普通に食卓の椅子に座っていることもあったし、遊んでもらうこともあった。
たまに怒ることもあったけど、面白い一緒に居て楽しい人だった。
その兄貴は帰る時いつも言う。
「お父さんとお母さんには内緒だよ」
だから父母には言わなかった。というか今まで誰にも言わなかった。
その兄貴には、俺たち家族が俺の幼稚園入学のため、実家(祖父母の家)に引っ越すまでは普通に会うことができた。
その間、家では色々あった。爺さんの酒乱、ブチ切れてガラスや何から割りまくり、母親に「出てけ!」と湯呑を投げつける。
酔っぱらって婆さんにからんでいって、殴られて柱で頭を打って血だらけになってひっくり返っている。
それは毎日のように、時には朝からやっている。爺さんの怒鳴り声を聞きながら学校に行くこともあった。
母親は、それを見て無関心な父親ともだんだん気まずくというか愛情にひびが入ってきたようだ。
それでも俺は長男として毅然としていなければならなかった。頼れる人はいない。
家族はみんな敵だった。弟たちには何もしてやれなかった。まだ俺もガキだったし、自分がそこで耐えることだけで精いっぱいだった。
当時久しぶりに兄貴のことを考えた。こんなとき兄貴がいてくれたら…まあ、どうにもできないだろうが、頼もしかっただろう。
はたして兄貴の代わりである俺は弟たちから見て頼もしい存在であったか…
それから俺は、小中学を出て高校、大学、大学院と進んだ。兄貴のことはもう完全に忘れていた。
俺は現在人生がうまくいっていない。ポスドクなんてやって雀の涙以下の給料をもらい、1000万を超える奨学金の返済に苦しんでいる。
当然のようにメンヘラになった。心療内科で薬をもらい、大学専属のカウンセラーに診てもらっている。
家族からはもちろんバカにされている。メンヘラなんて理解してもらえない。バカとしか思われない。
弟たちは大学行ったりして、普通というか割と立派な職業についている。
俺だけほぼニート。情けなくてしかたがない。弟たちに会わせる顔もない。
いつもこの時間は電気を消して、PCと間接照明だけ付けている。うす暗い。
こんなこと書いてて怖くなりそうだが、化けてでるなら出てほしい。それくらい会いたい。
しかし、会えたとしてどうするかは考えていない。
もういい加減人生に疲れた。俺の方が流産したらよかったのに、と思う。
まあ、こんなこと言ったら確実に兄貴に怒られるだろうな。
「生まれてきただけでも幸せだ」とか。
でも、長男ってのは弟たちに情けないところを見せるわけにはいかない。
親や近い親戚が死んでも泣いてはいけないのだ。
普段はバカにされてても、いざというときは偉大なところを見せねばならんのだ。
その重荷に耐えるだけの気力はメンヘラの俺にはない。
頼りがいのある兄貴がいてくれたら、俺もこんな重圧を感じる必要もなかった。
いないものは仕方ないが、それでも励ましでもしてもらえれば、かなり気が晴れるだろう。
長男じゃなかったから耐えられなかった案件
よくわからんが婆さんが強ええ