2014-04-24

ダメに育てる人とダメになる人

人を甘やかしてダメに育てる人がいる。

子供ニートに育てる親や、配偶者を甘やかして「家の中で何もしない人」あるいは「外で働く能力のない人」にして、

子供から軽蔑される親」にしてしまう人など。

はいくらでもある。そういう人は、人をさんざんダメ人間に育てておいて、急にガマンの限界が来て、

「もううんざりだ!自分は不当に搾取・利用された被害者だ!」と怒り泣きながら、身勝手に放り出したりする。

 

こうした「依存させたあとで放り出す」行為について、やたら怒る人がブコメ散見される。

もちろん依存させたあとで放り出す人は、自分の加害性について自覚を持つべきだとは思う。

優秀でイイ人な自分であるために、無能な人を飼育していた事実自覚を持つべきだし、

自分のために無能な人を作り出してしまうことを、二度と繰り返さないようにすべきだと思う。

依存させられて放り出された人」も、ある種の被害者だ。

 

しか被害者から依存させた人は依存させられた人の面倒を一生みるべきなのか?

私はそうは思わない。そんな義務は、どんな関係であろうと、無い。

依存させたあとで放り出す」行為について怒る人は、実年齢はいい大人なのにもかかわらず、

要は「面倒を見ろ!」と一生赤ちゃんのように要求しているだけだ。

その理由を、大人の頭でこじつけているだけだ。

 

応じる義務は誰にもない。親であろうが配偶者であろうが、友達であろうが恋人であろうが関係ない。

大人なら自分ひとり養えるくらい稼げるものだ。大人なら自分ひとり生活できるくらいの家事はできるものだ。

他人に依存していい理由なんてどこにもない。

男も女も関係ない。一定の年齢になると自力生活する義務を負う、ただそれだけのこと。

 

依存させたあとで放り出す」行為の罪を、ことさら大きく取り上げて罰しようとするのは、

いい歳して生活力の無い自分無能さに向き合えず、奴隷を欲しているだけだろう。

奴隷がいたから、奴隷がいないと生きていけない体に育てられたのかもしれないが、

そんなもの自分自分を養えないままで居る理由にはならない。

奴隷奉仕されることを「愛されている」と感じるのは、狂った感性だ。

 

「女だから」「男だから」「毒親だから」「虐待を受けたから」

「バカだから」「ブサイクから」「貧乏育ちだから」「いじめられたから」

そんなものは、他人に依存して、他人を自分のために使わないと生きていけない自分のままで居る理由にはならない。

 

もちろん幼少期の家庭環境や生まれつきの能力に恵まれて、すんなりと大人になれた人もいれば、

幼少期の家庭環境や生まれつきの能力に恵まれず、なかなか大人になれない人もいる。

でも幼少期の家庭環境や生まれつきの能力に恵まれなかったことが、

「他人を奴隷のように一生利用し続けていい正当な理由」にはならない。

 

甘えている自分に気づかないのも、気付いた上で言い訳を繰り返しながら変わらない選択をするのも、結果は同じ。

甘える選択をした人間は、見捨てられて生活破綻するリスクを背負わなくてはならない。

 

大人は守られない。別の大人から無条件に守ってもらう権利はない。

大人に守ってもらえなかった子供が、年月の経過で自動的に大人になってしまったとしても、

現在の脳や身体は大人のものなのだ。大人は自分人生を引き受けなくてはならない。

子供時代がどれほど不運で不遇だったとしても、人の人生を利用して踏みにじっていい正当な権利など無い。

親も上司も部下も恋人友達配偶者通りすがりの人々も、自分子供でいるために、使ってはいけない。

そんな権利など誰も持っていない。

男にも、女にも、金持ちにも、貧乏人にも、健常者にも、病人にも、誰にも無い。

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