ある主張の証拠として何が正当だとされるかは、時間や場所によって変化する。このエッセイは、カテゴリー分類とその証拠にかんする正当化の空間の、時間的な変化を問題にしている。その意味でこれは客観性の歴史にたいする寄与として理解することもできる。
第1節におけるエビデンシャリズムの(1)の用法は、次のような知的態度のことを指すと思われる((2)については扱わない)。
重要なのは、(ii) 証拠の「決定性」と (i)(iii) による一方のカテゴリーへの強制的包摂である。後者はここでは明示的に書かれていないが、このように補えば2節以下は知解可能になる。
この用語は、エビデンスが健全な議論には必要だという「実証主義」とは区別されるべき、たんに手続きにこだわる強迫神経症的な態度であり、トリビアル(些末に自明)と思われる事柄についても、データや文書といった原則として有形なエビデンスを要求する、という過剰さを意味するものと理解されたい。多くの場合、エビデンスは、文字通りに反復、移転可能なものであることが求められるのであり、「差異を含んで反復可能」では不十分である。つまり、揺れのある証言や解釈など、想像の可塑性に依拠せざるをえないものは、棄却されがちである。エビデンシャリズムには、互いの想像を信じ合う者としての、あるいは裏切り合うかもしれない人間を不在にしたい、という欲望すら含まれているように思われる。
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この用語は、健全な議論には証拠が必要だと言う「実証主義」とは区別されるべきである。エビデンシャリズムとは、証拠を求めることを自己目的化し(「その証拠が信頼できるという証拠を示せ!」)、結局「決定的な」証拠しか問題にしないような知的態度のことを指す。日常的にはトリビアル(些末に自明)と思われる事柄も、それがいくつかの暫定的証拠によって支えられているだけでは不十分とみなされ、多くはデータや文書といったかたちでのさらに決定的な証拠が要求される。人間の記憶などは曖昧あるいは嘘の可能性があるので証拠としては却下されがちである。この点でエビデンシャリズムは人間不信の一形態なのかもしれない。
ここでは、90年代の文化について全く異なる2つのことが主張されている。
(※(A)はサブカルチャー一般に関する問題であり、90年代に特異的なことではない。)
従って、このエッセイにおいて問題とされるべきなのは、(1)・(B)・(A)の間にどのような論理的なつながりがあるのか、ということだ。これらは以下のようにつながっている。
(B)90年代当時、たとえばギャル男は「男でも女でもない」(あるいは男性でも女性でもある)という曖昧なカテゴリーのなかに位置づけられることが可能であった。この位置づけの正当性は、たとえば、「ジェンダーとしては男性である」という「男である」ということへの暫定的証拠と、「服装やメイクが女性的である」という「女である」ことへの暫定的証拠との、組み合わせによって示すことが出来た。当時の正当化の空間の中では、暫定的証拠が主張のための証拠として通用したし、そして対立する暫定的証拠の組み合わせが混交的カテゴリーを生むとことが許容されていた。そしてこのような、「ある面ではX、別の面ではY」という曖昧な存在について、90年代の人文学は好んで語ってきた。
(1)今日のエビデンシャリズムの勃興は、そうした正当化の空間の変質を意味している。例えば、「ギャル男は男でも女でもない」という主張に対しては、「ギャル男が女ではない決定的証拠」が求められる。そしてそのような証拠は存在しないので、「ギャル男は男なのだ」ということになる(実際にこのような窮屈さ(「ギャル男とか言っても結局男じゃん」)を感じた人がいたのではないか)。このような正当化空間の中では、もはや暫定的証拠の組み合わせによって曖昧なカテゴリーを正当化する事は出来ない。曖昧な存在について語ることは難しくなる。
(A)それでもなお曖昧な存在について語るための一つの方法は、過去には実際に曖昧なカテゴリーを許すような正当化空間が存在したと示すことだろう。ただしその作業をこの現在において行うためには、もちろんその過去の存在は決定的な証拠によって示されなければならない。ところが、90年代における曖昧なものの多くはサブカルチャーのなかにあった。そしてサブカルチャーの常として、その文化の細部にかんする決定的な証拠はほとんど残っていない。従って、この曖昧なものを語るためには、現在では通用しないとわかっていながらも当時の正当化の空間に身を置くしか無い。
今、90年代的ストリートの形象を思い出すこと、それは、激烈なグローバル化に合わせエビデントに身を固める手前で揺らいでいた身体・資料体(コルプス)の、不安のマゾヒズムを喚起することにほかならない。そしてそのことは、一時代の確認というよりも、不安のマゾヒズムの再起動でなければならず、ゆえに、落ち着き払ってエビデントになされるのであれば本質を毀損されるタスクなのであり、気配として匂いとして、霧散の途上にあるものを記述するという無理に苦しむレトリックによって語るしかないのだ。分身から分身へと移ろう不安のマゾヒズムを再起動させること。すなわち、あらゆることがあらゆるところに確実に届きかねない過剰な共有性の、接続過剰のただなかで、エビデンスと秘密の間を揺らぐ身体=資料体を、その無数の揺らぎの可能性を、ひとつひとつ別々の閉域としてすばやく噴射する。柑橘系の匂いで。
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今、90年代のストリートにあった曖昧なものたちについて語るには、暫定的な証拠が通用しまた曖昧なカテゴリー分けが許された当時の正当化の空間のなかに再び身を置かなくてはならない。なぜなら、かつてその曖昧なものたちが存在したという決定的な証拠は、もはや入手できないからだ。90年代の曖昧なものたちは、90年代の「匂い」のなかでしか語れない。