ご存知の通り、おちんちんは市民権を獲得している。テレビで堂々と言い放つもよし。アニメ、マンガでギャグにするもよし。幼児向け絵本の題材にだってなっている。鶴瓶にいたっては、露出後もテレビに出続けている。
一方、おみゃんこはどうだ。テレビで発言したら、謝罪。アニメ、マンガでその存在をほのめかせば、発禁。絵本では存在さえ抹消されている。保健の教科書にすら、形が描写されることはない(T字型の内部断面図で誤魔化している)
おちんちんと、おみゃんこ、どこで差が付いたのか。慢心、環境の差…。男性優位社会が作り上げた根拠のない差別なのか?
思うに、差が付いたのは、男女差別だけが原因ではない。ここでは3つの側面に分けて分析したい。
おちんちんには、隠しきれない存在感がある。長いし出っ張ってる。おっきくなったり、ちいさくなったり可変ギミックを内蔵しており、子供心をくすぐる。しかも男なら1日数回は、直接操作する。こんなもの、面白すぎて隠していられるわけがない。だったら、逆にこちらから踏み込んで、存在を認め、茶化すことが、裏の用途から目を背けさせるための最良の選択となる。他方、おみゃんこは、服の外からは、全く目立たないし、地味である。存在を認める必要性が薄いのだ。(モザイクは厚い)
男の身体的特徴といえば、おちんちん一強だが、女には強力なライバルが存在する。そう、みんな大好き、おっπである。何せ赤ん坊の時から男女問わず吸いまくりの触れまくりである。当然メディアへの露出も多い。露出も何故か許される雰囲気がある。ビデ倫のお墨付きである。おちんちんの対義語は、おみゃんこではない。おっπである。
おちんちんは、単純に体内の余分な水分・老廃物を排出すると同時に水鉄砲としても遊べるスグレモノと説明すればいい。しかし、おみゃんこはどうだ。コウノトリ専用私書箱としか説明出来ない。(あまり知られていないが、女性はおみゃんことは別に、ちっこい、おちんちんを搭載しているのだ。)人間は、語り得ぬものについては、黙秘せざるを得ない。
上記3つの側面で、おみゃんこが置かれた過酷な状況については、充分理解していただけたと思う。しかし、おみゃんこが黙殺される…ひいては男女の営みを黙殺する現状は、人類の幸福・発展にとってプラスに働いているのだろうか?インターネットの発達により、情報へのアクセスは容易になった。しかし、正しい情報にアクセス出来ることは、誰も保証してくれない。今こそ政府は、コウノトリレジームから脱却し、道徳(性的な意味で)を導入すべきではなかろうか。