2007-11-16

ケータイ小説はなぜWeb2.0CGMとしてもてはやされないのだろうか?

結局ネットとは現実社会からつまはじきにされた者のたまり場で現実社会を斜めに見る場であるということなんだろうか?ニコニコ動画初音ミクWeb2.0CGMとしてもてはやされている。しかしケータイ小説にはそれがない。もちろん散発的にケータイ小説を擁護する人はいる。しかしここで問題にしたいのはいつも一生懸命ニコニコ動画初音ミクWeb2.0CGMとしてもてはやし、新しい文化の創造であるなどと絶賛している人だ。ケータイ小説ユーザーが作ったコンテンツである。しかもニコニコ動画の投稿者や初音ミクを使った製作者とは違い、そのコンテンツできちんと売上げを上げている。従ってニコニコ動画初音ミクWeb2.0CGMなどとして賞賛している人はケータイ小説を賞賛しなければおかしい。しかし現実にはそんな人はいない。なぜなんだろうか?コンテンツの「レベル」が低い?それをいえばニコニコ動画初音ミクの「レベル」も低い。ニコニコ動画のほとんどの動画は既存の動画を切り貼りしただけで100%オリジナルはない。内容もオタクニコニコ中毒者にでない限り理解できないものが多い。ケータイ小説も内容のレベル、背景を共有している人には理解できないという点では変わらないかもしれないが、それでもケータイ小説はそれでもつたないながらも自分の言葉で話を作っている分独自性があり、「マシ」である。初音ミクも同様である。オタクでなければ理解できないし、きちんとした歌手のほうがうまいケータイ小説ニコニコ動画初音ミクユーザーが作ったものである、レベルが低い、背景を共有しない人には理解できないなど似たようなものなのである。しかしニコニコ動画初音ミクを絶賛する人はケータイ小説は絶賛しない。結局Web2.0CGMなんていうのも現実社会では相手にされないギーク(笑)を含めたオタクを喰い物にする連中が作った言葉で、そのオタクに受けないようなことには使わないということなんだろうか?またネットオタクなど社会につまはじきにされる人間がくだをまいて自分たちを「擁護」してくれる発言をありがたがるくだらないゴミ溜めみたいな場に過ぎないということなのか?

ネットは多様性を許容し、相互に交流して新しいものを生み出す場であってほしいものだ。

  • ケータイ小説はただの小説(と呼んだら怒る人がいるかもしれないが)を書籍からケータイにメディアを移しただけじゃん。 ていうかそもそも初音ミクがCGMだなんて初めて聞いた。 ニコ...

    • コメントも含めてコンテンツにするシステムはそれほど画期的じゃない。 動画についたコメントが作者にモチベーションを与え、 またコメントにより連帯感が高まることで、 一つの動画...

  • ケータイ小説も内容のレベル、背景を共有している人には理解できないという点では変わらないかもしれないが、それでもケータイ小説はそれでもつたないながらも自分の言葉で話を作...

  • http://anond.hatelabo.jp/20071116101056 すでに売れているからだよ。すでに実経済に組込済みだから。 リアルに金を払う層が見えているなら、バズる必要もない。 普通にトラディショナルな広告戦...

  • 魔法のiらんどというサイトは昔からこんな感じだった

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