2012-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20120707210022

うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、

しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が大切なのか」という印象も持たせる終わり方になってしまうし、

かと言って「うなずきました」だと一層「自分が評価されたいだけなのか」という感を読者に植え付けさせてしまうし、

撃たれてもなお「うれしくなりました」の方が、自己犠牲的で感動を与えるような気がする。

感謝されたかったのもあるだろうけど、土間の栗だのきのこだのを「神様」だと思ってた兵十の誤解を解けたのが嬉しかったんじゃね?

人生訓は簡単だ。悪事には罰があるということと、それでも贖罪は叶うということ。

母狐は自分が恐ろしくて行けないような街になぜかわいい子狐を一匹で買い物にいかせたのか。

まりに冷淡ではないか

町のはずれでハラハラ待ってたっぽくね?

「ぴゃっと行ってきちゃいなさい」くらいの感覚だったんじゃね?

送り出してから後悔したかもね。「心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていました」。

記事への反応 -
  • 誰もが知っている不朽の名作「ごんぎつね」「手袋を買いに」 最近の国語の教科書には掲載されていないとかいう情報を耳にした。 真偽のほどは定かでないが、事実だとすれば理由はい...

    • うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、 しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が大...

      • うーむ、やはり「うれしくなりました」の方がよかったのかな。 確かに兵十が贈り物は神様からだと思っているのを悔しがる描写は出て来たし、 自分の思いやりに気付いてくれて「う...

        • 「手袋を買いに」が採用されなくなってきているとしたら、それは母狐の冷淡さがどうこうっていうか単純に世の中が冷淡だからだと思う。 「誰にでも元気よく挨拶しましょう」じゃな...

    • 両方に共通して言えることだと思うけど、昔の人は自分の行動に言い訳をしない人が多かったんだよ。 そういう時代背景があって書かれた話だと思う。だから、今の感性からすると、な...

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