「大学を卒業して20年たつとわかる、終身雇用なんて、幻想だった。 - 竹内研究室の日記」
は、実体験とともに思い出を振り返る上品なオヤジの説教なので、
居酒屋で絡まれたら、大変な時代でしたねー今もどんどん悪くなってますねーとか言っとけば良いわけだが、
ブコメが興味深い。
http://b.hatena.ne.jp/entry?eid=150492630
このテの話題が出る際には、鉄鋼、造船、繊維などの、大量のブルーカラーを必要としたが、ある時期を境に必要としなくなった産業を指すことが多かったので、隔世の感がある。
南満州鉄道が実質的には"国家運営"プロジェクトであったことは結構有名だろうが、挙げられているいずれの業種も強い"国策"企業であって、官僚として中枢に入るか、実地に出て国を変えるかという、エリートの選択肢でしかない話題ではある。
(その意味で、件のブログの東大工学部出の連中の話なんか知らねえよ、という揶揄なのかもしれないが、夢に賭けた若者を笑うのは、自虐にしても寂しいことではある)
まあ、本題はこっちである。
時代は既にもう一歩先の「普通の人生(結婚してマイホーム持って子供育てて…)なんて、幻想だった」のフェーズに行ってるんですけどね。この国もうダメじゃん
なのに日本の社会は未だに終身雇用前提でできてるからなぁ。これでは住宅ローンも組めないし、子どもも作れない。理系の研究者の方でこれだから、我々文系の人間はどうやって食べていけばいいのか。
これは、ある程度は誇っていいことなのかもしれない。
「一億総中流」は遠い過去の夢となっても、少なくともはてブでコメントを残す人間の脳裏には、鮮烈な印象として焼き付いているわけだ。
列島改造をすすめ、基盤を整備し護送船団で企業を育て、労働組合を抑えつつ国民の意識を総中流に向ける。
出稼ぎ労働が上京へと姿を変え、地方は公共事業を、都市は民間企業を躍進させた。
日本住宅公団が「団地」を建て、借家ではなく「家」をという意識を持たせていった。
その意味で、「普通の人生」や「日本の社会」が、未だに1960年代に築きあげた幻想を基にしているというのは、
とても、とても、とても、感慨深い。
一応補足しておけば、日本が終身雇用前提の社会になったことなど一度もないし、
普通の人生が、結婚・マイホーム・子供のセットになったことも、やはり一度もない。
平安時代後期に「禄をもらって荘園を維持し、遊興に耽るとか既に幻想だった。この国オワタ」と言うのと同じだ。
もちろん王朝国家体制は、その制度設計を平安貴族を中心に置くだろう。
でもそれは「普通」じゃ無い。
今我々がここにいて、増田を読み、はてブのコメントをしているのは、
貴族が紡ぎ、武士が駆け、商人が席巻して、軍人が靴を鳴らしたその系譜じゃない。
そのほとんど大多数は、主流ではない人達の脈々と続く人生の連続が途切れなかったからだ。
子を産み育てることが楽であった時代はない。
しかし、たった一度でも途切れれば、今ここに我々は居ないのだ。
一億総中流は、「自分たちがどの階層にいるか?」というアンケートへの回答からなった。
時代が下るに連れ、平均すれば間違い無く豊かに生きやすくなっている。
一億総中流という意識が、上を見ればキリがない日本を生きる中で、前向きに豊かな気持ちを持たせてくれた事は良いことだと思う。
だが、いままさに最頻値にいる人達が「昔、幻想を信じさせることで上向きにしていた時代」を「普通の事」だと思い込むことは、果たして良いことなのかどうか、僕には判らない。