はてなキーワード: プロスポーツとは
いや、厨房みたいなこというけどまあ聞いてくれ。
俺今ふと思ったんだよね、人生って一回きりだなって。
まずさ、俺にもそれからお前等にとっても、いまこの瞬間とか明日の朝とか
おとついの昼間とかも全部が全部、もう2度と取り返せない一瞬なんだよね。これがすごいよね。
まあこのことって当たり前なんだけど、正直あんまり意識してなかったんだよ俺。
でもさ、俺たちはまず間違いなくあと50年か60年か長くても70年くらいで死ぬじゃん。
もうね、死ぬよ絶対。間違いない。それはわかりきってることなのよ。いろいろ屁理屈こねたら反論も出来るけどね。
でもいや違うのよ、違うの。俺はなにもさ、そのことでさあ、じゃあ限られた時間を精一杯いきろ!とか
なにか人生で偉大なことを成し遂げろ!とかそんな熱いことが言いたいわけじゃないんだよ。
むしろだらだらしててもいいと思う。やる気なんかなくてもいいだろう。
それも人生だ。だけどさ、だけどもし死ぬ前になってさ、
「ああ俺もうすぐ死ぬんだ。はははそうか死ぬのかあ。いろいろあったなあ・・・・・。・・・・・・・・。
ってあれ、俺何してたんだっけ。生まれて生きてそれで死ぬのか。ええと、いろいろあった・・よな?
面白いこととか、いや辛かったなあとか、ん?ないの?ねえ俺何してたん?うんこびちびちやねん。」
ってさあ、思ってさあ。
なんかさあ、そんなこと考えてたら。あれ俺って何してんだろみたいにおもったわけよ。
それで今日もテレビみてたりしてね。プロスポーツとか映画とかミュージシャンとかその他
著名な活動してたりする人たちを見てさ、あれこの人たちと俺ってなんていうか
なんか違うのかな。って思ったの。遠いところの人っていう感覚があって、その一方で
んでも人間と人間だよな根本的には同じじゃないのか。とか思って。
そんでね俺はこう思うことがある。
例えばサッカーの代表戦みてるときは、もし仮におれがこのピッチに立って
戦うことが出来たとしたら俺はそこで戦いたいなあ。とかって。いや仮にね。
または音楽を聴いてたりするときは、仮に俺がミュージシャンになれるとすれば俺は
あるいは俳優やって良い映画にでてみんなに感動を届けたいなとか。
それで思ったんだ。結局俺はさ、何かを達成したいんだろ?って。
でも普段の俺ときたら、別にいいじゃん。適当に生きたら。とかって言ってる。
そんなにムキになって、人生は一度きりだとか大げさにならなくてもいいだろ。
ラブ&ピースでのんびり暮らしていこうぜ。なんてねw
それで十分満足です。って。いやそうなんだよ、そういうのもわかるんだよ。
でもさあ。でもさあ。なんかさああ。違うんじゃねえのって思ったりするんだよなあ。
いや、じゃあ勝手になりゃあいいだろって話になるわけだよ。
俺もなにが言いたいのかよく判ってないからしょうがないんだけどさ、
よくある言葉に、”人生は一度きりだ。悔いの無いように生きろ。”なんてのがあって
これもさあ、もうずいぶん使い古された言葉なわけだけどさあ、
俺はそれ本当に、はいはいすごいすごい。で片付けていいのかなって思ったりしてるってことなわけよ。
もし、死ぬ間際になって本当にそう思っちゃったらどうすんだろって思う。
”あ、人生ってまじ一度キリなんだなw俺もう死ぬとかワロスwそう考えたらなんだって出来たな。”
とか思ったら俺もう死にたいよ。まあ死ぬんだけどw
いや実際にね、
ワールドカップに出てブラジルとかフランスとかと戦ってる人がいるんだよね。同世代で。
そこまでいかなくてもものすごいホームランバッター相手に堂々とボール投げてる人間とかがいるわけだよ。
同世代で。
そんでさっきも言ったけど、そんなのは特別な人間のやってることだ。て思う気持ちがある。まあ確かに特別なんだろう。
でも、じゃあお前はそこに自分が立ちたいとかっていう夢みたいなものを感じないのかって言われると、
恥ずかしいけどまあ嘘つかないで言うと、正直感じてるわけだよ。
いや別にスポーツは例として将棋でもいいよ羽生まじすげえプロ棋士になれたら真剣で羽生とガチで。とかね。
でさ、でもさ無理なんだよ。とかも思うわけ。いやいや無理だろ俺って何なのみたいな。
だからさあ、俺は思うに無理でもいいんじゃねって。お前なにか実は熱くなりたいんじゃねってね。
そんで俺が今日おきてやったことってさ、
起きてそっこうPCの電源付けて寝ぼけ眼でhatenaでブクマチェックだよ。
なんか面白いエントリねえかな、ねえな。とか思ってるの。だらだらしながら。
しょうがねえなあ、じゃあ俺がなんか面白い増田上げてえな。とか思ったりして。
んで、なんとなく考えてたら昼。なんとなく考えてたら昼ってなんだよwww俺何してんの?うはwwみたいなw
冷静に考えれば俺はさ、熱くなりたいって気持ちを誤魔化して、やってることは
ハテナでホッテントリ上げたいっていう要するに”ちょっと気分的に熱くなりたい”ってことなんだよ。
いやホッテントリ上げるのは難しい。だからいい感じでブクマが伸びたりすると俺はちょっと嬉しかったりする。
いやすごく嬉しい。そこでさ、俺そこで、なんだよ俺っておもうわけ、自分誤魔化して、でもやってることは一緒じゃんって。
じゃあやれよ、なんか人生で成し遂げたいんじゃねえのって。いや難しいこれ誤解されそう。ハテナを下に見てるとかじゃない。
違うんだけどなんだか俺は人生をちゃんと見つめなおすときだろって思ったりしてるわけだ。
俺はさあ、俺にだってさあ、まあ恥ずかし気も無くいうけど
”可能性”ってやつがあるだろっておもうわけよ。つまりはそういうことなんだよ。
俺にも、それからお前等にも、”可能性”ってやつは、もうそれはまじで”有る”としか言えないんじゃないかと思ってんの。
”夢”みたいなものがあるなら、そこには必ず”可能性”みたいなものもあるよなって。
それはすごく微かな手ごたえで、むしろ”無い”とすら言えるかもしれない。
うはww意味わかんね俺ww無いのか有るのかどっちだよww
でもさ、”本当はそれは「有る」んだけど「無い」としか思えない俺”ってのが今の俺だと思うわけ。
微妙だけどそうとしか言えない。
だからさ、俺はさ、ちょっとじゃあやってみようかなって思うわけ、思うわけだよ。
で、そこで俺思った。何やるんだろ俺wwwやべえそこから始めないとww俺まじ今まで適当すぎ。まあそれも人生。
いままでの俺は、それはそれで俺なりに人生について考えてそれでなんとなく今を
こうやって生きてるのも悪くない。って思ったんだから。
でもなんか時間とか人生とか、よくわからんけど考えてみた。わりと正直に。
夜に。深夜に。深夜の俺が思ったわけ。そして俺の中のなにかが顔を出したんだよ。本当は違うだろお前って。
ということで、結局まずは自分探し、みたいなしょぼい結論っぽくなっちゃいましたけど、
なんとなく言いたいことを言ってみました。
とにかく俺は何が好きで、何をやりたいのか、それから何を成したいのか、
ってことについてある程度の人生の現実的なリスクを無視して考えることからはじめてみます。
ちなみに俺は20代後半です。ぷはwwいまさらかよ。っても思うけど、でもいいやって思えてきた。
んでじゃあどうしようかなあ。俺。
とりあえず好きな漫画のジョジョから今の俺に対してこの言葉を書き写す
「君はぼくを乗り越えると言ったが……… 君よりも9年も長く生きてるから教えてやろう……
他人を負かすってのはそんなむずかしい事じゃあないんだ………
もっとも『むずかしい事』は! いいかい! もっとも『むずかしい事』は!
『自分を乗り越える事』さ! ぼくは自分の『運』をこれから乗り越える!!」
あとこれも好きな言葉だ
「「ブッ殺す」… そんな言葉は 使う必要がねーんだ なぜなら オレや オレたちの仲間は
その言葉を頭の中に思い浮かべた時には! 実際に相手を殺っちまって
もうすでに終わってるからだッ! だから 使った事がねェーーーッ」「『ブッ殺した』なら使ってもいいッ!」
さて、このまま寝て
あしたの朝起きたらさっぱりいつもの自称ラブ&ピース&適当&無気力の俺がいるかもしれない。
でも、これだけはやると決める。
あしたの朝おきたら俺はこのエントリを読み返す。間違いなく。絶対に。確実に。
そう決めた瞬間にもうソレは完了していると言ってもいい。おれはこのスレを読み返し、もし
それでも俺が変わらないならおれは俺をあきらめる。そう思う。だが俺は変わりたいと思っている。
明日の俺にこれだけは行っておく。
”俺は今、変わりたいと思っているし、きっとお前も変わりたいと思っている。自分を誤魔化すな”
ここまで読んでくれた人ありがとう。
こうやって自分について少しでも考えることができたのはhatenaのおかげだと思う。
うん、あなたの主張することはそのまんま理解しているよ。
芸術家として生きることは宝くじを買うのと同じぐらいリスクの高い人生の選択。
それはプロスポーツや小説家とかよりも厳しいかもしれないね。エンターテイメントですらないからね、特に日本では。
俺の主張は学校の教師風情に人生のリスク管理何ぞして欲しくないってことになるのかな?
人生のリスク管理はまず親のしつけ、教育観、人生観、そっちであって欲しいね。
ちなみに俺自身は美大卒、家族持ちのインハウスデザイナーで、芸術家ではないけれど自分のやりたいことは捨てていないよ。
なので、リスクを回避しつつ如何に芸術家としての魂を捨てずに生き続けるのかを選択しているつもり。
でも、個人の生き方を論じるつもりはないよ。
人それぞれいろんなところにぶつかっていろんな選択をして生きていくわけで、
どうやって自分の矜持を保つかってのはつくづく難しいよね。
『俺は、陸上で日本一になりたいから毎日10時間走り続けるぜ!』
と、聞いて
『うんそれはいいね!』と思う人。 ←OK。
『いや、体が持たないだろう、、、、』と思う人。 ←馬鹿。
と思うだろう。
『プロでも無理』
大会のときは別に走れるけど、プロだって、1日10時間を毎日なんて走らない。
朝8時から走り始めて、夜6時まで?毎日? ありえない。
昔の根性論の時代ならイザ知らず。
筋肉は2日毎に強い負荷を与えたほうが超回復で強くなる!キツい練習と軽い練習を交互にやるんだ!みたいな理論が、今はちゃんとある。
ただ、論理的思考力の話を今はしているわけだから、一般常識はこの際置いておこう。
==================
『俺は、陸上で日本一になりたいから毎日10時間走り続けるぜ!』
と、聞いて
『うんそれはいいね!』と思う人。 ←OK。
『いや、体が持たないだろう、、、、』と思う人。 ←馬鹿。
==================
大学受験生の話を聞くと(実際にどれだけの人間が実行しているのかは知らないが)
意欲だけは、計画だけは、聞くと、『俺は毎日10時間以上勉強するぞーー!!』
みたいな、気合の入った話をする割合が非常に多いと思う。
特に、いままであまり成績の良くなかった人に限って、こういうアタマの悪いことを言っている気がする(主観)
【そういう人たちに対して】
毎日10時間以上走るぜ!と聞いて、『正しいね!』と答える学生は矛盾していない。
『いや、体が持たないだろう、、、』と答える受験生は矛盾している。
今までジョギングもしてこなかったような連中が(普段から勉強してこなかったような連中が)
基礎体力も無いのに(基礎学力も無いのに)
10時間も走れるわけが無い(10時間も勉強できるわけが無い)
別に、大学受験でそれまでの人生を一発逆転したい!というのを否定するわけではない。
否定するわけではないからこそ。
======================
『俺は、陸上で日本一になりたいから毎日10時間走り続けるぜ!』
と、聞いて
『うんそれはいいね!』と思う人。 ←OK。
『いや、体が持たないだろう、、、、』と思う人。 ←馬鹿。
=======================
と、言っている。
できなくは無いんじゃない?
出来なくはないと思いますよ。
ただ、無駄な努力に意味があるのかくらいは考えたらいいんじゃないの?
体育会系(笑
って馬鹿にしてる癖に体育会系の勉強法を選ぶなんて、『本当に』馬鹿なんじゃないの?
と思う。
って人はいいと思う。矛盾してないから。
『脳』だって生体なわけだよ。
アタマのよさってシナプスの結合なわけで、
劇的に成績をあげるってのは、劇的に肉体改造するって事なんだよね。
足を鍛える、腹筋を鍛える、脳を鍛える。基本は同じ。
で、論理的思考力があるなら、
=======================
『俺は、陸上で日本一になりたいから毎日10時間走り続けるぜ!』
と、聞いて
『うんそれはいいね!』と思う人。 ←OK。
『いや、体が持たないだろう、、、、』と思う人。 ←馬鹿。
=======================
そもそも、これがおかしいって事に気づくと思うんだよね。
『毎日10時間のトレーニングなんてプロスポーツ選手だってやらない』
それなのに、
なぜか【受験の話】になると、みんなアホみたいに『勉強する!勉強する!長時間勉強する!人より長い時間とにかく勉強する!』ってなっちゃうんだよね。
ってのは分かったけどさ。
『キミにそれが出来るの?それが現実的なプランなの?』と言いたい。
僕も文章力が無くてココまで読んでも、結局何が言いたいのか分からないと思うけど。
『過度なトレーニングは、カラダを壊すだけであり、筋力もあまりつかない』
『腕立てを1日1時間くらいまでなら効果があるけどそれ以上やっても、そんな無茶を毎日続けても、筋力は付かない』
何故!
なんて思い込めるんだろう。
なんで、休ませないんだろう。『脳を』
筋肉と同じく、細胞の集合体に過ぎないというのに。疲れないわけが無いのに。
一定上の努力は徒労になるばかりか、逆にマイナスになるのに、、、、
『あれだけ勉強したのに、1日1時間くらいしか勉強してないヤツに勝てない』
って鬱になる原因にもなるのに、、、、
『脳』だって肉体なのに。
ルーチンワークや単純作業と違って、勉強は『やった量』ではなく『身に付けた量』で評価されるものなのに。
単語1つ覚えるのに、何回も書く必要が何故あるの?
何で一回で覚えられないの?
一回、丁寧に書いて、よ~くアタマに刻みこめば、10回も20回も書く必要なんて無いのに。
逆に、よ~くアタマに刻み込もうとしなければ30回書いたって、記憶になんて残らないのにさ、、、、、、
『それでも数をこなせばカラダが覚える!』なんてウソだから。
『それでも数をこなせば、、、、』って、たった1年で逆転しようと思ってる人たちに、そんな時間的余裕があるの?そんな無駄なことやってるから1日10時間も勉強しなきゃ!なんて無駄な事になってるんじゃないの?
何度も言うが、大学受験で一発逆転を狙うのは悪くはないと思うし、不可能ではないと思う。適切な計画で、ほどほどに勉強していれば。
だから、
なんかこの界隈で色々とあれみたいなんで思うところを書いてみる。
多分取りとめがなくなると思うが、いやなら読まないで次いこ、次、ってことでよろしく。
この前の誕生日で、46歳になった。
イタイ大人なのかもしれないし、大人になれないオトナコドモなのかも知れない。
こんなところに出入りしてROMったりDISったりしているのはオトナのすることじゃないのかもしれない。
これを読む若い人たちには夢も希望もない話に聞こえるかもしれない。
もとい、自分にとって大人になることとは自由になることだった。
親や教師や社会のルールや、自分を縛る何もかもから逃げ出すこと。尾崎豊みたいだなあ。
少なくとも経済的に自立しないと自分の好きなものは手に入らない。好きなところには行くことが出来ない。
好きな人と好きなようにあって好きなだけいちゃいちゃすることも出来ない。
だから、まずある程度経済的に独立した状態、それが自由の基本だ。
そのための手段としての仕事をどうしたか。
安っぽい言い方でほんと申し訳ないんだが、好きなことを仕事にした。
好きなものを作る業界で、自分の得意な分野での仕事に付くことができた。
2回転職してのことだけどね。結果収入も増えた、と思いたいが、日本の給与制度には永年勤続に対する退職金というすばらしい制度があるので、
生涯収入としてはどうだったのかはよく分からない。
新卒で大企業に就職していたら、そのまま一生留まるのがお得なのが日本の社会なのだ、とも思う。
これは時代背景やら経済状況やらとのからみで、上手いこと波に乗れたので運がよかったのだと思っている。
こればっかりは人の話はさっぱり参考にならないと思う。巡り合わせ。色々と一期一会。
んで、だ。
自由になって何がしたかったのか。
楽がしたかったんだ。好きな時間が欲しかったんだ。おいしいものが好きなだけ我慢せずに食べたかったんだ。
この夢は未だに叶っていないけどね。
その夢と引き換えにして(経済的には)家族を得た。パートナーと子どもが二人。
家を手に入れた。借金のかたに取られるかもしれないけど(普通の住宅ローンには普通に抵当権設定されるのが日本の標準)
はたから見たらごく平凡な、いや平均以上の家庭に見えるだろう、と思う。
そんな自分は大人なのだろうか?
けれど可能性はだんだんと減っていき、残ったものを得意なものと決めざるを得なくなる。
それに気付いて、残った僅かな可能性を握り締めて何とか仕事に繋いできた。
結果、必死で仕事をし、良いことも悪いことも色々あって、
成長なのか、鈍化なのか、
技術を習得したのか、変化に順応したのか、
ともかく仕事は続いている。
子どもを一応大学までは行かせてやりたいと思うから、仕事を放り出して逃げたい時でも頑張って仕事をしている。
仕事そのものは嫌いじゃないが、正直、矛盾だらけでしがらみだらけの会社ライフに嫌気が差して、
一人でどこかへ行ってしまいたいと思いながら、会社帰りに部下とカラオケしたり、コンビニで立ち読みしたりする程度で発散しいる。
こいつは小物だ、雑魚だなあ、と思うけれどもそれが自分だからしょうがないな。これを矮小化というだろうか。
これは大人のやることだろうか?
さっきまで教育テレビでアルゼンチン生まれのユダヤ人、バレンボイムの指揮するウエスト・イースタン・ディバン・オーケストラを聴いていた。
ロシアの作曲家、チャイコフスキーの悲壮を、アラブとイスラエルの若い音楽家で構成されたオーケストラが演奏している。
輝く音楽。指揮者は早々に(高校生の判断を早々と呼ぶのならだが)諦めた可能性の一つだけれど、音楽は美しい。民族、人種を超えて美しい。
なにか、分かり合えなくても共有できるのではないか、永遠に続く錯覚ならそれでも良いではないか、と思わずにいられない。
世界の平和を願い続けることをばかげているという人たちもいるけれど、自分はそれを信じたい。
大人になったからそう思うのではないと思う。
そういえば高校生の頃、別マを愛読していた。くらもちふさこは今でも好きだ。最近はのだめカンタービレが好きだ。
子どもにつられて読み始めたワンピースを大人買いして、今も毎週立ち読みするのも自分だ。コミックスは自分が買う。
そういえば小さい時から徒競走がとにかく苦手で、いっつもお前は本気で走っているのか?と訊かれていた。ああ、本気だったとも。
だから走るのが速くなれば女の子にもてると本気で思ってたぞ。今も心のどこかで思っているな。マッチョ信仰だな。
いや、ないものねだりか。大人には足の速さって価値がないな。プロスポーツの世界でもない限り。
昔から、軸がぶれていて、定まらなくて、今もぶれている。コンプレックスの塊だったから、早く大人の男になりたかった。
強く、揺るがない信念を持った大人の男。
今の自分はそんなものとはかけ離れている。
流れてゆく時間の中で、今を生きていくことだけを追いかけてたら、こうなった。とにかく、ここまで生きて来た。
これを流されたというのだろうか。
今まで生きて来て分かったことは、自分の自由は自分で決めて自分でやるしかないということ。
自分のしてきたことを認めること。後悔することもある。でも認める。それは自分であると。
過去何がしかの決心で分岐を選んだ自分を認めること。だからといって他の道を永遠に諦める必要はない。それは夢だから。
可能性が0でない限り、持っていてもかまわない夢だから。
こんな浮ついたことを言いながら多分50になり、還暦を迎え、だらだらと意地汚く行き続け、願わくばあっさりとひっそりと死んで行けると良い。
こんな自分は大人なんだろうか。
だらだら書いてすまなかった。もう終わりにするよ。
まあ、こんなオヤジもそれなりにいるのではないだろうかと思うのだ。
大人になりたい人は自分にとっての大人を決めるといいよ。
死ぬまで追いかけるぐらい遠いことに気が付くのは多分死ぬ時なんだと思うけれどね。
ああ、本当に大人気ないなあ。
今度異動になった部署の奴らの話。
どちらかと言えば体使う系の部署に異動になったんだが(俺自身は使わないポジション)、
彼らはなんであんなにプロ野球とかの話ばっかりできるんだ?
しかも内容のうすいことうすいこと。スポーツが好きって言ってもすごく調べてるわけでもない。
打たれれば「○○(ピッチャーとか監督)のバカがよー」とか、そういう風に見てる。
どこどこファンとか公言してるし。
おれはプロスポーツが好きで実際に観戦によく行くし自分でも昔からの友達と野球やったりサッカーやったりしてるけど
今の部署の彼らのようには見ないわ。そういう風に話もしない。
何しろ彼らの話はうすっぺらいよ。それなのにやたら感情的っていうか。○○ファンとかもちょっとわからない感じだ。
絵描きならいつでも同じ顔を書いてください
あるていど正確なことができなければ
配球もかわいさもへったくれもありません
ゲームを成立させるのでやっとです
人間?と思わさせることでやっとです
正確無比になることを目指して練習してください
以上を踏まえた上でなければいくら練習しても
無駄です
俺には俺のスタイルがある
というのは新しい技術体系を作るということに他なりません
そういうのは天才に任せておいてください
したいことの一連の流れを知ってください
何を知らないのか何ができないのか
それすら分からず練習するというのは
なんというか、なんというかです
人間のつくりは大体同じなので
基本どおりにやるのが一番効率的です
たとえばグリップの握り方ならあてがう関節の
位置まで説明してある方法を知ってください
それが一番強く握る方法です
やってください
覚えてください
基本が繰り返せるようになってください
そうすれば安定するようにはなるはずです
その先は研究です
よりうまくなるために足りないこと
分からないことを探していく
ここでまた全体を知っていることが生きてきます
基本に忠実にというのは正確無比になろうってこと
まあそれもひとつの事実だけどさ、そこまでシニカルにならんでもいいんじゃない?
ほんの一部のすごいand/orラッキーな人間だけが大成功して後は人知れず埋もれて行く世界なんていくらでもあるよ。音楽家。俳優。漫画家。小説家。プロスポーツ選手。博士課程だけがことさらに殺伐としているわけじゃない。
もひとつ残酷な事実は、1%の本当に優秀な人を排出するためには99%の夢敗れる人が必要だってこと。その99%が最初から諦めてたら、たぶん本当の1%も出てこない。自分の夢が敗れても、それは1%を送り出すための礎になったってことだ。慰めにならないかもしれないが。
見た目キモい人が多いよね。
これは誰もが思ってることだと思うけど、それをプログラマ間で口にするのはタブーとされている。
プロスポーツ選手なんかは不思議と競技ごとに顔の系統が似ているけど、それと似たようなものかな。
それにしてもなぜプログラマにはイケメンよりブサイクが多いのだろう。
頭ばかり使ってると顔つきが悪くなるというけど、それを証明しているようでもある。
もしくは、ブサイクである、またはキモいことがプログラマの素養として重要なのかもしれない。
キモい→嫌われる→友達がいない→一人の遊びに没頭する(できる) みたいな。
顔だけじゃなく、性格も自己中だったり、八方美人だったりとあまりよくなく、しゃべり方もイラつくことが多い。
でも第一線で活躍しているプログラマは嫌悪感を受けるような顔や性格の人は少ないと思う。
プログラミングでお金を稼げるようになることが重要なのかもしれない。
見た目キモいプログラマは金になるコードを書いていないっていうのはけっこう正しい仮定だと思う。
金になるコードというのは書いていて楽しいものじゃないかもしれないけど、
最高に楽しんでお金も稼げるなんてことはなかなかないと思うし。
うん、頑張るといいよ。
「もっと勉強しなきゃいけない。完璧に」「俺の頭じゃ、人並み以上にやらなきゃ」って思いこんでて、(実際そうなのかもしれないんだけど)だから普通にやれただけだと、「こんなんじゃダメだ」とか思っちゃって、結構無理な計画とか立てちゃうんだよ……
うん、そこで大事なのは、自分の位置を客観的に把握することね。これは勉強に限らないんだけどね。
スポーツの世界でもよく言うでしょ、「相手をリスペクトしすぎていた」とか。能力のある人ほど、他人の凄さがよく見える。だから、紙一重の差を絶望的な差に感じてしまって、最初から萎縮してしまって負けてしまうことがあるんだ。そして、プロスポーツの世界では心理戦がかなり重要だったりする。前の年に優勝したチームが翌年にはぼろ負けだったりするでしょ。
そこ行くと、受験の場合は「模試」という道具があるから、まだ自分の実力を冷静に客観的に評価しやすいはず。自分が余り自分の状況を冷静に見えていないと思ったら、敢えて他人の目で客観的なデータを見てみるのもいいね。
でも一つだけ成長してるとするなら、前回よりブランク期間が短くはなったってことか……前回は二週間もそれで鬱々してた。
そう、それを自覚できてるのはいいことね。時間の無駄を時間の無駄と自覚できるなら、時間の無駄をしないためにはどうするかという発想もできるでしょ。
正直、進路によっては受験勉強が役に立つとは限らないかもしれないけど、そうやって自分を客観視しながら計画的に物事を進めて行くというスキルは何年経っても役に立つよ。ぜひ、自信を持って地道にやってくれたまえ。
http://anond.hatelabo.jp/20080530040045
まるで何年か前の自分を見ているようだ。確かに非コミュは辛い。それは痛いほどわかる。俺は生まれてこの方ガキの頃から非コミュだったし、おそらく死ぬまでそうだろう。それで損をすることも多くあるに違いない。君も恐らくはそういう人種だ。それははっきり言っておくよ。残念ながら、君の思い描いている楽しい現実は一生得られないだろう。
だけれども、非コミュであることは別に致命傷ではない。君にはそれなりの武器もあるから、それを使って生き延びることはできるはず。昔と違って、君のような生き方は王道ではないかもしれないが、搦め手から攻め込むことは十分できるよ。
みんな「中卒のオレが学歴について(ry」とかたのしそうに学歴学歴語るけど、
クソの役にも立たないって、旧帝なんかにいる僕自身が、はからずも証明している。
じゃあ役に立つところに行けばいいのさ。たとえばスポーツが得意なことは普通は役に立たないけど、プロスポーツ選手になればそれ以上に役に立つものはないよね。そして、学歴はスポーツよりもよっぽど、プロを名乗るための敷居が低いんだから。
別に学歴ってのは看板じゃないんだよ。学歴が「学校歴」ではなく「学習歴」として成り立っていれば、専門知識を売って生きていけるはず。もっとも、法曹関係やらコンサルやら研究者やらはお勧めしないけどね。そういう世界は過当競争の分、むしろコミュ力が要求される。逆に、役所とか大企業みたいな巨大組織ならば非コミュでも生きていく隙間はいくらでもあるよ。
「私の長所は笑顔とリーダーシップとコミュニケーション能力です!」だってさ。
はっきり言って、そんなことを恥も外聞もなく言ってのける人はコミュ力低いと思うよ。それって、相手の喜びそうな表現で「俺は偉い」って言ってるだけだもん。そんなのに騙される人はそれだけの人。人を見る目のある人は「おぬしもまだまだ青いのう」って思ってるよ、そういう人のこと。
「もう、3分喋っただけでわかる。入社しても絶対成長しねーんだよな」って。
むしろ、そんな言葉を口にする人こそ成長しない人ですよ。他人のことをたかが3分で判断できるなんておこがましいことを、少しでも人を見る目のある人は考えたりはしません。この段落に含まれている矛盾も考慮の上、人を見るというのがいい加減な営みであるということを知った方がいいです。
そういうのは基本的に、テレビとかでパターン学習してるからできるだけですよ。一見軽妙なやりとりをしているように見えても、その内実は空虚なことが多い。実のあるやりとりをしている比率は実際のところ君とどっこいどっこいですよ。君だってそのことは薄々気付いてるでしょ?真似をしようと思えば、膨大な労力を割いて努力すればできないことはない。でも、それに見合うだけの見返りがあると思えないからやらない。それだけのことですよ。自分でつまらないと思ったんだからそれでいいじゃない。自分の価値観に自信を持てばいいんですよ。別に周囲を愚民だと思えなんて言ってない。価値観が違うんだな、と思っておけばいいんです。
あなたと私と2人でおいしいごはんを食べにいきたい、って心から思ってくれる人はいるだろうか。
似た者同士の人種として、僕は「普通」な人よりもむしろ君とこそ飯を食いに行きたいですね。
世の中の人間関係は修羅場であって弱肉強食の世界だと知りつつも、自分の個性なんて甘っちょろいことを信じて負け続ける、そういう敗北の美学に殉じるのもまたよしじゃないですかね?
2005年。俺が仕事で忙しくて、実業団レースでリタイヤを繰り返していたとき、市川さんに「お前、もう止めた方がいいじゃない?」と引退を勧告された事もある。でも、俺の中では「なぜ走れないのか?」は分かっていたし、「どうすれば走れるようになるのか」も分かっていたし人に「どうして調子悪いの?」って聞かれたら「仕事が忙しくて練習が出来ない」って平気で言い訳していた。これはいい訳じゃなくて事実だと思っていたから。
スポーツ選手は自己分析をするタイプの人が多いと思う。高橋選手も事実を事実として責任と自信を持って発言しているんだろうから、言い訳と思っている人には思わせておけば良いし、こんなつまらない事で悩むより、次のレースまでにどうやってコンディションを戻しパフォーマンスを発揮できるのかを考えてもらいたい。
アタマ悪いんだからこんなこと書かないほうがいいのに。
プロスポーツ選手ではなく面白いこと言うヤツが売れる理由を嫌っているはずなのに、その辺の区別がつかないことを言うのは墓穴なんじゃないかな。
別に自分と高橋を並べて、オレも頑張るぜって言いたいだけなんだから、余計なことは書かずに、ホントちゃんと頑張ってね、わかりやすい形で。
独り言。
「金を出す」ことだけ似ているけれど、あとは全然違うわけだが。
それに気付かないプロスポーツ業界なんて、廃れても仕方ないと思うんですよ。
え?
「好きでやってるからいいんだ」って?
だったら、スポンサーを頼らなくて良いじゃないか。
自分達で練習時間を削って働いた金でやれば良いじゃないか。
そんなオナニー、一部のヲタを除いて誰も見たくないと思うがね。
はぁ。
そんなのはプロではないと?
あと、無償で提供してもらったものだからぞんざいに扱って良い、
という感覚もちょっと理解できないですね。
そりゃあ自腹購入した備品の方が大事なのはわかりますけど。
スポンサーの目の前で明らかにぞんざいに扱うというのは
やっぱり、スポンサーとしては「えっ?」て思いますよ。
それ、欲しいけど高いから買って下さいって言いましたよね。
なのにそういう扱いなんですか。よくわかりました。
「白」から「青白く」なっていくのを、はじめてリアルで見た。
http://anond.hatelabo.jp/20070813121048
Aという人が面白がっても、Bという人にとっては面白く感じない、なんてのは当たり前の事。
さらにこういった「本歌取り」をする作品は、読む上でその知識が読み手側に存在していなければ、面白さも半減するのは当然の話。
映像作品で言えば、「モンティ・パイソン」「オースチン・パワーズ」や「ホット・ショット」「裸の銃を持つ男」といった作品では、洋画のパロディやアメリカでの生活・ないし時事ネタ・時代ごとの風俗ネタ・聖書ネタなどが入り乱れているので、その当時を知らない・あるいは非西洋世界に生きている人には分かりづらい・楽しめないネタがある、というのはよく言われている指摘。
それはたとえば、日本以外の国の人がこの「さよなら絶望先生」や「あずまんが大王」・「究極超人あーる」などに含まれる元ネタを追い切れず、面白さが半減しているのと似たような現象であるともいえる。
ほかにも、国によって・また時代によっても、こういった「何を面白いと感じるか」という感性は、違ってくる。
ひところではプロレスが日本では国民的人気であったが、現在ではK-1など打撃系格闘技に株を奪われ、見る影も無いのがその一例である。
またJリーグにみられるように、サッカーが日本でプロスポーツとして成立するだとは、20年ほど昔から考えてみればおよそ「信じられない」状況ではある。そういった「国ごとの人気スポーツ」でいえば、例えばインドではサッカーのほかに「クリケット」が人気があるのだが、イギリスの植民経験地以外ではこのスポーツは残念ながら人気を博していないようだ。
なにも悩む事はない。ただ単に「その作品を面白く思えるセンスや知識」が(いまの)あなたには無い、というだけの話であって、それは別に卑下することでも、なんでもないのだから。
わかるよ。
プロスポーツであり、しかも「伝統ある」「国技」の「横綱」たるもの、相撲に対して半端な取り組み方では困るんだよね。
むしろ半端な取り組み方しかできなくなったら横綱をやめなければならない(=力士を辞める。横綱は下に落ちれない)くらい厳しい世界だし。
そういう厳しいレイヤー上の話を、普通の人が生きている生ぬるいレイヤー上で語っても筋が違う。
彼らはまさしく「違う土俵に立っている」し、その土俵にはその土俵のルールがある。
横綱ってあれこれ資格が厳しい代わりに、ものすごく金銭的な見返りが大きい。だからみな横綱になりたがるし、モンゴルから出稼ぎにきてるんだろ。
こうるさいことをガタガタ言われる上での高給であり、それが守れないならサラリー減らすよ(=土俵に立たせない)ってだけのこと。
彼らは自由人ではない。相撲界という会社の社員で、その会社は、上に行けば行くほどものすごく金が手に入るけど、旧態依然とした厳しい会社だったのさ。
この一文だけで、ご飯3杯いただけますわ。
以下、ご飯3杯分。
そもそもの引用元で言われているプロ(=プロフェッショナル)とは、スキルが優れているだけではない。
有名な団体に所属にしているとか、世界記録を持っているとか、そういう権威だけでもない。
自分の行動や発言に社会的責任を持っていて、品行方正である人のことだ。
たとえば、「運動神経が鈍い奴は草野球や草サッカーを楽しむ資格はない」とか「音痴はアマチュア合唱団やアマチュアオーケストラに入るな」ということを公然という人がいれば、プロが出てきて「我々から見ればお前らも五十歩百歩のヘタクソだ」と一喝することも必要ではないでしょうか?それを屈辱と感じれば、同じアマチュアを「ヘタクソ」と侮辱したことを反省もするでしょう。それだけの話なのに、どうしてわかってもらえないんだか。
そもそもの引用元を例に言えば、プロが出てきて言う発言は「健全な発展」を考えた発言である。根拠はある。
スポーツを楽しむ人達を妨害する人に対して、プロが「正しい」ことを言うことは当然のことなのですが。
正しいことが言えなければプロじゃない。
逆に、プロスポーツ選手がスポーツの健全な発展を唱えられないのであれば、いったい誰が何を決めるの?
とか言うわりには、世の中の仕組知らなさすぎですよ。
というか、仕事して金貰ってたら本当はなにかのプロなはずなのよね。プロだったらこれぐらいのことは常識として理解しているはずですが。
それに、あんたがプロという証明が無いから聞く耳持たないと言っているわけではなくて、本当のプロを知っているとは思えない発言をしているから出直しておいでと言っているわけです。
気持ちは分かるが、それはトレーニングの話であって生活訓練所と従順な社員選抜システムとしての学校と試験制度とは関係ない話だよ。
なんか話がずれてるな。
いや、だから
もちろん、そういう人を組織的な社会に適応させるって機能も担ってると思うんだけど、
で、
現状はみんなで歯を食いしばってうさぎ跳びしてるようなものなんで、
別に全員プロスポーツ選手めざさなくてもいいんだけど、
とりあえず体育の時間にうさぎ跳びさせるのはヒザ壊すだけだし無駄だしやめないかって話なんですよ。
うさぎ跳びは本来体のどっかをきたえるための訓練だったわけで、これがどうも効果のないトレーニングだってわかったらさっさと別の方法に切り替えるべきだと思う。
「だってうさぎ跳びやらせると根性つくのに!根性も大事じゃないか」って言う場合は、100歩ゆずって根性も大事だと仮定しても、
それは本来のうさぎ跳びの目的とは関係ないことなんで「根性を鍛える」ための別のトレーニング組むべき。
学力テストは学力テストなのであって、学力テスト「だけで」「従順な社員選抜システム」を代用するのは無茶だよ。
学力テストの本来の目的は、学力のチェックであって、勉強のゴールでもないし「従順な社員選抜システム」でもないよ、っと。本来はね。
http://anond.hatelabo.jp/20070112230417
■趣味でやってる人の方がプロよりよいもの持ってるっておかしくね?
道具の話をしているのだろうか。
もしプロスポーツの話をしているのだとしたら、それはおかしなことではない。
プロよりもアマチュアのほうが良い道具を使っていてもなんら疑問はない。
現代のプロスポーツは、すべからく広告メディアになっている。プロ選手の使う道具は、マーケティングのための道具なのである。広く消費者にアピールするための道具なのだ。アマチュア愛好家は、プロ選手が使っているものにあこがれて購入するのだ。その点で、プロは自分好みの道具を使用することが出来ない不幸な人々なのだ。