はてなキーワード: WEB2.0とは
自分への覚え書きも兼ねて。まとまらん文章で失礼します。ちなみになぜ2.0か?増田で訊いているからです。それだけです。
1年生前期・・・高校時代ずーっと非リア充で悶々と過ごしてきたので、その頃から大学に入ったら彼女でも作ってわいわい楽しく過ごすぞー!!って言う強迫観念にも似た意思があった。1年の前期はその意志だけで動いていた。私立文系。
一番はっちゃけていた時期かもしれない。おしゃれになろうと努めたり、大学に入る前から学部主催の交流会に出たり、入学式でちょっと仲良くなった人と写真を撮ったり、テニスサークルに入ったり、ノリでフットサルサークルに入ったり、基礎演習や語学の人たちと一緒に遊びに行ったり、サークル等の新歓の花見や飲み会に手当たり次第参加したり、とにかく交友関係を築こうという意思は十二分にあり、おかげで俺の顔と名前だけは知ってもらえることに成功した。友達や新たな出会いを求めて、他の基礎演集のクラスの輪に一人で乗り込んでいくことも多かった。携帯のメモリが一気に100件増えた。飲み会→カラオケでオールという夜の遊び方の流れを覚えた。ピークには1週間に6回は飲み会だった。
はっちゃけていたし、なんせ世渡りを知らない青二才だったので、正直にいえば原チャで飲酒運転やチャリパクで捕まったりもした。今では反省している。自分自身でもむちゃくちゃだな、と思いながら生活していた。それ以上に楽しかった。大学デビューはそこそこ成功したんじゃないのかな。逆にちょっとはしゃぎすぎた感が否めない。うん。もう一度言うけれど今では反省している。
1年生夏休み・・・1年の前期でテニスサークルの空気が何か違うなと思ってやめた。フットサルサークルも好きな子がいたけど振られたので気まずくてやめた。どっちにしろ、この時点で付き合いの幅を決定してしまうにはまだ早いなと思ったという経緯もあったんだけど。
このごろには彼女ができるかなと思っていたが無理だったのでサークルで仲良くなった男3人で花火を見に行った。相変わらず飲み会だけは多かったが前期の頃と比べるとまだ少なくなってきた。
1年生後期・・・それまでどっちかというと古着しか着ていなかったんだけどすこしいい服を買い出すようになった。バンドをしている友達に影響されてエレキギターを買った。前期のやり方がだんだん通用しなくなってきた。それまではちゃんと授業に出てたんだけど、後期に入ってから授業の出席率が悪くなった。
加えて友達が、それぞれ別の友達と仲良くなり始めて俺のコミュニケーションできる人の数が徐々に減っていった。別に仲が悪くなったわけじゃないんだけどちょっと話しかけるの気まずいかな、って言う人が少しずつ増えてきた。俺はどうも狭く深い人間関係を築くのが苦手だなぁ、広く浅い人間関係のほうが向いてるんじゃないかと思ったのもこの頃だったと思う。それまではあまり家にいることは少なかったんだけどこの頃から家にいる日が増えだしてくる。そして俺はそんな状況をあまり心地よく思っていなかった。
バイト先の女の子を好きになっていっぺん遊びに行ったけど結局無理だった。なんとなくうまくいかなくて閉塞感が漂っていた時期だった。逆に言うと現実的になり始めた時期かもしれない。
年の終わりごろにバイクを購入した。いきなり次の年の初めにはバイクがきっかけで女の子と仲良くなることがあって、バイク所持の攻撃力の高さを思い知った。
色彩検定2級をとった。
1年生春休み・・・新しく入ってくる新1年のための新歓スタッフを務めることになり、新歓交流会の企画運営を行った。がんばらなくてはという自負でちょっとした責任者ポジションについたんだけど、他のメンバーが女の子ばっかりでしっかりしていたうえに、俺自身がそんなにしっかりしていなかったので空回りばっかりで、うまくマネージメントすることができずに終わってしまった。がんばろうという意思だけは最後まであったのだが、ある意味総すかんを食らった形だったので、俺は陰ながらメンバーにいらいらしたり、半ばふてくされながらやっていたりして、とにかく俺の交友関係(特に女子)に禍根を残す形になってしまったといっても過言ではない。そこで、俺は人の上に立って人を使ってあれこれ言う立場には向いてないのかな、もしそうありたいならもっと責任感や計画性を持たなければいけない、ということを感じた。
2年生前期・・・新歓スタッフとして前期の間新1年の基礎演習のサポートをすることになり、ちょっとしたごたごたの末そこで知り合った新1年の女の子と付き合うことになった。素直でいい子だった。2年の前期と夏休みは半分その子との思い出みたいなものだ。かといって、それで新1年のサポートがぐだぐだになってしまってはまずいと思って、本業もちゃんと全うして、今度は遺憾なく新1年を取りまとめることができた。生活的には1年生後期のようななんとなく広く浅く友達と付き合っている感じだった。
2年生夏休み・・・半分彼女との思い出。今のところ人生で一番楽しい春夏だったと思っている。やはり交友関係は広く浅くの方向であまり誘われるほうでもなくなってきたがそれでも何とかやっていけたのはひとえに彼女がいたからであり、交友関係もまぁこんなもんなんだろうとだんだんたかをくくり始めた。
2年生後期・・・ゼミが始まって新しい人との出会いがあった。でももちろん1年前期のようなわきゃわきゃした空気は俺も周りも持っていなかったので、至って現実的で建設的な交友関係を築いた。
mixiが炎上して、その事が彼女の鬱憤を爆発させることにつながって、結局彼女と別れて、なんとなくやけくそな時期を迎えた。授業に出ない日も増えたし、バイクも事故ったり、無駄に夜更かしをして1日2日無駄に過ごすことも多くなった。日常が音を立てて崩れるのを感じて少し絶望的だった。そんな体たらくなので周りの人と話す元気も少しずつ失せていって、俺の交友関係はまた少し小さくなった。
先輩にクラブミュージックを紹介してもらって、クラブミュージックに興味を示し始めた。
スペイン語検定4級をとった。
2年生春休み・・・このままではいけない、もっと新しい世界をいっぱい見て自分自身を磨かなければ、このままだとどつぼにはまるという思いがあった。それと、まったく文化も言語も違う環境で俺は果たしてどれだけやっていけるのだろうか。それが知りたくて海外に1ヶ月ほど留学した。結果はまずまず良好だった。新しい文化や違う言語を話す人たちと交流して、それにすんなりと入っていける自分を再認識した。一緒に行った他のメンバーが戸惑っているようなことでも俺は積極的に受け入れて、それぞれの事柄は些細なことかもしれないけど人一倍向こうでいろいろなことを体験できたと思っている。自分には新しい環境に溶け込むことができる能力があるんだなとこのときに思った。
この時期に「ウェブ進化論」を読んで、ネットおもしれーと思って、日常生活の交友関係が相変わらずさっぱりさばさば広く浅い感じだったこともあり、それ以来俺の生活の重心が一気にネットの方向に傾き始めた。これは、ひとつの非常に大きな転換点だった。
3年生前期・・・クラブ通いとネットへの傾倒が始まった時期といえる。はてなダイアリーを始めたのはこの時期で、うれしそうにweb2.0とかなんとかほざいていた。ニコニコ動画もこの時期に始めて、ネット傾倒の流れはさらに加速した。ここにきて、リアルな交友関係は少しだけ重要性が低くなった。広く浅くなんだけど、いよいよそれほど広さもないかな・・・とか思い始めた。それでももちろん、仲がいいやつとは仲がよかったので、別にそれでよかった。それよりも頻繁に通うようになったクラブでのその場その場の酔った勢い的な出会いが面白く感じるようになってきた。昼夜は確実に逆転し、街には主に夜しか出かけることがなくなり、なんだか1年前期とは違う意味でおわってるなと思うこともあるけれど、別に閉塞感も何もなく、それなりに楽しい日々を送った。学習したい欲が高まってきてだんだん本を読む習慣ができてきた。ネットに興味を示しているので、ネット関連(非技術系)の本を読み漁り始めた。
3年生夏休み・・・ネット系の企業のインターンシップに行って、そこそこの成果を挙げることに成功した。有意義だった。就活に向けての意識が一気に高まった。車の免許を取った。
3年生後期・・・相変わらず生活スタイルは3年生前期と変わらず。暇なときはネットがあれば時間がつぶれるようになった。学習したい欲はゼミ個人研究が始まったことでさらに高まり、読む本の量も確実に増えてきている。だからといって毎日かつかつで生活しているわけでもなく、本当に自分の興味のままに知識を貪り、ニコニコ動画を見、クラブに通う日々を過ごしている。この前は野外DJイベントを計画した。俺にしてみれば自主的に動けたし、イベント自体もとてもいいものになったのでとても満足なんだけど、これも自分の並々ならぬ興味関心があるからこれだけ動けたのかな?とも思ったりしている。
大学入学時に思い描いていた青写真とはだいぶかけ離れた自分になってしまっているなぁとおもうがこれも成り行きだし、こういう生活も悪くないって今思えているから結果的にはいいんじゃないのかなって思う。就活を控えて周りの就職活動も加速していて、自分もそろそろ本腰入れて就活に取り組まねばなと少し焦っている。←今ここ
この俺の歴史を踏まえたうえでの俺の長所短所って何ですかね・・・・・・。もしよろしければ他己分析いただければありがたいです。なんか長所が見えてこないのは気のせいか?
追記:ハテブコメで言われてそのほうがいいと思ったのでじきに小中高大含めて年表化します。
追記:http://anond.hatelabo.jp/20071127060449とhttp://anond.hatelabo.jp/20071206001845は俺。
http://kageura.blog52.fc2.com/blog-entry-56.html
予兆はずっと前からあった。
90年に出た「誰のためのデザイン」という本でも記されていた。
大量生産大量消費からモノが抜け始めている時点でwebは遅れをとっていた。
一人一台、携帯とPC。テレビの普及。車の普及。核家族化。ニート。ひきこもり。コンビニ。
大量消費社会の遺産とでもいうべき波が訪れている。
すばらしいデザイナーたちはそれに気づいていた。
本当に、デザインの時代が来そうだ。
ただし次にくる時代はweb2.0でもない。3.0でもない。
それを考えると過去をもとめる行為も必然だったんだ。正しく言えば私たちはなにも過去をもとめていたわけじゃない。
新しいものをデザインしなくちゃいけない。
でも新しいという言葉に惑わされてはいけない。
本当に、デザインの時代が来てる。
気づくのが遅すぎた。いや、わかっていたことの再確認だった。
理解している人はすでにいっぱいいる。でも、まだ。まだまだ。
負けない。
http://anond.hatelabo.jp/20071116101056
すでに売れているからだよ。すでに実経済に組込済みだから。
リアルに金を払う層が見えているなら、バズる必要もない。
結局ネットとは現実社会からつまはじきにされた者のたまり場で現実社会を斜めに見る場であるということなんだろうか?ニコニコ動画や初音ミクはWeb2.0やCGMとしてもてはやされている。しかしケータイ小説にはそれがない。もちろん散発的にケータイ小説を擁護する人はいる。しかしここで問題にしたいのはいつも一生懸命ニコニコ動画や初音ミクをWeb2.0やCGMとしてもてはやし、新しい文化の創造であるなどと絶賛している人だ。ケータイ小説もユーザーが作ったコンテンツである。しかもニコニコ動画の投稿者や初音ミクを使った製作者とは違い、そのコンテンツできちんと売上げを上げている。従ってニコニコ動画や初音ミクをWeb2.0やCGMなどとして賞賛している人はケータイ小説を賞賛しなければおかしい。しかし現実にはそんな人はいない。なぜなんだろうか?コンテンツの「レベル」が低い?それをいえばニコニコ動画や初音ミクの「レベル」も低い。ニコニコ動画のほとんどの動画は既存の動画を切り貼りしただけで100%オリジナルはない。内容もオタクかニコニコ中毒者にでない限り理解できないものが多い。ケータイ小説も内容のレベル、背景を共有している人には理解できないという点では変わらないかもしれないが、それでもケータイ小説はそれでもつたないながらも自分の言葉で話を作っている分独自性があり、「マシ」である。初音ミクも同様である。オタクでなければ理解できないし、きちんとした歌手のほうがうまい。ケータイ小説もニコニコ動画、初音ミクもユーザーが作ったものである、レベルが低い、背景を共有しない人には理解できないなど似たようなものなのである。しかしニコニコ動画や初音ミクを絶賛する人はケータイ小説は絶賛しない。結局Web2.0、CGMなんていうのも現実社会では相手にされないギーク(笑)を含めたオタクを喰い物にする連中が作った言葉で、そのオタクに受けないようなことには使わないということなんだろうか?またネットはオタクなど社会につまはじきにされる人間がくだをまいて自分たちを「擁護」してくれる発言をありがたがるくだらないゴミ溜めみたいな場に過ぎないということなのか?
ネットは多様性を許容し、相互に交流して新しいものを生み出す場であってほしいものだ。
ややこしいことをいったのは俺かもしれない。
というのも流し読んだネタなので記憶が曖昧なのだが、どっかで匿名はいかんみたいな誰かのフレーム?(2004年頃)があって実名はリスキーだ→実名でなくともその議論か場の中で応酬を有効にする一貫性を示せる指標があればいい、という「一貫性のある名前」を指して「顕名」を使っていたような気がするんだ。
適当ですまないが、あとは詳しい誰かが補足してくれるに違いない。
追記
大元は黒木ルール 2001/1/23(「匿名」による批判の禁止ルール、元記事消失Googleキャッシュあり)の匿名定義
「匿名」であるか否かの判定は実名や電子メール・アドレスを公開しているか否かで行なわれるのではなく、その人が自分自身の考え方や趣味・嗜好に関してどれだけの情報を公開しているか否かで行なわれる。 (この意味での「匿名」は通常の意味の匿名とは全然違う意味であることに注意! 以下に書かれていることを誤解しないためには、そのことを決して忘れないことが必要です。なお、このような「匿名」の定義はネット上で実用的に使用可能な「匿名」の概念としてかなり有効だと考えられます。例えば、一貫した人格のもとで自分自身の考え方をインターネット上で発表している人は実名を公開してなくても「匿名」でないということになる。)
で、『この意味での「匿名」は通常の意味の匿名とは全然違う意味であることに注意!』と有るように普段でも通じやすいように「実名と限らない非“ここでの匿名”」に別の名前を当てたと思うのだが。
初めて見たとき、うまい表現するなって思ったんだ。
「デザート」だとあくまで食後に食べるものっていうイメージだし。
「洋菓子」だと果物とかアイスクリームとか入らない気がするし。
「甘味」だと和菓子だけじゃなくてあんみつとかも入るけどやっぱり和物だけを意味するイメージだし。
だから、食事とは関係なく単独で軽く甘いものを食べたい時に「スイーツ」って表現するのはなるほどなって。
「和スイーツ」って言い方はどうなのかとは思ったけど、和風の「甘味」に対して洋風の「スイーツ」という対比の言葉なら、洋風にアレンジした和菓子を示すなら雰囲気出てるんじゃないかと。
「パスタ」が笑われる理由もよくわからない。
メディアに踊らされ乗せられた自覚のない気取った男性を嘲笑した言葉。
そのような男性が単なる豆知識程度のことをわざわざライフハックと呼ぶことに由来する。
ライフハック(笑) Web2.0(笑) Win-Winの関係(笑) デジモノ(笑) ちょいワル(笑) 男の隠れ家(笑) マストバイ(笑) 男の料理(笑) 週末起業(笑) デキる男の○○(笑) LOHAS(笑) アルファギーク(笑) アルファブロガー(笑) ITアーキテクト(笑) コーチング(笑) ヒューマンスキル(笑) SOHOワーカー(笑) ブロゴスフィア(笑) マッシュアップ(笑) シナジー効果(笑) 渋谷系プログラマ(笑) アーリーアダプター(笑) ユビキタス(笑) CTO(笑) ソーシャルメディア(笑) フォークソノミー(笑) エバンジェリスト(笑) ロングテール(笑) 人生のクオリティをアップ(笑) クリエイティビリティ(笑) コモディティ化(笑) バリューチェーン(笑) スピンアウト(笑) バイラルマーケティング(笑) 旧帝大(笑) 地頭(笑) ユーザービリティ(笑) SEO(笑) 勝ち組(笑) 成功するイメージ(笑) GTD(笑) del.icio.us(笑) Flickr(笑) エクストリーム・プログラミング(笑) 増田(笑) はてなスター(笑) ブクマコメント(笑) アレゲ(笑) タイムマネジメント(笑) マインドマップ(笑) コミュニケーションスキル(笑) アクティブエイジング(笑) アウトロー(笑) 少年の心(笑) 本格派(笑) 男の美学(笑) 伊達男(笑) スーツは男の戦闘服(笑) 自分戦略(笑) 俺は会社の歯車にはならないぜ(笑) 一国一城の主(笑) 風林火山(笑) 社長の懐刀(笑) キレ者(笑) ビットバレー(笑) 社長ブログ(笑) 起業家の梁山泊(笑) 一匹狼(笑) 俺も昔は無茶したもんだ(笑) 修羅場をくぐってきた(笑) 仕事術(笑) ソリューション(笑) dis(笑) 明確なビジョン(笑) 趣味の時間(笑) 自分の世界(笑) サクセス(笑) 夢を諦めない(笑) プライベートは大切にしたい(笑) 自宅にワインセラー(笑) 行きつけのバー(笑) 自由人(笑) 男の生き様(笑) 週末は仲間とフットサル(笑) 誰にも真似出来ない自分(笑)
"インターネット"といわれるものとの付き合いは結構長くて、始めた当時は、あちゃらNAVI(懐かしい)とかのディレクトリを辿ってゲームの攻略サイトやテキストサイトを閲覧していた。それからいくらか時間は流れ、ネットの世界ではweb2.0だの何だのといわれているのに、自分のやっていることはほとんど様変わりしていなかった。そう、ひきこもっていたのだった。アクセスするのはポータルサイトや大手のニュースサイトばかり。あとはちょっとした調べものをしたり、買い物をしたりするくらいで、入口としてはGoogleだけあればほとんどの用は足りていた。コミュニティ的なものからは限りなく縁遠く、リアルでの知り合い以外のメールアドレスなんて1人も知らないし、メッセもやらない。2chなんて半年ROMるどころの話ではない(そもそもめったに見ない)し、mixiは初めてログインした瞬間、足あとやマイミク数表示に震え上がった。
リアルとは正反対にネットでは攻撃的な性格になるというような、リアルとネットの人格解離はよくいわれるところだが、自分に限ってはむしろ逆で、ネットのほうがよりひきこもっている。何というかネットの世界のほうがより生々しいからだ。リアルではある程度オブラートに包んでお世辞なんかを言ったりもするが、ネットでは人々の感情がすべてむき出しになっているようで、とてもこわい。下手なことをいえば容赦のない罵声が浴びせられ、ともするとブログ炎上のような形で祭り上げられることはよくある話だ。最近の報道の体質をみれば、そういうネットでの慣習がマスメディアにまで浸透してきているように思える。しかしこれからの長い間、様々な形でネットと関わっていくことを避けられないのは自明であり、ネットとの接し方を大きく狭めてしまうのは、もったいないことだと思うようになった。
そこで最近では、なるべくネット上に自分なりの考えた形跡を残すように努めている。その取り組みの一環として先日、はてなIDを取得してみた。以前からはてな界隈のトピックには触れる機会が多かったのでそれほど抵抗はなく、たまにダイアリーを更新したり、気になった記事をブクマしたりしている。しばらくして思ったのは、コメントやトラバはほとんどなくても、少なからずダイアリーを見てくれている人がいることや、ブクマコメントにスターをつけてもらったりすることは、とてもうれしいということだ。こちらが望みさえすれば、誰でも容易にリアクションを得られるのはネットの強みだと思った(一方では危険だが)。ただ結局は反応ありきというか、誰かが反応してくれないだろうかということに、必要以上の労力を払ってしまう。これはいわゆる"mixi疲れ"なんかと通じるところかもしれない。まあしばらくやっていればそこまで敏感になることもなく、だんだんと自分のペースでやれるようになると思って、気長にやっていくことにしたい。また、得られた反応をどのようにフィードバックしていくかということも、考えていく必要がありそうだ。
http://it.nikkei.co.jp/digital/column/functions.aspx?n=MMITel000003102007
いくら初音ミクが凄くて、ニコ動と連動して誰でも音楽製作&アイドルプロデュースだ??とかいっても、結局は作る奴の絶対数が少なくて廃れるんじゃないの?
受身が好きで、出る杭になる事を恐れる国民性はそうそう変わらないし、DTMの未来形だ!とか、これからはCGMがTVを駆逐する!とかって論理は(少なくとも俺にとっては)ドットコムとかWeb2.0なんかと同じくらい虚しく響くんですが。
つーか、まだ黎明期の製品なのに買いかぶりすぎだろ。