はてなキーワード: 摂理とは
((無意識的でも)いやになる瞬間があって普通だし、そういった時って、本来的には相手と自分との調節対象だから
ひっくるめると愛し合うって、その都度その都度の個々人との、固有の経緯を含めた情動調節だから、
あわない瞬間もタイミングも、時期も相手も状況も、あって当然なのが、人だから
悪意や相手からの関心が向いていないときには、ほどほどの距離感を保っておけると、楽なんじゃないかなぁって
(ヒットアンドアウェーで充分
自分にとっては、(増田でも)どうでもよくない相手だって思ったから、返信しているよ
そう思ってくれる人も、自分一人ではないと思う☆
「2人になれば性行為の誘惑強まる」レイプ被害者にむち打ち刑 サウジ - MSN産経ニュース
イスラム教スンニ派教学の最高権威機関アズハル(カイロ)のオスマン研究員は「男女が2人きりになれば性行為の誘惑が強まるのは自然の摂理。過ちを防ぐためだ」と説明する。
ま、日本もこうした事例を参考に「被強姦罪」を創設すればどうだろう?
特に米兵に強姦されるのは重罪にすべきだ。
男を誘惑したうえに日米関係まで揺るがしかねないからな。
どうです?>花岡さん
http://www.nytimes.com/2007/12/01/world/01saudi.html
によれば
彼女は結婚前に写真を渡した男友達がいて、結婚してからそれを返してほしいと言って彼に会って彼の車で15分ほど二人きりになった。そこに別の車が進路を遮り7人の男が出てきて彼らを拉致し、「彼らを」繰り返し輪姦したとのこと。
彼女が罪に問われたのは「レイプされたから」ではなく、「婚外交渉をした」と検察が主張しているから(彼女も相手も否定している)
だから「レイプ被害者」という元記事のタイトル自体誤解を招いてとても問題だし、エジプトのアズハル大学の見解も誤読させるような微妙な編集のし方をしている。
さらに問題なのは研究員が女性への罰を与えるかやその量刑についてはその裁判官の裁量、と言っていることを後に持ってきたこと、関係ないエジプトの世論で補強していること。この手の裁判での裁判官の質というか判決は時々問題とされているように思うし、レイピストの量刑も軽すぎるように思う。上記のNYタイムズによれば現地のサウジでも論争になっているそうだし(どの点が論争になっているかは不明)。結果として女性には国王の恩赦があったそう。問題のキモはサウジ的にはそっちの方(裁判官の質や量刑、証言の公正さ)なんじゃないかと思う。
日本人っていうのはたぶん、痛い目を見ないと分からないようにできてる。
GDPが先進国中17位になったってくらいじゃまだまだ足りなくて、もう一度、不況のど真ん中を経験する必要があるんだ。
金融も製造もITもほかの国に持って行かれて、もちろん第一次産業もダメ。
今から既存の産業で他の国に追いつき追い抜こうとしても、もう無理なところまできてる。
グローバル化が進む世界の中で、言語が障壁になってるから、世界に売ってでれないからだ。
だから、全く新しい産業で世界の目をもう一度向けさせる必要がある。
だけどそれには、どん底に落ちるのが条件なんだ。それくらい追い込まれないと日本は再生しない。
国内でのほほんとやってるITベンダーは、近い将来、大編成を迎える。
Saas、Faasは中抜きの仕組みだから、レガシーな技術にすがってる大手は軒並みリストラしないと生き残れなくなる。
なぜなら、日本は新しい産業を作れなかったから、みんなで寄り添って、国内の小さなパイを分け合い奪い合ってしか生きられなくなった。
そのパイも、経済のグローバル化が進につれて、新経済大国のような国々の企業も食べ始めたから、どんどん日本人が食べられるパイが小さくなっていってて、これからだって取り分が小さくなっていく。
今の人口を支えてさらに人口を増やすには、パイを大きくする必要があるけど、それは国内に作るんじゃなくて海外に求めなきゃいけないのに、誰もそっちに目を向けない。なぜなら、国もそれについてはノーアイデアで、今のところ諦めてるからだ。
昔のイギリスのように、老齢な社会に一度なって、寿命で死んで、そしてまた生き返る。
それをやらないで、今からしゃにむに若返ろうとしたって、それは難しい。自然の摂理に反するからだ。
不況による失業や、物価高、低所得、福祉の不在、互助精神の欠如などにより、子供は増えず、今の人たちは失意の内に年を取り、社会全体が死んだようになる。
さらに、教育施策の失敗により、これから知識集約が必要な第三次産業の国際競争力はますます弱くなる。
より単純な第一次産業、第二次産業への就労者が増えることで、賃金はさらに下落する。
回復の兆しは、これから10年後に見えてくる。その頃、同時に日本はどん底を迎える。
思いつくままに書いたけど、けっきょく何が書きたいか分かりませんでした。
つーかいい加減諦めろよこの非モテ共め。
「モテるためには努力」? そもそもモテようとすること自体が間違ってるんだよ。モテるってのは、要するに対人コミュニケーションと性的欲求との複合物なのだから、個別に充足すれば何てことはないだろう?
いいか、私たちは劣等人種、性淘汰の負け犬なわけ。惨めなボロ羽引き摺った雄孔雀なわけ。畏れ多くも恋愛できるなんて考えることが間違ってるの。メディアに騙されてるの。恋愛というものが世にあるにせよ、私たちとっては存在していないの。
だから、努力なんて言葉を真に受ける必要なんて全くない。「努力しろ」って意見は、むしろ、そうした摂理を弁えない相手の無知無能を笑い憐れみ蔑むべきものであって、劣等感を感じるべきものではない。そんな言葉、空想家の誇大妄想に等しいのだから。「一枚の宝籤を買って億万長者になった人がいる」から、「億万長者になりたければ宝籤を買えばいい」と結論するのは馬鹿げてるでしょう?
ちょっと長いが聞いてほしい。
近年の子供は、集団による言葉攻めや、相手を孤立させる村八分などの、ちょっとした暴力よりもよっぽど凶悪な攻撃を行う。
携帯メールなどが普及したこともあり、その手口はますます陰湿で極悪になっている。
そしてなにより、虐めがあまり気軽だ。まるでメンコで遊ぶ感覚で虐めが行われる。
通常このような虐め、すなわち攻撃にあった子供は、状況を打破するために反撃を試みるはずである。
孤立させられている状況を考えると、反撃の手段は拳によるものになるだろう。
反撃は攻撃を、すなわち虐めを緩和させるための防衛手段だ。
攻撃者も、反撃というリスクを理解していれば、いじめにも慎重になる。虐めは無益だと気づくだろう。
攻撃すれば反撃される、必死に抵抗される、場合によっては自分も致命的なダメージを負う、
というシステムは動物でも熟知している自然の摂理だ。当たり前のことである。
ところが、虐められた子供が虐めた子供を殴ると、どういうわけか虐められた子供が非難される。
理由はどうあれ、最終的に暴力を振るった人間、相手を目に見えて傷つけた人間が最も悪いそうだ。
もし、このようなシステムを許容すると、できるだけ早く虐めを始めた子供が圧倒的優位になる。
相手を孤立させて虐めれば、反撃の手段を拳に限定できる。
しかし拳は「暴力はよくない」というステレオタイプにより禁止されている。
虐めても、顔に傷を負うとか、目をつぶされるとか、そういったリスクがない。
昨今の加害者過保護の風潮もあいまって虐めが発覚しても、それほどしかられることもなく、処分を受けることもない。
虐めが気軽に行われるのはリスクがないからである。虐めはノンリスクなのだ。
最後のストッパーになるべき教師も、昨今ではもはやただの案山子、親御の奴隷。
ノンリスクであるから、虐めに歯止めがきかなくなる。やり放題だ。
虐めの標的になった子供はサンドバッグになるしかない。逃げるしかないのだ。
どこに逃げるのだろう?
引っ越すのか?
人格を消すのか?
死ぬのか?
この状況に疑問を持たない大人はいないだろう。
モンスターペアレンツの問題も、学校へのクレームに関するノンリスクが問題ではなかろうか。
言い放題なわけだ。結果として教育現場が混乱し、自分の子供のデメリットになるのだが、そのリスクを理解していない。
そのようなシステムの穴、ノンリスクを利用する人間は、悪人か馬鹿である。
自分の子供がノンリスクを悪用する馬鹿に成り果ててもよいのだろうか?
それは虐めた子供にとっても自然のシステム、行動とリスクを理解させるチャンスであり、
虐められた子供にとっても自分を守る手段なのだから。
リスクを理解できなかった子供は二世モンスターペアレンツになるかもしれないし、
守ってもらえず、同時に自分の身を守る手段を奪われた子供は人間不信になるかもしれない。
どちらも攻撃者となれば、それはけんかである。子供のけんかは大賛成だ。
けんかを許容するシステム。ある程度のけんかで仲裁できる教師。
今の日本にはこの二つが必要である。
それにしても、現代人は「暴力は悪い」というステレオタイプに踊らされすぎではないだろうか。
私は正しい暴力もあると思うのだ。
実際ね。
奢るのが嫌だとかバカなこといってる男がいるけどさ。正直俺からしたらアホ。
つっこむ性、つっこまれる性って時点で恋愛で平等なんて無理。つうか寧ろある意味男が奢ってこそ平等。
前提が違うのに結果同じにしたら不平等に決まってるだろっていう。
男はぶっちゃけとにかくつっこみたい。
女はでもそうじゃない。つっこませる奴を選ぶ。
基本的にこうである以上恋愛市場において女がある意味強者であるのは必然。
俺らはアプローチしなきゃなんない立場なわけ。どうかつっこませてくださいと。
孔雀の羽と一緒だよ。奢っておだてて、アピールすんの。男は。女落とすために。
それはもう自然の摂理。これに文句言うなら神に言え。オスとメスっていう性がある時点でこうなんだから仕方ない。嫌ならカタツムリになれ。
大体、女も、着飾って待ってるわけ。その時点で金かけてるわけ。そっちがメスの役割。
それを金かけて落としにかかるのがオスの役割。
そうなってんだ、動物界は。
で、ま、そんな立場が、奢るの嫌だとかね(笑)だからお前ら非モテなんだと(笑)
大体、好きな女にメシも奢ってやれないような男はその時点でたかがしれてる。まあはっきりいってろくでもない。好きな奴にケチってる時点でカス決定。そういう奴は決まって身なりもダサくて、仮にメスだとしても失格なポジション。もう服装にも金かけねーわ、奢りもしねーわ、そんな奴を誰が選ぶっつーんだって話(笑)女はズルいとかいうけどお前が仮に女になったとしても絶対モテないっつーの(笑)
イケメンなら、メス的に着飾って待つのもいいけどね。でもお前ら自分でよくわかってると思うけどイケメンなわけないだろ?
奢りもしないでお前らに一体何があるっていうわけ?って話。ていうか、ぶっちゃけ大多数は奢ったところでそれでも……なわけだが。
しかし困った事に、女にも「奢られたくない」とかよくわからんこと言うアホがいる。
自分で自分を安売りして何がしたいのか俺にはさっぱりだ。しかもこういうタイプは意外と高学歴が多い。多分、男女平等という言葉にフラフラ誘われてろくに考えもせず「割り勘」とかいってるんだろう。けど再三言うけど恋愛で男女平等とか有り得ないから(笑)意外と高学歴の連中って、その辺アホなんだよな。そらま、女が奢らなくていいとかいうのはこっちにとっては楽だよ?ただで女ゲットできちゃうんだから。でもそれでいいのかね?俺らが得するだけだぜそれ。自分を安売りしてどうすんだっての。大体、「奢り無し」でひっかかってくるのは上でも言ったとおり粗悪品の男ばっか。いいんかね、それで。
なにがいいたいのかよくわからないけど、僕も恵まれている一人かも→父親:経営者 母親:専業主婦だけど、元テレビ局勤務
世間様からみるとそれなりに裕福なほうだと思う。そういやお手伝いさんもいた。
恵まれているほうだし、恵まれてない人からみればふざけんな!とかいわれそうだけど、裕福な奴は奴で割とひねくれちゃったりする場合が多い。ただし、全てではない。これは田舎に限っての話しだけど、田舎だと格差とか明らかなのね。で、まあ学校とかでもおかねもちだもんねーとか、まあ子供なんでそれは仕方がないんだけれど、いい大人も自分らに対して、似たような発言するんだわ。ちょっと妬みがうすまじったかのような発言をね。で、これがよくないんだわ。なんというか、先の発言て、僕を指した発言じゃないんだよね。全て、親をみた発言なわけで、そこに僕は全く存在しない。なにをやってもあれをやっても何かを達成しても、自分がやったように感じられないんだわ。そうして、2世の大半は自己評価の低いまま潰れていく。これも自然の摂理といえばそうなのかもしれないけれど、正直納得いかない部分もある。それでも、そのプレッシャーをうちやぶってこそなのかもしれないけどね。
と、たてよみすべきところを全力でつられてみた。
最初の
産む機械とは言わないが、子供を産むのは女の仕事でしょ?自然の摂理として。女にしかできないんだからさ。それを自分の気持ちひとつで「したくない」って言い切っちゃうのが我欲ってことなんじゃないの?
の「女の仕事」というのはつまり、前後の我欲辺りからも考えて、「しなくてはならないこと」の意であると思ったのだが。
「女にしかできないんだから女は基本的に(よっぽどの事が無い限り)産むことをしなくてはならない、なのに自分の気持ちひとつでしたくないと言うのは我欲である」そういいたいのだと解釈し(逆にそうでないと我欲辺りが説明つかない)、「(その仕事の意味であれば)女の仕事というわけではない」とレスをつけたわけだが……(つまり、別に女にとって産むことは基本的にしなくてはならないことではないという事。現代社会においては。まあ当たり前だわな、そんな風に法で定められているわけでもなし。別にしなくてはならないことではないのだ。するもしないも、どちらの選択肢も同じレベルにある。どちらをどういう価値観で選ぼうが、他人に何か言われる筋合いは無い、という事だ。子供を産みたい人は自分で何らかの理由で産みたいと感じ、産む決断を下したから産んでいる。産むことが女のすべきことであるから産んでいるわけではない(まあ、勝手にそういう価値観に囚われている人はいるだろうが))
そりゃ、産むまでに発生するさまざまな負担は、旦那さんが補助したりサポートしたりもできる。
でも、実際に誰の仕事かと言えば、実際に体に宿している奥さんの仕事だ。
産むという作業は他人が肩代わりできない。
こちらの「仕事」は、単なる「出産という作業」の話になっている。
話が一貫していないと思うのだが。
なんであれ、こっちのいいたい事は↑に書いた。
女として生きているだけで強制的に子供が宿るような構造にはなってはいない。
関係ないことかもしれないけど、個人的に、「社会は厳しいんだ」系の説教は苦手で反発する感情しか抱けないけど、「社会は厳しくも甘くも無い、ただ、どうにもならないだけだ」系のニュアンスが含まれてる説教は、結構素直に参考にしようと思える(なんか説教を評価するなんてダメ人間特有の空虚な上から目線だけど)。
成功してる人が、自分の成功体験から逆算して作り出した、「成功の法則」をあたかも自然の摂理がごとく絶対的なものとして、周りのうまくいってない人に当てはめて、その人の人格の奥深くまで断じて、その理想人格にどれだけ近づけたかのヒエラルキーを作ったりして、求道者みたいなこと言ってる人が一番苦手だわ。
求道者みたいなこと言いたいなら、「制御不能な現実」まで含めて論理を作れよ、と。まぁ、向こうは成功体験という現実(の一断面に過ぎないと思うけど)がバックグラウンドにあるから、何を言っても負け犬の遠吠えなんだろうけどさ・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20070727133418
・他のオスが作った子を殺す
・弱った者、弱い者(障害のあるもの)を見殺しにする
・約束を守る
動物の世界ではこうした行為を悪いとは考えないでバンバンやってるってこと?
それとも逆?キヨラカナ動物さんたちは、コンナコトしないって意味?
サルもライオンも、群れのボスが変われば新ボスは他のオスの子ども達を皆殺しにしてメスの発情を促すよね。
「約束を守る」(守らない、って書きたかったのかな?)ってのがよく意味わかんないんだけど、一夫一婦の約束だとしたら、一夫一婦で浮気をしまくる種なんて沢山あるよね。
バフォメットである。
ここをご覧になった諸君に問いたい。
現在の、ことに日本の技術力があれば、性病、妊娠のリスクなくセックスを楽しむことは可能である。
理性的な管理さえ行えば、セックスを純粋に楽しむことは可能なのだ。
諸君に今一度問いたい。性病、妊娠のリスクがなく、相手が十分に清潔であれば、どの態度の容姿まで許容できるだろうか?
もし、そのような理想的な状況が作り出せるならば、多くの人がセックスによる快楽をむさぼることができるであろう。
そして、今の日本ではその気にさえなれば、それは可能なのである。
しかし、神に汚染された忌まわしい道徳意識がそれを阻害しているのだ。
なんたる無駄か。
たとえば、女子であれば、月経を理由に休養を取ることが許可されるのが一般的である。
しかし、健全な男子として過ごした者であれば理解できると思うが、男子は男子で哀れなほどの性欲にさいなまれ、
生産性が低下することがあるにもかかわらず、これに対する社会の理解がない。
学生であれば、女子が月経を理由に体育の授業を休むことが許されても、
男子が悶々として勉強に手がつかなくなることが救済されることはない。
なんたる無駄か。
これもまた神の不条理である。諸君らには、このようなくだらん神の摂理をいち早く放棄することをお奨めする。
尚、我が教団にはこのようなくだらぬ悩みはない。
逆に、理不尽や不条理が溢れまくってるからこそやっぱいねーんだろなって気するけど
理不尽なこと、不条理なことって、そんなたくさんある?
不確定性の原理とかバタフライ効果とか考え出すと確かにって気もするけど、アバウトに考えている限りにおいては理に適っているように思えるんだけれど。
追記:
元を書いた者ですが、私は「皆死なないで幸せに」とは思ってないよ。
死ぬのは摂理だもの。死ななかったら人が溢れるし、
人の命に限りがあるからこそ命の存在が美しくなるんじゃないのかなあ。
私は、死んで行く人も生きてゆく人も、幸せだと思える人生を送れればいい、と思っただけ。
言葉の選び方が悪かったならごめんな。
「皆が死なないことが幸せ」な人に関しても私は特に何も思わない。
私は人が死なないことが幸せだとは思わないけれど、別に他の誰が何を思おうが
私の知るところじゃないからね。
私もじーちゃんばーちゃんは小学生以前に亡くなってる。
だからあなたの言葉で言うなら、「誰かの死を経験した時期の差」じゃない?
私はもうそろそろ両親もいい年だし、自分も子供持てる年だしさ。
別に貴方が皆幸せになれればいい、って思わないのはおかしいことじゃないよー。
人それぞれだからね。
お金持ちが資産を蓄えるだけ蓄え社会還元などもしないために富野再分配が行われないから格差が生まれます。こういう状況ですとお金持ちの人はますますお金持ちに、貧しい人はますます貧しくなるだけです。
まあ自分が良ければ他の人なんてどうなったっていいんでしょう。それが人間を含めて生物全ての本質なんですから、何一つ不自然なことはないんです。見知らぬ遠い他人は疎か、50年来付き合いのある隣人がどこでどう野垂れ死のうが知ったこっちゃありません。そんな些細なことよりも、自身の資産運用の方が大事で大事でたまらないんです。あちらこちらに豪勢なお家を建てる程のお金持ちがさらにお金持ちになってどうするのか皆目見当も付きませんが、きっと鳥取砂丘にピラミッドのお墓でも建てる積りなんでしょう。
そもそも野垂れ死ぬようなことになるのも、自然の摂理では、全て頑張らないから悪いんです。頑張らない個体はどうなろうが構わないというのが自然の理論なんです。頑張らないライオンは生きていけますか?頑張るライオンだけが生き残るべきなんです。頑張らないライオンは頑張るライオンに食い殺されるのがまともな自然淘汰です。ですから頑張らない人間は頑張る人間に搾取されて然るべきことで、それを格差格差などと叫ぶのは筋違いも甚だしい。