私のTLには未だに批判の意見が流れてくる秋元康の「アインシュタインよりディアナ・アグロン」
今更のような気もするが、未だに私の中でモヤモヤが消えないのでここに吐き出させてもらう。
その前に、簡素だが私のことを書く。
・アラサーの女
以上だ。
モヤモヤというのは「アインシュタインよりディアナ・アグロン」についての批判の意見が多すぎるということ。
批判したい気持ちはわかるし、批判の内容はごもっともなのだが、それに対して「この歌詞はかわいくていいじゃないか」という意見をあまり見かけない。というか、そう言えないこの現状。
(あ、ディアナ・アグロンは怒っていいと思うんですよ。なんかバカの代名詞みたいにされちゃって可哀想)
なぜだろうか。
アイドルに求めるものに近いというか…ただ愛でるだけの偶像を求めているのかな、と思う。これは男性依りの思考だと思う。
ただ可愛いを追求する女の子。そんな女の子を支えたい。なんというか…推したい。という感情に近い。むろん頭のいい子は推せない、と言うつもりはないが、正直私はバカな子のほうが愛しい。
(二次元アイドルを好きな理由はここにある。現実の女の子をあまりそういう目で見ているというのは公言しがたい)
女性的な願望…いや、個人的な願望としては、見てくれのいい女の中身はからっぽであってほしいという願望か。これは偶像云々ではなく、純粋に見た目で勝てないような相手に、せめて中身で勝ちたいから中身がなければいい、と願う卑しい感情である。
実際、見た目だけで得をして生きている(ように見える)女はいやというほど見てきた。(私が得をしたこともある)
これは土台となった現状が悪いと言われればそれまでだが、そんな現状で生きてきた私がそういう思考で生きていたからといって誰が私を責められるだろうか。
ようは、見た目がいいんだからバカであってほしいのだ。そこしか勝てないから。
後者の私の卑しい感情は置いておくにして、ただ可愛い<だけの>子を推したいと思うのはよろしくないことなのだろうか。
更に言えば、そんな子になりたかった。
アイドルは正直めちゃくちゃ努力してああなっている。でもその努力をおくびにも出さずにちょっとぬけた可愛いだけの偶像を演じてくれている。
だから私はその偶像を享受し、自分がなりたかったから可愛いだけの子をその偶像に見出して自己投影して愛でる。
うわぁ…めっちゃ気持ち悪い。皆様の声が聴こえる。でもそうなんだから仕方ない。
話がそれました。
ようは、この曲は「一部の層がアイドルに求めること」を的確に表しているように思うのだ。
少なくとも、私の推したい(なりたかった)女の子の理想像そのものだ。
内面はもっともっと考えていようが賢かろうがどうでもいい、表面はこうであってほしいもの、そのもの。
理想のアイドル像って実際の女からみたらそんなに非難したいもの?
あなた達がこうならなきゃいいじゃない。
私はこうなりたかったしこういう女の子が(推し的な意味で)大好きだ。
今の私の心境は、とってもかわいいカバンを見つけて大喜びしているのに「機能的じゃない」「ポッケないじゃん」「使えない」とめちゃくちゃdisられた気分なんだ。