ペドフィリアであることの告白は『他者を傷付け人権の衝突を引き起こす』(=公共の福祉に反する)為、表現すべきでないという言説-togetterまとめ
を読んで思ったことを書く。
まず、筆者は「ペドファイル」と「チャイルドレマスター」の区別の件は知っていて、表現規制に反対の立場であることを明示しておく。
さて、まとめ内では「ペドフィリアであることの告白」は「恐怖をもたらす(保護者や児童に対して)」から、その表現自体が規制されるべきと言われている。
しかし考えて欲しい。ペドフィリア以外でも、そもそも「属性の表明」は結局何らかの恐怖をもたらすのではないか?コメント欄から引用するが、「ウェイ系であることの告白」は「陰キャラにとっては恐怖」とも言われている。この人の書き方はちょっと微妙な例だとは思うが、基本的にはこの考えに同意である。
ペドフィリアが全員チャイルドレマスターではない。ペドフィリアだとしても、現実に児童に危害を加える人は殆どいない。ウェイ系の中で陰キャラに危害を加える割合のほうがよほど多いだろう。それでも「すべての」ウェイが陰キャラをいじめているんだなどと言い出したらトンデモである。
そしてこの「全員がそうではないがなんとなく恐怖の対象になりかねない属性」なんてのはいくらでもある。逆に陰キャラを毛嫌いしている人からすれば、自分は陰キャラだからと表明している人にある種の恐怖を感じるかもしれない。何かを欲しいと表明する人がいたら、その何かを持っている人が自分のものが盗まれるのではないかと恐怖するかもしれない。実際、ネット上で画像を上げてこれがほしいと発言した人に、違法や強引な手段で手に入れようとするに違いないと決めつけて犯罪予備軍とでも言わんばかりの苦情が発生したという事件も見たことがある。
とどのつまり、「属性の表明」は全てとは言えないにしても、突き詰めれば何らかの恐怖をもたらす可能性はペドフィリア以外にもたくさんある。ペドフィリアであることの表明が、恐怖だからという理由で制限されることが是とされれば、当然別の恐怖をもたらす属性を表明することも規制されかねなくて、「いかなる属性も表明するな」に繋がるのではないか。例えば児童に危害を加えた犯罪者の中には教師が含まれるが(そして一方で殆どの教師は犯罪など犯さない)、では教師であることを表明するのは恐怖を与えるとして制限されるとなるのか。包丁を持った人間が殺人を犯したから、包丁を持っているとの表明は殺されるかもしれないという恐怖心の理由になるから規制されるとなるのか?ありえないだろう。
属性の表明なんてどういう発言がそういうものと見なされるのかわかったものではない。したがって、恐怖だからという理由で表明そのものを規制しては何も言えない世の中になってしまうのではないか?と思う。特に、職業の属性であることを表明せずに仕事をするのは不可能である。
勿論TPOを考慮せずに不適切な属性告白の仕方をするのが良くないというのは当然である。わざわざ小さい子供を持つ親の前で自分はペドフィリアだと余計に表明するのは良くないだろう。しかしながら、いかなる場合でも許さぬという方向になると、こういうディストピアの出現を邪推せざるを得ない、とも思う。
以上の理由から、「ペドフィリアであることの表明」も含む属性告白は、TPOなどの配慮が求められるのは当然とは言え、それ自体犯罪扱いされたり表現規制を受けるなどということはよろしくないのではと思う。
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