夫が、
・政治家はバカばかり。
・マニフェストを実現させなくても罰せられず、騙される俺たちは被害者だ。
という話を始めた。
私は、
・バカもいるだろうけど、地道に頑張る人もいるよ。
・マニフェストの実現性は、有権者がそれを見定めることも必要だよね。
と返した。そして、即効性があって、すぐに得するようなアドバルーン政策を評価するよりも、何十年掛けてでも社会を良い方向へ導くような政策・政党を支持したいなー、有権者が長期的な視野を持つべきだと思う、と言った。
「長期的って何?」
「今私がこうなったらいいな、と思っているのは、例えば同性婚の実現かな」
「なんで実現させなきゃいけないの?」
「させなきゃ、というか、したい人はできるように、選択の自由ができたらいいなーと」
「俺はそういうのにはニュートラルだから、別に反対はしないけど、同性愛者は結婚する必要ないでしょ」
「でも、したいと思う人達はいるよ。それに、持って生まれた、本人には選びようのないことで、結婚の自由が保証されないって、良くないと思うから」
「え?あの人達って、好きでやってるんだから、それくらいの不自由受け入れるべきだよ。そういうの気持ち悪いから見たくない、っていう人だけが我慢しろっていうの?」
「まず、同性愛は選択的なものではない、というのが現代の定説だよ。それと、気持ち悪いって思う人の感情はどうしようもないにせよ、せめてそれを口に出すのは人間として恥ずかしいと思ってほしい」
「まず、そんな定説は知らない。それから、俺はニュートラルだから、何とも思わないけど、キモいと感じる人が恥じなきゃいけないって、おかしくないか?」
「黒人はキモい、見たくない、って言う人がいたら、言う方が悪いと思わない?」
「人種差別と一緒にするなよ」
「持って生まれた、自分では選びようのないもの、っていう意味では一緒だよ」
「だから、その定説は知らないんだよ。でも、とにかく人種差別とは別だよ」
「同じように、言われない差別に苦しむ人はいるんだよ。肌の色や、どこで生まれたかで差別されるべきじゃないのと同じだと思う」
「結婚できないのは、何か理由があるんでしょ。知らないし、知りたくもないけど。でも、その理由があるんだからさ、それを尊重しないのはいいのか?って話」
「だから、知りたくもない、って今言ったよね」
「でも、これから生まれる子供が、そう生まれるかもしれないんだよ。誰にも、そういうことで苦しんでほしくないんだよ」
「かもね。俺はニュートラルだから、別に構わないけど、今はそういうこと考えたくないんだよ。そうなってから考えてもいいじゃん」
「ニュートラルだから、良いとも悪いとも思わない、ってことだよ。何もアクションを起こさない、ってことだよ」
「じゃあ、現に苦しんでいる人がいても、ニュートラルだから助けないってこと?」
「だって、助けることが良いことか分からないじゃん。興味もないし。それに、君はそういう人達と全然関係ないじゃん。なのに、そんなに熱くなるって、外野がうるさくて迷惑だ、としか思われないんじゃないの?助けてほしいと思わない人の方が、ひっそりしてたいのに騒ぐな、って言う人の方が多いんじゃないの?」
「異性愛者に色々いるように、LGBTにも色んな人がいるとは思う。でも、サポートしてほしい、サポートしていることを公にしてほしい、って思う人もたくさんいるよ」
「だから、君は全然関係ないのに、なんでそう分かったように言うんだよ」
「本を読んだ」
「はあ?偉そうに。そんな表層的な知識で語っちゃうわけ?」
「あなたは、興味も関心もないのに、なんで私が言うことが表層的だって分かるの?」
「本読んで分かることなんて、表層的に決まってるよ」
「勉強する気もない人に言われたくない‼」
とまあ、気付けば日付が変わっていた。賢い人なら、ここで終わるが、我々はとことんバカなので、この後も低レベルな口喧嘩は続き、結論としては、私は社会的な話を家庭に持ち込まないことになった。同性婚以外では、女性の人権問題が禁止対象だ。
夫の感覚では、関係ないのに問題意識を持つ、というのはおせっかいなことらしい。私が本を読んだり、寄付をしたりするのは構わないけれど、自分の見えない聞こえない範囲に限る、と言いたいようだ。
それにしても、ニュートラルニュートラルって、無関心や放置をニュートラルと呼ぶのはやめてほしい。が、もうこの話題には触れないことになったので、言えない。心の中で時々「このニュートラリストが!」と思うにとどめる。
女性の人権問題とかだったら普通にあんた関係あるじゃん。というかコピペにもあるけど、基本「この世にオレに関係ない事なんてねぇんだよ!」だ。 よく旦那に「君は関係無い」とか...