匿名はてなって前からツイッターとかで流れているのをみたことがあった。
いろんな人々が、トラックバックでやり取りしているのが見えたし、興味が湧いた。
匿名はてなって、当然だけど、完全に匿名で且つブログなはてながやってるSNSってことに意味があるんだろうなあと思う。
この特徴を1つ1つ僕の描いているイメージで書き出してみようと思う。
匿名であればあるほど、各個人が、(ある意味無責任に)自分の思うことを発信する。
逆に、実名が出ていたり個人が特定される状況化では必然的に責任が生まれたり叩かれたりする可能性があるから、尖った発言を控える様になる。
実名を出しているから偉いみたいな空気感が生まれる。全くお門違いではあるが。
だから、完全に匿名で実名な奴がいない、意図的に実名にすることが難しい空気感を作られていることに意味があるんだろう。
ついでに、完全に匿名なことで現実の関係にネット上の関係がフィードバックしないことも良い。
どんだけネット上で毒を吐いたとしてもリアルにフィードバックしないと言うことが保証されているような気分にさせてくれる。
(あくまで気分ではあるが)
ブログに対して、退避されるのが、ツイッターなどのようなタイムラインに流れるタイプの短め、もしくは長めで、とにかく流れていくタイプの記録。
短めの限定のタイムラインタイプがツイッターで、長めのも可能になったのがFacebookなイメージがある。
どちらにしてもタイムラインで流れるタイプのものは、わざわざその人のページへ行って過去の記事を読み返されるのが少ない。
少ないと言うだけで、炎上している人や、行動を分析したいと思わせられる人のタイムラインは、実はみんな過去の記事を読みにいっているんだと思う。
とにかく、タイムライン形式のはかなりインスタント。流して欲しいようなコメントばかりが流れていく。
文章も短いし、読み手からすれば一見して、やんわりと言いたいことが読み取れる。
(ここから次のSNSのイメージとして、ツイッター形式なんだけど、例えば30分以上前の過去のツイートが読めないタイプのSNSは作っても良いような気がしている。)
一方ブログは、文章量を増やすことが可能だし、多くの情報を込めやすい。丁寧に説明もしやすい。
でも、タイトル、もしくは書いた自分の今までとかからブログを読みたいと思っても得なければ読んでもらうことすらできない。
だから言いたいことを言うにはブログっていうのは多くの情報を含められるので語弊は少なくなるけど、
読んでもらえる人が少なくなる可能性が大きいという問題が起きる。
それをSNSのようなブログが集まるような場所を設けることで、入り口ができ、1つの解消されるんだけど、
それでも、日本のような文化では誰が言っているのかというのが信頼度や意見の重さを決める指標として利用されていて、
それがつまらない様に感じる。それを匿名はてなでは取り除いてくれる。
嫌われた経験のある人にとってはここは楽園とも言える何かかもしれない。
はてなが出すサービスと言うのはネット上の関わり方を色々考えさせてくれるようなサービスが多い。
僕としては凄くおもしろいし、いろんなサービスがあるけど、全体的に好きなものが多い。
さっき、日本文化では誰がやってるかで信頼度や意見の重さを決めると言う話がきらいだと言いながら、
僕自身も、「はてな」がやっているということである程度の信頼を置いているのは、
まあとにかく、バックグラウンドがあるはてながやっていることで匿名でも人が集まっていると言うのはあると思う。
なぜなら、匿名である限り絶対的に現実関係にフィードバックがない。
人間は現実世界へのフィードバックを求めて、ネットを利用している節がある。
だから周りの人との人間関係と言うフィードバックがなければSNSを利用しないひともたくさんいるだろう。
そういう人たちは匿名な場を利用するモチベーションが低いと思う。
まあ2chの例があるけど、あれも類似サービスだとは思う。スレッド形式ではあるけど。
でも個人的にはリアルにフィードバックが少ない保証があるんだから、
とりあえず、人に噛み付きまくってもいいのかなとか思ってる。
また、この記事も誰かがトラックバックしてくれるのかなとか
誰の目にも留まらず埋もれるのかな。とか、思うけど、まあ何でも良いや。
何ヶ月にか一回、こういう熱い子が現れるんだけど名増田にはならない。 面白いものを面白く書ける増田は、こんな考察なんてしないんだよ。
全力で振ってたらいつかホームランが打てるかもしれないだろ
初カキコ…ども… 俺みたいな中3で増田見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは 今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか ま、それが普...