私自身は本土でずっと生まれ育ち、5年に1度くらいの頻度で母と帰省する。
今年も帰った。
やっぱりここは日本ではない、日本の一部とするにはもったいない、と帰るたびに思う。
言葉も食べ物も自然も信仰も思想も建築様式も芸術も町並みも何もかも日本とは違うのだ。
首里城とそれを囲む城壁を何度見ても紫禁城と万里の長城に重なる。
町中あちこちに祭られるシーサーや石敢当は言わずもがな、龍を祭る風習も中国に似ている。
赤塗りの瓦屋根、通路を囲む石垣、路面を覆う石畳も、中国的であり日本的でもあり、両方が合わさって「沖縄らしさ」をかもし出している。
言葉は確かに日本語の一種であり転訛したものだが、日本語との対応関係がわからない語や中国語の残滓らしきものをよく発見する。
食べるものも、豚のあちこちの部位やらヤギ肉やら苦瓜やらピーナッツ味噌汁やらヤドカリやらハブ酒やらグアバやら、
沖縄の人は内地人をそれと見分けられる。私もすぐにないちゃーだとばれる。
雰囲気だけでもなんとなくわかるようだし、しゃべったらほぼ確実に見分けられる。
姓を教えれば決定的に判別できる。
本土から沖縄に移住して3年滞在している友人の通称は「大城」だ。
現地人を装いたいためというが、この沖縄姓を名乗っていても本土人とばれるという。
顔が薄っぺらいからかななどと言っていたが、風格や匂いでわかるものがあるのだろう。
やっぱりここは違う国だ。
比喩的な言い方だが、通っている血が違うのだ。
現在の沖縄人で自分は日本人ではない、日本から独立したいと考えている人は皆無に等しい。
独立して自分たちだけで琉球国家を運営する能力がないことに関する説明は、あまりに自明なのでここでは割愛する。
多分これが標準的な沖縄人の反応だろう。
「国民国家」という枠組みに押し込められて成長してきた結果、
明らかに違う属性を持つにもかかわらず、「日本人」としてのアイデンティティだけが過剰に発達して、
本来の在り様との間に乖離が生じて、アンバランスな立ち位置になっているように思う。
母は、親族と東京でたまに食事をしたり東京にいる兄弟に贈り物をするときは、沖縄料理を選ぶ。
自然と選んでいるのだ。
また冒頭で「沖縄に帰る」と言ったが、母がいつもそう言うのでいつしか私も、
住んだこともないのに、「帰る」というようになった。
これもまた母は意識せずそう言っている。
沖縄という土地自体が「家族のいる場所=帰るべき場所」と認識しているようだ。
意識せず自然体で現れるからこそ、自分の拠り所、ルーツなんだろうなあと母を見ていて思う。
ハワイのように原住民が根絶やしにされるよか百倍マシだろ 結局補助金付けなんだしな
横だがマシとかそういう問題じゃないだろ 沖縄は元々日本とは別の国だったんだってもっとちゃんと認識したほうがいいよ
じゃあ独立運動でもしたら?としかいいようがない。 でも実際に沖縄でそういう運動してる連中って本土からわざわざ来たプロ市民しかいないじゃん。 んで補助金べったりで言われて...
http://anond.hatelabo.jp/20110902213642 じゃあ「アイヌ人」ってのは、横増田的にはアリなの?
アイヌって言ってもそれを自覚して日本人の中のアイヌ民族として生きてる人とかいないじゃん。 差別とかもあるわけではないし、 まぁもっともアイヌ民族として生きていきたいってい...
なんだただのネトウヨか
おまえそういうみえすいた嘘ならべるなようすぎたない。
他の地方出身でも大して変わらないと思うけど。 東京だけが「日本」、と思ってるのかな。
おかしくない。普通の感覚。 例えば私は神戸で生まれ育ったが、神戸の人という感覚はあるが、兵庫県の人という感覚は全くない。皆無。でも日本人という感覚はさすがにある。日本人...
元増田です。 そうですね。相対的なものです。 うちの母親もそうだけど身の回りの沖縄人見てて思うのが、 「沖縄にも○○があるの?」「沖縄でも○○なの?」などと言うと 「ここ...
自分の出身県がすごい田舎で東京の人から「○○県にも○○があるの?」と聞かれても、 「あるよ~どれだけ田舎だと思ってるの?」で笑い飛ばすのが普通の感覚だと思うの。 そり...