2012-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20120709024655

手袋を買いに」が採用されなくなってきているとしたら、それは母狐の冷淡さがどうこうっていうか単純に世の中が冷淡だからだと思う。

「誰にでも元気よく挨拶しましょう」じゃなくて「知らない人とは口を利いてはいけません」ですからね。

この物語をうのみにして子狐を買い物に送り出すなんて昨今の親狐は怖くてできねーだろ。

そも作中でなぜ母狐が恐ろしくって人間の町に行けないかと言えば、狐であるという一点で害獣扱いされて恐ろしい目に遭うかも知れないと思っているからだ。

害獣として害をなした現場を押さえられて恐ろしい目に遭う~じゃなくて、自分が狐だから追い回されるかもしれないと思ってる。事実仲間に前科があるわけだし、釈明するより先にぶんなぐられるかもしれない。

でも理屈でいけば、木の葉じゃない真っ当な金持って礼儀正しく頼みに来たんなら、例えそいつが狐でも追い返すんじゃなくて品物を売ってやるべきだ。店って本来そういう場所だ。

子狐はそういう論理を見事通して手袋を手に入れてくる。

今はそういう理屈が通らない世の中だ。親の因果が子に報うどころか、因果も何もない子どもでもろくでもない目に遭うリスクが高くなった。

からしかるべき警戒心」を削がないために教科書に載せないんじゃないの。知らんけど。

あと「ごんぎつね」の「うなずきました」は何つーか、ぶっ放されてぐったりというシーンであるのも相まって、

「痛ッたそおおおおおおおうわああああああああ」って感じで何かもう心境とか考察させる教師はアホじゃねーのと思っていました少年時代

絶対意識もうろうとしてて聞かれたことに頷くのが精一杯だったよアレは、と今でも信じている。

記事への反応 -
  • 誰もが知っている不朽の名作「ごんぎつね」「手袋を買いに」 最近の国語の教科書には掲載されていないとかいう情報を耳にした。 真偽のほどは定かでないが、事実だとすれば理由はい...

    • うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、 しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が大...

      • うーむ、やはり「うれしくなりました」の方がよかったのかな。 確かに兵十が贈り物は神様からだと思っているのを悔しがる描写は出て来たし、 自分の思いやりに気付いてくれて「う...

        • 「手袋を買いに」が採用されなくなってきているとしたら、それは母狐の冷淡さがどうこうっていうか単純に世の中が冷淡だからだと思う。 「誰にでも元気よく挨拶しましょう」じゃな...

    • 両方に共通して言えることだと思うけど、昔の人は自分の行動に言い訳をしない人が多かったんだよ。 そういう時代背景があって書かれた話だと思う。だから、今の感性からすると、な...

      • 新見南吉と宮沢賢治、どこで差がついたのか 慢心、環境の違い と定形文で書いてしまったが 新見南吉のほうがむしろ後の時代なのに古く感じるのはなんでだろうね? たんにパーソナリ...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん