まだ“女の子”の自分は隅っこに住んでいて女性は羨ましいと思っている。

女性ジェンダーロールのゆがみで、“女の子”でいることが許されているし、むしろ当然という勢いだ。

から彼女たちが“女の子”を脱却するのも、なんというか、悟った私は偉いという調子である

暗闇に埋もれる様子は一切ない。

それで羨ましいのだ。

三十路と付き合ったけど同居同居と必死すぎて気持ちいから連絡を絶った」だとか

処女は不慣れでホント笑えるけど、いい女にしてやろうと思ったら拒否してきて腹立つ」だとかいいつつ

「本当の愛に目覚めた」なんて調子の良いことを言ってみたいと、私のなかの“女の子”は羨んでいる。

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