はてなキーワード: 摂理とは
とは言え現状はそうも言っていられないほどに逼迫している。
そこに上述の単語は入る余地が無い。
否、本当はあるのかもしれないが自分が行動していないだけかもしれない。
そういう側面は否定できないが動けないほどに働いて賃金を得ているのも事実。
こんな人生を送るために生きてきたのか?情けないやら悲しいやら。
虚しいというのが正しいのか。
でも働かないと生きていけないのは自明であり、そこに従事しているのは間違いない。
ではどこに間違いがあるのだろう?
やはり前提が間違っているのだろうか?貧乏人は夢も希望も持つなということか?
だとしたら残酷なことである。
生きるための駆動力すらまともに与えられる機会が無いのは異常だろう。
生物としての常識としてはあっているかもしれない。でも我々は人間だ。
傲慢な考えだと思われるかもしれない。
が、人間として生きているのなら自然の摂理ひとつくらいは捻じ曲げる知恵を持ってもいいのではなかろうか?
そのようなことを思ったところで変わらないのが現実。
明日もやはり仕事に行って帰ってきて寝るだけだろう。
そんな人生でいいとは思っていない。だけど夢も希望もどこか遠い場所にあるかのようだ。
幸せすら遠い。そんなに欲張っていないと思うのに。
なんて生き辛いのだろう。息苦しくて死にそうだ。むしろ死ねばいいのだろうか。
少なくともこの世には見出せるものが殆ど無いといっても過言ではなかろう。
何が言いたいのだろう。何がしたいのだろう。よく分からない。
ただ今のままでは何もかも間違っているという気だけはする。自身も社会も世界も。
どうしたらいいのだろう。どうしたらよかったのだろう。
問いかけても誰も答えてくれない。誰もわからない。一生わからないままなら、なんとまぁ酷な事。
それでも生きていこうとする人の気持ちが分からない。
結局何も分からないまま今日も終わる。明日なんて来なければいいのに。
ブクマコメで温かいお言葉をたくさんいただいてしまった。大変ありがたい。
優しいのは私の周りにいる人達だけじゃなくて、多分世の中には優しい人が大勢いるんだろうと思う。あんまり優しい人が多いものだから、私はちょっと世の中をナメてしまいかねない。そんな生やさしいもんじゃねえぞと言ってくださっても構わない。
色々言っていただいたので、軽く追記しようと思う。
まず、自分について把握していること。
重症軽症という言葉を使ってしまったが、これはいわゆるトランスセクシュアル、トランスジェンダーと呼ばれるもので、前者がいわゆる性同一性障害の中核群、後者は肉体を変えたいとまでは思わないが性別違和があるというものである。ともに性同一性障害として認知されており、私もこの後者の部類であるものと自分では思っている。
とは言え、広く一般のトランスジェンダーに対し「覚悟がない」だとか「肉体の性別で生きていくという選択肢もあるんじゃないの?」などと言う気は全くない。今回ぼやいているのはあくまでも私個人の問題だ。あくまでも私が、私の中にある不安のために、私を宥めてみたり鼓舞してみたりしようとしているだけだ。以降も、そういう文脈と思っていただきたい。
考えていたこと。
前回のエントリで
この辺りの「どっちでもいいよ」感というのが、非常に微妙なところで、批難されるに値するところだろう。
と書いた部分が、どうも人目に止まるものだったようだ。実は、指摘を受けてぎくりとした。
この文章自体は、実のところ何の気なしに書いた。ただどうも色々露呈してしまったらしい。つまり私は、そもそも心のどこかで、「どっちかであるべき」と思ってしまっているのである。
自然の摂理とかその手のものを持ち出すつもりはなく、それは一種の「しめし」の問題だ。
つまりこういうことである。「特殊」な人間がそれを白日の下にさらけ出して生きるなら、それ相応の、格好よく言えば「覚悟」のようなものを示すべきなのではないか、それが大人としての礼節であり責任というものではないのか。そして実際そのくらいでなければ、世の中渡っていけないんじゃないの、という。
以前友人の一人が、私がこのような人間であることを知らないままに率直さをもって、このように言ったことがある。「オナベって、美人じゃないと説得力ないよね」。正直に言うが、私は納得しさえしたのだ。このように思っている人は大勢いるに違いないのだろう、という点において。
私たち(私は性同一性障害というものになにか帰属意識を持っているわけではないが、こう言う)はどう言い繕っても特殊である。特殊な人間は多分、普通よりもいろんなものを持っていなければならない。嫌悪されないだけの人格や、社会から不要と見なされないための能力。軽蔑したがる人につけいられないためには隙(醜さもその一つだ)があってはならず、見当違いな憐憫を浴びないためには生まれ育ちが不幸でない方がよい。あまりにも乱暴な物言いと呆れられるかもしれないけれど、それが実際のところなんじゃないのと思っている。
だから常に毅然としていなければならない。物事をよく弁え、その上で覚悟を持ってこの生き方を選択したのだと言うことができなければならない。不快だと顔をしかめられても、だけど仕方がないじゃないですかと言えるだけの、こちら側から示せるもの。それがつまり「しめし」と言ったことの意味だ。
ちょっと格好をつけ過ぎたので恥ずかしい。繰り返すがこんなこと、他人に押しつけるつもりは毛頭ない。そもそもいつでもこんなことを考えているわけじゃなくて、冒頭にも言ったように、「世の中結構なんとかなっちゃうもんでしょう」くらいのつもりで日々生きている。
けれど多分心底には、このような物事の捉え方があるのだと思う。だから前回のエントリで「批難されるに値する」と書いた。
そして、けれど、多分本当のところは、こういう考え方がちょっとおかしいんだということは、自分でも薄々分かっている。前段落で書いたことのうち、まだしも尤もらしいのは「覚悟を持って選択した」あたりくらいのものだ。それ以外はクソみたいな「べき」論だ。
考えてみること。
本当は、「どっちでもいいよ」と言ってしまいたい。どっちでもいいんだけど、どっちかと言ったら男として生きたいと思っていて、どちらを選ぶかは自分の勝手だから勝手にするんだよ、何と引き替えるつもりもなければ何の努力も払うことなしに、当たり前みたいな顔でそうするんだ、と、そういう風に言ってのけられるようになりたい。
私は、そうする権利を持っていないつもりでいる。心のどこかで、それは不当に失ったものだと思ってさえいる。
だけど多分ここに書いたようなことは全部、何もかも、自分の一人相撲でしかないんだろう。規定しているのは自分自身で、だから必要なものがあるとすれば、それは「自分で選んで、自分で決めるんだ」という覚悟だけだろう。それがありさえすればきっと、「どっちでもいいよ」と言い切ることもできるようになるんだと思う。
長々しい愚痴に対してのご静聴、ありがとうございました。
そういえばここに至るまで、私が感じていると主張するところの「性別違和」や「どっちでもいいや」感の実態というものに触れていなかった、と思い出したのだけれど、それはここで問題にしたいことではない気がするのでやっぱり書かない。あまりにも長くなってしまうこともあるし。
性同一性障害の人はネット上にたくさんいて、私よりも心情吐露に優れた人もすぐ見つかるだろうと思うので、そちらをあたって「こんなようなものなのかあ」と読んでいただければ、それでいいかと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090725202927
なぜ、“そういう人たち”が解決策を求めていないように見えるのか?というと、
おそらく、“そういう人たち”は自分に嘘をつくことで自分を守ってきたからだと思う。
自分を騙すこと、自分に言い訳を与えることで自分の存在を守ってきた。
暴力に暴力で反撃することもできず、自分自身を笑ったり、祝福したりすることもできず、
苦しい現状で満足するように自分を騙してきた。それが彼らの生き方、生き残る術になってしまった。
(たぶんそうしないと自殺してた人も少なくないだろう。)
DVに気づかない人はこの典型。
殴られても、罵倒されても、それが愛の証や試練や自分の業だと思ったりして自分を騙して受け入れる。
DV彼氏を渡り歩く人もいる。いじめられっこは自分を騙すことでいじめられっこ枠にハマることがある((それがすべてじゃないけど))。
対策は?もちろんある。
自分を騙すことを止めてもらうこと。自分で自分を騙していることに気がついてもらうことだ。
多くの場合、それには時間がかかる。
解決を焦ってはいけない。早急な行動の変化、認識の変化を求めてはいけない。
一般的な社会生活を送れる人と同じ時間感覚で考えてはいけない。
彼ら彼女らは今の自分を誇れない、自分を信じられない位置にいる。
その深みから「自分を騙すな!自分を信じろ!自分を誇れ!」と急浮上させても、
恐ろしく高いピークが一度来るだけで、何かのきっかけによって翼をもがれれば、
その後には今までよりも酷く、想像を絶するほど深い絶望の谷に堕ちることになるだろう。
なにごとも、急激に変化させればかならずしっぺ返しを喰らうのは自然の摂理。
その上で、ゆっくりと、自分を騙すのを止めてもらうんだ。
それさえできれば、後は自力で浮上してくるだろう。彼ら自身のペースで。
時には彼らが手を求めてくることもあるかもしれない。そうしたら助けてやればいい。
敵は「自分を騙す自分」そして「急激な変化を求める心」にある。
それは解決策を求めていない諸氏のみならず、元増田も、そして私自身もそうだ。
自分を騙す必要なんてどこにもない((社会人としては結構あるのが悲しいけどな!))。
それを信じられるようになるまで一緒に見守っていこう。
男100人に女1人より、男1人に女100人の方がより多くの子孫を残せる。
男の代わりは幾らでもいる。ただでさえ男は余っているのだから。
男が減っても将来人口は変わらないが、女が減ると将来人口が確実に減少する。
昔々、侵略者のアメリカ白人が先住民族の村落を襲ったとき、まず囮の部隊にインディアンの戦士達を引きつけさせ、その間に本隊が村に侵入して女子供を皆殺しにした。
女さえいなくなれば子孫は残せず、インディアンを絶滅できるからである。
女をガッチリ保護できなければ社会の持続可能性を維持できない。
国家存続の為である。カルネアデスの板的な状況では男が犠牲になってでも女を守らなければならない。
それはジェントルメンだからではない。「女を守る」のは利他的行動に見えて、実は利己的遺伝子による子孫を残す為の「合理的選択」でしかないのだ。
女が生き残れば自分と98%以上同一の遺伝子が残されるが、自分だけ生き残っても童貞のまま死ねば遺伝子はまったく残らない。。。
男と女、どっちを優先すべきかだなんて最初から答えは決まっている。
子作りは神技だ。女は体内に子を宿し、新たな命を生み出す。男には真似できない。
女体は神秘そのもの。女は神なのである!
女尊男卑こそが自然の摂理。それは遺伝子によって運命付けられている。
ネットで「女を優遇するな!」とわめいている連中は本能が壊れている狂った人間なのだ。
日本は政治家の女性比率が低い。男ばっかりのくせに日本の政治は最低レベルではないか!
男社会なんてロクなもんではない。。。欠陥生物なんぞに政治を任せるからダメなのよw
京アニのクオリティーが高いのは社員の女性比率が高いおかげだ。女性が活躍しやすい社会の方が生産性が高い。
世の中、女体本位制で女性中心に回っていれば良いのである。
女は遇されて当然。
死にたいのは自然の摂理。だからそれが起っても耳を貸さずに。ドクデンパだから。
薬呑んでて調子良くなったら処方が良かったんだ。そのままゴー
飲みに行くのが辛くなければ飲みにもゴー
お大事に
ドクデンパが起ってもその方向で考えないこと
気持ちは分かるけど
牛やら豚やら羊やら馬やら鶏やら魚やら殺しまくり喰いまくりの人間が、たまに猫殺したからって今さら何なのよ。
…とちょっと思わなくもないが、やっぱし喰いもしないのに殺すのはよくないかな。
自分が生きるために他の動植物を殺して喰うのはまぁ自然の摂理というか、他の動物もやってることだし
生物として生きていく以上ある程度止むを得ないが、喰いもしないのに気まぐれで飼って気まぐれで殺すのは感心しないよな。
逆に言えば、殺したあとちゃんと喰う目的なら犬でも猫でも殺してOKだと思う。個人的には。
だから、言い返すとしたら、俺なら
「喰うのは一時の快楽のためじゃなくて生きるためだ。生きるために殺すのとただ気まぐれに飼って気まぐれに殺すのは違う。
殺すなら喰うべきだ。牛や豚は喰うだろ。喰わないのにむやみに殺すな。」かな。
http://anond.hatelabo.jp/20090303012051
好きでもない人にも体を許しているから信用されないというの?
いや、誰に対しても、相手の気持ちを考え、相手の気分がよくなるように行動しろって言ってるんだけど。
でも、私も「好きでもない人にも体を許しているから信用されない」と思うから、こっちの話題でもいいよ。
セックスというのは、元増田が考えるほど「軽いこと」じゃないんだよ。だって、子供が出来るからね。もちろん避妊する方法はたくさんあるけど、100パーセントの避妊ってのは手術して卵管塞ぐしかないんだけど、それはしたくないんでしょ? じゃあ「セックスする」=「子供が出来る可能性がある」ということなわけだ。
だから「子供? 子供が出来たら産めばいいじゃん。結婚しようよ」と言う男が現われるまで、男と寝ちゃいかんのだ。本来は。でも、人間の体は子供が出来る体になったら、子供を作りたがるように出来ている。それは自然の摂理だから、誰にも止めることは出来ない。責めることも出来ない。ただし、子供を育てるのは周囲の協力が必要な社会的な行為だから、社会的に未熟なうちに子供を産んで育てようとするとたくさんの困難を伴う。
「子供が出来ました。2人の男と避妊もせずにセックスしたから、父親が誰だかわかりません」
こんな社会性の低いこと言ったって、誰も子供を産むことに賛成してくれやしないよ。産んでからだって、子供をうまく社会に送り出せなくて苦労するに決まってるしね。
そして、そんなことも想像できない女と、家庭を持って、運命共同体になり、生涯を共に過ごす、なんてこと、やりたい男は、たぶん、見つからないよ。
セックスというのは、愛情の証としてするものだけども、必ずしも、ワギナにペニスをツッコムことを指さないというのは知ってるかな? とにかく入れたがるなんて、お子さまのセックス。まさしく「子供を作るための動物的行為」なんだ。だから、別に人間の女として魅力が無くても、ホモサピエンスのメスとして魅力があれば、オスはセックスしたがるよ。女として魅力があることと、セックスは必ずしも結びつかない。
人間の女としての魅力で作った相手でないかぎり、誰にも抱かれてはならない。
セックスはしたもんが”勝ち”ってのは、単純な優劣やいい悪いの勝ち負けじゃなくて、弱肉強食において生き残ったほうが勝ち、みたいな深い意味での摂理のひとつ。って意味での”勝ち”なんだ。
オレは童貞だから童貞側を援護したい。しかしセックスはしたもん勝ち、っていう摂理だけは、漠然とした現実としてそびえ立ってるので、そこだけ心得たほうがいい、って事だな。
なので自分を守るために壁を作るような意味合いでの”勝ち”ではないよ。
- 義父母実父母にたまには頼ってもよい
例えば月に一度くらいは土日に子供を預けて羽を伸ばしに行くことを想定している。
近隣に住んでる場合ならそうですね。遠方に住んでる場合もありますよ。
- 未就学児を抱えていても在宅仕事で300万を稼ぐのが当たり前であり、そうでないのは甘えである。
そういう職業もあるかもしれませんが一部です。特に大きな機械や実験室などが必要な職種の場合はそもそも在宅で仕事できませんし、医療関係なども無理でしょう。
小学校に入るまでは専業主婦でもよいと書いてあるのでそのような主張はしていない。
自分の妻も子供が小学校に入るまでは専業主婦でいる予定だが、スキルが皆無なので復職は難しいと考えている。
なので今のうちに資格を取得することを薦めている。
http://anond.hatelabo.jp/20081121185449
これは?
- 健康児が生まれる前提である
願うかどうかとリスクとして考えるかどうかは別の話です。
>家のなかのことをしていてもらい家事を手伝う程度ですむということは十分ねぎらわれていることに等しいので
主張が理解できない。
夫は「育児ありがとう、今日もメシがうまい、君は美しい」と言うべきであり
現実的にはどちらもなされないことが多いと思われるが
えーと理解できないですけど、口だけでよいならいってもらえばよいのでは?
>主たる家計支持者に死を伴う危険を必ずくぐり抜けなければならないことがあるのだろうか。
H19年度の労災死亡人数は1357人。
H19年度の出生数は約100万人で出産時死亡率は10万人に4人であるので、掛け合わせると40人
1357*40:40*2 の関係になり
今年の志望人数は30人だったか60人だったかなのでその数字は間違っていませんが、その後がおかしい
夫が40年労働するに対応させるには妻が子供を身ごもる可能性のある期間すなわち、つきあい始めから閉経までの期間を含めるべき。26で結婚したとして閉経は50前後か。なので24年間リスクはあり続ける
さらに計算式もおかしい。
計算するなら死亡人数/死亡する可能性のある労働者 であり、死亡する可能性のある全人口の中で男が40年労働すると考え、女は出産育児期間をのぞく30年間労働すると考えて重み付けを行わなければいけない。死亡する可能性のある労働者はすべての労働者であり、男と女という簡単なモデル付けをすべての人に対して行っており、死ぬのは一回ぽっきりなので計算としては
なお規格化を寿命で行った。
妊婦の場合は妊娠しない限りこの危険性からは回避できるので妊婦の人数に対して計算すればよい。
出産でなくなる方は30くらいだった気もしますがそれ以外に妊娠中になくなる方、胎児を摘出しないと母胎が死亡する場合に胎児を摘出せざるを得ない方などもいるので重み付けで1.2倍などしてもいい気はしますがそこは省くことにしましょう。
妊婦が産休以外で働いていると仮定するならば、女性には妊娠が原因で死亡する確率+労働が原因で死亡する確率というのが含まれるので言わずもがなリスクが男性より高くなります。見事な詭弁で拍手ものですね。
生まれてくる子供の健康は願うのに、うまれてきた自分の子供の健康は願わないんですか?
>育児は自分のためにするものではなく、子供のためにするものだから、という認識を共有できる夫と出会えたことは本当にラッキーなことだったのかもしれない。
子供さえできてしまえば子供を盾に一生安楽と主張する女性を何人も見てきたので増田の夫は幸運だと思う。
ちなみに
- 未就学児を抱えていても在宅仕事で300万を稼ぐのが当たり前であり、そうでないのは甘えである。
とそれに伴う発言は、600万以上を稼げる女性からすれば
という状況とほぼ等価であると思うと知っておいた方が今後よいことがあるかもしれませんね。
例えば月に一度くらいは土日に子供を預けて羽を伸ばしに行くことを想定している。
現実的には当たり前ではないが、年収600万稼げる女性にとっては充分に射程圏内である。
小学校に入るまでは専業主婦でもよいと書いてあるのでそのような主張はしていない。
自分の妻も子供が小学校に入るまでは専業主婦でいる予定だが、スキルが皆無なので復職は難しいと考えている。
なので今のうちに資格を取得することを薦めている。
>家のなかのことをしていてもらい家事を手伝う程度ですむということは十分ねぎらわれていることに等しいので
主張が理解できない。
夫は「育児ありがとう、今日もメシがうまい、君は美しい」と言うべきであり
現実的にはどちらもなされないことが多いと思われるが
>主たる家計支持者に死を伴う危険を必ずくぐり抜けなければならないことがあるのだろうか。
H19年度の労災死亡人数は1357人。
H19年度の出生数は約100万人で出産時死亡率は10万人に4人であるので、掛け合わせると40人
1357*40:40*2 の関係になり
なお、乳幼児は簡単に死ぬが、これは自然の摂理なので必要以上に構えるのは良くないと思う
>育児は自分のためにするものではなく、子供のためにするものだから、という認識を共有できる夫と出会えたことは本当にラッキーなことだったのかもしれない。
子供さえできてしまえば子供を盾に一生安楽と主張する女性を何人も見てきたので増田の夫は幸運だと思う。
女性比率の低い場所に行くと、当然モテます。これは自然の摂理です。
理系の大学行くと、ブサイクな女でもチヤホヤされて彼氏ができるのと同じです。
そういう場所に自ら行って、「言い寄られて困る」と言うのは、
単なる自慢か、頭が悪いかのどっちかでしょう。
いや、頭が悪いのはお前だ。自然の摂理とか言い出すバカはこれだから困る。お願いだから論理的に思索してくれ。
「そういう場所に自ら行って」というが
確かに例えば、お見合いパーティーに行っておいて「言い寄られて困る」といったら「いや、『そういう』ことをする場なんだから、『そういう』場に自ら行ってそんなこと言われても…」となるだろう。
しかしオフ会はお見合いパーティーではない。恋愛をするためのステージではない。第一の目的、意義は恋愛ではなく(そういう場合もあるだろうが)たとえば漫画家好きが集まればその話題で話し合うのが一番の目的であるはずだ。ジョジョ立ちオフだったらジョジョ立ちをすることこそが意義。無論、それに付随して恋愛関係や、友人関係などが出来たりすることもあるだろうが、それはあくまで副産物的存在。オフ会の目的ではない。副産物までいちいち覚悟しろというのは(大袈裟に言えば)被害者に対する責任の押し付けだろう。モテやすいからというのは理由になっていない。それを言うなら、「多数のオスの中にメスがいると、オスは惚れやすいのは自然の摂理であるから、男側はオフ会の第一意義を忘れず、安易に恋をしないよう気をつけるべき」ともいえる。自然の摂理なんてのは一種のマジックワードで、実際にはそんなものは無い。単に自然にはそのときそのときの現象があるだけだ(厳密に言えばそれすら人間が自然から切り取ったものだが)。そしてさらに現象は本当にただ単に現象でしか有り得ず、それが「だからいい」「だからすべき」「だからしないべき」等の直接的理由にはならない。その間には、必ず個人の価値観や思考が挟まっている。自然の摂理なんていうものは全く根拠でもなんでもなく、根拠は結局まさにその、個人の価値観や思考だ。そこを、「自然の摂理」などという大きな言葉と単なる個人的価値観とを摩り替えるのは卑怯であるし、第一結局自身の価値観に説得力がないからこそそんな思考停止のマジックワードを使っているのだな、とバレバレで恥ずかしいからやめたほうが得策だろう(笑)
オスが多数のところにメスが少数だとメスは言い寄られる、までは現象としてはありがちとはいえ、「だからそういう場に自ら来るメスが悪い、言い寄られたくなかったら、メスが自重しろ」というのは、こうして詳しく記述してみれば随分一方的な話であることが分かる。その理屈でいえば、「そういう場になりがちなのだから、まずはオスが言い寄らぬよう自重しろ」「そう言う場になりがちなのだから、オフ会などすべきではない」でも別に通じるのだ。同じ現象からでも真逆の結論だって導き出せる。なぜならば、その結論を導き出しているのは結局は単に各々の価値観であるからだ。現象は根拠ではない。
更に今回の場合、お見合いパーティーでもなんでもない、第一目的が恋愛のほかにある「オフ会」である。
であるならば、「オスた多数のところにメスが少数だとメスは言い寄られる」「しかしオフ会の第一目的はそういったものとは別個のところにある」「したがってまず基本として、オスだろうがメスだろうが、皆がそのオフ会の第一目的を楽しめるようになるべく計らうべきである」「とするならば、惚れるのはしかたないとしても、安易にオフ会中に言い寄るのは(オスからだろうがメスからだろうが)やめるべきである」とする方が「だからオフ会に来るメスはそれを覚悟しろ、(恋愛ごっこが第一目的ではない)オフ会で言い寄られても、オスはそうしがちでしかたないのだから、文句言うな、文句言うならくるな」より、よっぽど論理的且つ理性的だと思うが?お前の理屈は感情的で一方的に過ぎるのだよ。
「mixiのオフに行くたびに」のエントリが盛り上がりすぎて、
話があっちこっち飛びすぎてる気がしたので一度整理したい欲求に駆られた。
この3つは、それぞれ無関係じゃないにしろ、同時進行すると話の収集がつかなくなるシロモノ。
んで、順に。
女性比率の低い場所に行くと、当然モテます。これは自然の摂理です。
理系の大学行くと、ブサイクな女でもチヤホヤされて彼氏ができるのと同じです。
そういう場所に自ら行って、「言い寄られて困る」と言うのは、
単なる自慢か、頭が悪いかのどっちかでしょう。
私は食べ歩きがしたいだけ?だったら一人で行けばいいでしょう。
なぜあなたはオフに参加しましたか?人間付き合いが楽しいからでしょう。それはみんな同じです。
趣味の合う人がいれば友達になりたくなりますし、ステキな異性がいればお知り合いになりたくなります。
こういう人は、大学で言い寄られても
「大学は学業を行う場で、そういう言い寄られ方をすると困る」って言うのでしょうかね。
ステップアップの順序を飛ばさないにしましょう。
例。
中学校や高校のクラスを思い浮かべてください。いくつかの仲良しグループがあったと思います。
体育会系の活発リア充グループ。普通の人たちが集まった中堅グループ。なんか地味な人が集まったグループ。
多分、非モテの人たちは最後のグループか、グループに入れず一人ぼっちだったと思います。
んで、社会に出てからもこれ同じなんです。
オフとか参加するのでもね、ろくに女の子と話したこともない人が、
いきなりコール飲みがガンガンかかるようなパーティーサークルオフみたいなのに行っても、
そんなの相手にされないに決まってるんです。
そんなのに参加するのはリア充ばっかに決まってるから。
いきなりステップアップは無理。最初は自分に近いものから参加しましょう。
オタッキーな趣味でもいいんです。例えばプラモならプラモの集まりに参加する。
そうすると、話が合うのがいっぱいいるから。たまには女の子と話もできたりするだろうさ。
んで、そこでステップアップして、普通レベルのトークテクが身についたら、初めてもう一つ上の集まりに行こうよ。
もちろんそこで彼女できればそれはそれでいいしさ。
非モテってのは、装備がひのきの棒と布の服なんだよ。そんなんでゾーマ倒そうってったって無理なんだ。
段階を追ってレベルアップしようぜ。そうすれば、いずれ彼女できるから。いきなり背伸びしようとすんな。
いきなりひのきの棒と布の服でゾーマに挑戦したって、経験値得られないどころか、一生残る傷受けるぞ。
ゾーマもいい迷惑だし。
イケメンとブサメン、どっちに生まれたいかと聞かれれば当然イケメンなんだが、
「俺イケメンじゃないから彼女ができない」とか言ってる奴はアホだと思う。
彼女を作るということに関して、顔の占める割合は小さいとは言わないが、決して大きくはない。
ブサメンで彼女ができないとか言ってる奴は、大抵身だしなみに気を遣ってない。
というか、気を遣う気が無い。
髪型+服+トークテク>>>>>(超えられない壁)>>>>顔
これ覚えておいた方がいい。
俺の周りでも、俺よりブサイクな奴らが、俺より圧倒的にたくさんの女と付き合ってる。
女は、言うほど顔に重点置いてないよ。それよりも、自信であるとか、雰囲気であるとか、
そういった部分を鍛えた方が、圧倒的にモテると思う。
うーむ。
おおざっぱな傾向として、
非モテ男ってのは「イケメンに限るなんだろ、チッ」とか反発してみたり、ネット上で喪男同士タッグくんで「イケメン氏ね、顔で選ぶ女氏ね、恋愛至上主義氏ね」みたいに(まあネット上だけだけど)かなり強く反発しているのに対し、
非モテ女ってのは、そういう派手なことはしてなくて、たまに語ることがあってもこう、なんというのか、全体的に「諦念」の二文字が浮かび上がっているんだよね。基本的に諦めてる。反発しようとすらしない。差別を内面化してる。差別を容認している。「しかたのないこと」とか言いがち。
なんでこういう差が現れるのかね……(幼い頃の傷の深さ、は、一概に男女どちらが大きい等は言えないので、そこはとりあえず同等として)
と考えてみたけど、非モテ男はまだ暴れる場がネット上にあるからなのかもしれない。
ネット上では割りと非モテ男的メンタリティが通用する場面が多い。というか男性的というか(昔ならいざ知らず、今は女性ユーザーもかなり多いはずなのに何故いまだにこうなのか、そういえば不思議だ)。
しかしその男女逆はネット上でさえあまり通用しがたい。
「男はどうして顔で選ぶんだ」こんな単純な疑問さえなかなか言える空気がない。言った所で「ブスが冷遇されるのは当たり前」的な、心無いコメントが普通につくのがネットだ。しかし「女はどうして顔で選ぶんだ」という怒りはそこら中で勃発し、また割りと同意してくれる人が多い(勿論こちらにも「当たり前だろ」等のコメントがつくときもあるが、それを上回る同意量がもらえる「場」がそこかしこに出来上がっている。痛ニュー的な場所)。スイーツなんて言葉が定着するくらい、またそれを当然の如く罵倒語として使えると思っている人が結構な数いることからしても……
またそういう流れになるのを分かっているから、非モテ女は滅多に男を攻撃するような過激なエントリは書かない。数的には男女そう差はないはずだが、一気にメタメタに叩かれることが分かっているからである。おそらく同意したい女性がいても、叩かれるのが分かっているからこそ、同意して自分まで叩かれるのを怖がり、結局は書きこまなかったりするのだろう。
となると、ネット上でもリアルでも、非モテ女は基本的に何も言わなくなる。言ったところで叩かれるのがオチだから。リアルでも「お前が言うなよブス」と思われるのがオチだから。
その中で、敢えて発言する非モテ女がいたとしても、それは上記のような「諦念」的なエントリでしかない。そうでないと叩かれるのだ。非モテ女は諦念していないと、リアルでもネットでも許されない存在だから。一人抗戦しようと立ち上がっても、リア充からも男からも叩かれた挙句に、同類である非モテ女達は「バカな子、私達がそんな事いったら、叩かれるに決まってるでしょ?諦めるほかないのよ」と、そっぽを向くだけで誰一人味方してくれない、いやそれどころか最悪の場合、「私も非モテだけど、顔で選ばれるのは自然の摂理で仕方ないことだと思うよ?そこにぐちぐち言うのはやめようよ、大人気ないよ」などと同類から言われたりすらされがちである。そういう状況があまりに見えすぎている……だから非モテ女には「諦念」したくなくともそれをするほかないのだろう。
喪女板という、男が基本的に禁止の(といってもそれでも結構「女はバカ!バカ!」と罵る嵐はいるが)板では、非モテ女といえども諦念していない、「美人氏ねよ」「男は美人ばかり選ぶ、氏ね」と抗っている人も結構多いんだよな。
結局ネットでも「場の空気」が大きいんだよな……というより、ネットだからこそ空気の力って大きいのか。リアルよりよっぽどネット上の方が空気読んでる気がする。リアルじゃ空気ちょっと読めなくても「えっ?」って「ん?」って感じの対応されるだけだが、ネットで空気読めないと容赦ない多数からのバッシングが待ってるからなぁ……非コミュがネット上で「空気読めない」って言ってるけど、彼らもネット上じゃ結構空気読めてるよね。例えばそういう話題をはてなでするってだけですでに空気読めてる。
元増田です。
元記事はちょっと無理して文体変えたので、なんか不自然になっちゃったけど、「?。」の件は自分の無知。まったく、何処の学校で日本語学んだんだろうね、自分。教えてくれてありがとう。
そして、いろんな意見ありがとう。なんか益々混乱した感があるけどw、答えが1つだけ有るとは思ってなかったし。
あれから何であんな質問をしたのか自分で考えてみた。
男性にとって最も価値の低い喪女はさ、「モテたい」なんて思う事すら許されないんだよね。誰に許されない?って事になるけど、小学校の頃から「醜い」って理由で、他の子や教師に、下手すりゃ実の親に差別受けて育つから、自然にそういう風に思うようになっちゃう。可愛い子に嫉妬する事すら無意味に感じるので、妬んだりしないし。もちろん普通に現実の男に恋愛感情持つこともあるけど、そんな乙女心は絶対人には悟られたくないから噛み殺す。バレたらバカにされて踏みにじられるだけだから。実際に恋愛できる人達がウフフアハハしている世界ってのは、私にとっては別の惑星の出来事。そういう擦り込みされているんだよね。
そこらへん、見かけや趣味が故に差別された男の人も同じなのかな、と疑問に思った。恋愛を諦めて「非モテ」を謳歌している人も居るだろうけど、「ただしイケメンに限る」みたいなタグを見ると、何を求めてるんだ?と不思議に思う訳ですよ。私は「ただし美人に限る」って言い草は野暮すぎると思うから。だってそれは自然の摂理でしょ。喪女が燻ってもなんの効果も無い。この世の中「可愛いは正義」なんだよ、本当に。本当に。喪女とかオバサン、つまり性的な魅力に欠ける女性が、ちょっと妄想的恋心を持つと「えげつない」って言われちゃうんだからさ。
あー、でもさ、もの凄く正直に言うと、「はてなアイドル」には嫉妬するなw。こっちは容姿に関係無く才能とセンスでリスペクトが得られて、平等に扱われる喜びを知ったインターネットなのに、カワイイ顔写真とガーリーさを武器にドカドカやって来て、チヤホヤされているのを見ると、「なにもこの場まで喪女の花を奪う事はないだろう」と哀しくなってしまう。現実でやれそんなこと、みたいな。でもまあ、インターネットは特定階層の所有物じゃないからね。「はてな」も同じく。僻とか嫉妬とか自覚しといた方が、逆に心の平静って保てるものなのかも。
あとさ、優しい言葉をかけてくれた人もありがとう。でも本当に私、ブスだから。沢山の人が、面と向って「ブス」って言ってくれたから。自分の居場所を教えてもらえるってある意味ラッキーだよ。そうすればモテたいとか、身の程知らずな事思わないで済むからね。