はてなキーワード: 衣川とは
(元増田)
「完全にうまく行くことなんかこの世にはないさ。みんな、多かれ少なかれどこかで取り返しのつかない失敗をしながら、それでも生きているんだ」
「失敗するとわかっていても?」
「それが失敗だと誰が決めるんだ?」
俺がだ!
VSイマジネーター!
飛鳥井先生〜!苦悩する能力者がイマジネーターに精神的に追い詰められて新世界の神みたいに堕ちてくとこがたまらん!さすがマッドハウス!
偽ブギポに扮した正樹がチンピラをボコり倒して衣川琴絵(中身はEちゃん)の頭に銃口をゴリッと突きつけるアクション!凄すぎて、その後の本命のはずの凪をちょっと食ってたぐらいだからね(苦笑)
飛鳥井仁とスプーキーEの対決と、あっけない幕切れ!鳴り響くマイスタージンガーの中、遂に「本物」と出会う偽ブギーポップ=正樹!ブギーポップと飛鳥井仁の対決と、やはりあっけない幕切れ!終盤のこの辺は普通に盛り上がるところを、普通に盛り上がらせてくれたので満足!
夜明け!
あ、あぁあ゛あ〜〜(語彙喪失)
原作読者は当然、初見の人々からも圧倒的な高評価!ヒーローのオリジンエピソードとして、原作のエモさの勘所を的確に拾いつつ、アニメらしく膨らませるべきところ(特にアクション)は大きく膨らませるセンスの良さ!一挙放送で一本の映画のように見せたかったのも頷ける、間違いなく本アニメのベスト!
改めて語るのもタルい(「タルカスっぽい」の略)から、詳しくはこの辺を参照してくれ!
原作読者によるアニメ「夜明けのブギーポップ」メモ1(10話)
歪曲王!
ゾーラギゾーラギ!原作でもシリーズ中一、二を争うようなド派手な対怪獣戦を、「飛んでくるコンクリート片を素手で受け止めるブギー」「コンクリートの壁をワイヤーでバラバラにするブギー」といった、悪ノリすれすれのTUEEEムーブまで追加して、よくもここまで爽快なアニメーションに仕立ててくれましたね!TRIGGERの存在にここまで感謝したことないよ!
あれ、もしかして「笑わない」の……?と思わせてからの、オリジナルの竹泡エピローグ!なるほどなあ!こう来たか!「歪曲王」単体ではなく、アニメ最終回にするならこれもアリ!泣くわこんなの!
笑わない!
笑わないは……いや、笑わないだって、全アニメ平均で見ればそこまで悪くもないよ。
よく文句を言われるモノローグ全カットも、小説(ラノベ)原作だからこそ敢えて、言葉から映像に変換することを最大限試みるべき、という心意気と言えなくもないし。実際、得体の知れない緊張感でいえば随一だったしね。
キャスト!
ブギー・藤花のみならず、藤花の中学生・高校生の微妙な演じ分けも完璧だった悠木碧氏!ありがとうありがとう!
細谷飛鳥井!こういう、実は脆いところを抱えたイケメンほんと似合うな〜!
ハナカナ水乃星!あ、ヤベー女だ!巫女にして!
小林竹田!失礼ながら本作で初めて知った人だけど、竹田を現代の高校生としてアップデートできたことの、最大の功労者だと思ってます。
他も全体的に良いんだけど、個人的にあと一人挙げるなら、来生真希子(フィアグール)の木下紗華氏!怪人としての本性をむき出しにした時の怪演ももちろん印象的だったけど、普段の(欲望を抑えた)声もいいんですよね〜!
音楽!
牛尾憲輔氏はメインスタッフ中で唯一、原作読者だったことを公言してるだけあってジャストフィット!鬱々とした日常の中にそれでも仄かな希望が見えるような原作の空気感をズバッと捉えてくれてました!
――といったように、ブギーポップ(2019)には評価すべき点がいくらでもある。
しかし、それでもブギーポップ(2019)は失敗作なのだ。そう言わねばならない。残念ながら。
あのアニメには、もっともっと良い形があり得た。それを我々は既に知っている。
原作読者の狂信か?違う。
アニメ化決定の発表と同時に公開されたこのPVは、ブギーポップ・宮下藤花・霧間凪・水乃星透子こそ登場しているものの、描かれているシーンはほぼ全て、原作には存在しないものだ。合成人間・MPLSらしきオリジナルキャラクターの姿も見られる。
にも関わらず、このPVはファンが「ブギーポップ」に求めるであろうものが全て詰まっている。都市で暮らす若者たちの閉塞した日常。その影で行われている人間と超人の、あるいは超人同士の暗闘。そして、それらとは一線を画す、単なる能力のぶつけ合いには留まらない、世界の敵と死神の戦い。BGMは牛尾憲輔による曲だが、コンサートホールで手を振るブギーポップというマイスタージンガーを思わせる要素すら含まれている。
これらが、冷たく硬質な空気感でもってまとめ上げられた一本の完成した映像作品が、このPVなのだ。アニメ本編では、監督自身が絵コンテを担当した笑わない編の1・3話の映像面にはやや近い方向性がある気もするが、それでも質では遠く及ばない。
そもそもPVや予告編とはそういうものなのだ、と人は言うかもしれない。短いだけに刺激がギュッと凝縮されるのであって、それを長丁場のTVアニメ本編にそのまま望むのはものを知らない愚かなことなのだと。
しかし、本当にそうなのか?あのPVを見た俺以外の原作読者は、ああいうブギポアニメが見られることを少しでも期待していなかったのか?またアニメスタッフは、自分たち自身が作ってみせたあの素晴らしいPVに迫るような内容を本編でも実現しようとは、一度も思わなかったのか?本当に?
改めて言っておくが、ブギーポップ(2019)は決して、原作レイプで作画崩壊でRTAといった最底辺アニメなどではない(円盤売り上げはひどいらしいが)
だが俺は、ブギーポップのアニメで、そしてあのPVを作ったスタッフのアニメで、「良かった探し」なんかしたくはなかったのだ。良くも悪くも圧倒されたかった。どうせ高みに届かないなら、いっそ本当に地獄のような最悪の出来になっていてほしかったとすら思う。
現実にいま俺の前にあるブギーポップ(2019)は、良いところも悪いところもそれなりにある、そこそこのアニメだ。俺はそれを敢えて「失敗作」と呼ばせてもらう。
放送から既に2年が経つが、この事実を素直に受け入れるためには、まだまだ時間がかかりそうだ。あるいは、本編終了から始まったこの葛藤こそが、「ブギーポップ再アニメ化」というイベントの本質だったのかもしれない。お気持ち長文ポエム失礼。