はてなキーワード: 悪魔の証明とは
「絶対わからない」と「わかるかどうかわからない」のあいだには巨大な溝があると思うんだけど。
悪魔の証明に出くわしたら全面降伏するの?
マナーと言われてもね。そちらのほうこそ問題があるのではないか?
悪魔の証明が詭弁だというのを良いことに、「これこれなものは存在しない」ことを基に議論を展開するのもまたマナー違反だ。
それはそうと
http://anond.hatelabo.jp/20090104203041
も読んでみたらいい。無意識の影響力のほうが大きいことを説明してるから。
自分で出すべき証拠を相手に出させようとして相手の負担を増やすせこい論法ということ。もちろん相手にどう思われようがかまわない、相手を黙らせて勝った気分になればそれでいいということなら勝手だが。
見えないものは存在しないなんて主張してない。例えば空気とか見えなくても存在してると思ってるよ。
定量化出来なくても大小関係は比べられる。
わざわざモノサシで測らなくてもどっちの人が背が高いか分かるだろう?
それを君は思いこみだと言うのかい?
実際にすることとできることは別。実際に物差しで計ってなくても物差しで図ることが可能ならやはり定量化可能であることに変わりはない。量を測ることが不可能なものを持ち出して大小関係を尋ねるのがナンセンスということ。もし可能というなら方法を示してほしい。
悪魔の証明が詭弁だからといって、「これこれなものは存在しない」という形の命題が全て正しいワケでもないだろう?
君はそれを平然と言って、それを論拠として論を展開しだしたものだから指摘した。
いやいや。無意識なんて見えないものの存在を主張するなんてばかげてる、みたいな事を君は言っただろう?
それだったら心だって見えないんだから心の存在を主張できないことになるということだよ。
定量化出来なくても大小関係は比べられる。
わざわざモノサシで測らなくてもどっちの人が背が高いか分かるだろう?
それを君は思いこみだと言うのかい?
悪魔の証明と同じ子といってるんだからあんたが詭弁を要ってるということ。
まず定義を明確にしないとだめだろ。それもせずに無意識がないなら心がないというのは論理が飛躍しすぎ。少なくとも意識が心の一部であるなら無意識がなくても心はあるということになる。自分は意識は心の一部だと思うがあんたはどうなんだ?もしあんたもそうなら無意識がないから心はないということにならないのは理解できるよな?
思いこみと呼ぶのは勝手だが、定量化出来るものしか信じないのではまともに生活出来ないだろう。
相変わらず非論理的だが「定量化できるものしか信じない」といってるわけじゃなくて「定量化できるものしか大小関係は比べられない」ということをいってるんだが。
さらに付け加えておくと無意識と意識とどちらが大きいかと聞いてきたのはあんたのほうだからね。
おいおい、都合のいいとこだけ拾ってレスすんなよwww
>村の掟とかのレベルまで制度に含める気か?
そもそも、俺は現代のロリコン論を、明確な婚姻制度がなかった時代の事情と
比較しても意味が無い、という話をしていたと思うが。
それとも、戦国時代はおろか、近代法治国家が成立する以前の時代の概念でも、
不文律の婚姻制度さえあれば、現代のロリコン事情を語れるということか?
そもそも、現代の話してるのに、秀吉の例を出して来るのが屁理屈だって言ってるの。
あと、これを意図的に無視せずに、回答よろしく。 ↓
>俺は明確な制度は無かったと思うよ。あったと言うなら、ソースをくれ。
不存在の証明は悪魔の証明で、存在証明のほうが簡単なんだから、
ごめん、文章の意味がわからない。
意図的な誤読、ご苦労さん。
「恋愛結婚以外では本人の意思はない」なんて一言も言ってないよ。
少なくとも、恋愛結婚なら本人の同意があることは確認出来る、というだけ。
論破できなくなると、人格攻撃を始める好例。
そもそも「彼がどういう情欲を抱いていようがそんなこととは関係なく、別にキモくない」
っていう理屈抜きの全面肯定なら、例にあげる必要無いだろw
キモいのか? と聞いて来たから、俺は3つの条件に当てはまるのでキモくないと答えたまで。
そしたら、批判の矛先が無くなって、時代背景がどうのと言う細かい揚げ足取りに移行した、と。
>>>>例え現代でも、24歳の男が親公認で16歳の女と恋愛結婚したら、キモくないと思うよ。
>>>親公認であるかどうかと欲望が一方的であるかどうかには関係ないよね。
>>これも、俺があげた3つの条件の判断基準。
>>一方的な欲望を抱いているロリコン野郎と自分の娘との婚姻を
>>認める親なんて、非常にレアケースでしょ。
>>そういう事例、ここ30年くらいとかであったらあげてみて。
根拠にもなんにもなってねえw 少なくともかつては立身出世のために幼い娘を使う親は結構いただろうな。
なんでまた戦国時代に話が戻ってるんだよwww
お前は、現代のロリコンについて語るために、戦国時代の例を引用して来たんだろ?
これ、ちゃんと答えてね。 ↓
>>一方的な欲望を抱いているロリコン野郎と自分の娘との婚姻を
>>認める親なんて、非常にレアケースでしょ。
>>そういう事例、ここ30年くらいとかであったらあげてみて。
【要旨】「痴漢冤罪」の概念を分類・整理することにより、何が問題なのか、何を改善すればよいのか、ということを考える手がかりとする。とりわけ問題となるのは「犯人誤認型」であり、この類型に着目することにより痴漢冤罪がやはり個人レベルのみで対処することが適当な問題ではないことが明らかとなる。冤罪防止のためには、鉄道会社の対応も不可欠であり、防止対策のひとつとして車両内監視カメラ設置の可能性を検討する。
【誤字の修正およびトラバ読んでの加筆もあります】
最高裁で、沖田痴漢冤罪損害賠償訴訟の判決が出た。原審破棄差し戻しだそうだ。破棄の理由は、立証に関するものであったのだが、最高裁は近時の空気を読んで判決を下したように思われる。
最高裁についてはこれらを;
http://www.asahi.com/national/update/1107/TKY200811070389.html
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081108k0000m040126000c.html
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081107/trl0811072059007-n1.htm
ところで、本件とは関係ないが、通常「痴漢冤罪」と呼ばれているもののなかにいくつか性質の異なるものが混在しているように思える。たとえば、
http://anond.hatelabo.jp/20081017211039
http://anond.hatelabo.jp/20081017144743
およびトラバでは痴漢冤罪問題について真摯な議論がなされているが、議論を読んで私がやや気になるのは、「痴漢冤罪」といったときにそれぞれの論者ごとでイメージしているシチュエーションが異なるように思えること。
なので、いったん「痴漢冤罪」とされるものの分類・整理してみるとよいのではないか。
以下でする整理により、何が問題なのか、何が悪いのか、どこを改善すればよいのか、ということを考える手がかりとしたい。さしあたり考えてみたのは
次の3ケース。
時間とシチュエーションから、よく問題となるものとして、次のケースがあるだろう;
以上の分類をした上で、それぞれについて考えてみると。
(1)虚偽告訴型は、実際に痴漢を楽しんでいるだろう一部の男性と同程度に、怒りを覚える。この類型では、実際に女性との接触がなかった場合にも事件化の危険はあるが、女性側からの何らかのアプローチがあると思われるので、男性側としても、注意することは可能かと思う。もちろん、痴漢行為不存在の証明=悪魔の証明から逃れられないという危険性はゼロを大きく上回る。
(2)具体的接触型。この類型については、世の中の眼が厳しくなっていること(痴漢告発数の増加や女性専用車両の導入のほか、企業内でのセクハラへの対処、等々)は間違いないのだから、このことを行き過ぎだと思おうが思うまいが、受け入れ、ある種の諦念を持って自衛するしかないなと思う。ただし、これについては、自分の行動を規律することにより、かなりの程度危険性を回避できるだろう。酔客ケースに関していえば、酔ったうえでのことでした、では済まされない時代なのだから。
(3)犯人誤認型。とくに男性が恐怖を覚えているのは、満員電車中での犯人誤認型であろう。これは、電車内においても、事件化した後においても、防御のしようがない。しようがない。コワイ。この点で一番問題であるように思う(虚偽告訴型もこの点では同じなのだが)。いくら注意しすぎても、十分に安全になることはないのである。
ただし、この犯人誤認型の場合、「痴漢されたことは事実」「痴漢してないこともまた事実」→犯人は別の人間。両者はともに正しいことを述べているので、訴訟になった場合、きっと両者とも譲歩はないだろう。もちろん、女性に対して、誤認するな、ということは可能であろうが、問題は個人レベルで解決できることではなく、満員通勤電車という状況である以上必然的に起こる問題と考えた方がいいだろう。
こうやって場合分けしてみると、痴漢「冤罪」問題において、もっとも本質的なのは、(3)犯人誤認型ではないか。そうすると、疑問に思うのは、この痴漢えん罪問題についてなぜ鉄道会社が知らんぷりできるのか、ということだ。女性専用車両というものがたしかにあるが、これは中途半端な免罪符だろう。
この犯人誤認ケースが、痴漢冤罪問題に対して向けられる男性の不安の中心にある。
対策にはどういうものがあるか。
この防止のためには、すでにいろんなところで主張されていると思うが、
電車内の監視カメラを、半分の車両につけるだけで、十分に効果が出ると思うがどうだろうか。この場合とにかく両手を挙げているのがカメラに写っていれば助かるのだから。
(追記:車両内に監視カメラを設置する場合、場所が問題となる。わたしが問題としているのは、
犯行の証拠をとらえること、ではなく、犯行の存在しないことの証拠をどうするか、
ということなのだから、車両の上側に設置して、両手を挙げていれば助かる、というものを考えています。もちろん、カメラの性能や死角となる場合の問題、あるいは背の高低で不利になる場合もあるかもしれませんので、具体的には詰めるところがたくさんあります。
ただ、ここで問題としているのは、まさに「痴漢冤罪がおこるということの根本に何があるか」という問題意識の共有ということです。監視カメラ設置にかかる種々の問題は、その次に段階に位置する重要な問題だと考えています。)
「書いてない」ことを証明するのは、悪魔の証明になっちゃうのかもしれないですね。言及ありがとうございます。はてなブックマークで「本物・偽物」を書くのは、閲覧者から見てわかりにくい気がしたのですが、それはおそらく私が慣れていないだけで、はてなユーザーがIDを使って、「これは私が書いた」と示す上では、ダイアリーを使ってもブックマークを使っても同じことですね。
引用させていただいた部分については、匿名ダイアリーの元記事の再編集が可能かどうかが、一つの目安にならないでしょうか。はてなブックマークの場合も、URLが生成されますよね。それを元記事に「追記」という形で埋め込んでしまうとか。なりすましの場合は、再編集不可能ですので、「書いたこと」の証明は匿名ダイアリーの編集でなんとかなるかもしれません。
実は、悪魔の証明なんて論点じゃなかったんですよ。
企業で法務に携わっているid:FJneo1994氏のエントリーをリストに追記したんだけど、そのエントリーにも書いてあるように、地裁段階において、デサフィナードは、JASRAC管轄の著作物を演奏してないと言っておきながら、裁判中の弁論では、その信憑性を疑わせるようなことを自分で陳述しちゃったみたいです。実は演奏したみたいな。どうやら「墓穴を掘った」ようで。
要するに、"悪魔の証明"が法的に有用かどうかっていうのが争点だった?
テロ路線だった頃の「匂い」が消えてないし、「悪魔の証明」よろしく「匂い」が完全に消えたと証明できない状況に、長い時間をかけて自らを追い込んでるから、もう線引きは不可能だろう。テロ路線だった頃に党の要職にいた人間が名誉職扱いだったりするしな。社会主義革命をすっぱり否定して反米色を薄めて、「日本労働者党」とでも改名すれば少しは支持率も変わっただろうに、それすらしない。テロリストだった頃のアイデンティティを否定しきれていないんだよ。
ビラ撒き案件で共産党やその他「赤い人達」ばかりがとっつかまってばかりに見えるのは、それだけ通報されやすい態様を改めようとしていない、社会性や柔軟性皆無な人間の割合が多いって事だろう。俺も経験あるが、創価学会の勧誘だって「帰れ」と一言いえば素直に引き下がるのに、彼らの場合居直るんだもん。そりゃ通報されるわ。
それに、彼らがビラ撒きを止められない理由は、ビラ作成に名を借りたカンパが彼らの貴重な収入源だからだろ。
話半分で聞いても50%か。
正直思ってたより酷いって印象だ
男性の主張は「自分は痴漢の冤罪被害にあったことないけど、聞いた話では」ってのになっちゃうので
女性がムキーってなるのかもしれない。
あんたしょせん他人の話聞いただけでしょ!ってね。
冤罪の割合を抜きにしても、こういう話は出てきにくいかな
「冤罪である」という証明は難しいんだよ
例えば、もし無実の人が痴漢だと告発された場合、その人は「やってないこと」を証明しなくちゃならなくなる
痴漢という犯罪の性質上、物的証拠はめったに出てこないから仕方の無い点もあるのだろうけど、もし痴漢の疑惑をかけられたらナチュラルに悪魔の証明に挑戦しなくちゃならないんだよな
で、そこで有罪確定しちゃったらその人の話をまともに聞いてくれる人はほとんどいなくなる
こんな感じで、「冤罪だ」という話は広まらない気がする
ただ、男としては経験が無かろうと、話だけでしか知らなくても、冤罪のリスクだけで恐ろしいよ
あえて交通事故でたとえるなら、高速道路を徒歩で歩いてるようなもんだ
こっちに突っ込んでくることは無いとわかってても、怖いもんは怖いだろ?
中学生時代、いじめられていた頃の事を思い出した。侮辱や嘘が飛び交い、関係のないその場に居合わせていた同級生も「何事か」と注目をする。「学校の物を盗んだ」だとか「教師しか見てはいけない書類を勝手に覗いていた」などと僕がまるで卑劣な行為に走りそれを目撃したかのように触れ回る。「嘘だ、やってない」しかしそう訴えても悪魔の証明に敵うはずもない。騒ぎが起こって暫くしてから、おかしな雰囲気が立ち込めてくる。
確かに根暗で友達のいない僕には弁護してくれる人も存在せず、皆は『あいつが言われているんだから言われて当たり前』だと思っていただろう、そしてできれば関わりたくないからこのまま何事もなく収束する事を願っていたに違いない。その場にいた同級生の半分がこちらを疑視する中、構わず自分達の話を進行させる人もいた。しかしどんどん騒ぎが大きくなってくる。僕を攻める一人の、クラス中に訴えかける大きな声に巻き込まれ止むを得ずといった感じで全員がこちらに顔を向ける。数人が僕に寄って集って言い攻めるその様は明らかに僕への注意以上の攻撃が含まれていて、『その中にはもしかしたら虚偽や侮辱が含まれているかもしれない、でもだからと言ってあんな奴を弁護するのも気が引ける』とでも言いたげな哀れなものを見る様な目線が僕を囲む。それでも相手の口からは躊躇いもなく悪意の篭った暴言が僕に向かって吐かれる。僕は耐えられなくなり目に涙を浮かべながら教室から逃走した。
あの光景は今でも鮮明に思い出すことができる。被害妄想なしに書くと、自分といじめを行っているグループしか居なかった空間に急に他人が『傍観者』という具合で割り込んでくる。そしてその『傍観者』には悪意はないかもしれない、それどころか全く悪意などなく寧ろ善意との狭間でどう行動すれば良いか戸惑っている人もいるかもしれない。しかし僕には、その空間に入っただけの傍観者に対しては『見方かそれ以外か』しか判断ができず、見ているだけで何も言わない傍観者も含めた『見方以外』が増えた事に耐えられなくなる。
よく『いじめは見てみぬ振りした人間も加害者だ』と言う人間がいる。僕はそこまで乱暴には考えないけど、加害者と被害者しか居なかった空間に急に割り込んでくるのはやめてほしい。自分がいじめられているという哀れな姿は、誰にも見られたくないからだ。無視できないという自信がないなら、いじめを止める事ができないと分かっているのならどこかへ去ってほしい。加害者でない人間から哀れな目線で見られる事もダメージになり得るし、それが強烈なものになると居た堪れなくなってしまう。
ところでその時の僕は泣いてしまったわけだが、泣くという行為は自分の直面しているその事態に対して感情移入しているに他ならない。下らない事に感情移入した挙句自分が哀れな目線で見られていると思ってしまったわけだ。くだらない事で泣いてしまった自分にも非がある。もしかしたら重要なのは耐える事ではなく馬鹿馬鹿しく下らない事態に直面しても感情移入せず常に冷静さを保つ事なのかもしれない。
ちなみに僕はあの時から今まで4年以上引きこもりをしている。
「なんで幼女を襲うようなやつを擁護するの?」
??強力効果論を信じている
「エロ本のせいで犯罪が増える」「エロ漫画やゲームのせいで現実と妄想の区別がつかなくなる」
??資料・統計よりも自分の直感が上
「でもポルノがあるおかげで犯罪も抑えられているとは言い切れないだろ。やっぱり、
ロリコンやそれらの対象となりえるものを減らすためにも規制した方が良い」
??悪魔の証明を要求する
「だったら、ロリコンが危険じゃないという証拠を出してみろよ」
??反論を拒絶する
「なんで必死に正当化してるの? いくら反論しても世間はお前らのこと受け入れてくれないよ」
??相手の意見を歪曲する
??仮定の話を持ち出す
「万一足を踏み外したときに、被害に会うのが子供だから(ロリコンは)危険なんだろ」
??単なる差別主義者
??単なる電波