2021-09-02

表現の自由戦士は、まんだらけ禁書房の件で「サブカル 語る。」を批判する

id:arrow1953まんだらけの「禁書房」はオタクのキモさを周囲に知らしめる絶好の機会 - サブカル 語る。について批判する。

店の立地の判断

若い女の子の多く集まるお店の前。」というのを考えてみた時に「そもそも、自らの性癖を周囲(しか女性)に晒すことになる店なんぞに客はやってくるのだろうか?」という考えはなかったのだろうか?いやいや、おそらくあったのでしょう。ということはむしろ女性たちに自分性癖晒すことになる」のが大前提であり、それこそこのお店の最大の「ウリ」と判断したのだと考えるほうが自然

いや、それは不自然だw

まず、中野ブロードウェイテナント部分も区分所有であり、以下のような理由が考えられる。


で、客が来るか来ないかでいえば、もともと周辺はまんだらけや、他のアダルトショップもあり、回遊性という意味では特に支障が無い。

まり、目の前のファンシーショップのことを気にしていなかっただけ、と考える方が明らかに自然だろう。気に入らないものに対して、無理に悪意を見出そうとするのは人の心理ですが、書いていて気づかないのは、はっきり言ってかなり重症である

社会」について

一般的な形で社会コミットしているエロ好きオタク非オタクな社会人の皆さんはそんな環境を「キモい」と思うでしょう。社会コミットできているエロ好きオタクにとって迷惑このうえありません。

社会というものについて深く考えることもできず、ただ性欲をダラダラと人目を憚らず周囲に垂れ流すだけの節度のない「オタク」ははっきりいって「ジャマ」。

社会対応できない非常識オタク」を社会晒し駆除

社会性のないオタクどもへの罵詈雑言だけ

と、「社会」に適応することについて、延々と述べている。

しかし、そもそも社会」とは何だろうか。単に、"いかがわしいもの排除する"程度の話であれば、それは、「社会」の話ではなく「世間」の話に過ぎないと増田は考える。これが、もし「社会」の問題であれば、ファンシーショップやその客側の利害や権利まんだらけやその客側の利害や権利を洗い出して具体的に特定し、それを比較衡量し、なおかつ人権といった普遍的とされる概念に照らして判断する必要があるし、もし規制するとしても、最小限度の範囲利益考慮たかたちで行われる必要があるだろう。

駆除」の条件

id:arrow1953 の言い分を要約すると「"キモイ""節度のない""社会対応できない非常識オタク"は"ジャマ""迷惑"だから"駆除"すべき」といったことを言っていると思われる。ここで、注目すべきは「駆除」の条件である

これらが条件となっている。これは明らかにヤバい

これらの、主観的悪徳評価は、おうおうとして少数民族異端迫害村八分を行う理由として使われてきたものである。ちょうど先日9月1日関東大震災の日だったが、その際に行われた朝鮮人やその他外国人、「アカ」、その他の余所者などの人々に対する虐殺は、このような理由のはっきりしない主観的悪徳評価が大きな背景としてあった。id:arrow1953 の主張は、関東大震災虐殺に及んだ「普通の人々」とほぼ同じである

なお、ちゃん人権を学んだ人は「公共の福祉」つまり権利の衝突から必要最小限の自由の制約ということを考えるし、仮に自分不快に思ったとしてもそんな感情はクソどうでもいいものとして棄却ちゃん合理的思考をするように訓練されているし、市民(≠大衆)はそう訓練されなければならないと増田は考えている。

ゾーニング

ゾーニングを守ってさえいれば

この、「ゾーニングを守る」の一言で済ましてしまうことが、大きな問題である

まず、完璧ゾーニングというのは不可能である。どんなに隠したところで、そこにそういうものがあることは隠すことができない。なぜならば、ゾーニングは中に何があるかを明示しなければゾーニングにならないからだ。また、厳しいゾーニング広告宣伝が制約されたり、不便な立地に追いやられれば、当然に、売上や客足に影響するだろう。また、ゾーニング対象をどのように選ぶかという問題もある。たとえば、ユダヤ人経営する商店特定街区にゾーニングするとすれば、それは単なるゲットーだ。

このように、一言で「ゾーニング」といっても、営業自由やそれによる利益に対して配慮し、合理的規制しうる最小限度の範囲で行うための子細な検討を要するはずである。それらを抜きに「いかがわしいアダルトショップが悪い!」みたいな雑なお気持ちで「ゾーニングしろ!」と吹き上がるのは、はっきり言って、コリアンタウンデモをやる在特会の連中とさして変わらない。

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