はてなキーワード: ヴォイスとは
初音ミクのライブの様子を動画で見て、すごいドン引きしている自分を発見しました。
でも、よく考えてみると、VOCALOIDを全種買い集めて、ニコニコ動画にも投稿したりしていて、端から見たら立派なボカロ廃人なわけですよ。
「俺はキャラが好きなんじゃなくて、音源としてのVOCALOIDが好きなんだ」なんて硬派気取ったりもしてみましたが…
はたと気がつきました。
俺って物事の一側面に固執しすぎなんじゃないかって。
例えば、VOCALOIDファンと言いつつ、VOCALOIDでのオリジナル曲なんて10曲も知りません。ニコニコ動画でもあんまりリサーチする気にもなりません。
例えば、アイドルマスターというゲームのCDを何枚も買い集めているんですが、曲は聴くけど合間にあるキャラのヴォイスドラマというかMCというかはほとんど聞かないんです。聞いてるとなんかイライラしてしまう。そもそも、ゲームも一応持ってはいるものの、あまりやり込めずすぐ飽きてしまいました。
例えば、古いロボットアニメの主題歌が好きで、よくカラオケでも歌うんですが、歌える主題歌の数に比して、実際に見たことのあるアニメは一割にも満たない。
趣味嗜好がこうピンポイントだから、他人とも趣味会話が全然できないし、自分で何か作ろうとしてもちゃんと形にすることができない。まあ楽しければいいじゃんという気もするんですが、特にネットだと、趣味のコミュニティに全く入っていけないってのは非常に寂しい。
これが趣味嗜好だけの問題ならいいんですが、他人を見る目もだいたいこんな感じで、まともに異性とお付き合いできたことがないんですよね。
なんとかしなきゃと思いつつ、引っかかる部分から目をそらす癖がなかなか取れそうもありません。
本日のテーマはアキシブ系。Perfume特集記事第1弾で「アキシブ系」という言葉を「萌えテクノ」と共に使いましたが、アキシブ系の方がどうやら頻繁に使われているようです。
アキシブ系でGoogle検索をして、アキシブ系がどのように捉えられているか調査してみました。Wikipediaとはてなには既に用語解説があります。
はてなの方では、僕の名前も出ていますね。僕は発案者でもなんでもないですが、ありがとう。
アキシブ系という定義については、人によって微妙に違いますが、乱暴な言い方をすれば、秋葉系とされるものと渋谷系とされるものがミックスしているものはアキシブ系とされる可能性があります。
では、秋葉系と渋谷系をステレオタイプ化し対比してみましょう。以下のようになります。
【秋葉系属性】←――――――――――――――→【渋谷系属性】
ヲタクカルチャー ポップカルチャー(おしゃれサブカルを含む)
(萌え系)アニメ・ヲタク (ヌーヴェルヴァーグ系)映画マニア
チェックのウールシャツ(ブランド不明) ボーダーシャツ(Saint James)
宅八郎、森永卓郎、電車男 小西康陽、フリッパーズ、中田ヤスタカ
AKB48、時東ぁみ、桃井はるこ カヒミ・カリー、野宮真貴、野本カリヤ
秋葉系というのは、確かに秋葉原という街をで見かけそうな物や人です。しかしながら、渋谷系は音楽的ムーヴメントから始まっているので、必ずしも渋谷がメッカとは言えない物もあります。また、渋谷を闊歩する人たちの多くが渋谷系かと言われると、甚だ疑問ですらあります。
こうして比べてみると、一見、水と油、資本主義と共産主義のように秋葉系と渋谷系が相反しています。到底仲良く出来ないみたいな。しかしながら、実際のところはこうした完璧な属性でトータルコーディネイトしている人はそれほどいないでしょう。つまり両方の属性をパーツパーツでもっている人口は結構いるはずです。例えれば、音楽マニアだけれどメイド喫茶が好きだとか、アニメ・ヲタクだけれどボーダーシャツが好きとか。ボーダーと言えば、なんか楳図かずお先生が目に浮かびます。でも、先生は吉祥寺系ですね。
秋葉系も渋谷系もパラドックスに満ちており、従来の観念をぶち破る役割がアキシブ系にはあるのです。
アキシブ系に戻りましょう。先ず、アキシブ系現象の一つとしてあるのが、秋葉系(アニメ)と渋谷系(クオリティの高いポップス)の融合です。『AKSB~これがアキシブ系だ!~』は、正にそのコンセプトで選曲されたアルバムです。
01. Dimitri From Paris:Neko Mimi Mode(「月詠」OP曲)
02. ROUND TABLE feat. Nino:Let Me Be With You(「ちょびっツ」OP曲)
03. 山野裕子:ビーグル(「ココロ図書館」主題歌)produced by 宮川弾
04. 小川範子波のトリコになるように(「月詠」挿入歌)produced by 菊地成孔
05. 豊口めぐみ:人間だから(「ちょびっツ」イメージソング)produced by 冨田恵一
06. 高浪敬太郎&Yama-K:かたことの恋(「ちょびっツ」挿入歌)
07. 鈴木さえ子 with TOMISIRO:Dear Friend(「ケロロ軍曹」挿入歌)
08. 桑島法子:la la maladie du sommeil(「ラーゼフォン」挿入歌)produced by 橋本一子
09. 田中理恵:瞳のトンネル(「ちょびっツ」イメージソング)produced by 桜井鉄太郎
10. ROCKY CHACK:リトルグッバイ(「ゼーガペイン」ED曲)produced by 保刈久明
11. パール兄弟:明日はたぶん大丈夫(「N・H・Kにようこそ!」挿入歌)
12. OKINO, SHUNTARO:Cloud Age Symphony(「ラストエグザイル」OP曲)
13. 牧野由依:CESTREE(「ゼーガペイン」挿入歌)produced by かの香織
14. marianne Amplifier feat. yuka:Pressentiment triste(「月詠」ED曲)produced by 橋本由香利
15. 財津一郎&小倉優子:帰ってきたケロッ!とマーチ -READYMADE SERGENT ROCK- remixed by 小西康陽
例えば、小西康陽がリミックスした財津一郎&小倉優子の「帰ってきたケロッ!とマーチ」や高浪敬太郎&Yama-Kの「かたことの恋」といった渋谷系ど真ん中、言い換えればピチカート系もありますが、渋谷系には入らないけど、音楽マニアも納得のアーティストたちが自分自身でやる又はプロデュースなどの関わりを持ったアニソン集です。
僕自身、アニソンやしょこたんにはどちらかというと疎い方なんですが、アニソンって結構、いい曲あるんだと素直に感じました。このコンピではなんと3曲も収録されたTVアニメ『月詠(つくよみ)』からのサエキけんぞう=菊池成孔による小川範子の「波のトリコになるように」は、 2004年ということもあり、裏SPANK HAPPYとして楽しめます。
鈴木さえ子がやっていた「ケロロ軍曹」も、気になりながら買わずじまいだったのですが、「Dear Friend」とかNew Orderぽくて・・・(泣)。鈴木さえ子を知らない人がいるかもしれませんので、ちょっと説明。彼女はシネマ、フィルムス(リリースはお蔵入り)というバンドでドラマーとして活動、その後、ソロとしてテクノ~ニューウェイヴなエッセンスも交えて印象派アルバムをサントラも含めて5枚リリースしています。このコンピには収録されていませんが、「恋するシューティング☆スター」もお勧めです。
オープニングのDimitri from Parisは、フレンチハウスのパイオニア的存在DJ・ミュージシャンですが、彼自身、アニメヲタクとして有名です。そこだけとれば、彼は秋葉系パリジャンです。自身の曲「Love Love Mode」と声優の声のサンプリングで出来上がったのが、アニメ主題歌の「Neko Mimi Mode」です。一部では萌えラウンジと呼ばれているらしいです。
フランスは元々日本文化に対して好意的な国ですが、日本のアニメというのは一部のフランス人にとっては特別なもののようです。もう一つ忘れていけないのは、フランスはロリータ文化大国。フランスのロリータ歌手と言えば、ウィスパー・ヴォイス!このコンピにも、フランス語タイトルのロリータ・ヴォイスの歌が2曲ありますね。桑島法子の「la la maladie du sommeil」とmarianne Amplifier feat. yukaの「Pressentiment triste」(こちらは前述の『月詠』から)です。後者は完全にフランス語で歌い上げています。フレンチ秋葉系なるものを提唱する人もいますが、まさにどんぴしゃです。フレンチ→カヒミー・カリー→渋谷系ですから、これはアキシブ系になります。
今後のAKSBのリリースもありそうな予感なので、期待したい思います。
アニメ絡みのアキシブ系をもう少し紹介しましょう。美水かがみの『らき☆すた』(Lucky Starの意味)は4コマ漫画ですが、それが原作となって、テレビアニメやDSゲームが作られています。典型的な萌えアニメと言っていいでしょう。4人のキャラクターがそれぞれソロ・シングル(キャラソンと言う)を同時発売しています。その中の柊つかさ(実際歌っているのは福原香織)の『らき☆すたキャラソン(3)』に収録の「寝・逃・げてリセット!」は、Perfumeやcapsuleっぽい出来上がりなんです。ゲーム音楽における「ふたりのもじぴったん」と共に、アニソンにおける「寝・逃・げてリセット!」を、Perfumeファンはチェックしてください。ジャケはかなりキツイけど。他の曲は普通のアニソンに聴こえるのが残念ですが・・・
後、忘れてはいけないのが、中田ヤスタカが手がけたアニソンです。「capsule cuteness culture」で既に書いてしまいましたが、こちらもアキシブ系と言えるでしょう。嘉陽愛子の方が可愛いと思いますが、井上麻里奈の「ビューティフル・ストーリー」は、中田ヤスタカ仕事としてのクオリティーを感じます。
侮れないアニソン。
返信きた。これで勝つる!!!(一度言ってみたかっただけ)
元日記書きです。
http://anond.hatelabo.jp/20090123145010
いえいえ、どうもです。元々あの日記はいろんな人の意見を聞きたくて書いたようなものでもあります。
と、いっても書いたのは深夜の1時44分。
チラシの裏に書いておけよw反応なんかかえってこねーだろwww
ブクマなんかされねーだろwwww誰の目にも止まらず流れていくんだろうなwwwwwさびしーなーwwwおいwwww
と書いている途中に思いテンションMAXで書き終わって、気楽な気持ちで投稿して結果がこれだよ!俺が一番びっくりさ!
というわけで、テンション急降下しながら書いてみます。
>遊び心は大いに結構、でも、手段が目的にならないようにしてくれよ、といったところ。
えーと、これが答えじゃダメですかね?
>ただ、こういったものはあくまでも物語に面白みをつけるエッセンス的なものであってほしいと思うし、
>そういった、ある程度そういうパロディネタがつめこめる作品だからこそ。であってほしいと思います。
絶望先生はともかく、ハヤテのごとく!に関してはパロディがテーマだとは(俺には)思えないんだけどなぁ。
あの作品の主幹はラブコメでしょ。あくまでエッセンスでしょ。料理の調味料でしょ。これって、手法じゃないのかなぁ……ハヤテのごとく内で俺ヴォイスが出たときもニュースサイトにいっぱい取り上げられましたよね。これと、同じじゃないのかなぁ……俺らのほうが、手法を目的と置き換えちゃっているんじゃないかなぁ。手法にばっか目が言っているのはこの話題について話している俺らのほうなんじゃないのかなぁ。こういうのを目にしない人はしないと思うんだけどなぁ。それ以外の正規な宣伝もしていると思うんだけどなぁ……俺はへーこんな作品あるんだと思ったんだけどなぁ。俺の妹が で。知らない人はそもそもそれを取り上げるニュースサイターのことなんか知らないんじゃないのかなぁ……作品はそれひとつじゃないし、今回のこれをもし見ているなら蔓延することはないんじゃないかなぁ……と思いたいです。はい。
手法っていうのはえっと。一人称とか三人称とかそういうことだと思っていたのですが・・・・・・うぅ、何かケンカしているみたい・・・・・・ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。俺がわかりにくいこと書いてごめんなさい。いや、本当に感謝しているんです。素直になれなくてすみません。
けど、ハヤテのごとく!はそうでもないし、絶望先生はアニメから入ったって人もいると思うし、俺はラノベに関していえばハヤテのごとく!のような枠にはまっているものだと考えているのですけども……論点すりかえてんじゃねーよ!理論的じゃねーよ!と思うんならすみませんすみませんすみませんすみません。俺のようなものが増田に書いてごめんなさい。
後、まとめる気がまったくなくてごめんなさい。頭悪いなこいつと思われているでしょう。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。俺は、ただ感想を書いただけで、矛盾している心もあったり、これがOKならこれはダメなの?という線引きがしっかりしていなくて。俺みたいなやつよりか、偉い偉い人がこのことについてずばりと解決してくれるかな?と思ったりしてごめんなさい。相互のすれ違いでごめんなさい。俺はただ、うだうだ言っている暇あるなら、喜んだりしたほうが得なんじゃねーの?未来なんて誰にもわからないし、俺らの言葉で止められるわけないのに、悲観的になってどーすんの?うれしいことじゃないの?だったら喜べばいいじゃん!と思っただけです。こんなこと思っているやつがうだうだ言ってごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
後、俺がレス書いてかなり悩んで書かれたみたいで本当にありがとうございます。途中、一人称を間違えて俺にするところを僕って打っちゃっていて。後で気がついて直したんですが、引用されたのにはばっちり僕が。うわぁ。ありがとうございます。真剣に考えてくれてうれしいです。俺も真剣に考えた結果があれです。ご了承ください。
わたしはそんなブサイクではないし、ブスでもなかったが、イケメンでもなく、ゆるふわ愛されギャルでもなかった。
「こんなエントリを書くお前のことだから、どうせブサイク専かブス専なんだろ」
とか言うアナタもいることだと思うが、やはりわたしは玉木宏を愛し、田代さやかのおっぱいを揉み、それを田代さやかに罵倒されたいと常々思うほどの普通の人間なのであった。
とある知人の女性に、私が「恋愛とか結婚とかもう第二次性徴期が始まる前に自然と諦めてたお」と思っている事を見抜かれ、説教されてしまった。諦めちゃダメ!せっかく女性に生まれてきたんだから恋を楽しまないと。子供だって産みたいでしょ?いい男性を探さないと!と背中を叩かれた。うーん。別に「私の劣悪な遺伝子を残したくない」とかいうわけじゃないが、特に子供産みたくないし、恋愛も、とくにしたくないのだがなぁ。これを言うと「全ての男性がそうではない、そんな事言うな」と言われちゃいそうだが、正直男性に何の希望も抱いていないのである……まともな男性というのが存在するのなら、これは誠に失礼な物言いなのだが……如何せん私が会ってきた男性というのは上のような人たちばかりなために、いくら人から「そうじゃない人もいるよ!ポロリもあるよ!」と言われても、「でもどうせ君達に優しいその男性たちも、私を見ると「ブースw」ってなるんちゃうかねぇ…」としか思えないのだ。知人の女性は「どうしてそんな哀れな思考しかできないの」と言う。まあ確かにそうなんだろうけどね。困ったね。はぁ。
この方は、自らがブスであることを悲観している。
しかし、それは決して真実ではなく、性欲と言う観点からすればたしかにブスであったりブサイクであったりすることは悲しいことであるが
やはり、恋愛という観点からはそれは決して致命的と言うほどではないのであった。
致命的、についての反証をひとつだけ述べたいと思い、わたしはここに筆をとった。
ようは、いま、わたしの愛するひとはブスなのである。
いや、愛しているのかは定かではないが、親愛の情という観点からは、以前わたしが愛したひとたちよりも深い、と言って相違ない。
外見上では、彼女はさまざまな点で、以前わたしの愛したひとたちに比べ劣っている。
初めて愛した女性ほどセクシーでロリータフェイスなわけでもないし、殆どの女性に比べて体形は大慶ともいえるほどの大形なのである。
おっぱいはおおきいが、やはりそれは腰の太さと関連するものであるらしい。それも、以前付き合っていた女と比べれば雲泥の差であった。
また、彼女はゴシックロリータな服装を愛する。はっきり言って、似合っていない。それ以前にわたしにゴス趣味はない。
だが、私は彼女のことが好きなのである。
なぜ、彼女が好きなのか?
至極単純な理由である。彼女の論理と直観力にわたしは惚れたのだ。
彼女は決して、一般に言われているように論理的なわけではない。
だが、彼女なりの、直感に裏づけされた、レトリック的――もとい、文藝的な論理が、非常に快い。
純粋の理系学問組合の徒弟であったわたしの論理と、一見はかみ合わないように見えるが、彼女の直観力は非常に優れており、常に私を理解し、同意し、ときに叱咤する。
また、音楽の趣味、という点でも彼女と私は一致をみるところがあった。
決して、それは単一のカテゴリにだけとどまるものではなく、
様々なカテゴリの中から、自分の気に入るものを探そうとする姿勢、そして、探しているものがなければ、自分で作ろうとする姿勢も私と一致した。
わたしは、彼女にしてあげられることはたくさんあったし、彼女がわたしにしてくれたこともたくさんあった。
彼女は、今までのわたしの、わたし自身に釣り合わぬほどの美しさとセクシーさを備えた彼女達よりも、ずっと、直截にわたしを見てくれた。
わたしもできれば同様でありたいと思っているし(そのために本人に向かってブスといったこともままある)、その視線は何よりもわたしを癒してくれるものであったから、
できるかぎり彼女自身を直截に愛したいと思っている。
ここで、これ以上わたしは自分の恋愛私小説を語ることはしない。
そこには、いくつもの物語があったし、いくつもの困難はあったが、わたしたちの愛情が途絶えることはなかった。
それだけを述べて、違う話に移ろうと思う。
だが、これだけは覚えておいて欲しい。
自分がブサイクorブスだということで、決して、悲観してはいけないということと、
稀に、あなたの中のあなた自身を愛したいと(決してわたしがそうだとは思わないし言うつもりもないが)思う人間も存在するのだということを。
そして、あなたには十分に愛される価値が、あなたがあなた自身であり、回りの他人を真摯に見ようとする態度をとっている以上、
幾度誰に笑われても、何度誰が笑おうとも、あなたに愛情を抱く異性は、現れることがあるのだ、ということである。
わたしが子供のころに通っていた英会話学校の講師に、およそ100kgはあろうかという巨漢のカナダ人の女先生がいた。
彼女は、ほんとうに太っていて、指はまるまるとして、肌は炊きたてのごはんつぶのようにつやつやとして、
それは、彼女の優しい声のせいもあったと思うが、彼女の立ち居振る舞いがとても美しく、
また、誰に対しても彼女が心から表現する思いやりと優しさが、ほんとうに深すぎたためであった。
わたしたち生徒も彼女が好きで、彼女の授業を奪い合ったし、先生にも、あとで聞いたところによると、告白したりして断られた人が多かったらしい。
彼女は、今、ネパール人の男性と、恋愛結婚をして、とてもとても幸せそうに、わたしの町を歩いている姿を見かける。
男性はとても真摯な人だったし、彼女をほんとうに愛して、気遣っているオーラが出ていて、見るたびに幸せになる。
なにも、ブス専やブサイク専が存在するからそれを狙えという話が言いたかったのではない。
ブスであっても、ブサイクであっても、それを凌駕するだけの魅力(決して特別なスキルが必要だったわけではない)をもち、
それでたくさんの異性を惹きつけて来たひとたちが存在するのだ、ということが言いたかったのである。
……また、言いたかったことはもうひとつある。
玉木宏のヴォイスは素晴らしく中性的で、田代さやかのおっぱいは唯一神である、ということだ。
また、語弊があるといけないので、記そうと思うが、田代さやか自身も神である。
余り誰もが気にかけないが、彼女の負けん気の強さはほんとうに至高である。
その神の谷間から、あなたたちの心の中に、異性を惹き付ける新しい玉木宏が生まれんことを祈って、私はここにキーボードを置く。ガシャン。
まあ、どのくらいの数のちょいケルオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかしちょいケルの童貞臭さを肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないちょいケルの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「the most relaxing feel」「iamge」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うイベント、「芸能山城組ケチャまつり」「Sound Horizon Live Tour - 領土拡大遠征」などの参加は避けたい。
あと、いくらちょいケル的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
ちょいケル好きが『JVC WORLD SOUNDS』もちょいケルだ!と言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ちょいケル知識はいわゆる「テレビまんがから流れてくる劇伴」を除けば、菅野よう子程度は聞いている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「Enya以前」を濃縮しきっていて、「Enya以後」を決定づけたという点では
ただ、ここで「Enyaの姉がClannadというアイリッシュ・トラッドグループに参加して……」と言ってしまうと、「エロゲーオタ超キモイ!」と彼女との関係が崩れるかも。
この多重録音過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の癒しポイントを彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力(ニューエイジ臭くなりがちなちょいケル暗黒部をできるだけスルーするという意味合いにおいて)」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなヒーリングミュージック(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ちょいケルオタとしてはこの二つは“音楽”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のちょいケルオタが持ってる自然への憧憬と、エリック・ムーケとミシェル・サンチェーズのオタ的なサンプリングへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもDeep Forestな
の二要素をはじめとして、オタ好きのする要素を音楽にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「Hallucinogenだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、このアルバムに収録されていた「Divine Moments Of Truth」がFlash作品となって大人気になったこと、
アメリカなら亜流が大量に発生して、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
ちょいケル界隈でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりちょいケルはアニメによく収録されているよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「地球少女アルジュナ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける原の思いが好きだから。
ガムラン使いてーと言ってAKIRAで先につかわれくそー!と思ってもアルバムに収録されている「逃走」で使っちゃうっていう所が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
クゥの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
宮崎アニメの久石譲だったらきっちり自分の音楽の枠内にしあげてしまうだろうとも思う。
なのに、若草恵に頭下げて東南アジアの楽器を取り入れた劇伴を作らせてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ原がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今のちょいケル若年層で生のそのままのブルガリアン・ヴォイスを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
菅野よう子よりも前の段階で、ちょいケルの哲学とか女性ヴォイス技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品が民俗音楽として大昔にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくちょいケル好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる「Zone of the Enders Beyond the Bounds - Theme from Anubis」でしかブルガリアン・ヴォイスを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
KOKIAの「声」あるいは「歌詞づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない祭を毎日生きる」的な感覚がちょいケルオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそテイルズ オブ イノセンスの主題歌はKOKIAや姫神以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というちょいケルオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ちょいケルオタの気分」の
源はKOKIAなどの女性ヴォイスにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。彼女がカネダーテツオーと騒ぎ出すか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうむき出しのエスニックミュージックをこういうかたちでアニメ劇伴音楽化して、それが非オタに受け入れられるか
ナカマーハシルーを誘発するか、というのを見てみたい。
サンホラとかルルティアくせーハルヒのキャラソンとかあればゲラゲラ笑いながら聞きてーなぁ。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
今更「気にしてないです」とか出てきてもらっても、同調圧力(笑)とかそんなこんなで全然説得力ないし。
はげのおっさんさんもこいつで
http://anond.hatelabo.jp/20080706112744#tb
(逆に、自分以外に質問された4名の方々の意見を言う機会を塞いでしまったかもしれませんが…)
とか言ったのにも関わらず追記しまくったり、
ニコニコ運営に熱い思い語っちゃうくらい泥酔してるから。
別にいいんだけどおっさんさんの先の括弧付きの言葉はなんだったのかと。所詮「括弧付き」程度のレベルだったわけだ。
もうピザ言われた人にピザであることによる発言価値(=webでの存在価値)はないし、ピザが出てくることで新たな局面に移ることなんて、
ないから、絶対。
んーとね。
ハゲが移った瞬間リーブ21とかなんとかが横から流れてくるわけ。
ピザが移った瞬間ピザーラくんが横で踊りだすわけ。小桜エツ子ヴォイスで。
「いじめかっこわるい」つながりで前園真聖引っ張り出してきてもいいけど、でもこれは何を金に換えていいかわからんな。スパ王にしとくか。
俺が言いたいのはピザくん傷ついているんならそんなの気にせず元気出してねってこと。
じゃーね。
僕は、彼が猿たちの群れに呑みこまれて、文字通りの意味で呑まれていくところを見ていた。彼は絶叫し絶命した。肉はなめるように味わいつくされ、筋や内臓や骨に至るまでしゃぶりつくされた。のどごしさわやかあとあじすっきり。猿たちは、芸術のわからぬ若者に鉄槌を下したと、キーキーと喜んでいた。
だが、ちょっと待って欲しい。
100匹目の猿なんてただの作り話だし、現実問題として猿がシェイクスピアを書くはずもない。じゃあ彼はどうして「猿の小説」なんてものがあると思ったのだろう。これはおかしい。まったくもって不思議だ。驚天動地大山鳴動吃驚仰天天地無用のミステリーだ。そう思わないか。
では、推理してみよう。一番目、彼が読んだ小説は彼自身の妄想に過ぎなかった。二番目、彼は人間が猿に見える奇病を患っていた。三番目、そもそも最初から彼は幻覚をみていた。…この三つの可能性が考えられるだろう。他の可能性はオッカムのザ・ハンドによって削り取られました。ううむ、しかし、三つに絞られてもなお、手がかりなしには解決できないような難問だ。これは困った。
さて、ここに一つの手がかりがある。僕である。他でもないこの僕。僕は、彼が猿たちに食べられてしまうところを、最初から最後までじっくりと見ていた。凝視していた。つまり、三番目と二番目の可能性は否定される。一番目の可能性も、僕がいま手にしている小説を見れば否定できる。これは困った。いきなりすべての可能性が消去されてしまった。なんという難問だろうか。
だが、ちょっと待って欲しいPart2。
僕自身、人間が猿に見える奇病を患っているという可能性はないだろうか。僕と彼は同じように人間が猿に見える奇病を患い、人間が書いた小説を猿の書いた小説だと思いこみ、そして彼は人間に食われたのだ。どうだろう。ありえないように思うだろうか。だが、それを否定できる要素はない。
消去された可能性のなかで最もありえない物が真実である、だったかな。そんなことを言った偉人がいたと思う。どうやら今回もそれらしい。つまり、僕は人間が猿に見える奇病を患っているのだ。これはびっくりだ。では、僕の腕、この毛むくじゃらの腕は、実はすべすべしているのだろうか。僕の真っ赤な顔も、本当はつるつるで生白いのだろうか。このガラスを引っかいたような金切り声も、美しいソプラノヴォイスだったりするのだろうか。信じがたいことだけど、信じるしかないようだ。なにせ、消去された可能性のなかで最もありえない物が真実なのだから。
つまり、僕は人間だったのだ。
共通点は「アニメの監督が同じ」であるが、アニメ「もえたん」とマンガ「ハヤテのごとく!」には直接的な関係はない。
並べるとこう。
もえたん(アニメ)=ハヤテのごとく!(アニメ)=ハヤテのごとく!(原作)
なぜ、3話しか放送されていない、この早いタイミングで「もえたん」ネタなのか。
元々下衆なパロディで成り立っていたマンガなのでスルーされてしまう可能性があるが、
この作者は以前にもニコニコ動画ネタ(しかもその時その瞬間だけ流行っていた「俺ヴォイス」ネタ)を
巻頭カラーで「らき☆すた」の真似事のような日常会話に終始する話をしてしまう作者である。
そう。事は単純に、ハヤテの作者がもえたん一話を見て「萌えた」からである。
「らき☆すた」と「涼宮ハルヒの憂鬱」の共通点は言うまでもなく、制作会社が同じである事。これを並べるとこう。
らき☆すた(原作)=らき☆すた(アニメ)=涼宮ハルヒの憂鬱(アニメ)=涼宮ハルヒの憂鬱(原作)
らき☆すたのアニメでハルヒネタをやる事が叩かれる昨今。まったく関係ないはずのハヤテのごとく!のマンガで
もえたんがこんなにも超速度でネタにされる事が“歓迎されてしまったら”こんなに笑える事はない。
言うなら、アニメ「らき☆すた」とマンガ「ハヤテのごとく!」の格の違いか。
その年を代表する名作となってしまったアニメ「らき☆すた」の注目度は半端ではない。些細な事で叩かれてしまう。
対してマンガ「ハヤテのごとく!」は…、それだけ、どうでもいい存在なのであろう。
話題1つとっても、作品の「格」が如実にオタク層に反映される。実に面白い現象であった。