2011-10-13

脱原発思考になった人とやりとりしていたら全く違う認識をされていた

 その人とは東日本大震災からインターネットを通じて色々仲良くさせてもらっていて、
子育てもしていて仕事もされていて、話も合うし大切な人間関係に育てていけたらいいなぁ。
と思っていました。

言葉が荒っぽいこともありましたが、自分自身もそういうことがありますし
「そういう気分のときもありますよね」
と気に留めずお互い一様の関係を維持していました。


 それが原発事故が悪化していく中で少しずつ変わっていきました。

その人は脱原発に関係することを色々教えてくれるようになり、
以前はそれほどの頻度でもなかった荒っぽい言葉を口にされるようになっていき
自分は心が痛むようになりました。


 自分原発のある地域で育ちました。
原発が実際にある地点からもそう遠くなく、幼少の頃から資料館のような
施設に立ち寄ったり学生の頃には原子力発電所にまつわるディベートのようなことも
学生間で催され常に考える機会がありました。成長すれば成長するほど、
どうして原子力発電所はここにあるのか?何故ここじゃなければいけなかったのか?
という不満と不安が沸き起こってきました。

 その大きな理由は「絶対安全」ではないかです。
色々なものごとで「絶対安全」というものはありませんが、原子力発電所という
何か起こってしまったら極めて広い範囲に影響を与える上に、生活圏が非常に長い間
おそらくは自分が生きている間ですらも元に戻らないかもしれないという可能性が
あるのです。

 このような考えをするようになってから原発はなくなってほしい。
なくなる術はないものか?と子どもなりに考え、両親に話をしたことがありました。
両親は当時幼稚だったろう自分の話をしっかり聞き、聞いた上で原発はなくなることが一番
だという思いを語ってくれました。そして、それと同時に

「外でそのような話はしないように」

と言われました。何故話してはいけないのか?と問うと

「あってもいいと思う人、なくなればいいと思う人本当に沢山の考えがある。
 あってもいいと思う人もこの土地を悪くしてやろうという思いで原発建設に
 賛成したわけではない。あなたが、この地域でこれから生きていくなら今は少し待ちなさい」

それは両親の優しさであったと思います。祖父に聞いた話だと、原発建設に際して
賛成派と反対派相当な応酬があったそうです。同じ地域に暮らす人たちが仲良く暮らせないような
そんなギスギスしたものもあったそうです。

 それから町の景色が変わりました。一見すると平和そうな穏やかな時間の流れる
自分故郷が、見えない何かによって穏やかさを装っているようなそんな風に見えるようになりました。
 自分はといえば、自宅の周辺に広がる自然を眺めながら、ただ涙する日が増えました。
何故危険ものがありつづけることが認められるのか。この時は分かりませんでした。



 時を経て、色々なことを知り地域にとって原発の良い影響も知ることが出来ました。
それは一介の田舎にはありがたい恩恵だったと思います仕事が出来、人が集い、町を守るために
お金を使える。田舎でしたが、福利厚生という意味では自分が育った地域原発から得られるお金地域の人が暮らしやすい環境が整えられていたと思います。その現実を見たときに、自分は
当然の対価だとも考えました。

いつ何時、暮らせなくなるかもしれないのにも関わらず、原発は動き続けていて電力を
色々な地域に送っているのだから、そのリスクと比べたとき地域が受ける恩恵はあって
しかるべきだろうと至ったのです。

 それと同時に、このまま原発の甘い汁を吸い続けていても故郷はいつまでたっても
より豊かになることはなく緩やかなカーブを描き衰退していくだろうと思うのでした。
みんなが意識しあって、町を形成することで活気がありそれが様々な商売に繋がり、結果として
豊かになることが正しい形だと思っているかです。


 色々なことを知りましたが、自分の中の答えは原発がなくなってほしい。これに変わりはありませんでした。


 これは脱原発の考えです。
 でも自分の心は、最初に紹介した「その人」の言葉に痛みます。

 同じ考えであるはずなのに、どうして痛むのか。
おそらくは「その人」の見聞きしている脱原発お話が、ただの防衛手段だからなのかもしれません。
「原発は危ないものから早く止めて!なくなって!」
その一点です。その中にそれまで原発を設置されていた地域への労わりもなければ、無関心を恥じる謝罪もなく、
ただ「危ないから、とめて」。
 止まることは良いことです。その止まった後、おそらく半永久的に残ることになる施設の後始末であったり
欠落した地域収入引いては地域に住む人たちが強いられる環境の変化、そこまでの意識はないんじゃないかな。
と心配になりました。

 仮にここ数年後に日本の全ての原発が停止して、より安全性の高い電力エネルギーにより補填がなされた時
誰か気にする人がいるでしょうか。原発があった場所は、今どうなっているのかな?その地域の人たちは
幸せになったかななんて思ってくれる人がいるのでしょうか。


 今まで親しくさせて頂きましたし、これからも「その人」と本当に関係を保ちたい。
そう思っていたので、自分もその方に少しずつ思っている事であったり感じていたことをお伝えしていました。
 ですが先日、予想だにしない言葉をその方から聞きました。
自分は酷く傷つきました。その旨を伝えると、その人も自分言葉に傷ついた事があったそうです。
それは自分がその人に切々と伝えていたある部分でした。自身の言葉足らずもあったので、謝罪をし改めて
思いの丈を伝えようとしましたら、迷惑だと伝えられました。

あなたは、こちらの気持ちを踏みにじっていると。原発暮らしてきたからだろうと思って
黙って聞いてきたけどと。



 その人には今までの非礼を詫びました。気付かなくて申し訳なかったと。
結局その人の中では、原発のある地域暮らしてきた自分を含め様々な人たちが加担者として
見られているのかもしれません。自分の胸のうちも「本当なのか」と疑われました。

 小さい頃から苦しみ、悩み、悲しみ、あきらめ、今現在原発事故の被害を受けた方を憂い、
何か出来る事をと努力している気持ちすら疑われ、それまでにその人と交わした言葉は何だったのだろうと
打ちひしがれました。自分の力が無かったのかもしれません。


 自分今日本で起こっている軽い気持ちでの脱原発思考には反対です。
(追記。先々まで考えられているなら、それはとても素晴らしいことだと思いますひとつ流行のように達成されてしまったら、原子力発電を含め発電に対する意識が
忘れ去られてしまうんじゃないかと思うからです。

 本当の脱原発は、原子力発電所の作られた場所が平穏を取り戻し、その地域の方々も幸せに暮らすことだと思っています自分の心の付箋としてこの文章を残します。

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