うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、
しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が大切なのか」という印象も持たせる終わり方になってしまうし、
かと言って「うなずきました」だと一層「自分が評価されたいだけなのか」という感を読者に植え付けさせてしまうし、
撃たれてもなお「うれしくなりました」の方が、自己犠牲的で感動を与えるような気がする。
感謝されたかったのもあるだろうけど、土間の栗だのきのこだのを「神様」だと思ってた兵十の誤解を解けたのが嬉しかったんじゃね?
人生訓は簡単だ。悪事には罰があるということと、それでも贖罪は叶うということ。
町のはずれでハラハラ待ってたっぽくね?
「ぴゃっと行ってきちゃいなさい」くらいの感覚だったんじゃね?
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うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、 しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が大...
うーむ、やはり「うれしくなりました」の方がよかったのかな。 確かに兵十が贈り物は神様からだと思っているのを悔しがる描写は出て来たし、 自分の思いやりに気付いてくれて「う...
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