はてなキーワード: コリオリ力とは
非慣性系の座標系同士が慣性系に対してそれぞれ同じ加速度を持っている場合は、一方の慣性系の運動方程式を立てるときに他方の慣性系の加速度は項として現れないと考えて合っていますか?
エレベーター内の物体の動きというようなものをを考えるとき、地表面を慣性系と考えていいのは、遠心力やコリオリ力が小さいから「無視できる」というふうに聞きました。
でもこれって「無視できる」んじゃなくて「無視するまでもなく存在しない」と表現するのが妥当な気がしたんです。
地球は自転も公転もするのでその地表面は非慣性系であるのと同時に、エレベーターや電車の中での動きみたいな地上で行われる日常的な物体に対する物理的考察は、基本的に地表面を基準として行われていると思います。
地上でエレベーターが静止している場合、エレベーターが存在する地表(に固定した座標)と、エレベーターに固定した座標は、理論的には全く同じ加速度でこの宇宙内を運動しているはずですよね。
そしてエレベーターが上昇すると、エレベーターに固定した座標の加速度には、地表と同じ加速度に上昇運動分がプラスされているだけという形になると思います。
このとき、エレベーターの中の物体に対して運動方程式を立てるとき、慣性力として現れるのは、「無視できる」からとかじゃなくて、理論的に物体の質量にエレベーターの上昇運動分の加速度のみをかけたものになると考えて合っているでしょうか?
参考書で慣性力を考えるとき最初は(慣性系から見た物体の位置ベクトル)=(慣性系に対する非慣性系の原点の位置ベクトル)+(非慣性系からみた物体の位置ベクトル)という式を立てて、これを二階微分して出る加速度の関係式を運動方程式に代入するというやり方でした。
ようは、慣性力は、二つの座標系の関係性のなかで論じられているのだと思います。
そうするとこれが、地表と地表に対して動く物体内の物体という、非慣性系が二つ出てくる場合には、非慣性系の座標系同士の関係性のなかで同じように論じられる。そして上記のやり方だと、慣性系そのものの位置ベクトルないし速度加速度を考えなかったのと同じように、一方の慣性系の加速度、地表を基準とするなら地表の加速度は考える必要なく、運動方程式にも地表の加速度に由来する慣性力は現れようがないのかなと直観的に思いました。
ただ、慣性系一つに、非慣性系二つという三つの座標系を仮定して式を導くというのが、自分の計算力不足で煩雑になりすぎてお手上げだったので、本当にそうなるのか自力では導けませんでした。
実際はどうなのか回答していただけるとありがたいです。
でもそもそも慣性系っってどこにあるんですかね??太陽系も銀河系に対して公転してるらしいし、銀河系も公転してて、というか時空間自体静止せず膨張してるというのであれば慣性系ってそもそも存在するの?ってなるんですけど。
草野原々を読んでいたら出てきた。
丸い水槽のなかに障害物を置き、水槽を回転させる。すると、水は障害物を避けて通るが、あたかも障害物がもっと高いところまで続いているかのように、障害物の上でも水はそこを避けて通る。簡単にいうと、障害物を避ける流れができると、他の高さでも同じような流れが生まれるからこうした現象が起きる。コリオリ力が関係している。
https://www.youtube.com/watch?v=7GGfsW7gOLI
もう少し詳しく説明するとこうなる。
水槽が回転する。
→水が外側に集まり、水面が高くなる。
→水は高い方から低い方へ流れようとするので、ある地点で落ち着く。
(現実の気象では、水面の凸凹を解消しようとする力とバランスするところで止まる)。
→これを現実の地球で例えると、水面が盛り上がっている方を北半球では右に見る向きに流れができる(地衡流)
→深さに限らず、地衡流は同じ向きに同じだけ流れる。
(水面の凸凹はそのまま下まで水圧として伝わり、低い方へ流れようとする力は上にも下にも同じようにかかるため)
→逆に、水槽の底に障害物があると、水がそこにひっかかって動けなくなる。
→表面の水も動けなくなる。
(琵琶湖の環流や、海底の地形に影響を受ける海流もこれで説明できる)
ちなみに、ピンポン玉をテイラー柱の中に入れると、通常よりもゆっくり浮かび上がってくる。
何かが浮き上がるとき、その上では水を押しのけ、下では水を集めてくる流れができるが、この様な深さによって違う水の流れは回転している水槽の中では生じにくいためだ。
はてなを使っていると時々「あれ、この○○○って人、もしかして×××という人と同一人物?」と思う事がよくある。
「よくある」と言っても両手で数えられるぐらいしか無いと言えば無いのだけれど。
はてなではメイン・サブ併せて5つのアカウントを使い分けられるのだから別におかしな事では無いのだろうけど。
「何でわざわざそんな面倒な事してんの?」という疑問がわく程度に興味を引く。
「○○○は×××のサブアカです」とはっきり明示している人もいれば、IDで明らかに同一人物と推定できる人もいる(アナグラムになっていたりとか)
言及・反応する話題についてもカテゴリ(クラスタ?)で明確に使い分けている人はどちらかと言えば少数派。
大半の人がそれぞれのアカウントでの活動の分量がさほどあるわけでも無いので「いっそ1つに纏めた方がいいんじゃないの?」と思ったりもする。
気になるのが「○○○は×××のサブアカ」という事について言及する際の微妙な空気について、空気というか全力でスルー力というか抑止力というかコリオリ力が働くというか。
これは「メインアカウント-サブアカウントの紐付き情報は個人のプライバシー」という事から来ている変に微妙な圧力だという事は知っている。
だからってどうって事も無いのだ。「結局お前は何が言いたいのだ?」って言われる事も判っているのだ。つまりは
「あれ?この人どう見てもサブアカで自分のダイアリーのエントリに自分でスター付けてなくね?」
「わざわざ別アカウントでレスポンス返してなくね?それを皆承知した上でそのまま言及続いてなくね?」
「別アカ同士でフレンドになってなくね?」
といった突っ込みが全て内に秘められたままにしておかねばならぬ状況にモヤっとするという事だけなのだ。