はてなキーワード: 感じ悪いねとは
前の方座らないでくださ~い、どう思う?座ってたよ~感じ悪いね~
発狂スイッチが入るところを見た、を読んで、まあ過激なおじいさんだなとは思ったけれど、いくらなんでも叩かれ過ぎなような気がした。
まず元記事がじいさんに対して悪意に偏っている。「発狂スイッチ」という表現もそうだが、ふたりの大人が並んで立って、無理なく成人男性が間を通ることが出来るエスカレーターなんて普通はない。
立っている人に避けてもらうか、ぶつかるかをしなければ、通り抜けられないはずだ。
この爺さんが非難されるべき点は、注意するに際して物をぶつけたという一点であって、それも相手が意図的に先にぶつかったとすれば、単純に「喧嘩」の話である。これが仮に爺さんが女性であって、相手がぶつかった時によろめいて、憤慨してハンドバッグを相手に背中に叩きつけた、とかならやっていることはほぼ同じだが印象はずいぶん違うだろう。
何にしろ、法的にイリーガルなことを仕掛けているのは間に割り込んだ40代男性であって、この男性に対する批判がほぼなく、爺さんに批判が集中するのがいかにもはてなーらしいというか、ゆとり世代らしいと感じる。
はてなーらしさというのは何かと言えばリーガルマインドの恣意性である。
ブラック企業に対してはかなり厳格なリーガルマインドを発揮しながら、職務規定からの逸脱(たとえば病欠で当日欠勤したにもかかわらずブログは長文を更新するとか)については甘い。
人それぞれの考えはあっていいが、多数の見解の中から集約されてもたらされたのが法なのである。法を尊重しないと言うことは他者を尊重しないと言うことだ。その法を、尊重する程度において、ごく恣意的なのである。
この恣意性はいったいなんなのだろうかと以前から思っていたが、要は自分が糾弾する側とされる側、どちらに立っているか次第なのだろう。
この件に関する爺さんの言動は、物をぶつけたことはともかく、相手を批判することはすべて法に適っている。物をぶつけたことも、ただエスカレーターを駆け上がってくる第三者にぶつけたのではなく、自分に対して攻撃・干渉してきた者にぶつけたのである。これが過剰反応であるかどうかは言い分をきいて現場を検証しない限りなんとも言い難いが、状況的には、相手側のイリーガルな行動が契機になっているのは確かである。
これでどうしてこうまで批判されないといけないのだろうか。
たとえばあるマスダは言う。
「そういうの感じ悪いね。ろくに楽しみもない人生なんだろうかそういう人って。」
そうかも知れない。そうではないかも知れない。何の証拠もない話であるが、ろくに楽しみもない人生の人であっても、イリーガルな行為によって危険を被っても当然、甘受すべきだということにはならない。
別のマスダは言う。
「これをやるヤツのパターンって3つくらいあると思っている。
私はエスカレーターを駆け上ることはしないので、はっきり言って東京のエスカレーターの片側をあける習慣は迷惑以外のなにものでもない。しかもそれはイリーガルな行為なのである。爺さんが嫌がらせでそれをしていたとしても、嫌がらせが増えればこの慣習は阻害されるだろうから、当人の人格には関係なく、爺さんの行為には公益性があり善である。逆にそのマスダの考えは悪である。
爺さんの行為を善行と見なそうが、勘違いした正義と見なそうがそれは人それぞれである。しかし言論を含めて表に現れた行為においては、リーガルマインドがそこにないのであれば、他者を尊重できていないのはマスダの方である。